あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



カテゴリ:バリ島=知人の訪バリ( 67 )


さんチャンご一家観光案内

昨日一日、さんチャンご一家とバリ島観光を共にした。
まず、最初に、その成果を書きたい。
さんチャン達ではなく、自分自身に対しての成果だ。
びっくりした。
観光地にはお客が「わんさ」と押し掛けている。
その「わんさ」さが半端ない。
その半端なさを知ったのが....私の成果だ。
バリ島に来て10年。
最初の5年間はバリ島の観光地を見て歩いた。
次の5年間はバリ島にいた残留日本兵の足跡を追った。
観光地を見て歩かなくなってから既に5年が過ぎた。
その間にバリ島の観光地は激変していた。
それを知ったのが収穫だ。

その変化を紹介しながら昨日廻った観光地を追ってみたい。

1、ホテルに出迎え

朝の9時に、さんチャン一家宿泊のホテルにお迎えに行った。
びっくりしたことと言えば、まずはこのホテルから書かねばならない。
私の家の近くだが、こんなホテルがあるなんて知らなかった。
ひとことで言えば「アンティークでユニークで色彩豊かな」ホテルだ。
バイパスにある「hotel puri tempo doeloe」だ。
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実に乙女ティックなイメージのホテルだ。
さんチャンのお母さんもそこを見込んで予約したそうだ。
驚いたのが価格の安さ、一軒一軒のコテージになっているのに、
日本円で6500円~/コテージ.....というお手頃価格。
欠点は海岸から少々遠いということだけだ。
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2、グヌンカウイ

1時間半ほど走って、グヌンカウイに着いた。
驚いた(写真)! 入り口に向かうガン(脇道)は車だらけ。
昔、この道は数人の観光客が歩いているだけだった。
それが今は、車だらけの観光客だらけ...
しかも、そのほとんどがヨーロッパ人。
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バリ島を訪れる観光客は年々増えている。
その観光客数について、2015年のデータによれば、
一位;オーストラリア、93万人
二位;中国人、68万人
三位;日本人、23万人、
まだまだ日本は3位に頑張っていてそれも微増(109%)している。
が、そんなデータなんて、推し量る由もなく、
ヨーロッパ人ばかりだ、それも溢れんばかりの...
どうしてだろう??....考えてみると、
グヌンカウイは、谷に降りるには300段の階段を降りねばならない。
要するにアクティブな観光地だ。
見るだけじゃダメ、買うだけじゃダメ、アクティブじゃなくちゃ!
ヨーロッパ人は、そういうのが好きなんだ、きっと。
それが今回のグヌンカウイ行きで得た、私の新しい認識だ。
勿論(笑)、私は300段の階段を登って帰って来れない。
入り口のワルンで、親子の帰って来るのを待った。
で、写真がないので、7年前に訪れた時のものをアップする。
ちなみに、この写真を撮った時...
谷にいたのは我々夫婦と連れのバリ人二人のみだった。
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3、ティルタエンプル

以前は広い駐車場ががらがらだったが、今は満杯状態だった。
ティルタエンプルは、バリ人が病気になった時に、
聖なる水を浴びて、その病気を治すためのありがたーい処。
昔(10年前)は、確かにそうだった。
が、5年前に訪れた時、水を浴びるのはバリ人よりも観光客が多くなった。
私は、それを嘆いて、ブログに書いたことを覚えている。
が、が、今回は、
水を浴びるのは観光客ばかり、それもヨーロッパ人ばかり。
水浴びをするバリ人が見えなくなった。
数人のバリ人がいたが’観光客の陰に隠れてそーと祈っているのだろう。
(左から3人目がさんチャン...の両側がご両親)
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バリ人の大事にしていた風習が観光客に壊された。
バリ人の風習を奪った観光客の面々.....情けない。
ただ、それがバリ人への収入に繋がる。
で、バリ人はそのことを良いこととして受け入れているようだ。
バリに住む外国人として「少々腹が立つ現象」だ。
(聖水を浴びて気持ちが良かったと語るご一家とカミさん)
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4、テガラン

