あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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満月に見る死生観

私は死生観という言葉が好きだ。
本当の意味は知らない。
字の順序から「死があってこそ生がある」考え方....
と勝手に捉えている。
何故に「死生観」という言葉が好きか。
少々、物語がある。
つまらない自分だけの物語だが聞いて欲しい。
私には母がいた(当たり前だ)。
母という人(ヒト)は子供のことが気になる。
私は商船学校を出て大手の海運会社に就職した。
母は喜んでくれた。
37歳の時、その会社を突然辞めた。
妻子(子供3人)を抱えながら、世間と格闘した。
能力もない私は何をやっても失敗した。
生きてゆくためにしようがなく海に戻った。
「海技免状(船長)」があるので、海では働けた。
が、日本では、どこの会社も雇ってくれない。
「契約船長」として世界に職を求めた。
今の様に「契約労働者」は社会に認められていなかった。
社会の片隅でひそかに生きている感じだった。
今年はいいが来年は解らない不安定な暮らしだった。
そんな時、年老いた母が病気になった。
たまたま日本に居た私は暇さえあれば母の病室に通った。
暇さえあればといったって10日間程だけど....
(その頃の私は一年に20日ほどしか日本にいなかった)
病室を訪ねた時、母が私に言う。
「オシッコをとってもらうのを看護婦さんに言うのが恥ずかしい」
私は嬉しかった。
母が私にそういうことを打ち明けてくれた。
同時に母が不憫になった。
私はおむつを買いに走った。
「これをしてゆっくり寝れば良い」
その時、母の言った言葉が忘れない。
「ありがとう、貴方も良くしてくれて...」
「良い人生だった、思い残すことはありません」
その次の日、母は逝った。
.....
この時のことを時々思いだす。
母は世間をうろうろする私のことを気にしていたのだろう。
でもそれを言わずに「ありがとう、幸せだったよ」...
と、感謝の言葉を告げ、死んでいった。
母の「幸せだったよ」という言葉....
その言葉だけで、私の過去の親不孝が救われた。
......
それから、20余年。
いろいろなことがあって人生を悩んだ。
その度ごとに自分を結論付けた。
途中は何があってもいい。
死ぬときは「ありがとう」と言おう。
その「ありがとう」を言うために今を生きるのだ。
こういうことは言うに優しく実行するのは難しい....
と思うかも知れません。
で、私は口癖にした。
「ありがとう」と言った母を私に被せながら
「明日死んでもいいんだもん」と冗談半分におどけた。
実はおどけていない、本心だ。
あちこちでそう言うので、
カミさんや友人が「また始まった」と馬鹿にした。
馬鹿にされながら20年も言ってると本当になる(笑)。
で、今は死の直前の「ありがとう」を目指す自分...
そんな自分を空間(常)に感じ取りながら生きている。
ということが私の死生観なのだ......が、
ただひとつ問題がある。
カミさんとの関係だ。
考えてみてほしい。
死の直前っていつのことかわからない。
明日かも知れない。
ということは、今日から予行練習しなければ(笑)
てのを究極に求めてゆくと、途中のプロセスを省くが、
その日だけを生きてるノーテンキなオレになる。
もしかしたら、もしかしたら....
の心配性のカミさんにはダラシなく見える。
そして、怒られる。
そして、毎度のことながら夫婦喧嘩が始まる。
まあ、そんなカミさんにも、最後は....
「ありがとう」と言う準備は出来ているのでまあいいか。
.....

あああ、長く書いてしまいました。
今日の話はこれからが本番なのです。

この写真を見て下さい。
家の庭から撮った昨晩の満月です。

d0083068_10423903.jpg

バリ島では「満月」のことを
「Bulan Pernama」(インドネシア語)といいます。
Bulan Pernama の直訳は、日本語になりにくいのですが、
月という名の月....或いは、本来の月....或いは、月の中の月....
即ち、「満月」ということでしょうか。

一方、「新月」のことを「Bulan mati」といいます。
Bulanとは「月」で、matiとは「死」のことです。
即ち、バリでは、「死んだ月」をいうんです。
が、日本では「新=生まれる月」を言うんですよね。
この違い....
「新月」をいう、この違いを目立つように赤字で書きます。

バリ島では「死」といい、日本では「生」という。

私は理屈っぽい(笑)んです。
この違いを掘り下げて考えていたんです。
その時、ふと思いついたのが上述の「私の死生観」なのです。

日本では、
新月があって、上弦の月があって、満月があって、
下弦の月があって、その後、無くなる.....

バリ島では、
満月があって、それが死ぬ(bulan mati)
一見、簡単に見える。
でも簡単でいいんだ。
だって、バリ島は輪廻転生だから....
また満月に生まれ変わる。
そして、満月は死にむかっていきてゆく。
おおお、オレ...の死生観とそっくりじゃないか。
そんな気持ちで満月を見ていると....

d0083068_11131809.jpg

なんだか、愛おしくなるのです。
オレって、馬鹿でしょう。

ところで、
余り日本人の知らないことを書きます。
バリ人は、満月も新月も特別なお祈りをするのです。
見える満月だけではないんです。
見えない新月もお祈りするのです。
そんなことにも私は感動するのです。
何にでも感動するオレって、馬鹿ですか。
前のんは馬鹿だけど、こちらは馬鹿じゃないよね~。

by yosaku60 | 2019-08-16 18:48 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

