あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま:フローレス島=
2019-07-29T14:10:38+09:00
yosaku60
常時ほろ酔い候
Excite Blog
フロレス島の旅(ルテンからラブハンバジョへ)
http://yosaku60.exblog.jp/27702411/
2019-07-25T11:59:00+09:00
2019-07-25T12:23:03+09:00
2019-07-25T11:59:40+09:00
yosaku60
フローレス島=
ルテンからラブハンバジョ(青い線)を経てバリ島に戻る。
途中、景観の良い山道が続く。
これは、その一つ、緩やかな棚田。
前を走る車の屋根に乗る男....
車が右や左に曲がるたびに体を起こしたり寝させたり....
見ていてハラハラする。
フロレスの若者は山道に慣れている。
これも、そうだ。
若者の手は、屋根の縁を下から持っているだけ。
身体の揺れを少々止めることができるだけ。
振り落とされる下への力には対処できない。
そう考えると怖い。
ラブハンバジョまで一時間手前の地は盆地になっている。
盆地には緩やかな棚田が連なる。
フロレスの棚田の畦は、人間が跨げるほどに低い。
ここからは、あと一時間....
低い山脈を超えるとラブハンバジョだ。
ラブハンバジョに着いた。
計画では、Rangko Cave (ネットから拾った写真)に行く予定だった。
が、ラディ君のGPSがうまく働かず、目的地に着かない。
ラブハンバジョから30分で行けるはずなのに行けない。
で、諦めて....
ラブハンバジョの空港近くの食堂で昼食をとることに。
...........
ラディ君が言う「ごめんなさい」
我々「いいよ、いいよ、三日間、ご苦労さん」
ということで、
ラディ君に空港まで送ってもらって、
バリ行きの飛行機に乗る。
てな、4泊5日のフロレス島の旅でした。
早くバリに帰りたい....
んで、最後の日は、特急で書きました。
.....オワリ。
]]>
フロレス島の旅(蜘蛛の巣棚田)
http://yosaku60.exblog.jp/27700870/
2019-07-24T07:53:00+09:00
2019-07-24T10:00:09+09:00
2019-07-24T07:53:40+09:00
yosaku60
フローレス島=
Lingko Spiderweb Rice Field....
日本語の呼び名がきまっていないようなので、
勝手に「蜘蛛の巣棚田」と呼ぶことに....
理由は写真を見てもらえば分かる。
蜘蛛の巣棚田は、
ルテンからラブアンバジョに至る街道筋にある。
街道から見ても「蜘蛛の巣」だとは、解らない。
高いところから見下ろして初めて「蜘蛛の巣」だと解る。
で、丘に昇ることになる。
その丘が中央の黒い屋根の背後にある丘...
丘に登る時の写真を撮り忘れた。
降りる時の写真があるので、登るのを想像して欲しい。
ということで、丘に登って左を見ると....
右を見ると....
蜘蛛の巣のような円...
の中心に水が集まるようになっている。
中心に水が集まるのだから、中心には水を貯める池があるのだろうか。
中心にフォーカスして写真を撮ってみた。
いや、池なんてなさそうだ。
中心に集まった水は、どこに行くのだろうか。
ガイドのラディ君に聞いてみた。
彼が言う、構造は次のとおりだ。
本当かなあ~
下に降りて棚田を歩けば解る。
が、転げるように棚田に降りたら、登って帰れない。
あきらめるだけだ。
]]>
フロレス島の旅(リアンブア洞窟)
http://yosaku60.exblog.jp/27699612/
2019-07-23T08:33:00+09:00
2019-07-23T12:07:36+09:00
2019-07-23T08:33:13+09:00
yosaku60
フローレス島=
「バイクの方がいいわよ」....
と当地に行った経験のあるじゅん子さんが言っていた。
確かにそうだ。
自動車2台が交差できない細い道を通りながら、
村を抜けると少し開けた低地にでた。
そこにリアンブア洞窟の入り口があった。
門を抜けると....
洞窟が見えてきた。
どうも、未だ発掘を続けているようだ。
洞窟の中央に骨が飾ってあった。
発見された時の骨は「もろかった」と書かれていた、
で、これは陳列であって、レプリカなのであろう。
台になっているベニヤ板には、1.06mと書かれていた。
ネットから引っ張て来た絵は、こうなっている。
頭蓋骨を間近に見ると、小ささが実感できた。
研究員(アメリカ人)がいたので.....
骨の主を聞いてみると、「29歳の女性」という。
「何故に女性なのか」と聞くと「骨盤の骨から....」という。
それは解る。
が、「何故に29歳なのか」と聞くと、
「まあまあ、その辺...」と手を振らせながら仕草で応える。
少々いい加減だ。
研究員だけではなく、日本の撮影隊も来ていた。
写真の右の女の人は、その一員だ。
洞窟の奥は少しの高台になっている。
そこから洞窟全体を見下ろすことができる。
さらに上に上ってみた。
突き当りになっている。
掘ると骨が出て来そうな場所だ。
そこから、見下ろしてみた。
天井全体から、こんなのが下がっている。
鍾乳洞の後なのだろう。
石灰質は骨を守る.....
