あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



カテゴリ:帰らなかった日本兵( 234 )


残留日本兵の足跡に案内する。

ワジャのお墓に着いた。
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豪華なお花.....!!
ワジャもびっくりしているだろう。
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お若い方のお詣りは嬉しいものです。
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帰り道のプナルンガン村...
松井・荒木の祈念塔に案内した。
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ブルンブンガン祈念塔の前の道路が整備され....
銘鈑も新しくなっていた。
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小寺と言う名の日本兵、未だ探せないでいる....
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新しい布が巻かれていた。
松井・荒木は今も村人に大事にされている。
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by yosaku60 | 2019-08-26 11:10 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

高木米治兵曹長さんの遺児に会って来た。

インドネシア独立戦争を戦った高木兵曹長。
いわゆる残留日本兵。
機関銃操作に秀でていてムンドックマラン上空を飛ぶ...
オランダの飛行機を地上から狙って撃ち落とした。
最後はマルガラナでングラライ将軍と一緒に玉砕した。
そんな高木兵曹長の遺児のアリアニさんにお会いしてきた。

カミさんはアリアにさんより20日ほど早く生まれた。
同級生と言うことで会うと話が合うらしい。
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彼は、アリアニさんの息子さん。
高木兵曹長のお孫さんだ。
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左は、奥さま。
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大きな家に10人ほど一緒に暮らしている。
アリアニさんからスタートしたご家族...
ほとんどが日本人の血が流れている。
高木兵曹長のバリ名は、マデ・プトラ....
日本人として、バリ人に溶け込み、命を全うされた。
毎回、背筋が伸びる想いで、ご一家を訪ねる。

by yosaku60 | 2019-05-06 10:10 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

残留日本兵・平良さん宅を訪ねる

現在、バリ島には残留日本兵のご一家が3軒残っている。
曽我さん、高木さんはインドネシアの独立戦争で戦死した。
曽我さんの場合、遺児として男の子が残った。
高木さんの場合、遺児として女の子が残った。
そのお二人には、時々お会いしに行く。
3軒のうちの残るもう一軒は平良定三さんの家である。
平良さんは戦後も生き残ったので8人のお子さんがいる。
その内の4名が今もご健在だ。
現在、平良家を継いでいるのは4番目のクトッさんだ。
先日、そのクトッさんをお訪ねした。
お元気だった(写真)。
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応接間には新しい絵が飾ってあった。
クトッさんの息子さん(平良さんのお孫さん)が
描いた平良さんご夫婦だ。
よく似ている、ほんとうに良く似ている。
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今はお二人ともお亡くなりになったが、
私は奥さまとは何度もお会いしている。
平良さんのことを奥さまの口から直接にお聞きしている。
平良さんご本人とはお会いできなかったが、
残留日本兵の調査を進めてゆくと、
その行きつく先で、いつも平良さんのご存在があった。
お孫さんが描かれた平良さんの肖像画を見ながら...
私があちこちで「出会った平良さん」を思いだしたい。


1、バリ島の本に記述の日本兵はほとんど平良さんが語ったものだ。

バリ島で独立戦争を戦って戦死した兵士の略歴を
書いた本(インドネシア語)がある。
私もその本を読みながら、残留日本兵を探した。
その略歴記述のところで「ニョーマンブレレン曰く...」
との注釈が入っていた。
ニョーマンブレレンとは、平良定三さんのバリ名である。


2、工藤栄さんの慰霊碑お護りに平良さんが関わっていた。

工藤栄さんのご家族から私に
「工藤の慰霊碑があるはずなので見つけて欲しい」
とのメールがあった。
それを縁に工藤栄のご家族と懇意にさせていただいた。
そんな時いただいた資料に、
慰霊碑には上官の月森省三さんが関係していることが書かれてあった。
その月森さんがバリ島に来て、
工藤栄の慰霊碑を見つけた時に同行したのが平良さんだった。
平良さんは地元のバンジャールと交渉し、
慰霊碑の安寧に尽力した。


3、曽我さんの口から出た最初の言葉は「ニョーマンブレレン」だった。

曽我と言う日本兵がいてオランダ兵に殺されたとの記述があり、
そこには曽我さんには遺児がいる...
と書かれてあった。
私は2年かけて曽我さんの遺児探しをした。
そしてついに見つけた時、本当に日本兵の遺児かどうか疑いを持った。
が、探せた曽我さんが、
「ニョーマンブレレンが時々家を訪ねてくれた」と言う。
平良定三さんが日本兵の遺児を見守るためにこの家に来ていたのだ。
間違いなく、目の前にいるのが曽我さんのご遺児だ。
確認できてうれしかった。