マスコミ界全体で偏向報道

昨日のこと、カミさんが突然に私に言う。
「見て見て、アメリカが日韓の仲裁に入るようよ...」
といいながら、次のニュースを指さした。
d0083068_11354151.jpg
私は笑いながら、即答した。
トランプ政権がそういうことを言うはずがない。
これはフェイクニュースだ。
カミさんは「そうなの」と、納得した。

少し自慢させてもらう。
私は、ここ2年半、毎日のように世界情勢を読んできた。
世界の国を見るには、国の指導者を知らねばならない。
指導者を見るには、その指導者のポテンシャルを掴まなければならない。
ポテンシャルを掴むには、沢山の事例を検討しなければならない。
そうした検討の積み重ねからポテンシャルが読めてくる。
ポテンシャルさえ掴めば先が読めるのだ。

そんな方法で最近は殆どのことの先が読めてきた。
例えば、この記事、出所先が「ワシントン」とある。
記事の出所先をみて、真意のほどが想像できるのだ。
ワシントンに勤める日本人.......
即ち、国連関係、外務省関係、在米マスコミ関係であるが、
大体において「反トランプ、親中.....そして反日」である。
いや....「反日」まではいかないかも....
「反日」に歯向かう気概がなく「反日を許す」としておきたい。
何故にそうなるか、過去にしてきた勤務と関係がある。
自分がしてきた過去の仕事を否定したくないということが、
この人達のポテンシャルになっている。
突然に自分の過去の経験に反するトランプが出てきた。
自分の過去を肯定するがゆえに、トランプを否定するのだ。
そういう方向にポテンシャルが働くのだ。
もうひとつ、単純なポテンシャルもある。
外務省というのは、基本的に他国と喧嘩しない。
誰とでも仲良くやりたい。
そういうところにポテンシャルが働く。
そのポテンシャルは、日本のマスコミ界に連動して働く。
私は、全体をそういう風に見ている。
勿論、トランプ大統領のポテンシャルも掴めている。
そうしたことから即座にフェイクニュースと見破った。

そのとおりであった。
このニュースが流れた同日の夕方、菅官房長官と世耕経産大臣....
それに甘利選対委員長まで出てきて、三人三様に記事の内容を否定した。
こんなにはっきり否定されたのでマスコミは黙ってしまった。

今日は、ちょっと自慢っぽくなってしまった。
でも、言いたい。
いくら私が馬鹿でも.....
2年半もそればかり考えていると何かを掴めるのだ。
いや、「掴める」というのは言い過ぎだ。
そんなに偉く(笑)ない。
容易にマスコミに騙されなくなった....と思うのだ。

by yosaku60 | 2019-08-01 12:19 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

「N国党」は政党要件を満たしていた(お詫び)

一昨日の朝の速報(このブログ)で、
NHKから国民を守る党は政党要件を満たしていない....
と書いた。
間違いだった。
訂正させて下さい。

1.97%という得票率は「全国比例」であって、
「選挙区」では、3%の得票率をとっている。
で、結果として政党要件を満たしている。

ということは、国会議員を5人以上集めなくとも、
「政党」として認められるということだ。
政党助成金も支給される。

これはうれしいことだ。
「N国党」が」国会で活動できる。

私は、陰ながら「N国党」を応援している。
今の日本は岩盤規制でガチガチで自由がない。
それらを壊す手始めに、まずは、
NHKという岩盤規制をぶっ壊して欲しい。

by yosaku60 | 2019-07-23 09:54 | 日本=知ったかぶりです | Comments(2)

参院選結果の評価

参院選結果出る。
全ての党に次のとおり微妙な結果がでたが、
その中で完全に勝利したのは唯一「日本維新の会」
だけだったように思う。


自民党;

60議席とれば大勝利、55~59であれば勝利、
と言われていたが、57議席であった。
まあまあ勝利したってとこだろうか。


公明党;

11の改選に14の議席をとった。
勝利であるが、予想された勝利であって、
番狂わせではない。


立憲民主党;

9の改選に17の議席をとった。
一見、大勝利のように見えるが、もしかすれば20議席に
届くかもと言われていたことから見るとそれほどでもない。
立憲民主党の支持者は高年齢者が多く、18~19歳の若者
の支持が極端に少ない。
ということは、今後はジリ貧になるのではなかろうか。


国民民主党;

8の改選に6議席をとった。
もっと減らすと予想されていたことから見ると、善戦した
といっていいだろう。


共産党;

8の改選に7議席をとった。
議席を落としているのは明らかだ、


日本維新の会;

7の改選に10議席をとった。
地域政党として、東京、神奈川に当選者が出たことは大きい。
また、兵庫はトップ当選であったことは、関西全体に力が
拡散していることが窺える。また、大阪の二人は思惑通りに
票を二分することに成功し、二人とも楽々当選したが、
維新全体として統制力がとれていることが評価される。
東京の音喜多俊が滑り込んだように見えるが、最終的には
自民党の武見敬三より票を伸ばしたことも評価される。
また、比例区で柳ケ瀬浩文が最終盤に当選したのは東京都内
の今後の活動の広がりを予感させる。


社民党;

得票率、ぎりぎり2%を超えた。
政党要件を得れたので、まあ成功であろう。


れいわ新選組;

3人当選できるつもりでいたが、2人にとどまった。
但し、4%の得票率を得て、政党要件を楽々クリアーできた
のは、今後(衆議員選)は、戦いやすくなるだろう。
ただ、国会活動ができない二人の当選を有権者はどうみるで
あろうか。策略家である山本太郎は、それをはね返す弁舌で
迫るであろう。