どこかで、そんなことを読んだ記憶がある。
だから、5万年前もの骨が残っていたのだろう。
]]>
フロレス島の旅(フロレス原人)
http://yosaku60.exblog.jp/27696254/
2019-07-20T15:52:00+09:00
2019-07-21T04:45:57+09:00
2019-07-20T15:52:41+09:00
yosaku60
フローレス島=
今回の旅で、
フロレス原人の発見された「リアンブア洞窟」に行って来た。
それを書く前に、フロレス原人とは何ぞやを知っていただきたい。
例えば、原人と書いたが、本当に「原人」なのかどうか、
そんな仕分けすらまだよく解っていない。
今もって、研究途中なのだ。
で、以下は「今の処そのように思われている」と読んで欲しい。
フロレス原人とは.....
2003年、フロレス島の「リアンブア洞窟」で骨の一部が発見された。
2005年、同洞窟で下顎骨が発見された。
同洞窟で今まで6体の骨(人体の一部)が発見されている。
骨の形状(土踏まずがない)から二足歩行は苦手だったようだ。
学名は「ホモ・フローレシエンシス」という。
小さいので、別名「ホビット」とも呼ばれる。
小型の人属である。
絶滅種である。
伸長1メートルほどである。
脳も小さくチンパンジーより、少し大きい程度である。
石器を使っていた。
何故に小さいのか.....
諸説あるが、次の3説に集約されてきている。
1、島嶼化で小さくなっていった。
島嶼化とは、生物は食料の乏しい島では生きて行くに有利に小型化する。
であるが、小型化するのではなく反対に大型化する場合もある。
洞窟の近辺では、ドブネズミの2倍のネズミの骨が出ている。
逆に小型化した象の骨も出ている。
2、アフリカから出てくる時に既に小さかった。
3、突然変異で小さくなったのが、そのまま引き継がれた。
どんな時代を生きてきたのか......
発見された骨は、10万年前~6万年前のものである。
発見された石器は、19万年前~5万年前のものである。
こうした個々の年代と骨の進化形状などから....
フロレス原人は、70万年~5万年の間、生きていたと言われる。
現代人との関係はどうなのか.....
ネアンデルタール人は現代の人間ではない。
同じくフロレス人も現代の人間ではない。
ただ、ネアンデルタール人は、最近のDNA研究の進歩で、
現代の人間に2~5%が入り込んでいると言われる。
であるが、フロレス人は、それもないと思われている。
その理由だが、
ネアンデルタール人は約45万年前に「人へのルート」から外れた。
フロレス人は、約70万年前に「人へのルート」から外れている。
フロレス人の方が25万年も古代なのだ。
古代になればなるほど遺伝子の差異ができる。
遺伝子の差異が大きすぎる個体間には「子」が生まれない。
フロレス人とホモ・サピエンスとの差異が大すぎる。
で、フロレス人は現代人と混ざっていないと思われている。
どうして絶滅したのか.....
これについては面白い説がある。
フロレス人は5万年前に絶滅したことは概ね解っている。
「人=ホモサピエンス」が、フロレス近辺に来たのは5万年前だ。
「人」が来た時、同時にフロレス人が絶滅している。
このことから、
フロレス人は人間に滅ぼされたのではないか、との説もある。
]]>
フロレス島の旅(バジャワからルテンに移動)
http://yosaku60.exblog.jp/27694890/
2019-07-19T15:46:00+09:00
2019-07-19T16:21:45+09:00
2019-07-19T15:46:45+09:00
yosaku60
フローレス島=
ルテンに移動する日だ。
下図の赤く書いた道だ。
約100キロある。
山道の100キロなので4時間かかるという。
運転は、前日に引き続き、ラディ君に頼んだ。
バジャワからルテンだけでなく、
ルテン(2泊)での観光とルテンからラブハンバジョの空港まで、
要するに、我々の旅の全てをガイドしてくれるように頼んだ。
となると、ラディ君もルテンで2泊しなければならない。
それは問題なかった。
ルテンには友達がいるので、そこに泊るという。
ただ、他の問題があった。
外泊だから、奥さんの予めの了承が要るという。
で、ラディ君....
奥さん説得のため、我々も家に来てくれという。
で、訪ねたラディ君の家での
お手伝いさんとラディ君の娘(3歳)。
で、ガイド料だが、交渉の末、
バジャワ~ルテン.............70万ルピア
ルテン観光.....................40万ルピア
ルテン~ラブハンバジョ.....70万ルピア
の合計180万ルピア(約1万5千円)と、途中の食事代。
ということになった。
んで、10時にサニアンホテル出発。
海岸の町、Aimere に降りるまでは、
ハンドルを右又左に切りっぱなしのだんだら坂....
