写真は大通りから私の家(ヴィラ)に入る脇道の割れ門である。
前のブログで家(ヴィラ)の前にワルンが引っ越してきた話を書いた。
それが3軒のワルンであることも書いた。
それら3軒のワルンの名が写真の左の看板に書かれている。

3軒を説明する。
店の名;PAN NESA 料理;Nasi Sela...........芋ご飯
店の名;BU ILUH 料理;Babi Guling........豚の丸焼き
店の名; PAK MAN 料理;Nasi Be Balung....豚スープ
何故にワルンが引っ越しして来たかは、前にも書いたが、
バンジャールの広場の大幅改装があっての立ち退きだ。
これがバンジャール広場....

まず、竹を組んで、この後ブロックを積んでいく。
バリのブロックは「バタコ」と呼ばれる。
砂にほんのちょっとのセメントを入れて固めたものだ。
だから、ハンマーでチョンと叩くと割れる。
すぐ割れるので、いろんな型が作れて積みやすい。
積んだあとは表面をセメントで覆うので簡単に崩れない。
積みやすいことの他にまだ利点がある。
殆ど「砂」なので、崩してそこらへんに捨て置くと、
いつの間にやら、砂に戻っている。
廃材にならない優れブロックだ。
強度が少々弱いなんて、バリ人は気にしない。
こんなことを書き出すと前に進まない(笑)。
大通りに引っ越した全てのワルンを紹介する。
まずは、その大通り(ダナウブヤン通り)の全景...

の右端に写れているワルン。
私の行きつけ(朝の弁当を買うため)のワルンだ。
「BU RISKI」という名のワルン。
中央の女の子の後ろに白いシャツが見えるのがカミさんだ。
顔が見えないって...

顔が見える場所(店の裏側)に廻ってみた。
が、おばちゃんの腕に隠れて顔が見えない。
まあ、いいか。
右の男性がおばちゃんの夫。
おかずが少なくなると家に飛んで帰って新しく作って運んでくる。
製造元が夫、販売人が妻の夫唱婦随である。

ヴィラから大通りに出て、すぐ左にあるワルン。
このワルンは、広場から引っ越してきた訳ではない。
前から、この場所にあった....が、
もっと昔はサヌールのビーチ沿いのワルンだった。
その頃、写真の店番のおばさんの姪っ子は中学生だった。
その中学生の子が成長してシンガラジャの田舎に嫁いだ。
ドリアンの木がいっぱいある田舎の家だ。
てなことがあって、この店....時々、ドリアンが並ぶ。
そのドリアン、昔の誼で買わされることがある。
昔の誼で安く買えるかって.....
そんなことはない、反対だ。
お金がなく困っている、高く買ってくれとせがまれる。
んで、いい恰好しいの私は、
.....てな話をしていると、きりがない(笑)。
前に進む。

ということで説明してきたお店....
の右にあるのが、次の写真のワルン。
経営者はよく知らない。
ただ、この写真の右の空き地を見て欲しい。
黄色い看板に「Cuti Motor」と書かれている。
オートバイの洗車店だ。
経営者は、近所のおばあちゃん...
7、8年前に夫と死別し、そのあと私に流し目を送ってくる。
これ幸いとバイクを洗車に出し少々値切ろうと、
お金を払う段になると、なになに....
私からは相場より10円か20円、必ず高く取るのだ。
流し目は、お金欲しさの目だった。
....なんて話を書くときりがない。
言いたかったのは、この「Cuti Motor」、
夜になると机と椅子が置かれレストランになることだ。
結構にお客が入るレストランだ。
だが、ぼられそうで未だ入ったことはない(笑)。

ぐだぐだ書きすぎだ、前に進む。
次の写真のピンクのおばちゃんの店。
このおばちゃんも近所の人(同じバンジャール)だ。
若い時からの知り合いだが、喋ったことがない。
また、彼女の笑い顔を未だかって見たことがない。
いつも真剣に走り回っている、ちょっと、怖いおばちゃんだ。

さて、ここからは、
広場から引っ越したのではなく、昔から大通りにあったワルン。
近所であることには、変わりはない。
まずは、「お菓子屋」さん。
ちょっとお化粧が強いが店主は親切なおばさんだ。

おばさんの顔が見えないって....
下を向いてて、良いのが撮れなかったんだ。
まあ、いい、撮った証拠を見せておこう。

最後のワルンは、もっともローカルなワルン。
この家の持ち主が家の軒下で開いているワルンだ。
私がこの地に住んだ頃からあるワルンだ。
ただ、昔と比べ店先が少々きれいになっている。
お客もほとんどが近所の人だ。
「BU YUDHA」と言う店の名、今回初めて覚えた。
灯台元暗し....である。