NHKから国民を守る党;

党首の立花だけの当選となった。
得票率2%を目指していたが、1.9%にとどまった。
政党要件を満たし政党助成金を受け取るため、今後は無党派
国会議員と手を組む必要がある。
丸山穂高と組むことは、決まっているらしいが、あと3人
揃えるのは少々難しいだろう。
であるが、党首だけでも当選できたことは完敗ではない。
土俵際で残ったというところである。

であったが.....(お詫び)

最終的には、得票率が1.97%になった。
但し、この得票率は「全国比例」であって、「選挙区」では、
3%の得票率をとっており、結果として政党要件を満たした。
ということは、国会議員を5人以上集めなくとも、「政党」
として認められるということで政党助成金も支給される。
これはうれしいことだ。
「N国党」が」国会で活動できる。
私は、陰ながら(笑)「N国党」を応援している。
今の日本は岩盤規制でガチガチで自由がない。
それらを壊す手始めに、まずは、
NHKという岩盤規制をぶっ壊して欲しい。

by yosaku60 | 2019-07-22 11:04 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

攻撃を受けた船舶の被災場所について

一昨日のホルムズ海峡の私のブログ....
を見た方から質問がありました。

被災場所は海面から相当の高さがありました。
機雷ならば海面の付近が被災するのでないでしょうか。

そうです。
私もおかしいと思いました。
でも、次の写真を見て、はたと思い直しました。
船が横方向に相当に傾斜しているように見えるのです。
d0083068_07441977.jpg
船側に穴が開き、船内に浸水してきた場合、
船を故意的に傾けて浸水ヶ所を水面上にします。
船乗りならば、通常に誰もが考える措置です。
そういうことができるように船は船側にバラストタンクを持っています。
左舷のバラストタンクに海水をいっぱい入れて、
右舷のバラストタンクの海水を抜けば、船は左に傾きます。

写真の船は7万トンなので、船の幅が30mとすれば、
4度傾ければ、被災場所が海面から1m、上に上がります。

写真では、10度ほど傾いているように見えます。
であれば、被災場所が海面から2.5m、上がったところになります。

ということもあるので、
現状の被災場所の位置だけ見て「機雷ではないない」
と言い切れないものと思います。

情報がいっぱい飛び交っていて、
いろいろな思惑も飛び交っていて、
正確なことを把握しづらい状況です。

by yosaku60 | 2019-06-16 07:57 | 日本=知ったかぶりです | Comments(5)

ホルムズ海峡でのタンカー被弾

ホルムズ海峡でタンカーが被弾しました。
私は少なくとも10回以上航行している現場です。
公表されている情報におかしな点があります。


1、被災海面が正確ではない。

報道ではホルムズ海峡を抜けたオマーン湾ということで、
次のような被災地が記されています。

d0083068_11225850.jpg
これは間違いだと思います。
もっとホルムズ海峡に近い処だと思います。
何故ならあとで述べますが、地雷による被災であるからです。
であれば、積荷船舶が必ず通るルート近くに地雷が置かれるからです。

現場を説明するためにペルシャ湾全体を述べます。
d0083068_11272651.jpg
ペルシャ湾に出入りする場合、図の東経60度線は重要です。
この線を超えて西に入ると急に空気が熱くなり東に抜けると涼しくなります。
船乗りにとっては、東経60度を超え西に入ると、
「いよいよペルシャ湾」の感じになります。
同時に、この線を超えて西側にいる間は、
ペルシャ湾手当といって給料が10%増しになりました(昔=笑)。

まあ、これは余分の話です。
全体図を見ていて、ついつい思いだしただけです。
本当に紹介したいのは、次の図です。
d0083068_11343623.jpg
ホルムズ海峡を航行する場合の国際ルールが決まっています。

ああ、その前に話しておきたいことがあります。
ホルムズ海峡はイランとアラブ首長国連邦の間の海峡と思う人が多くいます。
違います。
イランとオマーンの間の海峡です。
オマーンに飛び地があるからです。
半島はアラブ首長区連邦ですが、その先っちょだけはオマーンなのです。
ですから上の図に書いてある「リトルコイン島」はオマーン国なのです。

   島は二つあります。
   ですから、リトルコイン島ではなく、
   リトルコイン諸島だったかも知れません。
   忘れました。
   船の方向(北方)から見ると、こんな島です。
   
d0083068_13465405.jpg

さて、国際ルールの話に戻ります。
障害物を左に見る船はできるだけ障害物から離れて航行し、
障害物を右に見る船はできるだけ障害物の近くを航行しなければなりません。
前々図に描いてある矢印のとおりです。

船を攻撃する場合、荷物を積んでいない空のタンカーを攻撃しません。
ペルシャ湾の港で貨物を満載して出てくる船を攻撃します。
その方が効果的だからです(あたりまえですよね)。

積荷を終えた船は、リトルコイン島の近くを航行しなければなりません。
必ずそこを通る訳ですから、地雷の設置場所の選定地になります。
今回も、リトルコイン島の至近に機雷が置かれたと思います。
島の北側至近か東側至近だと思います。
東側であれば、すでにオマーン湾ということになります。