を終え、Aimere のワルンで昼食。
Aimere から 次の海岸の町 Bolong までは、山を迂回する感じ、
Bolong に来ると、その後は、一気に北方向のルテンに向かう。
ルテンまでは、徐々に徐々に高地に向かうという感じだ。
ルテンまで、あと20キロの地点に Rana Mese湖 がある。
車に乗りっぱなしも疲れる。
曲がった腰をゆっくり伸ばせもした。
で、ルテンのホテルに着いたのが午後3時。
5時間かかったことになる。
予約してあったのが、「REVAYAH」。
まあまあ大きなホテルだ。
大きいホテルなのに、泊まり客が少ない。
だからだろうか、スタッフも愛想よく迎えてくれる。
夕食は、中華料理店「Spring Hill」(写真)で頂く。
バジャワもそうだが、ルテンのレストランも安くはない。
フロレス島のレストランは、全般的に.....
それほど美味しくないのに、十分すぎる金額をとる。
「バリのムティアラが懐かしい!」....
3人とも期せずして同じ意見とあいなった(笑)。
は、ともかく、さあ明日は、いよいよ.....
「フロレス原人」に会える。
]]>
フロレス島の旅(ウォロボボ山の夕焼け)
http://yosaku60.exblog.jp/27693321/
2019-07-18T11:29:00+09:00
2019-07-18T11:45:00+09:00
2019-07-18T11:29:03+09:00
yosaku60
フローレス島=
バジャワの町から車で20分で行ける山、ウォロボボ山がある。
その山から見る夕焼けがきれいなそうな。
これがネットから拾った「ウォロボボ山の夕焼け」だ。
この景色を求めて車を走らせた。
wolobobo山への登山道に入った。
が、山頂には霧がかかっている。
とてもじゃないが、夕焼けなど見えそうもない。
山頂には、夕焼けを待つ人が何人かいた。
私達もベンチに座って待っていた。
と、この人達が話しかけてきた。
「一緒に写真撮らせてください」
どうも、外人のアジア人が珍しいのだろう。
が、このグループ、聞いてみると、バリ人だった。
右の人がタバナン、その左がシンガラジャ.....
左の人だけがバジャワ人だった。
私達もバリ人.....と聞いてお互いに笑うだけ!
この後も寒さに震えながら霧が晴れるのを待つも一向に晴れない。
午後6時、諦めて山を下りる。
バジャワの街に戻って夕食だ。
実は前日の夕食。
街のレストランを自力で探すも良いところが見つからない。
やっと、まあまあのところを見つけて入ったのが、ここ。
写真では明るく撮れてるが、
実際には、メニューの字が読めない程のくらーい店。
旅に出て暗い気持ちになるのはかなわない。
ガイドのラディに「良い店」を紹介しろ.....
てんで、入ったのが、この店。
店に入ると、ビンタンと書いてある。
ビールが置いてあるようだ。
が、山の上で体が冷えているのでビールなど飲みたくない。
やっと、ビールにありつけたのに皮肉な話だ。
結局、何を食べたのだろうか。
思いだせない。
いや、写真を見て、思いだしたものがひとつある。
写真の左は、ガイドのラディ君。
彼の食べているのが、犬の肉(黒いの).....フロレス島では犬を食べる。
だから、町にも山にも野良犬がいない。
いても子犬か痩せてみすぼらしい犬だけだ。
ラディ君は、美味しい、美味しいと言って食べる。
で、私もちょっと摘まんで食べてみた。
うん、美味しい、間違いなく美味しい....
でも、一口だけで、いい。
旅の二日目の最後の体験....
は、初めて「犬の肉」を食べたこと。
まあ、これはこれで、記憶に残る体験だ。
]]>
フロレス島の旅(マヌバラ村)
http://yosaku60.exblog.jp/27692215/
2019-07-17T15:47:00+09:00
2019-07-29T14:10:38+09:00
2019-07-17T15:47:54+09:00
yosaku60
フローレス島=
マヌバラ村(Manu Bhara)訪問だ。
マヌバラ村でセレモニーがあるらしい。
小さな山間の村に多くの人が集まる.....
って、なんだか面白い。
で、行ってみると....
15軒ほどの藁ぶきの家が重なる部落....
に大勢の人が集まっていた。
多分、村人の記念撮影だろうか。
まだ何のための集まりか意味が分からない。
ただ、衣装の珍しさに見入っていた。
村人が踊り始めた。
踊りながら広場を廻った。
それほど激しい踊りではない。
小刻みに足を踏みながら上半身を軽くくねらせる。
素朴な踊りであるが素朴だからこそ見ていて飽きない。
面白かったのは右手前の男の子。
重そうな剣を持って、一人離れて、ずーと踊りっぱなし....
足でのリズムの取り方が実に上手い。
我々3人は広場の中心に陣取り、踊りを見ていたところ...
