あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



移民問題(その4;留学生のアルバイト)

外国人留学生のアルバイトの実態....

日本で働いている外国人について、昨日は「研修員制度(最近は実習生制度)」を書いた。実習生はどんどん増えている。だが、それ以上に増えているのが「留学生のアルバイト」だ。都会のコンビニには外国人(アジア人)のスタッフが多い。コンビニで働く実習制度はない。実習生ではない。彼らは全て留学生だ。留学生と言っても大きく分けて二つある。大学留学と日本語学校留学だ。彼らは留学ビザで来日するため原則的には就労できない。但し留学活動を妨げない程度の労働であって「資格外活動許可書」を取得すれば就労が許される。但し就労時間に制限がある。大学留学生ならば週に28時間以内、日本語学校留学生ならば一日4時間以内の制限だ。だがこの制限が怪しい。例えば日本語留学生が1日8時間働いても、帳面上職場を2ヶ所に分けて1日4時間しか働いていないように見せることが当たりまえに行われている。これは留学生は知らなくとも良い。留学生に言わず雇い主が帳面上そのような操作をするのだ。間に業者を入れてばれない様に巧妙にごまかすこともする。語学学校在籍も帳面上の在籍でごまかすことになる。こうした「留学」と言う名のもと日本に働きに来る外国人の立場から見てみる。まず大学留学だが、決まった大学がそうした留学生を集めている。それに応募して留学する場合の経費だが、渡航費用、授業料、半年間の家賃などは業者を通じ先払いする。その額は60~100万円だ。この費用は親や親戚からの借金で賄う。留学生は半年間は大変だ。勉強しながら引き続き住むためのお金を貯めなければならない。病気になんぞなっておれない。懸命に働く。大学留学は就学2年間のところが多い。最後の1年は、来日時に親戚などから借りたお金を返すために懸命に働く。大変だ。これが大学留学だ。日本語学校留学はそれよりも簡単だ。簡単だが、悪質ブローカーが間に入ると大変なお金を払わされる。それを返却するため懸命に働く。トラブルも多い。1日4時間しか働けない身分でありながら、ごまかしごまかし12時間も働く留学生がいる。勿論日本語学校には籍だけおいているだけで通えない。どうせ、職場で実地で勉強するので同じことだが....さて、大雑把に留学生のアルバイト実態を書いた。今、都会のコンビニやレストランには外国人スタッフが溢れている。彼らはおおよそこんな状態で働いている。留学が終わって日本を去る時に持ってゆけるお金はそれほど多くない。
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在留外国人の数....

現在日本にいる「総在留外国人」だが、今年の法務省の発表では、318万人だ。北陸3県合わせても300万人(富山107万、石川115万、福井79万)にしかならない。それより多いのだから驚く。もっとも多いのは永住者(法務大臣の許可を得た者)で75万人だ。次が「特別永住者」と呼ばれる韓国、朝鮮人で33万人、その次がここに書いた留学生で31万人、その次が昨日書いた実習生で27万人だ。この2位と3位がどんどん増えているのだ。昨日書いたように研修制度も制度疲労がある。留学生制度も悪徳ブローカーがはびこる。そうした制度欠陥は、実習生や留学生が途中で抜け出し不法在留者として日本に潜入してしまう原因にもなっている。こうした制度疲労をこのまま放置しておいていい訳がない。
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介護福祉士受け入れの実態.....

バリ島に住む私は、宗教的にも日本と似ていて年配者を大事にするバリ人女性が日本のお年寄りを看てくれる制度ができることを望んできた。現在、そうした制度はない。あるのは既にインドネシアの大学(インドネシア以外ではフイリッピンとベトナムに適用される)でそうした学科を卒業した者のみに適用される、日本の介護福祉士国家試験を受験するコースだけだ。受験する本人は介護に関する知識は既にある、その上で日本語を勉強(日本語検定3級程度)し、さらに日本の国家試験を合格しなければならない。余りにも難しすぎる。平成4年からそうした受験制度が始まったが、23年;94人受験、35人合格、24年;184人受験、86人合格、25年;107人受験、46人合格、26年;85人受験、47人合格、27年;82人受験、48人合格、28年;109人受験、68人合格....と、合格率は少しづつ高くなっているが、受験者数が6年前から増えていないのが問題だ。この介護福祉士受け入れの制度を読むと、まず最初に次の言葉にぶつかる。「この受け入れは看護、介護分野の労働力不足への対応ではなく、二国間の経済活動の連携の強化の観点から、経済連携協定(EPA)に基づき、公的な枠組みで特例的に行うものである」この赤字、私が示したものではない。厚生労働省発行の公文書の文章のこの部分に傍線が引いてあるのだ。「みなさん、間違って理解してはいけませんよ」と警告しているようでよそよそしい。

# by yosaku60 | 2018-12-08 11:40 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

移民問題(その3;労働集約型産業の賃金)

まずは、自分の体験から書きたい....

日本人として働きたくても働けない職場もある。賃金の安い後進国の人と競合する職場だ。そう言う職場を「労働集約型職場」という。農業、林業、建設業、サービス業などで、技術や熟練を要しない、単なる「人の手」の数が必要な職場だ。私の働いていた海運業(船乗り)もそうであった。まずはその体験から書く。45年ほど前の1970年頃の話になる。当時の日本の船会社の所属船はみんな日本国籍だった(船にも国籍「船籍といいますが」があるんです)。そうした船の国籍だが1970年を過ぎた頃から日本の会社の船舶でありながら外国籍にすることが流行り出した。外国籍にすると税金が安いからだ。パナマやリベリアなどの船舶の税金が優遇される国籍の船が増えだした。便宜置籍船と呼ばれた。便宜置籍船が出来てから数年、船が外国籍なら働く船員も外国人でいいじゃないかということになった。後進国の船員を使えば支払う給料も安くてすむからだ。乗組員の全員を外国人にするのではない。主要なポジションだけは日本人にして残りは外国人という取り合わせだ。そんな船を業界では「混乗船」と呼んだ。1975年ほどからそんな混乗船がはびこりだした。混乗船が増えると日本人の船員が少しづつ必要なくなってきた。それが段々と加速し、ある時、日本の船員(但し外航船)がまとめて首を切られた。会社単位なんかではない。海運界全体で首切りが行われた。ただし全船舶ではない。船には「内航船」と「外航船」という分け方がある。内航船というのは日本国内を航行する船舶を言う。内航船の船員は首を切られなかった。首を切られたのは外航船に乗る船員だった。ということで日本から外航船の乗組員が消えた。辞めさせられた船員は過酷だったが当時を思い出し私はしようがなかったと思っている。会社にとっては人件費が安い方が良い。それほど能力が変わらなければ安ければ安いほど良い。ということで、まずは私の実体験から、40年も前の日本に「日本人と外国人の賃金抗争」があったということ、そして、日本人がその抗争に負けたということ、を書いておきたい(誰もあまり知らない)。

雇用に関連して利権が動くのは良くない....