棚田の光景はバリでいっぱい見ることができる。
棚田の規模としては、それほど大きくない。
が、テガラランはウブド観光とセットで宣伝される光景だ。
ここに来ると、ヨーロッパ人が少なくなる。
中国人が増えてくる。
ヨーロッパ人と中国人が半々だろうか。
いずれにしても、以前はレストランの横の空き地に駐車できたが、
今は、そうしたスペースはなく、大通りに路上駐車する。
レストランの数も増えていた。
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私は思う。
ヨーロッパ人は棚田の光景を見るのが好きである。
それが証拠にジャティールイは、ヨーロッパ人だらけだ。
ただ、ジャティルイは、宿泊地から遠く、観光を急ぐ人向きではない。
観光を急ぐ人と言えば、今や中国人である。
で、宿泊地(ウブド)から近いテガラランに中国人が多い。
ってことじゃないだろうか。

5、ウブド市内

ウブド市内では、急に日本人と出会うようになる。
それもウインドーショッピングをする日本人とだ。
ウブドは日本人だけでなく、欧米人の観光客が増えている。
が、欧米人は郊外の田園風景の中のホテル生活を楽しみ、
日本人は、ショッピングを楽しむようだ。
と、私は、そんなように思えた。

6、ゴアガジャ

ゴアとは洞窟、ガジャとは象...
で、象の洞窟という意味だろうか。
ウブド郊外にあるが、余り多くの観光客が訪れない。
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ゴアガジャの谷を降りると「仏教寺院」があるのが、少々面白いかも。
これは、洞窟の入り口のさんチャン。
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このあと、ウブド市内に戻って、
ケチャの会場をご案内して、今日の観光は終わりです。
さんチャン!! おつかれさま。
ジェネレーションギャップがために、
ちょっと空気の読めない爺の案内でごめんね。

by yosaku60 | 2018-08-29 12:50 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(5)

小学生4年生の「さんチャン」

一昨日は小学一年生のプトリから声をかけられた。
昨日は、小学4年生の女の子と遊んだ。
女の子の名前は「燦(さん)」という。
さんをつけて「さんさん」と呼ぶ訳にもいかず、
「さんチャん」(写真)と呼んでいる。
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みなさんは自分の幼い時を振り返ってどうお思いですか。
私は「私が一番純粋だった時」と思っています。
中学生になると自我が出て余り思いだしたくない自分になった。
小学校(特に小学4~6年生)の時が一番にまっさらだった。
そんなんで....
「さんチャン」を見ていると、まっさらな紙に見えるのです。
小学4年生といえば、将来、心に残るかどうかぎりぎりの処です。
でも、さんチャンにとっては、初めての外国です。
きっと、まっさらな紙に太い線が一本入ることでしょう。

と、願って、
残された今日一日をさんちゃんと遊ぶことにします。
申し遅れました(笑)。
さんチャンはひとりでバリに来た訳ではありません。
お父さんとお母さんと一緒です。
こんなお二人です。
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実は、私はお二人とは初対面なのです。
でも、お二人は、
私とムティアラの森崎さんに会いにバリに来てくれたのです。
なんとありがたいことでしょう。
こんな爺に会いに来てくれる若いご夫婦がいるとは....
その仲介をしてくれたのが、大阪のYさんご夫婦です。
Yさんご夫婦と知り合えたのがバリの海岸でありムティアラでした。

そのYさんが、
外国に行くならバリ島....
バリ島に行くならサヌール....
サヌールに行ったらムティアラ.....
そして海岸を散歩する私に合うこと.....
と指南してくれたのです。
ありがたい。
縁というものは良いものですね。

今日の観光コースは、さんチャんのお母さんの案で、
グヌンカウイ、テルタエンプル、テガララン、ゴアガジャを案内し、
ウブドまで送ってお別れし、その後ご家族はケチャダンスを楽しむ、
ということになりました。

間もなく出発の時間です。
さんチャンにとって良い思い出になって欲しいと願って行ってきます。
報告は、明日のブログで.....

by yosaku60 | 2018-08-28 08:50 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(1)

