あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



カテゴリ:バリ島での独立戦争( 176 )


稲川さんとクランディス渓谷に行く

日本軍統治時代、稲川さんはシンガラジャに住んでおられた。
そのシンガラジャに行ってみたいという稲川さんにお願いした。
シンガラジャに行くにはクランディス経由で行きませんか。
半ば強引にお願いして了解して頂いた。
d0083068_10412654.jpg
何故にクランディス経由なのか。
73年前、ングラライは行きも帰りもこの地を通ったからだ。
残留日本兵のワジャがそして美馬がこの地で戦死している。
日本兵にとってもゆかりのある土地だ。
クランディス近辺の道路は最近整備されたと聞く。
まずは、道路事情を聞くためにプラガの知人宅に寄った。
上の図のA地点だ。
d0083068_10462590.jpg
道路は整備されているという。
が、運転手に道を教えるのに神経を使い、写真を撮るのを忘れる。
クランディスからパキサンの方に降りたかったが道路が狭い。
バイクでしか通れない。
しようがないので、ルンデティン村の方に降りた。
ボンティンの慰霊碑を見たかったがウバチャラの行列があって行けない。
そのままタンブラン村に行き、クブ・タンバハンに降りた。
そこから、シンガラジャに向かう途中のパンタイ・クロボカンで昼食。
上の図のB地点だ。
d0083068_10540668.jpg
シンガラジャでは、タンシー宿舎(昔の名)を訪れる。
宿舎の前でドリアンを食べる。
一個約100円、シンガラジャは安い。
(C地点)。
d0083068_10561660.jpg
シンガラジャからの帰り、工事中の高速道路を見る。
このあたりは、バンクンバンカ....
高速道路としては最も高い地点と思える。
d0083068_10574958.jpg
ということで、サヌールに戻って、
夜は、アリーナでちょっと遅めの夕食...
d0083068_10591127.jpg
クラシックがお好きだという稲川さん...
にとって、ちょっとうるさすぎたかも。
d0083068_11001002.jpg
でも、写真でみるとおり、
打ち解け方には違和感がありません。

by yosaku60 | 2019-11-29 11:02 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

2019年度、ングラライ大祭

「ングラライ大祭」に参加してきた。
報道陣も詰めかけている。
d0083068_09034280.jpg
大祭が始まった。
毎年のことだが、ングラライがマルガラナの地で
玉砕した模様が延々朗読され拡声器から流れる。
d0083068_09125193.jpg
インドネシア語だが、
事情を知る私は朗読の内容が理解できる。
当時の戦いの場面が想像され胸が潰れる想いになる。
d0083068_09131423.jpg
オランダ軍に宛てた、ングラライの手紙...
「独立さもなくば死」.....の手紙が朗読される。
お坊さんたちを先頭に供物が運びこまれる。
d0083068_09154854.jpg
供物を頭に載せない幼い女性も列に加わる。
「早く大人になって頭に載せたい」
と言っているように思えた(可愛い)。
d0083068_09163174.jpg
この辺りになると、大人ばかり。
d0083068_09184869.jpg
供物を運んだ女性たちが列を作って参拝者を迎え入れる。
d0083068_09195423.jpg
参拝が終わった人を学生たちが見送りしてくれる。
左の背中はカミさん。
d0083068_09213184.jpg
慰霊塔を参拝する。
d0083068_09223203.jpg
左からマルガラナの現地管理を担当するマデさん、
稲川さん、介護士のカデ君、日本総領事の千葉広久さん。
d0083068_09234143.jpg
当日、マルガラナに参拝した日本人がみな、
稲川さんの廻りに集まって、昔の話を聞く。
d0083068_09263214.jpg
ということで、今年の「ングラライ大祭」も無事に終わった。
毎年参加しているが少しづつ盛大になっているように思う。

by yosaku60 | 2019-11-21 09:28 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリの本にカミさんが載った

「ングラライ大祭」に招待された人には毎年「本」が配られる。
バリの独立戦争を書いたもので、次の「DIRGAHAYU」という本である。
d0083068_08005164.jpg
毎年、独立戦争の勇者の誰かを特集している。
今年は、バンリ王の王子の「ムディタ」を特集していた。
それを読んでいると、アレ、アレ、カミさんの写真が載っている。
右端がカミさんだ。

d0083068_08035069.jpg
カミさんの髪がふさふさにある。
ほんものの髪ではない、カツラだ。
ということは、この写真は去年の11月20日のものだ。
カミさんが本に載るなんて....
まあ........うれしいことだ。

by yosaku60 | 2019-11-21 08:06 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