2、砲弾による被弾ではないと思います。

会社側は砲弾といっています。

d0083068_11551932.jpg
砲弾であれば、どこからか(他の場所から)撃たれなければなりません。
付近に船がいないので陸上からということになるのでしょう。
でも見て下さい。
船舶の右舷が被災しています。
イラン国ではなくオマーン国の方向からの攻撃になります。
d0083068_11595359.jpg
リトルコイン島の方向からです。
ここを通る時、乗組員の目は常時島に向いています。
勿論、前方の海面も見ますが......
島から目が離れることはありません。
でも、砲弾目視の報告がありません。
ということは砲弾ではなく機雷ということです。

機雷だろうと思える他の証拠もあります。
もういちど上の写真を見て下さい。
海面に接した喫水線上が被災しています。
海面にちょっと頭を出すか、
ちょっと海面下にあるかの浮遊機雷による被災です。
浮遊機雷ではなく海底に錘をおろした機雷では船底が被災します。
浮遊機雷であるとのもうひとつの証拠があります。
外国(ロイター)では、こういうことも発表されています。
d0083068_12093832.png
小さな字のところです。
次のように書いています。

   米政府高官はロイターに話した。
   イラン軍がタンカーの側面から不発機雷と
   みられるものを取り除く作業をしていた。
   その写真を撮って保存している。

   (追記)
   不発弾除去の写真がネット上に流れていますので追記します。
   イランは何故に早々と撤去したのだろうか。
   不発機雷がチェックされれば「イラン製」とばれるからだろう。
   そうでなくとも、そう思われても仕方がない。
d0083068_16183403.jpg
ということで、やはり機雷なのです。
機雷といってもいろいろあります。
「磁気機雷」と報道している情報もあります。
船舶は大きな鉄の塊です。
鉄の塊が近づくとと、付近の磁性に変化がおきます。
その変化を受けて爆発する機雷です。
ということは、機雷に当たらなくとも、
その近くを船舶が通るだけで爆発するのです。
危険な機雷ですから、味方船を爆発させてしまう恐れがあります。
ですから、こうした機雷は時限性になっています。
設置してから、1~2時間だけ有効なのです。
ですから、
敵の船舶が近づいてくるのを確認してから設置するのです。


さて、話を変えます。
次の映像の説明です。
d0083068_12254415.jpg
エンジンルームが火災になったそうです。
CO2を注入して消化した....の説明です。
エンジンルームが火災になると、エンジンルームには入れません。
 
  でも、ひとり入ろうとしたようですね。
  火傷をした乗組員がひとり報告されています。

エンジンルームに入らずにどう消化するか。
火は酸素がないと燃えません。
エンジンルームの酸素をなくするのです。
そのため、エンジンルームの外にCO2ルームという部屋があります。
この部屋には、CO2のボンベがいっぱいあります。
そこで、まずはエンジンルームからの出口をみんな閉めます。
アイアンドアといって、鉄の厚い扉でエンジンルームを密室にします。
その上で、CO2ルームのボンベを全部全開にするのです。
そうするとエンジンルームはCO2が満たされ酸素がなくなって瞬間に消化できます。
ですが、CO2が充満したエンジンルームには人間が入れません。
ということはエンジンが使えないので「航行不能船」になります。
でも航行が不能なだけで、すぐに危険な訳ではありません。
船長はこの時点で船を放棄してはいけません。
エンジンルームが浸水したからといって船は沈みません、
船は、そのように造られています。
が....もういちど被弾したそうです。
しかも、今度は、船の中心です。
積荷のメタノールがいっぱい積まれた場所です。
(白いものは写真の都合で光ったものです)
(雲とか煙とかではありません)
d0083068_12385757.png
メタノールに引火すれば船は爆発します。
船長は二度目の被弾で乗組員の退船を決断しました。
船を捨てるのを「アバンダンシップ」と言います。
大変な決断だったと思いますが私も同じ措置をとったと思います。
船主と運航者に申し訳ないことですが、人命優先です。

事故のことばかり書きました。
起きてしまったことはしようがありません。
大事なのは誰の指図で機雷がセットされたかということです。
イラン政府の指図とは思えません。
が、イランには国の指示が届かぬ過激分子が多くいます。
そうした輩の仕業ではないでしょうか。
でも、ここが困る処なのです。
イランが核を持つと困るのはこのことです。
イランが持つとサウジアラビアも核を持つでしょう。
それよりももっと困るのは、
イラン経由で過激分子に核が拡散することなのです。
トランプが心配するのは、このことです。
北朝鮮が核を持つことよりもイランが核を持つことが怖いのです。

さて、
安倍総理とハメネイ師との会談が終わりました。
その効果につきいろいろ書かれております。
ハメネイ師は安倍総理に「核保有の意思なし」と伝えました。
イランは政治よりも宗教が強い国です。
ハメネイ師のそうした意見が公表されたということが評価できます。
トランプが安倍に感謝すると前置きしながら言っています。
「少し早すぎたようだ」
そのとおりです。
時間をかせげたこと....
アメリカにとっても国際社会にとっても良いことです。
安倍はそれなりの役を果たしたと評価されるでしょう。