外航船の乗組員だけではない。「労働集約型職場」に賃金の安い外国人が入り出して来た。20年ほど前からだと思う。当時日本に働きに来る外国人を「外国人研修生」と呼ばれた。名前の通り「発展途上国への技術移転を確実に行うための研修」が目的の制度であるが、そんなのは偽りである。中小企業の採算性を上げるために安価な労働力を求めるためだった。制度ができた当時の研修期間は1年だった。但し、より実践的な技術習得のためという目的で1年延長が認められていた(合計2年、現在は合計3年になっている)。給料は15万円だ。住居は寮などをあてがわれたが食費は個人払いなので研修生は常時安い食べものだけを食べていた。そしてできるだけお金を残して家に送金していた。粗末な寮で集団生活させて給料が15万円ポッキリならば、まして2年使えば本国に帰るのであと腐れがない。中小企業にとってはなんとも使い得な労働力だ。ただし研修生を雇うのは、そう簡単にはいかなかい。採用の枠があるからだ。その採用の枠というのがいい加減だ。企業が独自で研修生を採用するには日本人の職員20名につき1名という枠があった。これは難しい。がその枠を外れることができる別の制度があった。「団体監理型」という受け入れ制度だ。例えば繊維会社の集合体が「団体監理組織」として、市町村あるいは県に届け出ると大量の研修生を採用できるのだ。ここに問題があった。団体監理組織会社と認められる過程で利権が動くのだ。人の雇用に関連して利権が動くことほど醜いものはない。「日本人は良心的である」と全ての日本人が思っている。が、こと外国人研修生制度に関してはそうは思わない。研修生を結構にこき使うのだ。給料未払いのケースまである。日本の悪口を余り書きたくないが、これも私の体験だが、我が町に中国人の研修生が沢山住んでいた。次の写真は私の家に研修生(3人)を呼び、本物の寿司をご馳走した時のものだ。中央は寿司屋の主人で進んで協力してくれた。家で本職の寿司職人に目の前で握ってもらうなんて日本人でもなかなかできない贅沢だ。普段、研修生として苦労(聞けば聞くほど大変だった)している彼女達にひとときの安らぎを与えたかったからだ。こんなことをするにも雇い主の会社に彼女達を我が家に呼ぶための許可を得るのが相当に大変だった記憶がある。
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写真を見て思い出しながら書く。右から二人目は、曹さんだった。彼女の母親は医者だった。結婚していて子供もいて、夫は衣料スーパ店を経営していた。そんな裕福な家庭なのに何故に日本に来たの?と聞くと一度は外国に行きたいと思ったので夫に話すと「行ってきていい」と許可が出たという。左は高さんと言った。実家は農家だった。広い土地で作物を作っていて生活にはそれほど困っていなかった。日本に来たのは「興味心」という。まあ、当時は、こういう中国人が日本に来ていたのだ。中国に帰る前に京都に案内し一緒に立山にも登った。そんな交流があった後、中国に帰る時の小松空港で曹さんが流した涙を忘れない。なんだかしめっぽい話になった。話を本題に戻す。何を言いたいかと言うと、私は彼女達を通して研修生制度の中身を知った。その上で言う。「外国人の研修生制度」は、外国人のためではなく、日本人のための制度である。日本のために安価な外国人労働力を求めたものだ。その労働力を求めて地方では結構に利権が動いた。利権のしわ寄せは研修員にも及ぶことがあった。諸悪の根源は「団体監理型」受け入れ制度だ。もはや制度疲労している。雇用に関連して利権が生まれない様にきちんとした規則が必要である。現在、国会で審議しているのはそのための規則だ。日本に長く勤めて日本のために生き、日本を好きになってくれるのならば、永住権を与えても良いのではなかろうか。世界の中で日本だけが純血を守り排他的であることは許されない世界情勢になっている。そうしたことを日本人も知らなくてはならないと思うのだ。
# by yosaku60 | 2018-12-07 10:37 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

ダマさん家のオダランに招かれる

バリの家寺は210日に一回「開寺祝い」をする。
オダランと言う。
昨日はダマさんの家のオダランでした。
イブダマとカミさん。
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息子さんは国会議員....
それもあってと思うが、とにかく盛大。
住居の敷地内のあちこちでお祝いの踊りずくめ...
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たっぷり料理を頂いたあとで記念撮影。
左アユさん、右スギアシさん。
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# by yosaku60 | 2018-12-06 10:41 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

移民問題(その2;日本の難民対策)

最初の経験はベトナム戦争後のボートピープル.....

日本の国に外人を受け入れる。私はその発端を経験した。ベトナム戦争が終わった直後だった。旧南ベトナムから国を捨て海外に逃げ出す者が多く出た。彼らは小さなボートに乗り南シナ海に繰り出した。南シナ海を航行する船に助けを求めるためだ。どこの国の船に出会うか分からない。彼らは行先は何処でも良かった。とにかくベトナムを逃れたかったのだ。当時私は商船三井という会社で船の航海士として勤務していた。当時は携帯電話はなく勿論インターネットもない。外洋航海中の船には日本船全船に流されるファックスニュースだけが頼りだった。そのファックスニュースに商船三井の船が南シナ海でボートピープルを拾ったとの話が載った。全員南ベトナム人であった。日本に上陸させたが国はその扱いに困っているとのことが書かれていた。しばらくして次のニュースが流れてきた。また僚船(わが社の船という意味)がボートピープルを拾ったとのこと。その船は日本を出て南シナ海を経てインド洋に向かう船だった。当時、商船三井には100隻の外洋船が世界を走っていた。100隻もいるので南シナ海には常時何隻かが航海していた。その中には日本に帰る船もいた。ボートピープルを拾った船は洋上で日本に帰る僚船にボートピープルを移乗させた。洋上でのこのような作業は定期航路をスケジュールどおりに走る定期船にとっては相当の負担になる。で、南シナ海ではできるだけボートピープルとは出会わない様に願って航海していたことを記憶する。何故なら、船も困るが日本の国も困るのだ。当時、日本では難民を受け入れていなかった。それで海上で拾い日本で揚げたベトナム人は日本に一時滞在させるだけだった。その後、アメリカなど難民を受け入れてくれる国に日本国の費用で送ることにしていたのだ。諸外国からは難民を受け入れない日本に非難が集中した。今でもかすかに覚えている。当時、日本国として受け入れた難民は10人以下だった。それに比べアメリカなどは何百人も受け入れていた。これでは世界から非難されて当然だ。私は思った。何故に日本は難民受け入れには消極的なのだろうか。当時その理由が分からなかった。

当時の状況をネットで調べてみた....

以上が1975年当時の私の経験だが、当時のことをネットで調べてみたら、面白いことが解った。ボートピープルの一隻に乗る人数がだんだんに増えているのだ。1975年には9隻の船がボートピープルを拾った。人数は167人だった。ということは一隻に平均14人乗っていたことになる。翌年の1976年には11隻の船がボートピープルを拾い、その総数が247人ということは、一隻あたり22人乗っていたことになる。更に翌年の1977年は25隻、計833人だったから一隻当たりの人数は33人になる。即ち一隻当たりの難民が14人、22人、33人と増えてきたことになる。だんだんと難民が増えてきたことが解る。小さなボートに33人も乗るとそれはそれは大変だったろう。確か日本は3年ほど難民受け入れを拒否していた筈だ。日本に上陸した難民はその後どこに行ったのだろうか。それから10年ほどして、ロスアンゼルスに行った時だ。郊外にベトナム難民の村があると聞き、物好きな私はその村を訪れたことがある。その村はベトナム人と言うよりも中国人が多かったように記憶する。まあ、そう言う訳で、過去の日本の難民受け入れは世界から非難されてもしようがない状態であった。では、今はどうだろうか。ネットで去年を見てみた。それが40年経った今でも余り変わってないことが見て取れた。数値を見れば解る。去年一年で難民の申請があったのは約5000人、そのうち日本政府が難民と認めたのはわずかの11人だ。受け入れ比率は約0.2%である。これは経済協力開発機構(OECD)加盟国中で最低水準だそうな。まあ、昔の覇権国とは比較にならないが、それでもフランスは22%、ドイツにいたっては42%というのは差がありすぎなような気がする。まあ、良い悪いは別にして、難民(外国人の受け入れ)について昔も今もこういう状態であることを日本人は知っておかねばならないと思う。世界の先進国としては少々特別な国なのだ。

# by yosaku60 | 2018-12-05 12:12 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

家に入って来たリスを追いだす

昨日のこと、カミさん「二階にリスがいる」という。
ねずみだろう、と言うとカミさん「尻尾があった」という。
で、二階にあがると、いた、いた、リスが....
家の中で死なれたら困るので追いだそうとするが、なかなか出て行かない。
オレが好きなのだろうか。このリス、多分、メスだ。

で、昨夜は諦め、今朝から追い出しを再開した。
探すと直ぐに見つける。
一階のソファの下に隠れた。
カミさん(右に手が写る)、箒をソファーの下に入れて追いだす。
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ソファーの角に出てきた。
カミさんに「そこだ!そこ!」と教える。
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カミさんが箒で追いだす。
リスは逃げ回る。
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家のドアーは全部開けて、戦うこと30分。
とうとう、外に逃げて行ってくれた。
朝から相当に動いた....疲れた。

# by yosaku60 | 2018-12-05 07:43 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

バイクの番号交換手続きは煩雑です。

ここではバイクや自動車の番号は、5年に一回新しくしなければなりません。
盗難車防止とかの意味があるからだと思います。
私のバイクは買ってから10年になります。
昨日、番号交換の手続きにサムサ(税務署)に行って来ました。
8時20分に着き、終わったのが午後の一時半、
合計5時間、結構に大変でした。
その手続きを紹介します。