4、マルガラナに行くたびに平良さんに出会えた。

独立戦争中に戦死した兵士は全員、
マルガラナに祈祷塔(チャンディ)が造られている。
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日本兵の祈祷塔は11基ある。
このうち日本名が判っているものには漢字で氏名が表記してある。
この日本名表記は、
平良さんがバリ州に許可をもらって書きこんだものだ。
私は毎年マルガラナに行き祈祷塔をお詣りするが
日本名を見るたびに平良さんのご苦労を思う。


5、ブンアリの隠れ里「プガヤマン」を知ったのは平良さんの記述による。

「ブンアリ」という名の勇敢な日本兵の潜伏したところを
平良さんは「ウガヤマ」と記述していた。
そこには日本の義勇兵が何人も潜んでいた。
是非に「ウガヤマ」の地を探したいと私はブレレン中を探し回った。
ある日「プガヤマン」という地を見つけた。
「ウガヤマ」と似ている。
その地に行ってみた。
日本兵が潜んだ三つの洞窟を見つけた。
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ブンアリの潜伏先を見つけて日本兵の足跡が埋まった。
「尊崇」を書き上げ自費出版する自信を得た。
これも平良さんのお蔭である。

なお、ブンアリはワナサリで戦死した。
ワナサリの戦死の地にブンアリの慰霊碑(写真)が建っている。
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6、日本兵の心意気を知った。

平良さんは2004年にお亡くなりになった。
インドネシアの陸軍儀杖隊のラッパに送られ8名の兵士が棺を運んだ。
2004年と言えば、15年前である。
ついこの間である。
戦後50年以上をかけて過去を語ってくれた。
直接にお会いできなかったが、
間接的に戦中・戦後・戦争というものを多く学んだ。
戦後の日本からの観光客がうすっぺらすぎる、
と、強く嘆いておられたのも知った。
平良さんと会ったことのある坂野徳隆氏のご著書は
「サムライ、バリに殉ず」だ。
それを読むと、名のとおり「サムライ」であることがわかる。
死ぬこと、負けることなど、もともと考えていない。

サムライ....

私は、平良さんのご家族にお会いすると、
平良さんの戦い方を思いだし....
それがいつか、ルバング島の小野田少尉の戦い方に繋がる。
どちらもゲリラ戦だ。
激しさでは同じようなものだった。
小野田少尉がルバング島を出て来た時、私は28歳だった。
人生で最も多感な時だった。
私は小野田少尉のことを根ほりはおり追いかけた。
多くのことが脳裏に残っている。
その脳裏に残ることを何度も再確認したくなる。
昨日もそうであった。
昨日一日、私は小野田少尉に浸った。
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これまで何度も読んだものをもう一度読んだ。
あらたな感動があった。
感動と同時に怒りもあった。
この怒りは新しいものだった。
当時、小野田が悩んだことは新聞で知っていた。
小野田は日本に嫌気がさしブラジルに逃げた。
30年も戦った兵士と言うことで、
当時世界中が小野田の勇気と日本魂を賞賛した。
私は、そんな世界の評判を嬉しく読んだ。
日本魂イコール小野田....を誇りに思っていた。
そんな世界に誇れる男を日本が追い落としたのだ。
誰が、何が、そうさせたのか。
その理由を当時の私は知らなかった。
知りたかったが新聞でも確か詳しく書かれなかった。
が、昨夜、その理由を語る小野田の映像に出会えた。
解った。小野田を苦しめたのは....
現在の日本のリベラルと言われる輩からの攻撃だった。
今もまだ続いているということだ。
それに後日だが、小野田は、
パフォーマンスに終始する小泉元総理をも怒っている。
明日は、小野田少尉のこれらふたつの怒りを書きたい。

by yosaku60 | 2019-02-15 12:49 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

自費出版「尊崇」の販売

自費出版「尊崇」は、300冊作りました。
その内、200冊は売れ、残り100冊になりました。
その100冊ですが、バリ島に30冊、日本に70冊の在庫があります。

読んでいただいてなんぼのモノ...ですから、
早く処分したく思っています。

で、販売を次のように致します。

(バリ島での販売)


30冊全てをレストラン「ムティアラ」に販売委託します。
一冊=150000ルピアです。
お買いくださる方は、セセタン通りの「ムティアラ」でお求めください。

(日本での販売)

来年の2月上旬まで、私は、石川県の自宅に居ります。
日本でお求めの方は、私のメールアドレス 
yoji-yoko@po3.nsknet.or.jp
に、送り先と冊数を連絡下さい。
郵送致します。
ただ、郵便局の「代引き」で送りますので、
本代1500円+送り代650円+郵便局手数料350円....
の計約2500円となることご承知おき下さい。

青木茜様に申し上げます。

青木さま、
ということで、日本での送り先を教えてください。
日本に戻ってから、郵送いたします。

.....