カミさんに質問されたので、その答えを追記します。
カミさんが聞く。
「日本の船と知っていてやったのかしら?」
状況判断したところ、それはありません。
どこの船でも良かったのです。
航走してくる船を見てどこの国の船かわかりません。
パナマ籍船ということは、船尾に表示しているのでわかります。
ですが、その船は、パナマの国の船ではなく、
実際には「日本の船会社の運航」ということは通常はわかりません。
目的をもって調べれば解りますが...
今回は2隻が被災しました。
もう一隻は、フロント・アルテア号という船でした。
船主はノルウエーですが、運航は台湾の精油会社でした。
船に書かれた船籍となると確か「太平洋の島の名」でした。
その船の主たる損得はどこの国に所属するかなんて、
今は、船名を知っただけでは簡単にわかりません。
そういういうことから、
日本の国を狙って爆破したものではないと思います。

なお、今ほどのニュース(CNN)で、
不発機雷は、リムペットマインと呼ばれる機雷で、
船底に付着させ遠隔操作で爆発させるものである。
とも報道されました。
それが本当なら、上記の私の私見、少し異なってきます。
でも、今朝に知り得たデータの中だけで分析して書いた...
ものですから、修正せず書いた当時のままにしておきます。

by yosaku60 | 2019-06-14 13:06 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

小野田少尉が怒った理由

陸軍中野学校はスパイ養成学校である。
が、戦線が悪化し将来はゲリラ戦になることが予想された。
そうしたゲリラ戦に特化した兵士を養成するために二俣分校ができた。
小野田少尉はその二俣分校を出ている。
ゲリラ戦では最後のひとりになっても戦い抜けと教えられた。
ゲリラ戦には上官がいない。
全ての作戦を自分だけで考えなければならない。
そのための教育を受けた。
徹底した自由発想が求められた。
日本人は軍隊の上に天皇がいると思いがちだ。
中野学校では天皇の評価にについても自由に発想できた。
小野田少尉は権力というものが徹底的に嫌いだった。
だから天皇のもとで戦争するという意識はもとよりなかった。

ということで、まずはこの写真を見て欲しい。
日本に帰って皇居に向かって首を垂れるシーンだ。
「ほら、あっちにむかって頭をさげなさい」と、
日本政府が小野田に無理やりやらせたシーンだ。
小野田の不服そうな表情わかりますか。
d0083068_12083244.jpg
何故に小野田は不服だったのか。
小野田は天皇に指示されたから戦争に行ったのではなかった。
天皇の示した「開戦の詔書」...
即ち戦争をする理由に納得して戦争に行ったのだ。
「開戦の詔書」を守り最後まで戦ってきたのだから頭を下げる必要はない。
日本民族を尊ぶのは天皇も私(小野田)も同じだ。
との気概があったようである。
私は小野田の気持ちがよく解る。
行動するには行動する理屈がなければ行動しない。
理屈もないのに上からの指示だけで行動することはない。
小野田も私も組織の中では生きてゆけない(笑)。

さて、こんな小野田なのに、当時目立ってきていた...
現在のリベラルと呼ばれる輩が、このシーンを見て
「天皇のしもべが軍国主義を抱えて帰って来た」
と受けとって、小野田の帰国を批判したのだ。
前に説明した通り、全くのお門違いだ。


「開戦の詔書(要点)」

私はここに米国及び英国に対して宣戦を布告する。東アジアの安定を確保して世界の平和に資することは私は常に心がげていることである。各国との交流を篤くし万国の共栄の喜びを共にすることは我が国の外交の要としているところである。今や不幸にしてまことにやむをえない事態となった。このような事態は私の本意ではない。中華民国政府は以前より我が国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱した。幸いに国民政府は南京政府に変わった。我が国はこの政府と誼を結び共に提携するようになったが重慶に残存する蒋介石の政権は米英の庇護を当てにし兄弟である南京政府といまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は蒋介石政権を支援し東アジアの混乱を助長し平和の美名にかくれて東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえくみする国々を誘い我が国の周辺において軍備を増強し我が国に挑戦し平和通商にあらゆる妨害を与えついには意図的に経済断行をして我が国の生存に重大な脅威を加えている。私は政府に事態を平和のうちに解決させようとし、長い間、忍耐して来たが米英は少しも互いに譲り合う精神がなくむやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上、軍事上のの脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。ここに至っては我が国は今や自存と自衛のために決然と立ち上がり一切の障害を破砕する以外にない。私はすみやかに禍根を取り除き東アジアに永遠の平和を確立しそれによって我が国の光栄の保全を期するものである。

この開戦の詔書には当時の中華民国のことを詳しく書いている。
小野田は17歳から20歳の4年間を中国で過ごしている。
商社に勤め中国語を自由に話しフランスの租界地で商才を発揮している。
中国のことを書かれた開戦の詔書を完全に理解できたのだ。

さて、小野田が怒った話に移る。
決定的なことがあった。
小野田に同情して全国から小野田のもとに寄付金が送られてきた。
時の総理大臣の田中総理からも100万円が与えられた。
小野田は、これらのお金をそっくりそのまま靖国神社に寄進した。
それがリベラル派の逆鱗に触れたのだ。
国民からの寄付を「靖国神社」に全て寄進するとはなんということだ。
戦争が大好きな軍国主義者の再来だ....などと小野田が批判されたのだ。
小野田はそんな自分への批判に腹が立った。
好き好んで戦ってきた訳でない。
日本人が日本を守るために戦ってきたのだ。
戦った人はみんなそうだ。
私は運よく生き残って帰って来た。
私は今から働けばお金を儲けることができる。
生きて帰れなかった同僚が靖国神社に眠っている。
そうした同僚に寄進して何が悪いことなのか。
と思ったが....
小野田は疲れ果てこうした反発をする気がしなかった。
こんなおかしな日本から身を引いた方が喧嘩をしないで済む。
と、選んだのがブラジル行きだった。
30年間、戦争がまだつづいていると思って、
戦いに戦い続けて、祖国に帰って来たのに...
そんな祖国の人と喧嘩したくない...
という小野田の気持ちはよく解る。
悲しかったろうし、やるせなかったろう。

ついでに、当時小野田に向けられた批判の言い訳を説明したい。


(批判)どうして30年もひとりで戦ったのか...

