ロシアがウクライナに侵攻した理由.....
当初、私は、欧米・アメリカの方がより悪いと書いてきた。
侵攻したロシアも悪いが、
それを誘導した欧米の方がもっと悪いだろうということだ。
が、日本の報道は全く逆なので私はバツが悪くなった(笑)。
で、主張を引っ込めダンマリを決めることにした。
が、内心は私の方が正しいと思い続けてきた(笑)。
それが嬉しいことに私の主張の方に分が出てきたのだ。
今日は、それを書く訳だが、
方向として時系列を逆に遡りながら書いてみたい。
その前に書いておきたい。
プーチン自らがウクライナ侵攻理由を発表している。
ここには、次の6項目を挙げている。
1,NATOの東方拡大への危機感
2,西側諸国のいう秩序は混乱をもたらした
3,アメリカは嘘の帝国
4,NATOのウクライナ領地の開発は受け入れがたい
5,ウクライナ東部の現ロシア勢力からの支援要請
6,目的はウクライナの占領ではなくロシアを守るため
これが事実であれば、
広い意味の自衛であって国際法上の違反にならない。
青字で示したのは、このあとここに書く予定の内容だ。
次に、私が何故にロシアの方に分があると思ったのか。
メルケル前独首相がミンスク協定の裏側を暴露したからだ。
以下は及川幸久氏の引用だ。
メルケルが言っている。
ミンスク協定でドンバス戦争が終わるとは思っていなかった。
停戦のふりをして、その間、ウクライナに力をつけさせる目的だった。
この発表をしたあとメルケルは西側諸国から散々に批判された。
が、フランスのオランド元大統領もメルケルが正しいと発言した。
二人は何故にそういう発言ができたのか。
ミンスク協定にサインをした当人たちだからだ。
プーチンは侵攻理由を6項目述べているが、それに続き
ミンスク協定さえ守ってくれれば侵攻などしない!
とも言っている。
ミンスク協定の遵守がもっとも大事だったのだ。
ミンスク協定とは何か駆け足で語る。
★ 1954年、フルシチョフはクリミアをウクライナに入れた。
★ フルシチョフは歴史を深く考えていた訳ではない。
★ 忙しいので簡単にそうしてしまった。
★ どうせソ連邦の中だからいいんじゃない程度だった。
★ これがあとあと尾を引いている。
★ 1991年、ソヴィエト連邦が崩壊した。
★ クリミアは、どうせ独立するならロシアに入りたいと言い出した。
★ ウクライナは困った。
★ ウクライナはクリミアが特別地域であることを認めた。
★ ウクライナ憲法の中にクリミア自治共和国憲法を挿入したのだ。
★ 2014年、ウクライナは内戦状態になった。
★ ヤヌコビッチ大統領の経済政策失敗が理由だった。
★ 欧州に助けを求める派とロシアに助けを求める派に分かれた。
★ ヤヌコビッチは迷った末、ロシアに助けを求めた。
★ それに怒った欧州派はクーデターを起こした。
★ マイダン革命と言われる。
★ ポロシェンコが大統領になった。
★ ポロシェンコには味方がいた。
★ ネオナチ(極右)とオリガルヒ(富裕層)だ。
★ ポロシェンコにあくまでも反発する地があった。
★ ウクライナ東部の親ロシア派住民の住む地だ。
★ 独立をかってに宣言した次の二つの地区だ。
★ 2014年4月7日、ドネツクはドネツク人民共和国を宣言、
★ 2014年4月27日、同じくルハンシク人民共和国宣言、
★ 両地は独立を宣言しウクライナ政府と戦った。
★ ポロシェンコに反発するのだから反政府だ。
★ 反政府は、それはテロであって、許せない....
★ と対峙したのは政府軍ではない。
★ ウクライナ軍の準軍事組織だ。
★ ポロシェンコに近いネオナチ派(1200人)だ。
★ アゾフ大隊とかアゾフ連隊とか呼ばれる。
★ アゾフ連隊は反政府軍を激しく弾圧した。
★ この時のアゾフ連隊だが、
★ 同地に住むウクライナ人をも殺したと言われる。
★ それほどに悲惨だったのだ。
★ ドネツク、ルハンシクの民兵はアゾフ連隊に応戦した。
★ 泥仕合になった。
★ 2014年9月、過激すぎるので停戦協定が結ばれた。
★ ミンスク協定(1)と呼ばれる。
★ が、停戦は止まなかった。
★ 2015年2月、再度の停戦協定が結ばれた。
★ ミンスク協定(2)と呼ばれる。
★ この協定はドイツとフランスの仲介により結ばれた。
★ が、やっぱり停戦が守られなかった。
★ 欧州側に停戦を守る気がなかったからだ。
★ それがメルケルとオランダの証言でわかった。
ということでメルケルとオランドは協定締結の仲介者なのです。
その間の事情を知っていて当然なのです。
上に書いた経緯につき、
その証拠となる記述を少々書き加えます。
ウクライナにアゾフ大隊というのが本当にあるのか。
それにそれがネオナチというのは本当か。
2015年6月、アメリカの議会でそのことを取り上げています。
ですから事実だと思います。
マイダン革命はアメリカが関与したって本当か。
もし、それが本当ならロシアは怒って当然だ。
本当です。
CNNのインタビューにオバマが得意げに応えています。
ただ当事者と指揮したのは当時のバイデン副大統領です。
こういうことがあるので、
プーチンは「アメリカは嘘の帝国」と言ったのでしょう。
さて、プーチンもメルケルやオランドの暴露を聞いて、
やっぱりそうかとあらためてアメリカを怒っていると思います。
さて、この辺でまとめます。
プーチンは何故にウクライナに侵攻したのでしょう。
プーチンは、戦争の目的で6つ項目をあげています。
その中でプーチンにとって最も重いものは、
5,ウクライナ東部の現ロシア勢力からの支援要請
ではなかったかと思います。
ウクライナ東部の親ロシア派住民は、
いつ殺されるかわからない恐怖(戦争)の中で、
2014年から8年間、プーチンに助けを求め続けました。
ロシアを愛しロシアの民を大事にするのがプーチンです。
訴え続ける親ロシア派住民を助けるために侵攻した...
というのが一番の理由であろうと思っています。
であるならば、次のことが言えます。
北朝鮮に拉致されて助けを求めている人がいます。
それを助けようとしない日本人は多くを語る資格がありません。
勿論、私もそのひとりです。
だから、そんな日本人に警鐘したいのです。
プーチンのウクライナ侵攻と、
北朝鮮による日本人拉致の救出と、
同じ目線で見るということが大事ではないでしょうか。
.....
なお、言っておきます。
ミンスク協定にしてもクリミア併合にしても
ウイキペディアの記事は欧米サイドに偏向しています。
関連した記事をいっぱい読んで、それらをつなげて、
正しいと思われる内容を自分で探す必要があります。