ノフィア先生とお別れ

夕べ...ノフイア先生、バンドンに帰る。
古巣のバンドン教育大学でちょっと仕事(ってなんだろう?)をし、
今月末には、日本に戻るそうな。

日本での研究は、あと4年続くそうな....大変だ!
いろいろあったけど、今が幸せという....良かった!
ノフイア先生と最後の食事は、中国料理.....高い!
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by yosaku60 | 2016-09-11 07:58 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

ノフイア先生、講義終了祝い

ノフィア先生の講演は、昨日のお昼でした。
無事に終わったので、内々の打ち上げ会....
場所は、レストラン「ムティアラ」。
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二次会はナイトパブ「リラ」。
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by yosaku60 | 2016-09-10 16:33 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

オレの先生、日本より来る

ノフィアさん....
もう10年前になる....
オレが日本いた頃のインドネシア語の先生....
が、オレの家に来てくれた。
土曜日までいてくれる。
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彼女は、現在、金沢大学大学院「博士課程」在学中、
バリに来た目的は、「学会」参加。
学会名......日本語研究国際教育学会

2年に一度、世界のどこかで「学会」を開くそうな。
4年前は名古屋、2年前はシドニー、今年がバリだそうな。
400人ほど、世界から集まるそうな。

彼女の故郷は、インドネシアのバンドン。
バンドンで使われる言葉は、スンダ語。
彼女の講義は、「スンダ語と日本語」だそうな。

どんな話なんだろう。
ちょっと、聞いたが、チンプンカンプン!!
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by yosaku60 | 2016-09-09 07:42 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その5)

稲田さんをご案内した最後は、ムディタの取材報告。
ムディタとは、バンリの王様の次男....
アナック・アグン・グデ・アノム・ムディタのこと。

バンリ軍を率いて、ングラライの独立闘争に加わった勇士です。
このブログで、ムディタのことをとりあげ、
詳細は調べて書く、と締めくくった時.....
稲田さんから、「次の記事、楽しみにしている」とのコメントを頂いた。
コメントを頂いたご本人が、今ここにおられる。
で、現地報告って訳です(笑)。

さて、
ということで、
まずは、ムディタの慰霊碑のある寺に行った。
寺は、プンリプランの街並みを海側に降りた処にある。
そのプンリプラン(写真)....
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昔は、誰も行かない「昔をとどめたバリの村」であった。
が、数年前から、大型バスで観光客が押し寄せる処になった。
プンリプランの街並みを降り、ムディタの慰霊碑をお詣りした。

手前が、ムディタの慰霊碑、その後ろに18人の慰霊碑がある。
  (註)プンリプランの地で戦死したのは、ムディタだけ、
     18人は、バンリ出身の独立戦争戦死者ということで、
     同じ寺に慰霊碑がある。
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そのムディタ.....1924年生まれである。
王様の子らしく、しっかり教育を受けている。
小学校はクルンクンのオランダ学校に学び、
中学は、ジャワに渡り、スラバヤで2年、マランで1年学んでいる。
その後、幹部候補生を育てる学校を卒業後オランダ軍に入隊した。
が、オランダが日本に敗れた後は、日本の青年団に加入し、
後には、PETA(郷土防衛義勇軍)に入隊し、日本軍の軍事訓練を受けている。
戦さのプロ、と言っていいだろう。
そんなムディタだが、
ングラライが戦死した11月20日(1946年)を自分の戦死日に選び、
1年後の1947年11月20日に、プンリプランの地でオランダ兵に撃たれ戦死した。
戦死すると宣告した日に、本当に戦死するなんて....
何か神がかっています。

んで、ムディタが、神がかっていたこと、
その辺の話を聞きたくて、ムディタの実家(バンリの王家)に行ってみた。

d0083068_17595872.jpgムディタが戦死した時に、
3歳であった、息子さん(写真)
名は、アナック・アグン・アノム・スワルジャナン、
現在、72歳、まだご存命だ。
稲田さんとご一緒にスワルジャナンさんにお会いし、
その辺のことをお聞きした。