小野田はルバング島に派遣される前、上官から説明を受けていた。「アメリカは日本に上陸することになるだろう。今の時点での日本の負けは確定している。但し将来は解らない。日本が復活する時がある。再度日本が復活する日までひとりになってもルバング島を守り抜け」との指令だった。そのための小野田の任務は残置渫者(ゲリラ)だった。小野田がルバング島で任務についた時は200名ほどの日本兵がいた。しばらくしてアメリカの攻撃を受け、150名ほどが戦死した。小野田は残った人員を4~5名一組に分け、ジャングルに潜まさせた。ゲリラ戦である。当初の予定通りだ。最終的には他の組が全て投降し小野田自らが率いる4名だけになった。4名のうちのひとりがアメリカ軍に投降し、2名が現地人に殺され、最終的に小野田ひとりになったのだ。


(批判)終戦になっていることを伝えるビラを撒いたのに何故に出てこなかったのか。

ばらまかれたビラは読んだ。ただ、そのビラには間違えがあった。日本人なら絶対に間違えないところ(兄弟の名前のミス)であった。アメリカの策略によるビラだと思った。以後、どんなビラを読んでもアメリカの策略に思えた。
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(批判)母親が直接に「出てきて下さい」と訴えたのに何故に出てこなかったのか。

聞こえていた。私の母親は戦地に出る時「つかまるならこれで死になさい」と短剣を渡してくれた。そんな母親が「出てきて」などと本心で言う訳がない。言わされているだけだ。


(注釈)小野田が日本に帰って来た時、母の小野田タマエも羽田に迎えに立った。その母親の我が子を迎えた言葉は「よう生きて帰って来た、ご苦労さん、あんたは偉い」だった。その時、タマエさんの目から涙はなかった。顔をくしゃくしゃにしたが泣かなかった。当時喰いいるように私はテレビを見ていた。タマエさんが泣かないのを見て驚いたことを覚えている。 タマエさんが泣いたのは、一ヶ月後小野田が実家に帰り母親に自害用の短刀を返した時だ。
d0083068_14310758.jpg
泣いた理由は、この短刀が我が子を最後まで苦しめたのかも知れない、との自分の反省からだった。タマエさんは紀州徳川家の家老の家の出だ。さすが武士の家に育った女性だ。ついでに書くが小野田がブラジルに向かう時、タマエさんは「もう会えないことは覚悟している。あの世で会えることを楽しみにしている」だった。その通りになった。タマエさんは享年91歳だった。同じく小野田も91歳まで生きた。

さて、人前では怒りを表さない小野田がもうひとつ怒ったことがあった。
小泉総理大臣が靖国神社に参拝した時に放った言葉に怒った。
正確な言葉を忘れたが「行きたくもないところに行かされて戦死した皆様に....」
てな趣旨のことを言ったらしい。
小野田はこの言葉に怒ったのだ。
が、私でも解る。
戦地に向かい戦死した人に失礼だ。
こういう言い方は実際に戦った兵士を思いやる言葉ではない。
戦地に行きたくて行く人は少ない。
日本人として行かざるを得ないから行くのだ。
その責任感に尊崇の念で応えれば良いのだ。
小野田も言っている、「ご苦労様、その一言でいいのだ」。
余分のパフォーマンスから嘘(心のなさ)がばれる。


(参考)

小野田少尉がルバング島で戦っていた時の話で私が特に記憶に残っていることを書く。

1、茂みなどに隠れて寝る事はなかった。隠れていたら発見されて殺されるからだ。だから発見されやすいところの地べたで寝た。発見されやすいと言うことはこちらも相手が迫るのを発見しやすいからだ。そんな場所は斜面だった。上からは狙われない斜面で迫る敵を見下ろす斜面で寝た。

2、神経を使うと耳ダレが出る。いつも地べたに寝るので耳ダレに蟻が入ってきて鼓膜を破られる。耳栓をすれば防げるが耳栓をすると危険な音が聞こえなくなるので、しようがないので、やりっぱなした。

3、戦える体力は60歳までと踏んでいた。で、60歳まで毎年何発の鉄砲の弾を打つか決めていた。60歳になって日本兵が島に来なかったら最後に残った弾を全部撃って逆に鉄砲の弾で体をハチの巣にしてもらって死ぬ覚悟でいた。

4、谷口上官の命令解除を受け、フイリッピンに投降した時も殺される覚悟でいた。その時のどの写真もみな背筋が伸びていると思う。背筋を伸ばしたまま撃たれて死ぬ覚悟であった。

5、小塚金七が殺されてひとりになった時はすぐに諦めた。二人だからこそ大変だったこともある。全てがマイナスではない。一人だから戦力が2分の1になったと思わなかった。後ろ向きに考えると明日の戦いを戦えない。