本日は「ングラライ大祭」の日です

本日、11月20日はングラライの命日です。
マルガラナで「ングラライ大祭」が催されます。
その招待状が届きました。
こんな袋に入っった立派な招待状です。
d0083068_06130000.jpg
招待状の中を見てみると....
d0083068_06134206.jpg
参列者の服装が記されています。
民間人は「フォーマルな服装」とあります。
外国人は背広にネクタイなのでしょうが、
現在の私は「永住権」を持っているので、バリ人として、
ウダンを被り、バテックを着て行こうと思っております。
が、そのバテック....
長袖がよりフォーマルなんだそうです。
持っていません。
新しく買い求めました。
が、私は、上半身が大きく短足で手の長さが短い....
昔の日本人。
バテックの大きさを身体に合わせると袖が長すぎます。
で、購入後、いそぎ直しに出しました。
d0083068_06241251.jpg
この女性、12年前、カミさんのクバヤを作ってもらって以来の友人です。
笑いながら、他の仕事を中断して、袖を短くしてくれました。
一時間かけて直した料金、なんと25000ルピア(200円)。
ありがたかったので、2倍払いました。
バリは、こういう手作業をしてくれる人がいっぱいいて便利です。
6時集合でマルガに出発、今から風呂に入って着替えて出発、
時間がありません。 行って参ります。

by yosaku60 | 2019-11-20 06:28 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

私の原点に二人の女性を案内する(その7;ブルングンガン村の慰霊碑)

ユキさんとミチヨさんを最後に案内したのは....
ブルングンガン村の慰霊碑だ。
d0083068_07272371.jpeg
私の原点に二人の女性を案内する(その1;まえがき).....
に書いた、日本の新聞記事......
d0083068_08132439.jpg
に載ったのがこれだ。
今回は周囲を廻り、塔に記載された文字の写真を撮って来た。

でも、書いてある意味がほとんど解りません。
どなたかインドネシア語が堪能な方、書いてある文字の意味を教えて下さい。

1、MERDEKA ATAU MATI......
  これは解ります。
  独立か死か!.....ですよね。
d0083068_08441639.jpg
2、LEBIH BAIK BERKALANG TANAH DARIPADA BERCERMIN BANGKAI....
  この意味解りません。
d0083068_08333834.jpg
3、GUGUR SATU TUMBUH SERIBU ......
  この意味解りません。
d0083068_08340041.jpg
4、MAJU TERUS PANTANG MUNDUR.....
  この意味解りません。
d0083068_08343143.jpg
5、SEKALI MERDEKA TETAP MERDEKA....
  これも解るようでわかりません。
d0083068_08445618.jpg

by yosaku60 | 2019-11-06 09:05 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

日本からのご一行(27名)ご案内

土曜日、8時5分前にヒルトンホテルに着いた。
滑り込みセーフだ。
インドネシアの独立戦争....
その中のバリ島での独立戦争....
インドネシアの残留日本兵.....
その中のバリ島での残留日本兵...
をお話した。
元公立高校の教師のお集まりだ。
さすが、熱心に聞いて頂けた。
一時間の予定が30分延長に...
私としては、嬉しい延長だ。
d0083068_07533195.jpg
9時30分ホテル発。
35人乗りのバスは、さすが大きい。
d0083068_07555779.jpg
マルガラナ英雄墓地(資料館入り口で)。
d0083068_07565744.jpg
昼食はサンゲの「ワルン・サワサワ」で、
この時点で一時間遅れ...
気にするのは私だけ、誰もそういうこと気にしない。
まあ、いいか。
d0083068_08020688.jpg
プナルンガン村の松井・荒木慰霊碑....
中央、紺色シャツが私....
d0083068_08522520.jpg
曽我さん宅到着、午後4時....
曽我さんを囲んで、いろいろな話を聞けた。
左の横縞シャツが曽我さん(76歳)。
d0083068_08063711.jpg
三浦襄のお墓案内....
ここに案内したことは失敗だった。
三浦襄という存在をビジネスにしている日本人...
そして、それに寄生するバリ人がいて....
拠点そのものが見苦しくなっていた。
三浦襄は高尚でお金が大嫌いだった。
ご本人も墓場のかげで泣いておられるのではなかろうか。
ここの整備にご尽力された「日本バリ会」の方々も嘆かれるであろう。
d0083068_08580159.jpg
気をとりなおして、サヌールビーチの「izakaya」に....
私もご相伴いただきました。
d0083068_09034522.jpg
みなさん、ご苦労様でした。
「バリの独立戦争」をいっぱい聞いてくれてありがとうございます。

by yosaku60 | 2019-10-28 09:06 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