写真は、一昨日、バリ島の我が家に来られ、
6冊(それも一万円で)お買い頂いた、小山政史先生(ドクター)。
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by yosaku60 | 2017-11-08 12:53 | 帰らなかった日本兵 | Comments(7)

残留日本兵の卒論で賞を受けた斎藤紗季さん。

斎藤紗季さんが御両親と家に来てくれた。

2015年2月11日~2月15日の私のブログ.....
「紗季さんの一週間」を見て欲しい。

当時、中央大学の大学3年生だった、斎藤紗季さんは、
卒業論文に「バリの残留日本兵」を書くことにした。
で、私の処に取材に来て、
私がバリを案内した記述が「紗季さんの一週間」であった。

次の年、紗季さんは卒業論文を書きあげ提出した。
それが優秀と認められ賞を受けた。
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卒業論文は、私が指導した訳でない。
私は、逢うべき人を紹介し、見るべきところを案内したに過ぎない。
書いたのは、全て斎藤紗季さんだ。
が、そんな紗季さんが表彰を受けて、わがことのように嬉しかった。

それから、一年.....

それが、それが.....本日、
紗季さんが、卒業論文が掲載された「報告書」を持って、
ご両親と一緒に私に挨拶に来てくれた。
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左から、紗季さん、お母さん、お父さん、エヴィ.....
紗季さんは、見てのとおりお母さん似の美人であるが、
それに慢心することなく心根が優しい。

さて、

お礼を言われると舞い上がってしまう傾向がある、私...
先ほど来、ふんわふわと舞い上がっている。

by yosaku60 | 2017-09-19 16:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

出版記念パーティー

出版記念パーティを主催して頂いた、佳子さん邸....
の一階ロビー。
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25メートルのプールは泳ぎ甲斐がありそう。
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2階に上がり....
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外を見ると、ちょうど「凧揚げ大会」の真っ最中。
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で、始まった「お食事」....
夫のフイリップはフランス人。
で、佳子さんもフランス料理がお得意。
エヴィ達女性陣は、さすが詳しい。
横文字をいっぱい並べた料理の数々をどれも美味しいと感嘆する。
私は、どれが何でどれがそれか全くわからない。
手前の「ちまき」は、佳子さんちの使用人シェフ。
それ以外は、全て佳子さんご自身の手作り。
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をテラスでいただき....
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んで、次に始まったのが、新聞社の取材。
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続いて「説明会」というのかな....
私がもっとも苦手とする「おはなし」
が、後ろの方に、バリ人のグループが話を聞いてくれていた。
話は、ところどころ、エヴィが通訳してくれた。
実は、私が「尊崇」をもっとも読んで欲しいと思っているのは、バリ人。
話しながら、時々、バリの方々が頷いてくれるのが嬉しかった。
そして、終わったら....
バリ人の若い男の人が挨拶に来て、
「バリ人への語りかけ、心に届きました」
「感激しました、ありがとう」
と言ってくれたのです。
私は、話し下手ですが、このひとことで救われました。
ありがとう。
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佳子さん!!
素人の私なんぞが書いた本「尊崇」のため、
かくも盛大な「出版パーティ」を開いてくださってありがとうございます。
身に余る光栄なひとときでした。
写真は佳子さんとフランス名誉領事。
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by yosaku60 | 2017-08-21 10:56 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

出版記念パーティーでの挨拶

本日の出版記念パーティーでの挨拶...
佳子さんから、私の過去の経験、
特にベトナム戦争中のサイゴン(現在のホーチミン市)の話でも、
とのリクエストがあった。
が、ベトナム人に化けて市内に潜入の話なんて、
無謀すぎて、面白くもなんともない。
それに、昔すぎる。

済んだ過去よりも、これからの話のほうが良い。
で、昨夜、ゆっくり考えて、
本「尊崇」の今後の活用について話すことに決めた。

1、バリ人に対しては、

  バリ人は、歴史を語りたがらない。
  史実を残すのに、村と村との連携がない。
  そうした連携を作る為の資料に使ってもらえないかな~
  具体的には、バリ島のトゥグパラワンに特化した本(パンフレット)の出版。
  エヴィ、翻訳頼むよ!