スワルジャナンさんが、次のように語ってくれた。

1、ムディタは、白い腹巻(神の帯)をしていた。
2、その腹巻をしているかぎり、不死身である。
3、ムディタは、ングラライと同じく11月20日に、
  戦死することを決め、腹巻を外した。
4、腹巻は、兄(違う土地で戦っていた)に、
  送るよう部下に命じた。
5、腹巻を外したムディタは、
  11月20日に撃たれて、戦死した。
6、ムディタの兄は、
  そのムディタの腹巻をして戦後も生き残った。

そして、その腹巻だが、
兄が持ち帰り、現在、スワルジャナンさんの蔵にあるとのこと。

それを聞いたオレ、
ええ、本当ですか、見たい! と言うと、
スワルジャナンさんが、厳しい顔で...

「蔵にあります」
「が、見てはいけません」
「実の息子の私でも、30歳の頃に見てから、40年見ておりません」

というのです。
さすが、バリ...
言うこと、語られること、いろいろと神がかっている。

まあ、そんな会話があったのですが、
スワルジャナンさんの家で、もうひとつ驚いたことがあります。

次の写真、これは、王宮の敷地内ですが、
左が先祖の全てを祀るお寺、右がムディタだけの慰霊塔。
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そのムディタの慰霊塔に書かれた次の日付...
上が、20 Nov.1947、ムディタの戦死した年月日です。
下が、17 8 45、1945年8月15日、スカルノが独立宣言をした日です。
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独立記念日を大書しているムディタの慰霊塔....
ムディタは、「インドネシアは絶対に独立できる」
と予言をして戦死しました。
慰霊塔を建てるに際し、そのムディタの心を受け止めたのでしょう。
戦死日と独立記念日を合わせ書かれた、ムディタ慰霊塔...
今、私は、その意味が解るようになりました。
by yosaku60 | 2016-01-29 18:04 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その4)

次に稲田さんをご案内したのが、キンタマニー。
バトゥル湖をお見せたくて、ご案内したのではない。
バリ島を説明する意味で、キンタマニーは格好の場所だからだ。

失礼だが、女性は、目前の景色のみを観て感動する。
が、男なら島全体を感ぜられる造形の方に感動する。

即ち、こんな鳥瞰図に....
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バトル湖は、陥没湖...
陥没以前、外輪山に沿って山があったとすれば、3800mの山。
が、神の山、アグン山(3028m)を超えた山があった....
と語れず、アグン山級の山があったとだけ、記録されている、とか。
アバン山は、外輪山の一部ではなく、別の火山である、とか。
稲田さんに知ったかぶりをさせていただいた。

ついでに、読者のみなさんに伝えておきたい。
小さいバリ島であるが、地形から来る違いがある。

右端は....
アグン山を境にして、その東側は、乾燥地帯である。
中央は....
雨が多いが、それが故に山の近くは、深い渓谷だらけである。
ただ、南に下ると海岸付近の狭い範囲に田園が拡がる。
左端は....
山と海が近く、平坦な道路が少ない、山岳地帯である。 
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今回のロングドライブは、中央部....
ムグイの滝の深い渓谷、ワジャが戦死した深い渓谷....
を稲田さんに感じ取って頂けたと思う。

さて、こんなことを話しながら過ごした、
外輪山の一角にあるレストランでの、私たち(写真)だが、
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料金を払う段になって、スタッフから声をかけられた。

「バパ、日本に帰っていたの」、「長い間、来なかったね」
ええ、オレを覚えているの?
「サヌールに住んでいるのでしょう」、「覚えてるよ」

過去に何度か来たことがあるレストランだが、
前回は、1.5~2年前、随分前だ。
なのに、覚えていてくれるとは、すごーい。
鼻の下がだらーとなって、撮ったのが、この写真。
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今度来る時、写真持ってくるね....
と言っておいたけど、守れそうもない約束だ。
by yosaku60 | 2016-01-28 10:23 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(2)

稲田さんご夫婦を案内して(その3)