日本からのご一行出迎え準備

昨日、マルガラナ英雄墓地に行ってきた。
英雄墓地の博物館の入り口の鍵を持つマデさんに会うためだ。
ありがたいことにマデさん(写真左)は、私を覚えてくれていた。
d0083068_10380342.jpg
何故に、博物館なのか、
明日、日本から団体さん(27名)が来る。
その一行が来た時、博物館に入れてあげたいからだ。

じつは、その団体さん....
インドネシアの文化に触れ合う目的の一環で、
ジャワ島で歴史的遺跡を廻ったあとバリ島に来て、
インドネシア独立戦争を戦った日本兵に触れたいとのこと。
但し、与えられた時間は一日だけ。
その「一日勉強」を私に託されたのだ。
自費出版「尊崇」のことを知って私に依頼された。
案内する人も連れられて来る人も初対面...
私は「任しときなさい」と受けた。
勿論ボランティアだ。

で、考えた。
たった一日で、どうバリ島を見てもらおうか。
どう独立戦争に与した日本兵の戦いを知ってもらおうか。
考えた結果.....
出発前の一時間、ホテルで事前レクチャーすることにした。
次のような順序で一時間喋ろうと思う。

1、日本軍のインドネシア上陸
2、インドネシアの独立宣言
3、インドネシア独立戦争に参加した日本兵
4、バリ島の知識
  歴史、地形、民族、文化、宗教、
5、バリ島での独立戦争
7、バリ島で独立戦争に参加した日本兵

んんん??
本当にこんなこと上手く喋れるのだろうか。
まあ、いい。
やってみなくちゃ解らない。
ボランティアなんだから下手でも許されるだろう。

んで、レクチャーを終えたあとの
現地を見てまわる順序をつぎのように考えた。

1、マルガラナ英雄墓地
2、プナルンガン村の松井・荒木慰霊碑
3、残留日本兵のご遺族面会(曽我さん宅訪問)
4、三浦襄お墓
  
途中で一時間の昼食タイムを入れて、これで8時間になる。
9時にヌサドゥアのホテルを出て、夕食にサヌールに戻るのは17時になる。

ということで、昨日はこの準備のために一日かけて動き回り....
そのひとつが冒頭のマルガラナ英雄墓地の博物館だった訳だ。
あと、ひとつ準備があった。
3番目の曽我さん宅訪問の事前了解である。

で、お伺いした曽我さん宅....
右から、カミさん、曽我さんの奥さま、曽我さんの娘さん、
そして、曽我さんのお孫さんのユリアさん。
d0083068_10491983.jpg
曽我さんの家は、ユリアさんが全てを握っている。
ユリアさん、土曜日、日本人が30人ほど、ここに来るよ....
いいですか....
「いいよ、歓迎するわ」
てんで、曽我さん宅訪問の交渉成立。
簡単だ。

私達も入れて、約30名の団体...
昼食は、サンゲ村の「ワルン、サワサワ」で、予約を済ませた。
夕食は、サヌールのビーチレストラン「izakaya」....
に決め、オーナーのリコに直接に依頼し終えた。
彼なら、なんとかしてくれるだろう。
さて、
で、今日は、これから、
明朝の事前レクチャーの資料準備だ。

by yosaku60 | 2019-10-25 10:58 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

私の原点に二人の女性を案内する(その6;ランプ村の慰霊碑)