2、日本人に対して、

  独立戦争に日本人が加わった足跡を
  見て歩くだけでも、3日~5日はかかる。
  ビーチや段々畑だけでなく、新しいバリ島の観光として、
  日本兵の足跡探検ツアーなどを企画する旅行会社が現れないかな~

を話す予定にしている。
んでも、オレ、話し下手だしな~

by yosaku60 | 2017-08-20 11:43 | 帰らなかった日本兵 | Comments(5)

急遽、明日、出版記念パーティーをば....

自費出版した「尊崇」....

私の友人の佳子さんが、
「出版記念パーティーをやりましょう」
と、急遽、準備してくれました。

ありがたい話です。

で、「尊崇」をお買い上げいただく予定の方は、
是非にご参加ください。
15万ルピアのところ、
当日会場では10万ルピアにさせていただきますので...

主催者の佳子さんからは、
「何人来ても結構よ」と、了解をもらっていますので、
初めてお会いする方も遠慮なさらずに、ご参加ください。

会場は、佳子さんの家...
サヌールのムルタサリビーチの南端の大きな家です。
(マングローブの北の端の通り沿いの一軒家です)
(大きな門があって、道路からは二階建ての白い家が見えます)
開催時間は、明日(日曜日)の午後一時からです。
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by yosaku60 | 2017-08-19 14:31 | 帰らなかった日本兵 | Comments(3)

バリ島で自費出版(その6;日本への送料)

自費出版の本「尊崇」300冊の配布先...
バリで150冊、日本で、150冊と漠然と考えていた。
が、それは無理だとわかった。
理由は、日本への送り代が高すぎるのである。

バリから日本に物を送る場合、
いろいろあるが、郵便局が安くて安全らしい。

で、本を送りに郵便局(本局;写真)に行ってみた。
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まずは、本を書くにあたって、
もっともお世話になった方に一冊、送るべく申し出た。
で、その一冊の料金(航空便)だが、300000ルピア(2500円)だった。
おお、高い! でもまあ ....

で、次に船便で大量に送る場合を聞いてみた。
と、船便の重量限度は30キロだという。
ということは、50冊しか送れない。
 いくつも梱包すれば、いけるのだろうけど...
そして、その料金だが、
1300000ルピア(11300円)という。

料金はともかく、
最大3ヶ月かかるいう、その輸送期間だ。
今から送っても、今度私が日本に帰っている間に受け取れないかも知れない。

どうも、ある量を手荷物として、持っていかねばならないようだ。



まあ、こんなことはどうでもよい。
今日は、インドネシアの独立記念日。
現在の私、少々思い入れのある日だ。
朝風呂を浴びて、すでに体を清めている。
スダ、シアップーシアップ だ。

by yosaku60 | 2017-08-17 08:09 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

バリ島で自費出版(その5;あとがき)

自費出版「尊崇」のもうひとつの売り(笑)は、

ところどころに手書きの地図を載せていることです。

バリ島の地図を手元におき、本書を読むと、

それが何処の話かということがすぐに解るようになっています。

本書を読み終わるころは、バリ島の隅々がわかるように....

であったらいいな(笑)と思っております。

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んで、あとがき....