中年の男がやってきて「どこから来たか、中国か」と聞く。
いや、違う、ジャパンだ! 言うと、
「おお、ジャパンか、オレの家に来てくれ」と言う。
で、ついて行ったのが、この家.....
玄関の上り口には、いっぱいの人が集まっていて、
それぞれに、コーヒーを飲み、ご飯を食べている。
男(写真の左)に勧められるままに家の中に入って座ると、
コーヒーが運ばれ、お菓子が運ばれ、ご飯まで運ばれてくる。
そうした接待の理由を男が話してくれた。
私は、この家の主人である。
今日は、この家の新築祝いのセレモニーである。
新築祝いでは、誰をも家に招きご馳走する習慣がある。
今日は、私の家に来てくれてありがとう。
この家を建てるのに45日間かかった。
作ってくれた大工さんも今日は来てくれている。
あの男(写真の左から二人目)だ。
で、家の中を改めて見ると、
家の屋根が古いままなので、新築とは気づかなかったが、
確かに内装外装の木々は新しく、彫刻や飾りも新しいもののようだ。
私は「新築おめでとう」....と、お祝い金を渡し、尋ねた。
家の新築には、いくらかかったのですか。
そうだな、今日のセレモニー費用もみんなひっくるめて、
200ジュタ(160万円)ぐらいかな。
大工さんに払うお金ではないよ。
大工さんは、サービスで作ってくれる。
でも、家を作っている間、毎日、ここで過ごす。
一緒に生活しながら、家を建ててくれる。
ここはみんなそうだよ。
助け合いがあるだけで料金なんぞの決まりがない。
なーるほど、
村中が助け合って暮らしているんだ。
今から、ブタを殺すから見ていってくれ。
明日の朝は、水牛を殺す。
これもみな、お祝いなのだよ。
しばらくすると、がけ下から、ブタの鳴き声が聞こえてきた。
ブーブーガーガー、大きな声で唸っている。
豚小屋から引っ張り出された豚がうめいているのだ。
豚は、これから殺されることを知っているんだそうな。
それが不思議なことに....
両足を縛られ足が動けなくなると、鳴き声がぴしゃりと止まる。
豚が、観念し、殺されることを受け入れた...のだそうな。
このあと、一気に豚を殺す....ことになる。
それもセレモニーのひとつだ。
しっかり見たが、ここでは書かないことにする。
マヌバラ村......
言葉通り、助け合って暮らしている。
こんな村に育つと、どういう人間になるのだろうか。
村人のひとりに西洋人の女の人が溶け込んで暮らしていた。
彼女の気持ち、わからないでもない。
]]>
フロレス島の旅(マラナゲ温泉)
http://yosaku60.exblog.jp/27690379/
2019-07-16T13:07:00+09:00
2019-07-16T18:41:20+09:00
2019-07-16T13:07:09+09:00
yosaku60
フローレス島=
ひとつは温泉に入ること、
ひとつはフロレス原人の住んでいた洞窟を見ることだ。
特に、最初にあげた「温泉行き」は...
バリ島に住み始めてすぐに抱いた....長年の夢だった。
10年前に買った「地球の歩き方」の(インドネシア)という本...
の347頁にフロレス島の「ソア村温泉」が書かれていた。
何度、このページを読んだことか。
347頁の右の小さな写真を拡大すると...
こんなんだが、
この小さな写真を何度も見て、行きたい気持ちをつのらせていた。
そんなソア村の温泉....
ネット上に、こんな写真が載っていた。
その中の記事に、湯温38~39度と書かれている。
余り熱いお湯ではない。
それだけが気にかかる。
私は、温泉は熱いほど好きなのだ。
ガイドのラディ君に聞いてみた。
「ソア村の温泉の他の温泉がないのか」
と、ラディ君曰く、
バジャワ周辺には温泉が三つある....
ひとつは遠方だが、ふたつはバジャワから近い....
そのふたつの内のひとつが、ソア村だ....
ソア村にある「ムンゲルダ温泉」だ...
もうひとつは、ベナ村の近くのMalanage村....
にある「マラナゲ温泉」だ....
その二つの温泉の違いだが....
ムンゲルダ温泉は、有名なので観光客が多い....
マラナゲ温泉は、知られておらず観光客も少ない...
ムンゲルダ温泉は、心地良い湯の温度だが....
マラナゲ温泉のお湯は熱すぎる....
「何! マラナゲ温泉の方が熱いのか?」
そうだ、熱すぎて、私は入れない。
決めた! ラディ君!
「マラナゲ温泉に走ってくれ」
てんで、我々はマラナゲ温泉に向かったのだ。
山道を走り、川の橋を渡ってすぐ、小さな脇道があった。
こんな脇道だ。
この先に温泉があるという。
ううん??
谷に降りると、前方の岩陰から、
なにやら湯気が見えてきた。
どうも、ここだ。
湯気の向こうに誰かがいるようだ。
その誰かが....