6、島にいた30年間、家族のことを考えたことがなかった。そんなヒマがなかった。

7、雨の日は寒いので歌を歌った。雨で声が消されるからと寒さしのぎであった。寒さを防ぐのが目的だから勇ましい軍歌ばかり歌った。

8、30年間で嬉しかったことは一つもなかった。悔しかったことは戦友を殺された時だ。

9、正月になると神棚を作りお祈りをした。正月を迎えたことを感謝するだけで神にお願いしたことは一度もなかった。

10、最初の3年間は大変だった。3年するとどこに何があるか、どこに食べ物があるか、など島の地形がみんな頭に入った。みんな頭に入ってから戦いも生き方も簡単になった。(ルバング島は伊豆大島二つ分ほどの大きさ)。

by yosaku60 | 2019-02-16 15:06 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

日本とインドネシアは反対になります。

バリ島の海が好きなみなさん。

元船乗りから海に関する知ったかぶりです。

写真はサヌールの海岸です。

サンゴ礁の港の中に入る入り口に二つの灯台が見えます。

写真では右が赤色、左が青色です。

これ、日本と反対なのですよ。

d0083068_11580642.jpg

写真は港の中から写したものですから....

外海から港に入って来る時は、右が青、左が赤になります。

即ち、入港する時;右が青、左が赤.....

インドネシアは全部そうなっています。

これ、日本と反対なのです。

日本では、入港する時;右が赤、左が青なのです。


おかしいでしょう。

説明します。

世界の航路標識は、国際航路標識協会IALA)で統一されています。

1982年に国際的に基準が定められたのです。

ですが、側面標識の統一が間に合わず、世界が二手に分かれてしまったのです。

A方式とB方式の二つに分かれたのです。

d0083068_12174210.jpg
インドネシアのように入港する時、右が青、左が赤をA方式といいます。

日本のように入港する時、右が赤、左が青をB方式といいます。

A方式は、ほぼヨーロッパ、B方式は、ほぼアメリカと覚えたら良いかと思います。


by yosaku60 | 2019-01-11 12:18 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

国のアイデンティティー(その11;日本)

世界の国のアイデンティティーの最後は日本です。
今まで、次の国のアイデンティティーを書いてきた。
カテゴリの中の「日本=知ったかぶりです」にまとめてある。
(カッコ内は、その国のアイデンティティーだ)。

1、ブラジル(おおらか)
2、アイルランド(アイリッシュ)
3、オランダ(国土)
4、フランス(フランス語)
5、イギリス(誇り)
6、中国(共産党)
7、ドイツ(現実主義)
8、アメリカ(教育)
9、韓国(比較思考)

で、日本のアイデンティティー.....
当然に、「天皇陛下」である。
何故に、当然、と確定しているように書いたのか。
現代の日本人は、天皇陛下のことを知っているようで知らない。
天皇陛下は、世界から、どのように思われているか。
そのことを知れば、当然と書いたことを理解いただけると思う。


(天皇陛下の権威)



1、その系統の継続が世界から敬われている。

d0083068_13041095.jpg
2、日本人は気づいていないが....
d0083068_13044307.jpg
3、こんな順序らしい。
  完全に確立している訳ではないが、
  こう書かれてどこからも異論がないのが実態を物語っている。
d0083068_13074453.jpg
4、実際にローマ法王との面談でも権威が認められた。
d0083068_13102460.jpg
5、エリザベス女王からも権威を認められる。
d0083068_13114758.jpg
6、アメリカ大統領からも最高儀礼で迎えられる。
d0083068_13125660.jpg
7、5軍による観閲儀仗は滅多にないらしい。
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(各国を訪問)



1、王室ばかりのアラブの国々を訪問した時。
d0083068_13175421.jpg
2、オランダを訪問された時は、この写真が新聞の一面に載った。
d0083068_13231608.jpg
3、カナダを訪問された時。
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4、スペインを訪問された時。
d0083068_13254860.jpg
5、ノルウエーを訪問された時、
  その日は、吹雪が舞い散る寒い日であった。
  皇后陛下が、メッテ・マーリット王太子妃の腰を抱いている。
  当時、王太子妃はお子さんを身籠っており、
  皇后陛下をそのことを気にしての所作だった。
  この写真が次の日の新聞に載った。
  ノルウエーの国民はみな日本のファンになった、とのこと。
d0083068_13282918.png
6、フランスでは、国王のいない寂しさで、
  天皇陛下が滞在された全日に亘り新聞で大きく報道された。
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7、ロシアでは、軍による君が代演奏で迎えられる。
  何故に、日本で歌われないのだろうか。
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8、習近平に会った時、手をポケットに入れガムを噛んでた、
  フイリッピンのドテルテ大統領....
  天皇陛下にお会いするときは、神妙であり、
  フイリッピンに帰ってからも感激したと伝えている。

  先日、ドテルテ大統領は、マニラ市内に建てられた慰安婦像を
  「日本にこれ以上迷惑をかけるな」と号令をかけ撤去させた。
  天皇陛下にお会いになったあと、日本のことをより深く知ろうと
  されているように思う。ありがたいことである。
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9、パラオ訪問。
d0083068_13445888.jpg
10、サイパン訪問時、サイパン在住の朝鮮人の嫌がらせがあった。
   サイパン原住民は、それに猛反発した。
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11、インド訪問。
   インドでは、外国の国王や大統領が来ても、
   インド首相が空港に出迎えることがない。
   が、天皇陛下が訪問された時は首相夫妻が揃って出迎えた。
   その理由は、
   インドがイギリスから独立できたのは日本のお蔭であって、
   お出迎えは、その感謝の意とのこと。
d0083068_14404742.jpg
12、タイのプミポン国王がお亡くなりになった時、
   国王をお慕いするタイ人は一年間の喪に服した。
   国王と友人であった天皇陛下もタイに出向き、
   タイの国民同様に三日間喪に服した。
d0083068_15145059.jpg
それを知ったタイの国民はみな天皇陛下に感謝した。
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by yosaku60 | 2018-05-18 12:58 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