1、サムサの左側の建物...
  必要書類をコピーして全体を一綴じにしてもらう。 
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2、サムサの右側の建物...
  バイクのマシン番号の刻印を写し、証明書を作る。
  証明書の中身は各自が書くのでボールペン持参すべし。
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3、受付してもらう。  
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4、サムサ内の別棟(写真左)に行き、建物内の2階(写真右)で、
  書類を見せる.... 何をチェックするのか?
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5、Polda Bali に行くように指示される。
  Polda Bali を知らないというと、Jl.Supratman にあるという。
  一方通行が多く、結構にややこしい。
  ぐるぐると廻り、何とか着いた。
  10分ほど待つと、手続き完了、簡単だ!
  一体、何をチェックしたのだろうか。
  係官から「ルノンのサムサに戻って手続きをしろ」と言われる。
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6、サムサに戻り、ここで再受付け。
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7、アナウンスがあり、何番から何番までは別棟に行け!との指示。
  私は、その番号だったので、別棟(写真)に行く。
  ここではコンピューターへの登録が正しいかどうかチェックされる。
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8、次にどうしたら良いか、受付で聞くと、隣のビルのBRI(銀行)に行けという。
  ここが、そのBRI。
  書類を見せると16万ルピア(約1300円)払えという。
  あとで解ったことだが、新しいナンバーの作成代金だ。
  多分、税務署とは別勘定なので銀行に支払うのだろう。
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9、受付に戻り、次の手続きを聞くと新しい手続き番号を交付された。
  Bー98番だった。
  番号をもらえば、あとは簡単だ。
  この番号だけどどこに行けば良いのかと尋ねるだけで目的場所に行ける。
  間違うことがない。
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10、ここで待った。一時間近く待たされた。
   ながーい!
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11、ようやく呼ばれ、これから一年の税金を払う。
   約17万ルピア(1400円)。
   支払い額の領収書と新しいナンバーの発行依頼書を受けとる。
   手続き完了が近い。
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12、急いで、別棟のナンバー交付申請窓口に行く。
   が、写真のとおり「窓口閉鎖」....
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   理由を聞くと、職員の昼休みという。
   なるほど12時を廻っている。
   しようがないので、私も昼食を....
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13、食べたのが、三―アヤム...
   カミさんと一緒だと食べられないあやしい(笑)食い物だ。
   代金一万ルピア(約80円)。
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14、咽喉が乾いたので、この店で「エス・チャンプル(50円)」をば、頂く。
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15、一時になり、窓口がオープン。
   20分ほど待ったろうか、新しい番号ができあがってくる。
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16、帰り道、ベンケル(修理屋)に寄って番号を付け替えてもらう。
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ということで、全部の手続き終わり....
あっち行って待ち、こっち行って待つ、結構に大変でした。

# by yosaku60 | 2018-12-04 11:55 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

サヌール市内無料バス登場

サヌールの市内を走る「シャトルバス」が登場した。
料金は無料だという。運転手から直接聞いたから間違いない。
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何故、無料で成り立つのか?
今朝方、いつものワルンの親父たちにきいてみた。
と、こんな答えが.....
1、一ヶ月ほど前から営業を始めた。
2、誰の所有かと聞くと、一人は「市営」といい、
  一人は「会社経営」という。
  本当のところは解らなかった。
3、建造費300万円(日本円)との噂。
4、今は試乗期間だから無料だけどいずれ料金をとるかも...

嬉しいことがある。
このシャトルバス、お客が居ない時の待機場所が..
わがバンジャールタマンなのだ。
バイパスの交差点に近いダナウブヤン通りの
もっとも広い処(6車線程ある広さの)「Tutus Bordir」の前...
んで、お店の女主人のツツスさんは、
バリに住んで最初に出会った美人....
カミさんのクバヤの生地をここで買った。
生地だけで約一万円、当時は私もお金持ち(笑)だった。
左は2007年に出会った時、右は2018年現在のtutusさん。
顔を見て11年の歳月の長さがわかる。
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でも、今も昔も美人であることには変わりはない。

# by yosaku60 | 2018-12-04 10:09 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

レストラン「コミン」

日曜日のお昼は、コミンの家で頂いた。
しつこい油、鶏肉、辛いもの、が食べられないカミさん...
そんなカミさんでも食べられるレストラン...
それが、レストラン「コミン」(笑)だ。
コミンはカミさんが食べられないものを知っている。
で、カミさんが食べれるものだけを並べてくれる。
見てくれ、昨日は私のためのビールまであった。
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私は、小さい子供はあまり好きでない。
赤ちゃんとなると、もっと好きではない。
どう扱ってよいか分からないからだ。
ただコミンの息子のカデだけは少し違う。
こんな私でも、近づくと笑って迎えてくれる。
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ここに来るとバリの普通の家の普通の暮らしがある。
そうした光景に接することができるのが嬉しい。

# by yosaku60 | 2018-12-03 08:30 | バリ島=レストラン | Comments(0)

「G20」でのマクロンと安倍の会談

G20では、マクロンから安倍に会談を求めるだろうと思っていた。
もしそうなれば、安倍の発言を予想していた。
次の予想だがその通りだった。
予想が当たって嬉しいので紹介する(笑)。

マクロン;ルノーと日産と三菱の3社の強い連係を望む。
安倍首相;会社のことであり、国は関与しない。

マクロンは勘違いしている。
ルノーはフランスの国営会社のようなところ(国が筆頭株主)がある。
マクロンは、日本が次のようなことを共同声明(米国と)で謳っていることを軽視している。赤字のところを注目して欲しい。

(日米共同声明・第6項)
日米両国は、第三国の非市場志向型の政策や慣行から日米両国の企業と企業と労働者をよりよく守るための協力を強化する。したがって、我々は、WTO改革、電子商取引の議論を促進すると共に、知的財産の収奪、強制的技術移転、貿易歪曲的な産業補助金、国有企業によって創り出される歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行に対処するため、日米、また日米欧三極の協力を通じて緊密に作業して行く。

安倍もトランプも国営のルノは相手にしたくないのだ。
しかも一兆円もの中国への投資を両人とも怒っているのだ。
そのことをマクロンは解っていない。

# by yosaku60 | 2018-12-02 11:39 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

移民問題(その1;まえがき)

11月15日のブログで、つぎの様に書いている。
........
最近の安倍総理の悩み事を勝手に想像すると、
1、憲法改正
2、消費税アップ
3、中国対策
4、ロシア対策
5、移民問題
になるかと思われる。勿論、拉致被害者奪還も関心事であるが、これは長期戦であって「待てば海路の日和あり」状況である。で、ここにあげた5つに対する安倍総理の対処を見ると、つくづく「敵は我にあり」ということが見て取れる。今日はそれを書いてみたい。
.........
ということで、これまでに、
1、憲法改正、2、消費税アップ、3、中国対策、4、ロシア対策(但し、北方領土と題を変える)を書いて来たが、5、移民問題 についてはまだ書いてきていない。
何故なら、1~4は、日本国民がだらしないための安倍総理の悩みだったが「移民問題」については、ちょっと性格を異にする。日本国民がだらしがないが、安倍総理もだらしないのだ。政治家も国民も日本全体がだらしないのだ。なぜ、私がそういう強いことを言えるかというと、私が直接に経験してきたからだ。
みなさんに聞きたい。
外国人が日本に来る研修制度は20年以上前からあった。田舎の工場で働いている娘さん達を多くの日本人が見てきたと思う。そうした外国人がどういう資格で日本に来ているのか、その目的は何か、どういうシステムなのか、給料はいかほどか、をあなたは知っていましたか。今の時代、都会に行くと、コンビニとか、レストランのウエートレスに外国人がいっぱい働いている。この者たちはどういう資格で日本に来ているか、貴方は知っていましたか。私は知っていました。でも、ほとんどの日本人が知りませんでした。というか知ろうとしなかったのです。それなのに、今になって「移民なんてけしからん」と怒っているのだ。そこがおかしいのだ。日米/中の冷戦といっても自分のことと受けとる人のなんと少ないことか。いつまで経っても対岸の火事だ。山中に原爆のひとつやふたつ落ちるまで自分のことと思わない甘えた国民、それが日本国民だ。移民は私も原則的には反対だ。できたら純粋な日本人だけの国でありたい。だがもう遅いのだ。今まで日本人は何もしてこなかったのだ。私はここが日本人の悪い癖というか甘え癖だと思う。テレビでは「喰い物の話題」「健康の話題」「子供の話題」という、3K(私曰く)の話題しか報道しない。こんなんでは、ホンモノの今が知れないし、世界が知れないし、将来なんて全く考えない人間になってしまう。20年以上前から外国人が日本に働きにきていて、それが段々と増えてきて、にっちもさっちもいかなくなって、法律を作ろうとするとやんややんやと反対する。自分の子供達を3K(きつい、きたない、きけん)にやりたがる親はいない。ここで、オヤジギャグ.....日本人は、3K (くいもの、けんこう、こども)に一生懸命なのに、何故に、同じ、3K(きつい、きたない、きけん)を避けるのか。....話を戻す。3Kの仕事につく人が不足するので外国人を雇いたい。そういう時代はいずれくることはとうに予測出来ていた。が誰も対策を講じて来なかった。まもなく東京オリンピックがある。東京はビルの新築改築で働く人が足りない。オリンピックが終わっても大阪万博が待ち構えている。何もないがらんどうの夢の島に新しいパビリオンがいくつも作られる。今も近未来も3K就労に人手不足だ。年末にTPP11が成立する。オーストラリアの安い肉が入ってくる。酪農家は採算性と戦わねばならない。今いる酪農研修生がいなくなったら戦ってゆけない。老人の介護疲れをして老人に毒をもる日本人介護士がいる。老人への温かい思いは日本よりアジア人の方が熱い。それは社会性から来る。今の日本は核家族化している。老人と子供が一緒になる大家族では住まない。老人への扱いは経験の方が大事なのだ。机上勉強や実習などの勉強だけでは足りない。大家族で住みなれているアジア人の方が日本人よりも介護に適している。あたりまえだ。問題は言葉だけだ。言葉なんてなんとかなる。ということで今はもう移民が嫌いだといってもしようがない時代になってきている。もっと早くから移民規制をしておけば良かったのに、もう手遅れなのだ。移民を迎え入れるルールを作らざるを得ないのだ。
外国人の日本での就労について私はつぎのような経験をしている。
1、日本で働いている研修生に接した経験。
2、日本で働いている留学生に接した経験。
3、研修生として日本に行こうと準備するバリ人に接した経験。
4、留学生として日本に行こうと準備するバリ人に接した経験。
こうした経験を話しながら、
移民制度の問題点、特に日本人の心の持ち方について論じてみたい。