どうも手を振っている。
近寄ってみると....
おおお、女の人だ。 外人さんだ。
混浴か....まあいい、望むところだ。
ラディに促されて、
上手の方の岩場の水たまりに足を入れてみる。
入れた足をすぐに抜いた。
火傷しそうな熱さだ。
60度ほどはありそうだ。
さあ、着替えだ。
カミさんは、この時のためにパジャマを持ってきていた。
写真の右奥に着替えの小屋がある。
私も着替えた。
自慢のビール腹だ。
ビンタンビールがチャポンチャポンと詰まっている。
は、ともかくとして、入った。
良い! とっても良い!
お湯の説明をしたい。
上の写真の右奥に行くと、熱すぎてオレしか行けない。
写真の足元が日本の温泉と同じ温度だ。
結構に川幅がある川だ。
川の中央は岩に掴まらないと流されるほどの急流だ。
その急流に向かい熱湯がそれも相当の湯量でぶつかる。
川の真ん中に進むと奇妙な現象を味わえる。
身体がポカポカなのにちょっと足を向こうに投げだすと....
足だけが冷水に浸かったようになる。
奇妙な感覚だ。
混浴の外人たちはオランダ人とタイ人だった。
男がいない。
そう言えば、温泉て女の人が好きだよな。
どうも世界共通なのかも...
とはいっても女ばっかりの中に男はオレだけだなんて、
私は、その場に残りたい気持ちを隠して...
いいかっこしなければならなかった。
日本の男がスケベ―に思われては困るのだ。
で、下流の適度な湯温の場所を求めて、ひとり離れて...
こんな風にあいなった。
さて、時間はお昼の12時。
川の傍に家があるが、多分、お湯守りの家なのだろう。
そこで、おばさんが何やら料理を作っていた。
おばさんの子供だろうか、
子供は洗面器に何やら入れてもらって食べていた。
ミーゴレンだ。
子供の食べているのを見ると、同じものを食べたくなった。
おばちゃん、同じものを3人前、作ってくれない?....
「いいよ、中に何をいれる」
「卵と菜っ葉でいいかい」
いいよいいよ、おばちゃんにお任せだ....
ガイドのラディがおばちゃんに菜っ葉(先ほど買った)をあげていた。
おばちゃんは菜っ葉をたっぷり使ったミーゴレンを作ってくれた。
で、その価格、
たっぷり食べて、一皿x1万ルピア(75円)という。
マラナゲ温泉....
急流に負けじとぶつかるたっぷりの湯量.....
熱すぎるほどの湯温....
これぞ源泉温泉の醍醐味....
もう一度、行きたいなあ~
]]>
フロレス島の旅(Ogi の滝)
http://yosaku60.exblog.jp/27689383/
2019-07-15T18:45:00+09:00
2019-07-15T19:20:35+09:00
2019-07-15T18:45:10+09:00
yosaku60
フローレス島=
なにせ寒い....のだ。
バリ島とフロレス島は、ほぼ同緯度。
なのに、何故にこれほどまでに寒いのか。
標高が高いというだけではない。
標高で言えば、バリのブドゥグルの方が高い。
なのに、ブドゥグルよりもずーと寒い。
そういえばフロレス在住のじゅんこさんが言っていた。
「フロレスのホテルに冷房があるか」と聞くオレに、
「何を言ってるのよ」
「必要なのは、むしろ暖房!」
「ホットシャワーが出るかどうかが大事なの!」
そのとおりだった。
フロレス島バジャワでの初めての夜...
我々3人は、寒さに震えながら寝た。
ということで、
寝不足気味の朝食とあいなった。
見てくれ、二人ともセーターを着ている。
朝の9時、前日から頼んでおいた車が迎えにきた。
終日使用の料金が、60万ルピア(約4800円)である。
んで、まずは「ogi の滝」に向かう。
バジャワから北に向かって約30分の近場にある滝だ。
OGI に着いた。
滝までは車を降りて徒歩で歩かねばならない。
その徒歩の道が素晴らしい。
小川で野菜を洗っている人や....
売るためだろうか、
小屋の木陰で野菜を束ねている人がいて....
まさに、
清らかな水の流れる平和な盆地!!!....
という佇まいだ。
15分そんな平地を歩いて、こんな滝に着く。
この時期は水量が少なく迫力にかけるそうな。
と言ったって、何度も来れないヨ(笑)
帰り道、我々に売るためだろうか、
おばさん達が「野菜の店」を出していた。
現地の生の生活が見えるこんな光景....
私が最も見たい光景だ。
ほのぼのと嬉しくなる。
買ってあげたいが買ったとてどうにもできない。
と、ありがたいことにガイドのラディが「買いたい」と言う。
「そうか、そうか」てんで求められるまま、1万ルピアあげると....
ラディは、その1万ルピア(75円)で、こんなにも売ってもらう。
驚きの安さだ。
結局、この青菜...