国のアイデンティティ(その10;ブラジル)

国のアイデンティティ....
これまで、
韓国、アメリカ、ドイツ、中国、イギリス、フランス、
オランダ、アイルランド を書いて来た。

が、書きたい国として、ブラジルが残っている。
又、書かねばならない国として、日本が残っている。

そこで、今日は、私が大好きな国、ブラジル。
その大好きな理由は、....「おおらかさ」
それがそのまま、ブラジルのアイデンティティである。

私は、船長時代の3年間、ブラジル航路に従事した。
その頃の写真を見ながら語りたい。

まず、これは....
うーん、ブラジルのどこだったか、忘れた(オレ、痩せていたな~)。
ブラジル北部の街のレストランで撮ったものであることは覚えている。
ブラジル北部は、南部と比べて黒人(あるいは黒人の血が濃い混血)が多い。
この写真を見ながら、訴えたいのは....
ブラジルには、人種差別がないこと。
例えば、金髪且つ肌の色の白い娘さんに「先祖は何処」と聞くと、
決まって「知らない!私はブラジル人」と応えてくる。
肌の色なんて誰も気にしないのだ。
世界中、肌の色の違いによって、幾何かの人種差別がある。
が、ブラジルでは全くと言って人種差別が感じられない。
ブラジル人のおおらかさ....のひとつである。
d0083068_10371138.jpg
これは、覚えている。
ブラジルの中部、海岸沿いのサルバドルで撮ったものである。
リオのカーニバルは世界的に有名だが、サルバドルのカーニバルも大きい。
写真は、そのカーニバルの時のもの。
黒人系(の血が濃い)の混血が多いことに気づくでしょう。
d0083068_10532405.jpg
この明るさ.....悩みなんて吹っ飛んじゃえ!!
と、叫んでいるようでしょう。
全てに、おおらかなんです。
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私が大好きなブラジル料理、肉の食べ放題「シュラスコ」
肉の焼き具合を見ながら「ここを切ってくれ」などと指示できる。
d0083068_11024344.jpg
感心するのは、ブラジル人の食べ方。
夕方の7時ぐらいから12時ぐらいまで食べる。
ゆっくりゆっくり、たらふく食べ、たらふく飲む。
そして、次の日、5時頃起きて、もう仕事を始める。
昼は、12時から3時まで家に帰って休む(寝る)が、
それにしても、誰も疲れたなんて言わない.....おおらかだ。
d0083068_11084824.jpg
これは、有名なコパカバーナの海岸(リオデジャネイロ)
日差しも、砂浜も、まばゆいばかり....
豊満な女性もおおらかに肌をさらけだす。
d0083068_11160309.jpg
ブラジルは大きい。
ブラジルの海岸線は長い。
北部、中部と来て、ここは南部のリオグランデ(すぐ南がウルグアイ)。
ここまで来ると、太陽に影がさし人々からも陽気さが薄れるような気がする。
写真は、リオグランデの街の酒場....
私の後ろの垂れ幕にGloria Peak の名が書かれている。
私の船の名である。
垂れ幕を描いたのは、私の船の乗組員(フイリッピン人)。
酒場を借り切って、パーティー開催を宣言する私....
の講話は、ポルトガル語(カンニング=笑)なんですよ。
d0083068_11255392.jpg
一次会(パーティー)のため、
乗組員は、航海中に自前で楽器を作り、当日はバンド演奏もする。
そして、二次会(写真)は、
仕事のない乗組員を全員連れて、繰り出す。
d0083068_11360107.jpg
一次会も二次会も、みんなオレのおごり...
が、この日を楽しみに乗組員は3ヶ月間、明るく船内で働いてくれる。
いいかっこするが、船長にとっては、安いものだった。

書いてるうちに、
ブラジルのアイデンティティを書くはずが、
自分のことを書いてしまった。
申し訳ない。
話を戻す。

ブラジル人は、おおらかである。
細かいことを気にしない。
ブラジル語で、「アシタ、マニアーナ」という言葉がある。
日本人の誰かに教わった筈だが、誰だか忘れた。

気にするな....
今日はもうやめにしよう....
明日にしよう....
明日があるさ....

の意味の言葉である。
(いや、そう思っていた)
どんな場合でも使えて、便利な言葉だった。
ブラジル人の誰にでも通じた。

が、本当のところは、通じただけだった。
「アシタ、マニアーナ」は、「明日=マニアーナ」だったのだ。
マニアーナは、ポルトガル語で「明日」を意味する。
なんのことはない。
私は、「明日(アシタ)マニアーナ」と、
日本語とポルトガル語をチャンポンにして喋っていたのだった。
こんないい加減な言葉でもブラジル人は、
日本人の私を忖度して解ってくれていたのだ。
なんと、おおらかなことか.....   オワリ

by yosaku60 | 2018-02-15 10:57 | 日本=知ったかぶりです | Comments(0)

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