ワジャのお墓の所在を教えてくれた、ルジャさん。
ルジャさんちは、semanik 村の 大農家(畑)です。
栽培するのは、全て、オーガニック野菜です。

稲田さんに、そういう自然をお見せしたく、
ルジャさんちを訪ねました。

そんな我々をルジャさんは、快く受け止めて、
畑を案内してくれました。

そのうちのひとつ、アスパラ畑です。
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アスパラが何処にあるかわかりません。
雑草の間に、ちょこっと点在しているのです。
ポキンと折って、その場で食べました。
生で食べたのですが、甘いこと甘いこと、びっくりです。

次に、試食したのが、グアバ....
写真は、友人の家の軒先でグアバを洗ってくれるルジャさん。
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これは、ブラジル・マンゴ....
一個の実が、2キロあるそうです(試食叶わず=笑)。
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丁度この日は、ルジャさんの実家のオダランの日....
3日続く、お祝いごとの最初の日だったのです。
で、誘われるまま、ルジャさんの実家にお邪魔しました。
装飾された実家のサンガ(家寺)....
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料理を作る女衆....みんな親類という。
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明日焼く豚の毛をむしる男衆....
豚の毛は、焼きながらナイフでこさぐ。
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お別れ前に、ルジャさんの家に行き、
奥様(右から2番目)にも、ご挨拶......
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稲田さんにお見せしたかった、バリの田舎の、ありがまま光景....
お見せできたように思います。
by yosaku60 | 2016-01-27 09:30 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その2)

次に、ご案内したのが、ワジャのお墓。
稲田さんが行きたいと言ってくれた処(ロングドライブの目的)だ。

ワジャのお墓を説明するために、過去を振り返って書きたい。
少々長くなるが、お付き合い願いたい(ヨロシク=笑)。



ワジャとは....日本兵だが、名前がわかっていない。
大東亜戦争で日本が敗戦した後も日本に帰らず、
日本がインドネシアに約束した「独立」を実現させるため、
バリに残り、バリ人と共に、インドネシア独立戦争を戦った戦士だ。

ワジャと一緒に戦った、バリ人戦友が
ワジャについて、次の様に語っている。
以前ブログに掲載したものだが、再掲載する。


(デワ・プトゥの証言)

彼は、インドネシアの独立のために魂を捧げた日本人であった。
彼は、インドネシア独立のためには死んでもよい、
独立しなければ日本に帰らないと語っていた。
彼は他の日本人と同じく目が細く肌が白く身長は165cmであった。
彼は紳士的であり、バドゥンに沢山の友人がいた。

ニョマンブレレン(平良定三)によれば、
年齢は彼とほぼ同じであったという。

知っているものの証言によれば、彼はとても勇敢であった。
敵が逃げればそれをどこまでも追いかけた。
彼はいつも前へ前へと進むのでバリ人の誰もが彼についていけなかった。
バリ人は、バリ人の精神力はまだまだ弱い、
それに比べて日本人はとても勇敢であることを彼から学んだ。

彼にも欠点はあった。
策略することなく、無茶をしすぎることがあるのだ。
1946年6月13日のボンでの戦いの時であった。
彼は逃げる敵を追って行った。
その追い方が激しいのでバリ人の誰もがついていけなかった。
が、ただ、ひとりだけ彼についてくバリ人がいた。
そのバリ人はオランダのスパイであった。
ボンの村に近づいたとき、そのスパイは、
「腹が空いたでしょう」
「村に行って何か食料を探してくるのでここで待ってください」
と言って、村に入って行ったのだ。
オランダ軍に彼がひとりであることを通報に行ったのだった。

彼はその男がしばらくしても戻って来ないので、
さすがに騙されたことを気付いた。
彼は後退を始めた。
しかし、その時は、もうオランダ軍が彼を追い始めていた。
ある川のほとりでついに見つかり鉄砲で撃たれた。
数発が彼を直撃した。
撃たれた彼は、そのまま川に飛び込んだ。
Semanik の東の方を流れる川であった。
その川に消えた彼を見て、
オランダ軍は弾が当たり死んだものと思いその場を去った。

彼はすぐには死ななかった。
そこからだいぶ離れた川の中の大きな岩にたどり着いてそこで命が尽きた。
その大きな岩は赤い色をしており、
村の人からは精霊が宿っていると恐れられている岩であった。

村人は、精霊がワジャをここまで運んできたと噂した。
その噂を聞いてバリ軍はあとでその地を探した。
彼は大岩によりかかる格好で絶命していた。
バリ軍は、彼をその岩から運び出し、デサ・プラで埋葬した。

彼は日本人であった。
しかし、インドネシア独立のために生命を投げ出した。
こうした彼の行動を将来とも忘れてはならない。


......