この日の昼食に食べることになる...なんて、
この時は全く思っていません。
温泉のおばちゃんに料理してもらったのですが、
その温泉の話は、ゆっくり書きたいので明日!!にします。
]]>
フロレス島の旅(ベナ村)
http://yosaku60.exblog.jp/27687517/
2019-07-14T12:12:00+09:00
2019-07-14T16:28:38+09:00
2019-07-14T12:12:01+09:00
yosaku60
フローレス島=
まずは有名なベナ村に行くことにした。
3人なのでオジェック(バイクの後ろ乗り)3台を頼んだ。
一台100000ルピア(750円)という。
片道20キロ、高低差のある山道なので妥当な価格だ。
べナ村というのは、ガダ人(Ngada)の伝統村だ。
べナ村の入り口に来た。
眼下に村を一望した時、まずは、その景観に感激する。
こんな景観だ。
山あいの隠れ里という感じだ。
村の中を歩くが住民はそれほど我々を気にしない。
観光客慣れしているのだろうか。どうもそうでもない。
土産店など一店もない。
当たり前に素朴である。
ベナ村全体で45軒あり約250人が住んでいるそうな。
ぐるりと囲んだ家々の中央に広場がある。
その広場には2種類の祭壇がある。
これは男性の祖先を象徴するガッフ(Ngadahu)という祭壇。
こちらは、女性の先祖を象徴するバーガ(Bhaga)という祭壇。という説明を受けている我々の足元に小石がある。
聞くと、この下に死人を埋めているそうな。
慌てて足をのける。
遊んでいた子供に写真をせがむと恥ずかしそうに応じてくれる。
どこの子も子供は同じだ。
村の奥の小高いところにマリア像がある。
ゴアマリア(マリアの洞窟)というそうな。
フロレス島民の多くは、クリスチャンだ。
雲に隠れている山が、イネリエ山(標高2245m)。
べナ村の若者は3時間で頂上に登るという。
「急な勾配だがゆるい道があるのか」と聞くと、
単にまっすぐ上に登るだけ.....という。
そんな若者....
この3人、全員が高校生。
英語の勉強になるからと英語で案内したがる.....
が余りうまくないので、インドネシア語で聞くと、
やはり下手な英語で修正するので説明の多くは分からない。
でも、親切に説明してくれたことは確かである。
水は近くに湧水があって、そこからポンプで汲み上げている。家の蛇口をひねれば水が出るそうな。
ありがとう。ベナ村....
そしてべナ村のみなさん....
珍しい佇まいを見せていただきました。]]>
フロレス島の旅(バジャワのホテル着迄)
http://yosaku60.exblog.jp/27686201/
2019-07-13T13:43:00+09:00
2019-07-14T10:56:45+09:00
2019-07-13T13:43:01+09:00
yosaku60
フローレス島=
バリに戻りホッとしている。
ネットの繋がりが良くなくブログを書けなかった。
思い出しながら少しづつ書く。
まずは、旅の全体像....
ということで、今日は、バリ島出発からバジャワのホテルに入るまで...
バリ島出発
僕の旅のスタートは必ず失敗から始まる。
慌て者だからだ。
ジャワ島への旅の時は財布を忘れて途中で戻った。
今回の旅の出発時の失敗は飛行場に行くまでに起こった。
早朝の5時半ごろ、同行のひろみさんをピックアップする時だ。
ひろみさんの家には過去に何度も行ったことがある。
大通りにある大きな建材店を右に見て左の路地に入る。
ということで、時間通りスイスイと車を運転していた。
が、おかしい。
いつまで走っても大きな建材店が現れない。
どうもとおっくに通り過ぎたようだ。
はたと気づいた。
ひろみさんの家に来るのはいつも昼だった。
建材店の建物が丸見えだ。
それなのに、今は真っ暗.....
建物が見えるわけがない。
目標がないのだ。
路地に入る目標をなくては、ひろみさんの家に行けない。
あとは、書きたくない.....閑話休題。
とにかく、ひろみさんの家に着いた。
彼女は家の門を開けて待っていてくれた。
てんで、まあまあ......
無事に、とは言わないがデンパサール空港に着く。
続いて、ウィングエアー航空会社で搭乗手続きを行う。
出発ゲートは、NO.3と知らされる。
NO.3ゲートに近いレストランで朝食を摂る。
早朝のコーヒーは美味しい。
旅の予定を連れの二人に語る。
で、出発の30分前、NO.3ゲートに向かう。
が、ゲートに集まるお客がなんだか少ない。
おかしい、ゲートに居た係員に聞くと、
「NO.4ゲートに変更になりました」と言う。
まあ、ゲートの変更は、よくあることだ。
我々3人は、NO.4ゲートに走った。
間にあった。
NO.4ゲートには沢山の人が2列に並んでいた。
列の後ろに並びしばらくして、私の感が動いた。
おかしい、おかしい....どうもおかしい。
列の前に並ぶ人のチケットを見せてもらった。
目的地のラブハンバジョではない。
インドネシアの国内線は表示がいまいち曖昧だ。
係員に聞くしかない。
NO.4ゲートの最前列にいた係員に聞いた。
と、ラブハンバジョは、NO.2ゲートだという。
NO.2ゲートはNO.4ゲートから相当に遠い。
私たち3人は走った。
インドネシアの航空会社のいい加減さを呪いながら.....