# by yosaku60 | 2018-12-02 10:15 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

6年ぶりに突然出会う

稲川さんと一緒に入った、とあるレストラン。
そこの店員が「ヨシイ」と私の名を呼ぶ....
一瞬誰だか解らない、と「スリーです」という。
思い出した、スリーだ。
「あの子はいくつになった」と、聞くと「5歳」という。
そうか、となると、最後に会ったのは、ほぼ6年前ということか。
実は、6年前....
スリーのお姉さんから電話があった。
「大変、スリーが倒れた、何も食べられない」
私は、スリーの家に飛んで行って、見舞った。
赤ちゃんでも食べられる栄養になるものを持って....
なぜなら、毎日インスタント麺しか食べない女の子だったから、
栄養失調になったのではないかと思ったからだ。
次の日、お姉さんから電話があった。
「スリー、妊娠でした」
ええ! まさか、あの子供が...
それ以来、スリーちゃんと会っていないんです。
んで、6年前のスリー。
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そして、6年ぶり(10日前)に会ったスリー。
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現在、23歳、すっかり大人の女性になっているのでびっくり。
でも、生活の苦労が顔に表れているようにも見えました。
ガンバレ、スリー。

# by yosaku60 | 2018-12-01 09:06 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

稲川さんとアントンさんのお別れの日

昨日は稲川さんとアントンさんのお別れの日だった。
終日ご一緒させて頂いた。
お昼はパンタイルビの「ワルンインダ」でのお魚料理...
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夜はお別れパーティーとして香港料理の「クマンギ」へ...
アントンさんの二人の姪も一緒に参加してくれました。
二人ともバリ島に住んでいて、
ひとりはお医者さん、ひとりは医学生....
「ご兄弟は...」「おとう様は...」
と尋ねる会話の中で出てきた、土地名を全部あげると、
スマトラ島(メダン)、ジャワ島(ジャカルタ、バンドン、チレボン、ボゴール)
バリ島(デンパサール)、カリマンタン島(ポンティアナ)になる。
つくづく思う....インドネシアは広い。
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スギアシさんが全て場持ちをしてくれた。ありがたい。
ただ、私のインドネシア語の能力では半分も理解できない....
のが残念。
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お別れの時、
稲川さんの手をしっかりと握るアントンさん....
二日間、アントンさんとお付き合いしたが、
最後にアントンさんの笑顔を見ることができた。
嬉しい「お別れ会」だった。
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お勘定は全て稲川さん。
稲川さん、ごちそうさまでした。

# by yosaku60 | 2018-11-30 08:50 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

カルロスゴーンの罪状について

ゴーンは退職後に受けとるということで報酬先送りを認めたようである。これそのものはそれほど大きな罪にならないだろう。その他に自己の投資の損失を日産に肩代わりさせたとかの噂も出ているが、そうしようと思ったけども、違法と言うことを知ったので実行しなかったと否定している。では、どんな罪を犯したのだろうか。いろいろ言われる中、ちょっと変わったことを予想している男がいる。渡邉哲也だ。彼はゴーンが所得税を全く払っていないのじゃないだろうかと疑っている。所得税を払わないなんてことをどうしてできるのか。ゴーンはそのようなことをしているとの証拠はないが、渡邉哲也曰く「永遠の旅人」と語られる脱税方法じゃないだろうかと言うのだ。ひとことでいえば各国で違う所得税の支払い義務のルールの間隙をくぐると所得税を払わなくともよいという脱税方法だ。面白いので紹介する。
所得税の支払い義務のルールには、1、属人主義(アメリカ)と、2、居住地主義(ヨーロッパ、日本)の二つがある。属人主義は永住権を持つ人は全て申告するという制度であり、居住地主義は住んでいる国で所得税を払うという制度である。居住地主義のヨーロッパをみてみると、その「居住」の意味を183日以上の滞在としている。ということは、183日以内でヨーロッパの国を転々とすれば、短期滞在になるので所得税を払わなくともいいそうな(本当かなあ?)。で、日本の「居住」のルールだが、183日とかの期間のルールがなく、居住の実態に即して判断するということになっているらしい。まあ日本らしいルールだ(笑)。例えば、日本の生活拠点として不動産を所有しているとか、本人の主たる所得の取得先が日本である、ということが「居住」の判定となるらしい。そこで、ゴーンの場合だが、申告所得額は、日産よりもルノーの方が高額である。であれば、主たる所得の取得先が日本ではなくフランスということになる。所得税の支払いだが、どこかの国で払えば良いのであって、二重に払う必要はない。これは世界共通ルールだ。ということは、ゴーンはフランスで税金を払えば、日本で払わなくと良いということになる。で、そのフランスに183日以上滞在せずに他国を転々とすれば、フランスにも税金を払わなくともよくなる。ということは何処にも税金を払わないということになる。こういう脱税をする人が多くいて、それらを「永遠の旅人」というそうな。で、渡邉哲也はゴーンが永遠の旅人ではなかろうかと予測しているのだ。もし、ゴーンが永遠の旅人であればどうなるか。税金36%、追徴税14.6%、それに日産から損害賠償などで訴えられたりすると、ほとんど手元に残らないという。まあ、これは、渡邉哲也曰くであるが、もしこんな風な脱税をしているのであれば、罪は重い....というよりも情けない話だ。

# by yosaku60 | 2018-11-29 10:53 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

アントンさんに感動しました。

話をしていると、アントンさん(右)の目から涙が溢れました。
アントンさんは74歳、私より二つ上です。
そんな大人が涙を流すのを見てもらい泣きしてしまいました。
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カリマンタンのポンティアナに住むアントンさん....
稲川さんがバリに来ていると知って奥さんに頼んだそうです。
「稲川さんに会いたい」.....
「貴方はそんな身体じゃない」と、奥さんは止めました。
体が弱り最近は歩くのもままならないのです。
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アントンさんは、稲川さんを命の恩人と思っています。
稲川さんとのお付き合いですが、話は30年前に遡ります。
二人はジャカルタに住んでいました。
何の利害関係もない単なる友人だったそうです。
そのアントンさんが癌にみまわれました。
その手術に来日したアントンさんをお世話したのが稲川さんです。
腕利きの医師をお世話し毎日見舞ったそうです。
手術が成功しアントンさんは生き続けて来れました。
で、今生きているのも稲川さんのおかげとアントンさんは言うのです。

アントンさんは、
「稲川さんに会いたい、会ってお礼を言いたい」と、
奥さんに泣きながら頼んだそうです。
とうとう奥さんも折れました。
只、心配なので娘さんも同行するということでバリ島に来ました。
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こんな話に私は弱いのです(笑)。
アントンさんは、明日、カリマンタンにお帰りになります。
バリ島での稲川さんとの涙の再会....
心置きなく終えるよう陰ながら応援したいと思っております。

# by yosaku60 | 2018-11-29 08:52 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

始めてみました、チャウチャウ犬

初めて見ました....チャウチャウ犬
パンダとライオンを掛け合わしたような顔...
なんとも珍しい。
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中国北部にいる犬だそうだ。
ふさふさな毛が眼を塞いでいる。
前が見えないのではないだろうか。
飼い主に聞いてみると「そのとおり」という。
前が見えないので床になにかあるとつまづくという。
オモシロイ.....