ブドゥグル高地とキンタマニー高地との交差点である.....
ランプ村付近を私は「バリ島の臍」と思っている。
臍は身体のど真ん中にある。
ランプ村もバリ島のど真ん中と思うからだ。

d0083068_08052345.jpg
何故なら、ランプ村の位置は....
1、バンリ県にあって、
2、ブレレン県まで500mであって、
3、バドゥン県にも2000mで行けて、
4、タバナン県から10キロ、
5、ギャニアール県をも10キロ......と、
バリ島の八つの県のうち五つがランプ村から近いのだ。
バリ島の臍といっても過言ではあるまい。
そんな場所だから、ングラライ隊の長征.....
その往路も復路も、この地付近を通過している。
そして、往路も復路もオランダ軍との戦闘があった。

往路での戦闘はランプ村から500m、
一キロ南の「Catur」との間の地でおこった。
1946年5月12日のことである。
この当時のングラライ軍は戦う闘志がみなぎっていた。
但し、自軍の中にいる敵のスパイに悩まされていた。
(写真はランプ村の慰霊碑)。

d0083068_09492759.jpg
復路での戦いは、ランプ村から北東2キロの
パングジャラン村でおこった。
村での宿泊中、突然に襲われ逃げまどうだけだった。
(以後の約一週間、谷をさまよい歩いた)
見張りに立っていた二人が殺され、こんな慰霊碑が建っている。
d0083068_09510694.jpg

この慰霊碑をバックに、左からミチヨさん、ユキさん。
そして、オレ、カミさん。
d0083068_09404873.jpeg

by yosaku60 | 2019-10-24 10:00 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

私の原点に二人の女性を案内する(その5;ワジャのお墓)

ユキさん、ミチヨさんをワジャのお墓に案内する。
残留日本兵のお墓や慰霊碑を案内する場合....
私は必ずワジャのお墓を案内する。
私にとって思い入れの多いお墓だからだ。
何故なら....
お墓に入ったワジャはほぼ70年間日本人に合わなかった。
70年目にして最初に出会った日本人が私だからだ。
ワジャの墓を見つけた時の話を駆け足で語りたい。

バリの本ではワジャのことを次のように書いてあった。
.......

彼はワジャと名乗っていたが、日本人だった。
日本人独特の眼が細く色が白かった。
勇敢でどこまでも敵を追っかけて戦った。
彼はオランダ兵に撃たれスマニックに近い川に逃げた。
川にある赤い大きな岩の処で出血多量で死んだ。
その大きな岩は神の岩と村人に敬われていた。
d0083068_10474893.jpg
.........

赤い大きな神の岩....
どうしても探したいと私はスマニックに向かった。
スマニック村に入り、最初に聞きこんだ家ですぐに見つかった。
それなら知っているというお爺さんに出会った。
あとでわかることになるが、お爺さんはプマンクー(霊を呼べる僧)だった。
また、スマニック村でも、それを知っているのは、このプマンクーだけだった。
村に入り最初に出会ったのが、プマンクーとは何ともはやすごい縁だ。
このお爺さんだ。
d0083068_10573282.jpg
彼に案内され、その川に降りた。
d0083068_10584951.jpg
降りたら最後、登って帰って来れない程の急な斜面だった。
登る時の写真が撮れなかったので、あとで私が描いた絵....
d0083068_11001241.jpg
川底は歩きにくかった。
d0083068_11012478.jpg
これが赤い大きな岩と言う。
今は色が青くなった。
ワジャはこの岩の窪みにこのように座り息絶えていた....
と、お爺さんは、ワジャが発見された時を再現してくれた。
d0083068_11022123.jpg
当時、お爺さんは5歳、
母親から「危ないから外に出ないように」と言われたという。
お爺さんは、さらにびっくりすることを教えてくれた。
この日本人の墓ならあるよ。

ええ、どこにあるんですか!!!
プラガの町にあるよ。
案内しよう。

ここまでは、トントン拍子の早さだった。
で、案内された、ワジャのお墓....
薮の中で頭だけ出していた。
右がワジャ、左がワジャを慕ってついてきたバリ人のティレムのお墓だ。
d0083068_11095493.jpg
薮をかき分け近づいてみると....
勇敢な無名の日本人の戦士と書かれていた。
d0083068_11112323.jpg
村の長に聞いてみた。
日本人がお詣りにくるか...
「これは村人が建てたもので日本人は知らない」
ということは、ここに訪れた日本人は私が初めてなのか...
「そのとおりだ」