話が長くなるときりがない。
一気に飛行機に乗るところに飛びたい。
乗ったのは、こんな飛行機、プロペラ機だ。
7時55分、ほぼ定刻に出発。
15分後、アグン山を横に見る。
続いて、ロンボク島リンジャニー山を見る。
新しいスマホのカメラは素晴らしい。
高速度で回転するプロペラの羽根が写る。
これがスンバ島...
バリ島とロンボク島に比べスンバ島は東西に長い。
横断するのに45分かかる。
スンバ島を離れ、コモド島の上を通り、
目的地のラブハンバジョに着く。
バジャワ行き乗り換えの待ち時間は2時間半だったが....
30分遅れて、ようやく飛行機が来る。
今度もプロペラ機だ。
飛行時間約40分。
イネリエ山が見えるとバジャワが近い。
バジャワに着く。
空港からバジャワの街までのタクシーを探す。
代金はひとり6万ルピアという。
値切ってみたが、それ以上安くならなかった。
あとで解ったが、それが相場であった。
バジャワの街の手前で同行の地元の老婆が降りた。
その老婆が5万ルピア払ったのを見たからだ。
我々は、もっと遠くに行く。
老婆より1万ルピア高くて当然だ。
ただ、途中で困ったことが起こった。
目的の「Silvia Hotel」がバジャワにはないというのだ。
急遽、第二希望の「Sanian hotel」に変更し向かわせた。
んで、予約しないで突然に入ったサニアンホテルだが...
お手頃価格の35万ルピアの部屋が2泊分は空いていないと言う。
55万ルピアの部屋なら2泊可能と言う。
しかもVIP Roomなので一室しかないという。
まあ、いい、中年のおばさんのひろみさんと、
老人の我々夫婦の3人連れ、何が恥ずかしいことか....
てんで、エキストラベッドをVIP Roomに入れて3人で寝ることにした。
写真は、急遽エキストラベッドを準備するホテルスタッフ...
ということで、とりあえずホテルに落ち着いた我々3人。
時間を見ると、まだ午後3時。
一か所ぐらいは観光に行ける。
で、選んだのが「ベナ村」.....は、次のブログに書く。
]]>
フロレス島行きにハプニングが.....
http://yosaku60.exblog.jp/27673661/
2019-07-04T10:39:00+09:00
2019-07-04T16:22:06+09:00
2019-07-04T10:39:45+09:00
yosaku60
フローレス島=
「一人旅」なので、ぶっつけ本番の旅を想定していた。
小心ものの私にとって予定を立てない旅なんて初めての体験だ。
少し怖い、少しワクワク....の新鮮な「一人旅」だったのだ。
それが、一夜にして、ひっくり返った。
原因は、写真の3名が登場したからだ。
登場人物のプロフィールを簡単に書く。
左は「ひろみさん」....
カミさんが目の手術で金沢で入院した。
急な事情があって私は一緒にいてやれなかった。
それを知った関西在住のひろみさん。
飛んできてカミさんを見舞ってくれた。
カミさんの心細さを察して慰めに来てくれたのだ。
一時間の見舞いのため一日を割いてきてくれる....
なんて、並みの人にはできない。
我々夫婦にとって、そんな「心が熱くなる」人だ。
中央は「じゅん子さん」....
自分の生涯計画を決めた中で現在を全うしている女性だ。
大胆、且つ理知的な女性だ。
じゅん子さんは、現在、フロレス島で勤務している。
日本に一時帰国の旅の途中で我が家を訪ねてきてくれた。
丁度良かった。
いろいろなフロレス島情報をじゅん子さんから聞けた。
そのじゅん子さんだが、中学時代は、私と同じ郷里に住んでいた。
さらに、じゅん子さんの先祖とカミさんの先祖は同じ郷里である。
所謂、我々夫婦にとって二重の同郷人になる縁の深い人だ。
この二人と我々夫婦。
そんな4人がムティアラに集まった。
その時の会話である。
ひろみ; 吉井さんフローレスに行くのね、私も行こうかしら。
私; それは困る。僕一人の旅だから。
ひろみ; ええっなぜ、洋子さん(カミさんの名)行かないの?
じゅん子;そうよ、洋子さん、一緒に行きなさいよ。
カミさん;そうね(....と迷いだす)。
ひろみ; 行きましょうよ。
カミさん;解った。私も行くので、ひろみさんも来て!