飼い主はレオさん(写真)。
ングラライ将軍が死んだあとのバリ島での独立戦争を
4年間にわたって統率した「パ・ジョコ」の息子さんだ。
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チャウチャウは飼い主以外には興味を示さないという。
私は犬好きだ。
犬もそれが解るのだろう、
通常なら、どんな犬も私には近寄ってくる。
が、チャウチャウは、稲川さん(写真左の手)に近寄ってズボンをなめるが、
傍で名を呼ぶ私には最後まで寄ってこなかった。
私は諦めない(笑)。 
今度レオさん宅に行った時はゆっくりチャウチャウをてなずけたい。

# by yosaku60 | 2018-11-29 08:05 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

エレベーター付きの豪邸

マデダマさんの家は大通りから路地を入るので見つけにくい。
と、「上を見れば見つけられるわよ」と教えてくれた。
なーるほど、4階だて、しかも、金ピカ....
周囲の家の屋根から金の窓が頭ひとつ出ている。
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家も金ピカなら調度品も金ピカ...
この椅子、手彫りの特注で作るのに6ヶ月かかったという。
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娘さんのアユさん手作りのアラブ風お菓子の「サモサ」。
味わったことのない香辛料がまぶされていた。
奇妙な味の「サモサ」...私にとっては忘れられないお菓子となった。
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前菜を食べ過ぎ、さらにビールを飲み過ぎ....
腹に半分詰まった状態で、お食事開始とあいなった。
食事中は、イブが好きな美空ひばりの歌がかけられた。
イブご自身も二人の娘さんも歌が上手い。
ブンガワンソロを3人で合唱してくれた。
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腹がいっぱいになり、ビールを少々飲みすぎて...
満足しきっているところに「忘れていた」と出てきたのが誕生祝いのケーキ。
「毎年、死んだ夫の誕生日を祝うのですか」と聞いてみた。
「いや、稲川さんが来ているから....」という。
そうだろう、そうだろう。
てことは、稲川さんのお蔭でこんなごちそうにありつけたってことだ。
稲川さん、ありがたい。
スギアシさんがローソクに灯をつける。
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つけた灯を消そうとする稲川さん.....
が、消しても消しても、また、ポッと火がつく...
なかなか全部消せない。
見かねてイブが助け船...
お二人の平均年齢、90を超える。
ほのぼのとしてほっとした瞬間だった。
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この家、造っては壊し造っては壊し...
気にいる造りになるまで6年かかったという。
娘さん達は、それぞれ別に家があって、ここはイブひとりで住んでいる。
イブひとりのために...
ガードマンがいて、数人のお手伝いさんがいる、贅沢な暮らし...
聞けば、息子さんはバリ島選出の国会議員...
会社もいくつも持ってて、お孫さんはみんなお医者さん...
いわゆる大金持ちなのだろうが、そういうことをひけらかさない...
のが嬉しい。3時間の豪華な晩餐会が終わっての記念写真。
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ごちそうさまでした。

# by yosaku60 | 2018-11-28 09:20 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

マデダマの娘さんのスギアシさん

戦後5年して...
戦中にバリに住んでいた日本人を中心に日本に「バリ会」ができた。
それに呼応しバリ島にバリ人による「日本会」ができ互いに交流した。
バリ会をお世話してきたのが稲川さんであった。
日本会をお世話してきたのがマデダマさんだった。
マデダマさんは独立戦争を戦った兵士で「ピンダ部隊員」だった。
マデダマさんは7年前にお亡くなりになったが、
その娘さんのスギアシさんが稲川さんを「日本のお父さん」と慕っている。
今回は、スギアシさんと一緒に行動することが多かった。
これは、レストラン「ムティアラ」で...
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香港料理「クマンギ」で...
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世界遺産のジャティールイで....
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タンブリンガン湖の近くのレストランで...
本来ならば、こんなレストランだが....
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当日は視界が悪く下界が見えない(笑)。
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今日、私どもはスギアシさんのお母さんの家に招かれている。
マデダマさんの奥さまは、まだご健在なのだ。
奥さま(右から二人目)も独立戦争では看護婦として戦場にあった。
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で、今日のお招きはマデダマさんの誕生祝いということだ。
お亡くなりになった夫の誕生祝いを未だしているとは....
なんとバリ人夫婦の絆は強いのだろう。
それに比べ、私どもは...(笑)。

# by yosaku60 | 2018-11-27 11:29 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

荒木と松井の慰霊塔を訪ねる

バリ島の残留日本兵として最も有名なのは...
荒木武友と松井久年の二人だ。
二人の慰霊塔はSibang Kajaを挟んで北と南の二ヶ所にある。
北はプナルンガン村の小学校の敷地内にある。
南はグルングンガン村の森の中にある。
まずは、プナルンガン村の慰霊塔を訪ねた。
慰霊塔を挟んで左が日本兵、右がバリ兵である。
中央のサングラスをかけた白い服はカミさん。
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次に訪ねたのは、グルングンガン村の慰霊碑。
左が松井、右が荒木だろうと思う。
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記念塔横に独立戦争を戦ったバドゥン県出身の兵士が全員刻まれている。
松井と荒木の名、それにングラライの名も含まれている。
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この中で眼を引くのは、最後の147番の「KODERA」の刻名だ。
多分「小寺」と書く日本兵だと思う。
が、私は未だ同名の日本兵は探せていない。
謎の日本兵である。
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# by yosaku60 | 2018-11-27 11:02 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

確執が生んだゴーン逮捕劇

日産の会長カルロスゴーンが逮捕された。逮捕された理由は有価証券報告書偽造という、とんでもない理由だ。こんな可笑しな理由はない。だって有価証券報告書は会社が作るものであってゴーンが作るものではないからだ。もしもゴーンが「オレの取り前を誤魔化しとけ!」と命令したにしても、その場合でもその命に従った会社の経理担当重役も罰せられるし、何よりも報告書を監査する監査法人も罰せられなければならない。それなのに逮捕されたのはゴーン会長とケリー取締役の二人だけだ。なんだかおかしい。有価証券報告書偽造だけではこんな捕まり方は絶対にない。かといって捕まえたのは東京地検の特捜部だ。犯罪者を暴く最強の秘密部隊だ。この逮捕劇の裏には何かがあるに違いない。その何かを読み解きたい。
話を分かりやすくするために、今回のゴーン逮捕劇で関係がありそうな闘争を全てあげてみてそれを土台にして解き明かしてみたい。

(関係のある確執)
1、トランプ  VS  マクロン
2、安倍    VS  マクロン
3、レバノン  VS  イスラエル
4、イギリス  VS  フランス
5、アメリカ  VS  中国
6、安倍    VS  日本産業界