であるならば、お墓の周りを清掃したい。
ただ、私は知っていた。
バリヒンドゥーにとって異教徒がお墓の清掃をするのは難しい。
タンジュンブノアの工藤栄のお墓の件でそれを知っていた。
私は直ぐにバンジャールにお金は準備するので、清掃して欲しい。
清掃のための許可をとって欲しいと頼んだ。
4ヶ月後、その許可がおりた。
どのように整備するか、
この写真は、通訳にエヴィを連れ打合せしている光景だ。
d0083068_11235773.jpg
清掃日は一日しかとれないという。
バリヒンドゥーではお墓を触れる日は限られているからだ。
早朝から仕事にかかり日没前にはこのように清掃できた。
d0083068_11260888.jpg
ワジャも喜んでいるに違いない。
70年も放りっぱなしにしていたワジャの墓....
その後、私は、時々ワジャに会いに行っている。
その時、必ず村長さんの家にも寄る。
ワジャの墓を整備してくれたことの感謝のためだ。

ユキさん、ミチヨさんもワジャのお墓に案内した。
美人のお二人にお詣りされて、ワジャも喜んでいると思う。
d0083068_11330691.jpg

by yosaku60 | 2019-10-21 11:34 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

私の原点に二人の女性を案内する(その4;曽我さんを訪ねる)

私たちは次に曽我さんの家を訪ねることにした。
曽我さんの父親は日本人で独立戦争で戦死した。
母親はバリ人だ。

そんな曽我さんを探し得た時の私の話を先に書きたい。

バリの本では曽我さんのことを次にように書かれていた。
..........
彼の日本名は曽我であった。
彼はバドゥンのシバンカジャに住んでいた。
シバンカジャでは、村の若者と一緒に戦闘に参加した。
戦闘には非常に精通していた。
彼は住んでいた家の娘と結婚した。
男の子が生まれた。
彼はタバナンのパトリティーでオランダ軍に捕らえられた。
オランダは見せしめのため、彼をトラックにロープで結び、
引きずりまわして殺した。
彼はまさに体と魂を犠牲にしてインドネシアの独立のために戦った。
..........

男の子が生まれたとある。
今もご存命だろうか。
ご存命なら、今もシバンカジャに住んでおられれるのだろうか。
日本名は曽我だがバリ名は何と言うか知らない。
私は、シバンカジャの近くに行った時は必ず聞き込みをした。
聞き込みを重ねて2年、遂に探し得た。
生きておられた。
お会いできてうれしかった。
これがその時の写真だ。
左が曽我さんの奥さま、真ん中が曽我さんだ。
d0083068_12380672.jpg
私よりも3歳年長だった。
殺された日本兵の子供であることはご存知だった。
さらに日本人の子に生まれたため苦労されたことをいろいろと聞かされた。
お母さんが日本人と結婚したということでお母さんの家族がいじめられた。
お母さんの弟(曽我さんにとっては叔父さん)が、
日本のスパイだと思われてバリ人に殺された。
曽我さんも小学校の時は日本人の子ということでいじめられた。
父親が独立戦争で戦死したことの恩恵なぞ受けていないのだ。
日本人の血が入っていると言うことでご苦労なさったのだ。
にも拘わらず、曽我さんはお父さんのことを尊敬している。
3歳の時に戦死したので、うっすらとしか覚えてないという。
そんなお父さんのため、曽我さんは自分の家に神棚を置いている。
日本式はこうなのだろうと想像して作った手造りの神棚である。
私も曽我さんの家に行った時は、その神棚に手を合わせる。

ということで、
曽我さんは日本人の子として生まれたために苦労された。
そんな曽我さんを日本人の私が黙ってみている訳にはいかない。
大げさに言えば、曽我さんに
「日本人はあなたのことを忘れません」とお示ししたい。
で、私は時々、曽我さんをお訪ねしている。

さて、ユキさんとミチヨさんをお連れした時、
残念ながら、曽我さんはお出かけされていて、お会いできなかった。
が、曽我さんの奥さまとお孫さんにはお会いできた。
ユキさん、ミチヨさんは曽我さん手造りの神棚に手を合わせてくれた。
曽我さんがお帰りになれば、奥さまからそのことが伝わるはずだ。
曽我さん、同じ日本人として、これからも時々遊びに来ますからね!!

by yosaku60 | 2019-10-19 13:13 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

カテゴリ
画像一覧
以前の記事
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月