さて、
彼が死んだ場所は、Semanik の東を方を流れる川....と分かっている。
それも赤い色をした大きな岩の処.....と死んだ場所まで解っている。

であれば、その場所に行ってみたい...
と思ったのが、一昨年の7月だった。
サヌールから、2時間かけて、Semanikの村 に入って、
先ずは、村民に聞いてみようと、
聞き込みに入った最初の家が、ルジャさんの家.....
(右がルジャさん、 左がルジャさんのお父さん)
d0083068_9371095.jpg

と、偶然にも(ワジャが逢わせてくれたのかも....)
このお父さん、ワジャのことを知っていたのですヨ。
ボンの戦い当時は、5歳だったそうで、
お母さんから、「危ないから外に出ないで」と注意されたとのこと。
川底の大石の処で死んだことも村人の言い伝えで知っているとのこと。
そして、その場所に案内するという。

ルジャさんのお父さんに案内されたその場所....
写真がないので、その傾斜を描いたオレの絵で説明する。
これは、帰りの登りの絵で、恥ずかしながら、独りで上がれなかった。
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そんな急な川底がここ。
d0083068_938787.jpg

そして、この大岩(今はコケが生えて色が変わった)で、
ワジャは、こういう風に座ったままで死んでた、
と言い伝えられると教えてくれた。
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さて、ワジャの死んだ場所を知った後、
お父さんは「ワジャのお墓があるよ」と、
びっくりするようなことを教えてくれたのです。

お墓は、プラガの町の学校の裏にありました。
右がワジャ、左が同じ時に戦死したバリ兵です。
d0083068_941311.jpg

でも、藪の中で、お墓の頭が見えるだけ、
なんとかお墓の土地の整備ができないか....と、思ったオレ。
ルジャさんを通じ、プラガの町のバンジャールに折衝した。

で、お墓整備の認可が下りたのが、4か月後...
そして、町の管理の元、整備工事が始まったのが、11月30日。
次が整備中の写真、前に立つのは、プラガの町の責任者。
d0083068_945371.jpg

んで、整備されたのが、この写真。
d0083068_9461685.jpg

長らくお付き合いいただき、ありがとう(笑)。
そんな経緯で、ワジャのお墓の現在があるのです。

そして、そして、
今回、それをお詣りりいただいたのが、稲田さん(写真)。
d0083068_9482817.jpg

稲田さんは、お線香も準備していました。
そして、ワジャがどのように戦って戦死したかを説明すると、
うっすらと涙ぐんでくれました。
日本人、ここにあり!!!
by yosaku60 | 2016-01-26 09:50 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その1)

昨日の稲田さんご夫婦とのロングドライブ...、
朝の9時に出発して、夕方の7時にサヌールに戻った。
合計10時間、ご一緒したことになる。

嬉しいことがいっぱいあって、一気に書くのが勿体ない。
数回に分けて書くことにする。

まず、最初に行ったのが、ムグイの滝....
サヌールから一時間半の近場にある滝だ。

が、滝つぼは、当然に谷の底。
下りるのは良いが、帰りの登りが辛い。

滝を見ての帰り道の登り....
途中でフウフウ息継ぎをしているオレに、
「吉井さん、大丈夫ですか」と気を使ってくれる稲田さん.
に、「はーい」の返事も途切れてしまって、声が出ない始末。

に比べて、
空手で全豪で3位になった猛者の稲田さん、
にとっては、こんなのへいちゃらなのだろう。
息のひとつも切れていない。

お・う・ら・や・ま・し・い。

下は、
そんな、ムグイの滝の写真です。
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by yosaku60 | 2016-01-25 09:36 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

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