私はプロの物書きではない。

「まえがき」「あとがき」の本当の意味を知らない。

で、勝手に決めつけている。

「まえがき」は、書き始めるにあたっての「心づもり」であろう。

そういうつもりで「まえがき」を書き、続いて本文を書き始めた。

で、「あとがき」であるが、

書き終わった後の「心の締めくくり」であろうと思っている。

そういうつもりで「あとがき」を書きたい。

私は書き始める前から、

何に重きをおいて、何を書こうと決めていた訳ではない。

が、書き終わって、何を書いて来たかは、はっきりしている。

書き始める前の漠然とした気持ちではなく、

書き終わったのだから、ファクト(事実)として、

数量的に計算、分析できるのだから、当然である。

私は、何を書いてきたか。

結果として、次の三つを書いて来た。

一、バリ人・バリ兵

一、日本人・日本兵

一、これら二つのコラボレーション

あくまでも私流と断って上で、

これら三つをあらためて、あからさまにしたい。

まずは、簡単なものから、書く。

三番目の「二つのコラボレーション」である。

この結論は、三八八頁に既に述べてきた。

曰く、

ングラライは思った。


日本兵との思い出は、過去は「憎しみ」だった。

が、今は「感謝」に変わっている。


当時のングラライの心を忖度すると、これ以外の言葉が見つからない。

ただ、注釈が入る。

広く日本人にではなく、一緒に戦ってくれた日本兵に、

対してのングラライの想いである。

が、そうであっても構わない。

残留日本兵のおかげで、

ングラライが日本人の違う一面を知ることになった。

私は、その恩恵を受けて、

現在バリ島でバリ人に護られ暮らしている。

私が残留日本兵を尊崇して当然だ。


二つ目の「日本人・日本兵」に移りたい。

これについては、言いたいことがいっぱいある。

戦後教育、マスコミに対してだ。

事実を公表せず、隠していることが多すぎる。

大東亜戦争を終わる際の「玉音放送」だが、余りにも一方的過ぎる。

世間に流されるのは、

いつも「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」だけである。

そこは終わりの方のほんの一部だ。

その前段に大事なところがいっぱいあるのに、全く語られない。

天皇陛下は、玉音放送の中で英米の国際法違反を訴えている。

米英と戦うことは本意ではないと前置きし、

米英が意図的に経済断行をしてきたための自存と自衛の戦争であること、

目的は東アジアの永遠の平和を確立するため、と訴え、

戦争を止める理由の一つに、

「残虐な爆弾(原子爆弾)」の存在を訴えている。

前者の「自衛戦争」は、国際法上認められた権利である。

また後者の民間人の無差別殺戮は国際法上禁止されている。

この二つの交際法違反を戦勝国の米英が黙殺するのは解る。

が、日本人がそれを言わなくなっている。

日本人に正義はなくなったのだろうか。

まだ、全く語ってこなかったことがある。

戦争を終わる「玉音放送」があれば、

戦争開始の「開戦の詔書」がある。

実は、私も「開戦の詔書」の存在を知らなかった。

私がそれを知ったのは、

ルバング島で戦い続けた小野田少尉の言葉である。

小野田少尉は、日本に帰還し、

何故に日本人は「開戦の詔書」をないがしろにするのかと憤慨した。 

小野田少尉は、その言葉を諳んじていた。

彼は、その場で「開戦の詔書」を一句一言間違わずに言った。 

それがルバング島で三十年間戦い続けた理由なので当然であったろう。

その小野田少尉のその時のことが昔も今も全く報じられていない。 

また、小野田少尉がそらんじた、

「開戦の詔書」の存在すら全く報じられていない。

なので代わりに、ここで書こう。

「開戦の詔書」と「玉音放送」は一対のものである。

どちらも、東アジアの平和を訴えている。

ここまで、書くと、あれは「本音と建て前があって」という人がいる。

私も本書で、そう書いているところがある。

それはそれで、いろいろあって由としよう。

が、絶対に由とできない対象が居る。

東アジアの平和を願って、命を落とした残留日本兵にである。

彼らの一人ひとりが、

天皇のお言葉があったが故の行動をとったかどうか、私は解らない。

が、解ることがある。

欧米諸国にいじめられるアジア人としての憤慨だ。

「開戦の詔書」と「玉音放送」を聞くに、

天皇も多分そう思われたものと想像する。

戦地で戦う兵士も同じ思いであった。

前線の兵士は、東アジアの現地人と戦ったのではない。

植民地を支配する欧米人と戦ったのだ。

欧米人にいじめられるアジア人として反発したのだ。

日本人の反発もインドネシアの独立も同一線上のものだったろう。

インドネシアの独立のために命を捨てた残留日本兵の行為は、

彼らが日本人として国体を背負っている気構えがあったからこそ、

できた行為である。

ちっぽけな理屈で彼らを評するのは不遜である。

尊崇の心で敬うのみである。


さて、最後の「バリ人・バリ兵」である。