以上の確執を頭に入れながら話の中に散りばめておしゃべりしてみたい。まずは、トランプとマクロンの確執だ。マクロンはグローバル主義者である。日本で言えばリベラル派である。そんなマクロンはトランプを敵視する。敵視されたトランプもマクロンが嫌いである。という話は置いといて、日産という会社の性質を先に述べておきたい。日産はリーマンショック以降立ち直ることができず経営破たんしていた。経営破たんの理由は労働組合が強すぎて会社側が何もできなかったからだ。破綻寸前の日産を救ったのはフランスのルノーだった。8000億円の援助をし、且つルノーの副社長だったゴーンを救世主として日産に送り込んできた。新しく日産の社長になったゴーンは何をしたかというと社員の首切りだ。2万人の社員の首を切った。給料のカットもした。日産はV字回復した。何もゴーンが優秀だったからではない。社員の首を切る勇気があったからだ。その勇気もフランス人が日本人の首を切るのであるから容赦がなかった。簡単にできた。過去大阪府の財政をV字回復させた橋下がいう。「余分の社員の首を切れば簡単にV字回復する」「首を切らず財政を回復するのが大変なのだ」。話がそれた。元に戻す。ルノーの会社の株式の15%をフランスの国が持っている。フランスがルノーの筆頭株主なのだ。まあ準国営会社ってことだ。そのルノーが日産の株の43%を持っている。ということは「日本の日産」ではなく「フランスの日産」の方がやや強いのだ。で、昔はルノーが日産を助けた。だが現在の日産は三菱とも連携しながら大きな利益の出る会社になった。で、現在は日産がルノーを助ける存在になっている。過去と逆転したのだ。その日産(すなわちフランス)だが、最近は中国寄りの姿勢が目立ってきていた。今年の2月、日産は中国と合弁会社を作り、中国に一兆円の投資をすると発表した。とんでもない額だ。目的は電気自動車の共同開発だ。自動車の開発には軍事的武器の開発の要素も含む。中国と経済戦争の状態にあるアメリカはフランスのこうした中国寄りの姿勢を許せない。当然にトランプから安倍総理にも話があった筈だ。トランプに言われるまでもなく、安倍は日産のこうした中国へのテコ入れに辟易していた。さて、フランスのマクロンの立場になって考えてみる。マクロンのフランス内の支持率だが最近は23%にまで落ちてきている。なんとか支持率を回復したい。それには国民の失業率の改善が重要になる。要するに国内に雇用を作ることだった。そこで考えたのが、日産自動車と三菱自動車をルノーの配下におき、フランス国内に取り込むことだった。日産と三菱をフランスに完全にとりこめば、国内に新しい工場を作って雇用を産むことができる。国民の自分への支持率も回復するだろう。マクロンはゴーンを呼んでそのことを話した。ゴーンは日産の会長であり、三菱自動車の会長であり、ルノーの会長でもあった。三社をコントロールできる立場にいた。が、ルノーの会長職はまもなく期限が来る予定だった。ルノーの筆頭株主はフランスであり、即ちマクロンである。マクロンはゴーンに言う。「もし日産と三菱をルノーの配下にするよう働いてくれれば引き続きルノーの会長職を延長する」。この話にゴーンは乗った。が、同時に日産の日本人取締役達もそのことを知った。大変だ。全てがフランスに牛耳られると日産は日本の会社としてのアイデンティティーがなくなる。なんとかしなかればならない。そこで考えたのが取締役会の評決だ。会社の決定と言うのは取締役会で決まる。日産の取締役は9人いた。そのうちの5人がフランス側であり4人が日本側であった。このままではフランスの思った通りにされる。それにはフランス側の5人の人数を減らすことだ。ゴーン会長とケリー取締役を捉まえて牢屋にぶち込めば、フランス側が3人になる。4対3で日本有利になる。で、有価証券報告書偽造という本人の罪にもなさそうな軽い罪で逮捕したのだ。
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が、それだけで牢屋にぶち込めば、あちこちから批判される。事実、フランス政府から批判が来ている。が、私は思う。東京地検特捜部は次の罪状、例えば脱税、例えばマネーロンダリングなどのゴーンの他の罪をすでに掴んでいると思う。でないと、これほどに堂々とした逮捕(羽田で飛行機から降りて来る処を掴まえて連行する)という離れ業はできないだろう。いずれにしても今回のゴーン逮捕は、安倍の指示が入っていると思う。日産と三菱をフランスにとられるのは、技術の漏えいにもつながる。安倍は世耕大臣と綿密に打ち合わせながら東京地検を動かしゴーン逮捕までもっていったのではなかろうか。日産だけではない。トヨタ、ホンダ、それに、中国寄りに傾く日本産業界への安倍からの警鐘もあったのではなかろうか。
さて、ゴーンだが、彼の父親はレバノン人である。彼自身はブラジルで生まれ、学生時代はレバノンで過ごした。そしてルノー(フランスのほぼ国営会社)の役員にまで昇りつめた。彼はレバノン、ブラジル、フランスの三つの国の国籍を持っていて、ゆくゆくはブラジルかレバノンの大統領になる夢を持っていた。しかしブラジルの大統領はすでに新人が決まってしまった。で、最近ではレバノンに食指をのばしていた。レバノンと言えばイスラエルを敵視する国だ。イスラエルをもっとも大事にするトランプにとってはレバノンに肩入れする人物は排除したいのだ。中国に肩入れをする経営体制も問題だが、ゴーンは個人的にも問題のある男なのだ。次にイギリスとフランスの関係だ。欧州における日産自動車の工場だが、その多くはイギリスにあるらしい。もし、日産がフランスの会社になった場合、イギリスの工場がフランスに移ってしまう恐れがある。で、イギリスにとっては、日産が日本の会社のままであって欲しい。だから今回のゴーン逮捕はイギリスにとって喜ばしいことなのだ。
さて、ここに書いただけで、フランス+レバノン+中国 VS イギリス+日本+アメリカ+イスラエル という対決関係が描ける。この関係に尾びれをつけると「世界戦争」の予兆が見える。
さて、今回のゴーン逮捕劇の総括だが、罪状のはっきりしないまま、世界の経済界の大物に縄をかける....なんて、安倍総理も腰が据わったものだ! が、逆に考えると、現在の世界...それほどにしなければならない難しい世界情勢にあるということだ。

# by yosaku60 | 2018-11-26 15:17 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

ワジャのお墓をお詣りしてきた

残留日本兵のワジャについてだが、陸軍でもなく海軍でもなく軍属でもない。
どうも民間人のようだ。民間人の場合、どこの誰だかよくわからない。
が、ワジャという名前は「鉄」とか「鋼」の意味である。
イメージとして強かったのだろう。
また、キンタマニー出身の少年兵「テレム」が彼になついていた。
少年が慕いたくなるような優しい男だったのだろう。

日本人特別遊撃隊は、日本人8名、バリ人5名の13名だった。
13名はクランディスのさらに山奥のムンガンダン部落に潜んでいた。
スパイに通報されオランダ軍が襲ってきた。
突然の襲撃で小屋から出ることができなかった。
木村が足を撃ち抜かれた。
圧倒的な敵の数だった。
その時だった。
美馬が扉を開き外に出た。
小銃を乱射しながら北の谷に走った。
敵の銃が全射、美馬の逃げた方に撃たれた。
その間、小屋に向かって撃たれていた銃声が一旦途切れた。
その隙に遊撃隊隊員は東の密林に逃げた。
負傷した木村は体の大きなワジャがおぶって逃げた。
(中略)....自費出版書「尊崇」参照
ワジャとテレムは一行から離れ、二人で密林に向かった。
この道路(写真)は直ぐに消え、密林に入る。

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密林を抜けたところがスマニック村だった。
二人は村人に護られながら、村のほとりの茂みに潜んだ。
テレムが川でマンデーをしていた時、見回りのオランダ軍に見つけられた。
テレムが殺された。
ワジャは怒り、オランダ兵を追いかけた。
深追いしすぎた。
大勢のオランダ軍が援護に駆けつけた。
逃走中のワジャは背後から撃たれた。
負傷しながらワジャは谷底に降りた。
深い深い谷だった。
写真はその谷に一緒に降りてくれたエヴィ。
通訳が必要だったので、無理を言って同行してもらった。
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ワジャは、谷底の大きな岩の陰に隠れたが傷が大きすぎた。
その場所で眠るように息を引き取った。
ワジャが息を引き取った岩は今でも村の語り草になっている。
マデ・チョコドゥさん(現在78歳)がその岩を教えてくれた(写真)。
ワジャの隠れた様子も演じてくれた。
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ワジャの墓を教えてくれたのも死に場所を教えてくれたのも、
マデ・チョコドゥさんだった。
今回は、稲川さんをお連れし、マデさんに当時のお礼を言いたくて訪ねた。
マデさんは今もご健在だが、遠くの畑に出かけていてお会いできなかった。
お会いできなかったが、現在のお写真をコピーしてきた。
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息子さんのお嫁さんに逢えた(写真の右)....
お礼を伝えて欲しいと持参したお土産をお渡しした。
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次に稲川さんをワジャの墓お案内した。
スマニックの戦死場所とお墓の場所の位置は図の通り。
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ワジャのお墓は、地元民が建ててくれたもの。
当初、日本人は誰も知らなかった。
発見したのは、私だ。
これが発見した時の写真...薮の中にお墓の頭だけが見える。
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それを村の人にお願いして修理、清掃してもらった。
これが、修理直後の写真。
左がワジャ、右がテレム。
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それから数年、これが現在のワジャのお墓。
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お墓の周囲が草ぼうぼうだが、お墓は誰かがお詣りしている跡があった。
地元バンジャールに清掃をお願いしてある。
ただ、ここ一年ぐらい訪れていない。
久しぶりに訪れて、バンジャールの長にお会いしてきた。
長は、この子たちの親だ(今回、写真を撮り忘れた)。
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さて、今から、稲川さんと一緒に一泊予定でシンガラジャに出発する。
シンガラジャに行く途中、
日本軍が武器を隠した場所、プンガヤマンを訪れる予定だ。

# by yosaku60 | 2018-11-25 09:43 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

バンジャールタマン60周年屋台村

わがバンジャールタマンの創立60周年の最後の催しは、
舞台での音楽と踊りと屋台村....
カミさんと一緒に楽しんできました。
まずは子供達...
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貝に絵を描いたヤドカリの大きいのが一匹100円...
生きてるんですよ、それも籠がついての値段。
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右はカミさん、どことなくこの場に溶け込めてないようです。 
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美味しそうなので、これを買いました。
イカと鶏肉の大きな串が一本150円。
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明日は、稲川さんと一緒に一泊とまりでシンガラジャに行く予定...
ですので、今宵は早めに寝ることにして家に帰ってきました。