てな、ことになったのだ。
ハプニングだ。
一人旅の気楽さがいっぺんに消えてなくなった。
どうにかなるさ、ケセラセラの旅が、
同行のお二人を楽しませる気を使う旅に変わった。
が、考えてみるとそれも悪くない。
私とカミさんの旅では絶対に喧嘩しながらの旅になる。
ひろみさんが一緒だとカミさんは明るくなる。
それは想像できる。
明るいカミさんと私は喧嘩することはない。
それも想像できる。
夫婦喧嘩のない楽しい旅になるってことだ。
ってことで、ハプニングを嬉しく受け入れることにした。
]]>
絢子さん、フローレス島を語る。
http://yosaku60.exblog.jp/27486108/
2019-03-15T11:59:00+09:00
2019-03-15T17:19:34+09:00
2019-03-15T11:59:14+09:00
yosaku60
フローレス島=
パプア島もそうだったが、私の知りたいことをみな知っている。フローレス島で私が知りたいこと.....
ホモ・フローレシェンシスのことだ。
15年ほど前にフローレスで発見された新しい原人だ。
それを述べる前にバリ島とフローレス島の位置関係を知って欲しい。
この中のフローレス島を拡大すると ...「ここ」が、ホモ・フローレシェンシスの発見場所です。
何故にフローレス島に原人がいるのか...
大陸(スンダ大陸)から大陸(サヘルランド)への通り道だったからだそうです。
で、どんなところに住んでいたかと言うと...
リャン・ブア洞窟と呼ばれる、こんな洞窟です。
約10~6万年前の地層です。
発見されたのは、骨7体です。これが骸骨....まるで人間ですね。
絢子さんも骨を見て来たらしい。どうして写真とらなかったの?....と聞くと、
「気持ちが悪かったから」と言う。
「でも、確かに身長1メートルほどでしたよ」とも言う。
そう、ホモ・フローレシェンシスは小人なのです。
ですから「ホビット」とも呼ばれています。
こんな感じでしょうか。
ホモ・フロレシエンシスは発見されてから15年しか経っていません。
まだ多くのことが解っていません。
たとえば、骨は発見されていませんが、
リャン・ブア洞窟から75kmほど離れたソア盆地...
という処では100~70万年前の石器が見つかっています。
つい最近、2014年ですが、
ソア盆地で人類の下顎骨1点と歯6点の化石が発見されました。
年代測定の結果、
80~65万年前のものであることが明らかになりました。
ネアンデルタール人が西アジアに住みだした頃と同じです。
ホモ・エレクトスがアフリカを出たのは、180万年前。
ジャワ原人はその後すぐに発見されています。
それから数十万年かけてフローレス島に来て100~5万年の間....
なんかそれらしいのが島に住んでいただなんて...
そして、そんな島がすぐ近くにあるなんて...
それに絢子さん情報では、洞窟はルーテンからそれほど遠くなく、
ルーテンでは「MJR Tiketing Guest House」は日本人の経営で、
2~3000円で泊まれますよ、だなんて....
ここまで解っていたら、行くしかないでしょう!
]]>
昨夜は「鳥野菜鍋」で小宴会
http://yosaku60.exblog.jp/26438693/
2018-02-08T10:27:00+09:00
2018-02-08T14:17:50+09:00
2018-02-08T10:27:52+09:00
yosaku60
フローレス島=
絢子さん(写真中央)も中学時代は白山市に住んでいた。
年代が違うが、同郷人である。
その絢子さんから、焼酎(バリ島では貴重)を一本頂いた。
そのお礼に夕食にお招きした。
料理は「鳥野菜」......
エヴィも呼んで、4人での小宴会.....
絢子さんは、ダイビングのプロ。
この一月までフローレス島の海で潜っていた。
そんな彼女曰く、
フローレス島のエンデ市で、
パンチャシーラ思索のパンの木を見て来た。
そうな。
インドネシア人なら誰もが知っている「パンの木」である。
が、その木がフローレス島にあることは、余り知られていない。
私も知らなかった。
ジャワ島にあるものと思っていた。
なんの話か分からぬ方に説明したい。
1、インドネシアには憲法ともいえるパンチャシーラがある。
2、唱えたのは、初代大統領雄スカルノである。
3、スカルノは、パンの木の下でパンチャシーラを思索した。
そのパンの木だが、フローレスにあるというのだ。
調べてみた。
1934年~1938年、
オランダに抵抗していたスカルノは、フローレス島に流刑された。
場所は、同島の中央部にある「エンデ市」であった。
流刑であったが、自由に付近を散歩することができた。
サッカー場の近くに、大きなパンの木があった。
彼は、その木の木陰に休み思考することが多かった。
インドネシア国はどうあるべきか.....
結果、後(のち)に国のテーゼとなる、
パンチャシーラが思索され、産み出された。
とある。
いつになるか分からないが、フローレスに行ったら、
エンデ市に寄って、そのパンの木を見てみたいものだ。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/