これに関して、私が理解に苦しんだところがある。

バリ島の独立戦争を調べてゆくと、

バリ人とオランダ人の戦いだけではなく、

バリ人と「山のオランダ人(親蘭派バリ人)」との戦いの呈もある。

言ってみれば、バリ人同士の戦いなのだ。

少ない量ではない。

本文を読んでいただいたら解るが、

マタマタ(スパイ)が横行する複雑な人間模様があった。

独立戦争を戦ったメラプティ派の兵士にとっては、

バリ人の八割が敵方だったと評する人もいるほどだ。

さて、それから、七十年過ぎた。

私は、歴史を調べ始めた。

昔ではない、ほんの最近の歴史である。

なのに、バリ人同士が争った痕跡が何も見つからない。

バリ人は、昔をみんな忘れてしまっている。

というか、昔をみな許し合っている。

インドネシアは、オランダに三百五十年の永きに亘って蹂躙された。

そのオランダと五年間にわたって独立戦争をした。

独立戦争を終わるに際し、

オランダがインドネシアに債務負担を請求した。

国を荒らされたインドネシアが請求したのではない、

荒らした方のオランダがインドネシアに請求したのだ。 

「独立を認めよう、が、手切れ金を払え」

と言わんばかりの厚かましさである。

が結局、インドネシアは、債務負担(少し値切るが)を受け入れる。

まだある。

そんなことまでしておきながら、

オランダはインドネシアを真からは認めなかった。

オランダがインドネシアの独立を本当に認めたのは、二〇〇五年である。

インドネシア建国六十周年を記念して認めたのだ。

何を認めたかというと、

一九四五年八月十七日のスカルノの

「インドネシア独立宣言」を有効と認めたのです。

さて、こういうことは歴史を勉強すれば解ること。

私が言いたいのは、別のことです。

前置きが長くなりました。

最初に書いた、私が理解に苦しんだことです。

バリ人はオランダにここまでされても、彼らを憎むことはないのです。

七十年前のバリ人同士の殺し合いも忘れるし、

三百五十年にわたって、苦しめられ、お金までとられ、

その後も六十年間、

国際常識を無視してきたオランダを恨むこともしないのです。

なんと、あっけらかんとしているのでしょう。

その、「あっけらかん」は、どこから来るのでしょう。

私は、バリ人が信仰するバリヒンドゥー教にあると思うのです。

バリヒンドゥー教は、

インドネシアの憲法ともいえるパンチャシーラに合わせ、

一応「神はひとつ」としているが、本来は「多神教」です。

日本の神道と似ている。

木の神がいて、水の神がいて、悪魔の神までいる。

では、そんな沢山いる神に何を祈るかというと、

神に自分のことを祈ることはない。

何を祈るのですか、とバリ人に聞いても満足な答えが返ってこない。

愚問のようである。

どうも「神様、元気でいてくださいよ」とか、

「悪魔の神様暴れないでね」とか祈っているように思える。

多神教と違い一神教は「絶対の神」である。

そこには例外がない。

多神教はその逆になる。

「絶対」というものがなく例外も多い。

バリ人と付き合いだすと、特に感ずることである。

バリ人の間には、「絶対」と思うものがない。

だから許せる範囲が多くなる。

本誌から例を拾ってみる。

本文の156頁を見て頂きたい。

残留日本兵の工藤栄氏の慰霊塔を建て直すことになった。

バリヒンドゥーのお坊様に来てもらって祀りごとの全てを終えた。

お坊さんといっても、その所作は日本の神主さんと同じだった。

その神主さん(お坊さん)が言う。

「終わりましたから....」

「このあとはどんな宗教で祈っていただいても結構ですよ」

これが、バリヒンドゥーの垣根の無さである。

他の宗教をおしのけたりしない。

宗教だけではない。

バリ人の社会生活の中でも許し合うことが多い。

「済んだことは済んだこと」

「その時はその時」

「何かの事情があってそうなったのでしょう」

「いいじゃないですか」

バリ人は、こういう言葉を良く使う。

本書は70年前の歴史を書いている。

バリ人と話していると、

余りにも歴史に興味を持たないことに驚くことが多い。

が、正確に言えば、興味を持たないのではない。

歴史に執着しないのだ。

同様に恨むことにも執着しない。

ヒンドゥ―教一筋に千年の結果なのだろう。

バリ島に住んで十年、それが少し解ってきた。

ングラライが、いつも兵士に語っていた。

「オランダ側につく住民を恨んではいけません」

「彼らには、彼らの事情があるのです」

「その家には、その家の事情があるのです」

「その村には、その村の事情があるのです」

このングラライの言葉を

「バリ人・バリ兵」のまとめとし、

「あとがき」の締めくくりとする。


by yosaku60 | 2017-08-16 11:05 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

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