# by yosaku60 | 2018-11-24 21:37 | バリ島=バンジャール | Comments(0)

Lampuの慰霊碑を訪ねる

Lampuはバリ島にとっては特別な土地である。
バンリ県にあるが、ブレレン県に近く、バドゥン県に近く、
ギャニアール県からもタバナン県からも遠くはない。
実にバリ島の臍である。
東への行進を決めたあと、この場所で始めての戦死者が出た。
その慰霊碑(写真)である。
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戦死者が出たのは、自軍にスパイがいて、行動が敵に漏れたからだ。
800名もいて、誰がスパイか特定できない。
マニックリューの地で、軍を再編成(800名から370名に)した理由でもある。

# by yosaku60 | 2018-11-24 19:29 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

Pangejaranの慰霊碑を訪ねる

タナアロンの戦いでのングラライ軍は、
自軍の戦死者ゼロで96名のオランダ軍兵士を殺すという大戦果を挙げた。
が、持っている弾をほとんど撃ち尽くしていた。
武器が使えない状態でアグン山を越えアバン山に沿いに歩きバトル湖の北に出た。
Belandingan村で休憩をとるも村人に密告され又も西に逃れた。
そのまま西方に歩きPangejaran村に着き村人に歓迎され休憩をとる。
が、その夜、誰が通報したか突然にオランダ軍が襲ってくる。
ングラライ軍は村の西のクランディス渓谷に落ちるように敗走した。
が、戦闘で見張り二人が殺された。
その慰霊碑がこれ(写真背景)だ。
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中央の村の男がここで戦闘があったことを知っていた。
見張りの二人がここで戦死したことも知っていた。
地元民が慰霊碑の訳を知っているのは珍しい。

# by yosaku60 | 2018-11-24 19:12 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

マニックリューの記念碑を訪ねる

朝の9時に出発、まずは最初の訪問地、マニックリューに向かう。
d0083068_07314284.jpg
バツブランからウブド街道を真っすぐに北上する。
ウブドから10km走ると、GiriKesuma....
そこで左折してBuahanに向かう。
buahan からManikuLiyuまで、約14キロ。
1、車が少なく 2、道はきれいで 3、景色がきれい...
と3拍子そろったドライブコースである。
d0083068_12351613.jpg
マニックリュ―に着いたのはちょうど10時。
これが目的の記念碑だ。
二つある。
右が日本人別動隊がオランダ軍と戦った記念碑...
左がングラライ軍が当地に宿泊した記念塔....
(当地で軍勢を800名から370名に編隊を組みなおす)
の筈だが、私の想像である。
それが正しいかどうか語れる人に未だめぐり会えていない。
バリ島で歴史を探るのは簡単ではない。
d0083068_12424525.jpg
写真に撮るのを忘れたが、このあと、村長さんを訪ねた。
村長さんは不在で、35キロ先のバンリに居ると言う。
電話をすると「すぐに家に帰る」という。
30分ほど待つとやってきた。
一体何キロでぶっ飛ばしたのだろうか。
バリ人は律儀だ。申し訳ない。
でも、稲川さんに村長さんを合わせることができた。
直接にいろいろ話し合えた。村長さん、ありがとう。

# by yosaku60 | 2018-11-23 12:51 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

思いあがるな、日本人

今日は、稲川さんをお連れしてインドネシア独立戦争のツメ跡をご案内する。
中央の青色で示した道路を走る。
ほとんどが幹線ではない(ゲリラは幹線を歩かない)。
ングラライ軍の行進、日本人別動遊撃隊の行動の足跡をご案内する。
10時間以上かかるだろう。
d0083068_07314284.jpg
残留日本兵の足跡を訪れる時、私は注意していることがある。
彼らは、日本の敗戦で、生きて行く道を失った。
日本に失望した結果、日本を捨て、日本の家族を捨てた。
バリ人になって独立戦争に加わった。
日本名を捨て、お互いにバリ名を名乗り合った。
彼らはバリ人として戦い、バリ人として戦死した。
死んだらバリ人として弔って欲しいと言い残していた。
私は、彼らの足跡を辿り、村人に接するとき....
彼らの思いに沿った問いかけを心がけてお詣りをしている。

が、悲しいことに、
最近の日本人は彼らの思いを踏みにじる人がいる。

インドネシアの独立は日本の援助に拠る処が大きい。
それは確かだ。
が、それは表面的なことだ....
というか、国としてはそうであった。
が、一般民衆はそういうところまで解らない。
日本兵(時には横暴になる)を恐れる人もいた。

次のような事実を忘れてはならない。
1、ングラライ将軍の最初の戦いは日本軍に対してだった。
  1945年12月13日の「バリ島同時テロ」はバリ人の日本軍襲撃だ。
2、パ・ジョコは、バリ島の若者を引率する地下のリーダーだった。
  1945年8月14日、最初の作戦会議をもった。
  相手は日本軍だった。
  彼は日本軍の横暴さに辟易していた。
3、バリ人に溶け込んで商売していた民間人の三浦襄はいつも怒っていた。
  怒る相手は日本兵だった。
  三浦襄は誇り高い男であった。
  だから、バリ人をいじめる日本人が許せなかった。
4、残留日本兵の調査をしている段階で私はあるご家族から、
  お爺ちゃんが亡くなる前に語った「日本兵の横暴さの実態を語る」
  テープを手に入れた。悲しい話であった。

ことさように、全てが威張れる話ではない。
だが、戦争である。
私は勿論当事者ではないが、しようがなかったことだと思う。
当時、日本軍は東南アジア全域に戦争を展開していた。
兵站が不足した。
比較的裕福なバリ島からの供出は止むを得なかった。
当時のことをバリ人に許しを乞いたいのだ。
その後のバリ人は日本兵のお墓を大事に守ってくれている。
こういうのは、バリ島だけだ。
他の島にいくと、それほどでもない。
そうしたことにもバリ人にお礼を言いたいのだ。

私は、こんな気持ちで残留日本兵の調査をしバリ人に接してきた。
が、最近....
松井・荒木の両名の慰霊碑の中が、突然に仏教風に飾られた。
聞けば、荒木の地元のお寺のお坊さんが来て飾っていったという。
この慰霊碑はバリ人がお金を出し合って作ったものだ。
バリ人は、自分たちが作ったものの中を仏教風に飾られても怒らない。
バリ人はそういうことに怒らない。
が、当の松井と荒木は「死んだらバリ人(ヒンドゥー)として葬って欲しい」
と言って戦死した。両名のこの願いは村の村史に残っている。
バリ人は両名の願いとおりに祀った。
なのに、両名が望まない「日本風(ふう)」が入ってきた。
両名は草葉のかげでどかどかと入ってきた日本人を怒っているに違いない。

もうひとつある。
先日のププタンマルガラナ大祭のセレモニーの途中だ。
日本から来た日本人の一人が日本国旗を肩にかづいて観客席に現れた。
その国旗は目立つほどの大きさだった。
ここはバリ島である。
バリ人の名誉の大祭である。
そんな場所に突然に日本国旗がふられた。
聞けば、日本国旗をふるためにツアーを組んで来たという。
ツアーを組んだ人はお金もうけなのだろう。
心をこめて、尊崇の念でお詣りするのは良い。
そういう方がいっぱい来られるのは嬉しい。
が、これみよがしに日本国旗を振ってはならない。
観客のひとりとして静かにお詣りすれば良いだけだ。
また、残留日本兵の存在をお金儲けの具にしてはならない。
日本人も落ちぶれたものだ。
私は恥ずかしくなった。
私は、今までバリ人に感謝しながら....
バリ人の後ろでそーと残留日本兵の霊にお詣りしてきた。
それが、突然に「日本人は偉いのだ」と上から目線の現れ方だった。
私は当人に「恥ずかしいからやめろ」と怒った。
怒られた人も突然に怒られて多分怒っただろう。
申し訳ないが日本人の誇りとして怒らずにはおれなかった。
相手の方も日本人として誇りをもっておられるのだろう。
私も日本人として誇りをもっている。
誇りの表し方の違いだろうが、ここはバリ島だ。
私の誇りは、日本人として....
「目立たぬ静かな誇り」
「上から目線でバリ人を見ない誇り」でありたいのだ。

# by yosaku60 | 2018-11-22 08:51 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(2)

第72回ププタンマルガラナ大祭

第72回ププタンマルガラナ大祭への招待状.....
d0083068_11523200.jpg
を頂き式典に参加してきました。
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Mepeed....
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右は、ングラライ将軍のお孫さんのGung Nanikさんです。
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# by yosaku60 | 2018-11-21 12:43 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

ソガさん(残留日本兵の息子さん)を訪ねる

インドネシア独立戦争を戦った日本兵(ソガさん)
のお子さんのスジャラさん(写真左)を稲川さんとご一緒にお訪ねした。
お父さんのソガさんは独立戦争で命を落とした。
名誉の死であるが、当時はそうは思われなかったらしい。
スジュラさんが語る。
お父さんの死後、日本兵の子としていじめられたとのこと。
お笑いになりながら語るが、聞いていて悲しくなる。
d0083068_05485220.jpg
スジャラさんは現在75歳。
今も力仕事をして働いておられる。
バリ人のお年寄りとしては珍しい。
日本人の血が半分入っているから元気なのかも....

今日は、11月20日、ングラライ将軍の命日。
マルガにて慰霊大祭がある。
スジャラさんはお詣りにいけないという。
私達、参加の日本人がソガさんをお詣りしてくる。


(参考=バリが発表したソガさんの記述)

Nama asli pejuang yang bernama I Soga ini, sampai saat sekarang belum diketahui. Menurut penuturan I Nyoman Buleleng, I Soga sangat akrab dengan pemuda pejuang di desa Sibang Kaja, Badung. Saking akrabnya dengan pemuda pejuang di desa itu, sampai akhirnya beliau kawin dengan seorang puteri yang menjadi tambatan hatinya yang berasal dari desa tersebut. Pasangan suami-istri ini dikaruniai seorang putera.
Konon, setelah beberapa bulan berada di Sibang Kaja, terus ikut berjuang bersama pemuda pejuang. Namun sayang, dalam kurungan yang terjadi di Baturiti Tabanan beliau tertangkap oleh serdadu Netherlands Indies Civil Administration (NICA). Setelah tertangkap, badannya diikat dengan tali ladung kemudan diikat pada truk NICA dan selanjutnya diseret, sehingga beliau gugur sebagai kusuma bangsa dalam seretan truk NICA. Sungguh keji luar biasa perbuatan serdadu NICA itu. Mereka sama sekali tidak mengenal perikemanusiaan.
Dernikianlah nasib seorang pejuang berkebangsaan Jepang itu. Beliau teah mengorbankan jiwa dan raga seutuhnya, dalam upaya ikut serta membela dan mempertahankan kemerdekaan RI.

# by yosaku60 | 2018-11-20 05:57 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

飲んだくれ四方山話(その13:敵は我にあり「北方領土)

安倍総理の現在の懸案事項(私が勝手に思う)....
、今日は、北方領土問題....

北方領土については、このブログでは次のようにとりあげてきた。
(赤字をクリックすると読める...)
9月に入ってプーチンが公衆の前で今年中の平和条約を口にした。
この時の私の評価は次に書いている。
北方四島問題全般にわたって書いているので是非に読んでいただきたい。

これらの前言を踏まえた上で書き加えたい。
いろいろあった北方四島問題だが、そもそも論で行けば「ダレスの恫喝」から迷走が始まった。
ダレスの恫喝.....
1956年10月の鳩山一郎首相とブルガーニン首相が「日ソ共同宣言」に署名した時の話だ。実は直前まで日本側も二島返還でほぼまとめていた。そんな国会答弁が残っている。と....二島返還でまとまりそうな気配を察しアメリカから怒りの恫喝があった。「二島返還でまとまるようならアメリカは日本に沖縄を返還しない」「沖縄を返還して欲しいならソ連に四島返還を要求し続けろ」これが「ダレスの恫喝」と呼ばれるアメリカの要求だ。何故に恫喝して来たのか。日本とソ連が仲良くなるとアメリカが困るからだ。で、絶対に解決しそうもない「四島返還を要求し続けろ」と要請してきたのだ。日本はアメリカの恫喝に屈した。で、ソ連には「四島返還」を要求し続けた。当然にソ連は反発する。ソ連を引き継いだロシアも日本に反発し続けた。これがその後60年続く北方四島問題なのだ。
私から言えば日本の方が悪い。そして日本はさらに悪さをしている。対ロシアへの要求を日本の政権が変わるたびに或いは外務大臣が変わるたびに微妙に変えるのだ。要するにゴールを微妙にずらしたのだ。これに対しロシアは一貫して同じゴールを示している。プーチンにしても18年間、言動を変えていない。右往左往する日本の方が分が悪い。恥ずかしい話だ。日本側の特に日本国民が勉強不足なこともある。四島はもともと日本の領土と固執しすぎている。固執する理由もあるにはある。但しロシア側にも言い分がある。その間の微妙な違いを勉強する必要がある。基本的には戦争でとられたものは戦争でしか取り戻せない。話し合いだけで折り合いをつけようとするならば、双方の中間点で折り合いをつけるしかない。それが二島返還なのだ。攻める軍隊を持たぬ日本が、原則論だけでいつまでも我を張ろうというのが間違いだ。北方四島返還に固辞するなら「攻める軍隊」を持つことぐらい国民で決めなければならない。憲法90条なんか当然に改正すべきだ。それもせずにおいて「四島返還」を言い張る国民や国会議員が多すぎる。
いずれにしても、北方四島は「二島返還プラスアルファ」で解決つくことが目に見えてきた。嬉しい話だ。ここで言っておく。「二島返還プラスアルファ」と「二島先行返還」とは意味が全然に違う。前者はロシアは納得する。が後者はロシアは納得しない。前者はロシアにとって前向きなのに対し、後者は争いの種を残す。後ろ向き解決だからだ。これからのロシアと日本、世界と日本、を考える時、前者でもって早く平和条約を締結した方が良い。平和条約にしても私は言い分がある。平和条約締結後に二島返還か、二島返還が先にあってその後の平和条約か、との話である。昔のソ連であったら重要な点である。が民主化したロシアは昔のソ連ではない。しかも30回近く首脳どうしが話し合っている。私は安倍総理は「OK、平和条約を先に締結しよう、領土問題はその後で...」と言いたいと思っている。それでも確実に二島は返還されるという感触を得ていると思う。だが、それを言えない。何故なら、そんなことを言おうものなら、日本国民や国会議員の反発が予想されるからだ。だが、私は言いたい。今後のロシア外交を考えるなら、ロシア政府にもロシア国民にも、ここで恩を売っておいた方がよい。その時には、平和条約が先だ。で、もし、私が安倍総理ならばつぎのように言うだろう(笑)。
「私はプーチン大統領とロシア国民を信用する」
「であるから、まず先に平和条約を締結する」
「歯舞、色丹の二島は返還されるものと信ずる」
「国後と択捉については、ロシア領のまま両国がウインウインの経済協力を期待する」
今日の結論...
そういう風に言えない安倍総理、国民へのお気遣い、ご苦労様。

# by yosaku60 | 2018-11-19 18:45 | 飲んだくれ四方山話 | Comments(0)

バイクのパンク修理代

昨日のこと、早朝ビーチからの帰り道、
バイクの後輪がパンクしているのに気づいた。
運が良いことに気づいた場所がバイクレンタル屋の店の前。
さらに知り合いのバリ人がそこで働いている(ありがたや)。
で「空気入れ」を借りて、一時的にパンパンに空気を入れて、
家まで急いで帰り近所のバイク修理屋で見てもらう。
と....
タイヤの中のチューブの一部が摩耗で薄くなっていて、
そこから少しづつ空気が漏れていた。
で、新しいチューブと取り替え、修理を終える。
ついでにオイル交換もしてもらう。
d0083068_09132354.jpg
それらの代金....
オイル交換代;6万ルピア(480円)
タイヤチューブ交換代;5万ルピア≪400円)
.....安い!早い!便利!

(参考)
チューブに釘が刺さったりしてのパンクの場合、
その穴にゴムを貼ればよく、その場合の修理代は100円。

# by yosaku60 | 2018-11-19 09:15 | バリ島=物価・修理費 | Comments(0)

稲川さん、バリに来る

昨晩は稲川さん(左から二人目=93歳)の歓迎会...でした。
稲川さんは、戦時中、バリ島の海軍民政部に勤務しておられました。
戦後間もなく、日本に日本人による「バリ会」という会が作られました。
戦前、戦中にバリに住んでおられた方が中心になって作られた会です。
日本のこの「バリ会」に呼応しバリ島にバリ人による「日本会」が作られました。
この二つの会が助け合いながら戦後の日本とバリの友好を育んできました。
稲川さんは、そうした活動を中心になって支えてこられた方です。
d0083068_10555481.jpg
現在、日本の「バリ会」も、バリ島の「日本会」も....
会員のほとんどが既にご生存しておらず「閉会」の状態です。
残念です。が、こうした先人の思いを忘れないでいたく思います。

# by yosaku60 | 2018-11-18 11:05 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

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