少々知り合うと必ず聞くことがあります。
田舎はどこですか....と言う言葉です。
名前よりも出身地を聞いてあげるのが最初の挨拶です。
写真の女性に「田舎はどこですか」と聞くと、
ジャワ西部のボゴールとの返事が返ってきました。
ボゴールの人とお会いしたのは初めてです。
ボゴール に関連した話を自著「尊崇」から引用をば....
昭和17年3月1日、日本軍がジャワ島に上陸しました。
上陸したのはジャワ島西部のメラク海岸です。
オランダ軍司令部のあるバンドンまでは三百数十キロあります。
日本軍には中野学校出身の柳川宗成中尉がいました。
那須隊長は柳川中尉を呼んで指示しました。
敵軍の情報収集をなし敵の後方錯乱をせよ!
柳川中尉は「後方錯乱をせよ」との意味を即理解しました。
中野学校はスパイ養成学校です。
スパイはいつも単独行動です。
ひとりでオランダ軍を攪乱して来い!
との命令です。
作戦を遂行するには自分のインドネシア語では充分ではない。
稲川中尉は通訳の同行を隊長に願い出ました。
それが許され、二人の通訳が同行することになりました。
富樫武臣と永田秀夫の二人です。
三人はインドネシア人に変装しバンドンに向かいました。
潜行は難渋を極めました。
中間地ボゴールまでもなかなか行けません。
3月5日でした。
三人は食事を摂らず歩きとおしていたので体力の限界にきていました。
眼の前に竹で作られた貧しそうな一軒家がありました。
とにかく食事を無心してみよう....とそっと中に入りました。
その時です。
家の中にいた老婆が大きく目を開き柳川中尉を見るのです。
そして、突然に柳川の足にひれ伏して言うのです。
待っておりました。
よくぞきて頂きました。
昔からの言い伝えがあります。
いつの日か東から黄色い肌をした人が来ます。
その人はオランダを追っ払ってくれます。
私達を開放してくれるのです。
貴方はその黄色い肌の人です。
ありがとうございます。
よくきて頂きました。
柳川中尉は感動しました。
これほどまでにインドネシア人に必要とされていたのか。
腹の底からふつふつと湧く闘志を感じました。
老婆は食べ物をいっぱい並べて歓待してくれました。
柳川中尉は感激し心に誓いました。
いつの日か、このお返しをする!
必ずあなたたちを助ける!
十分に休息し腹も満たした三人は老婆に頼んだ。
ボゴールまで行きたい!
老婆は承知し自分の息子を呼び案内役につけてくれました。
それに若い孫二人が水と食料を持ち同伴してくれました。
この二人の孫の動作は実に機敏でした。
それを見て柳川中尉は思った。
若い者は役にたつ!
恩返しは若者の教育にしよう!
柳川中尉はその決意を胸にしまい案内役三人の後を追った。
彼らは裏道だけを使いボゴールまで案内してくれた。
そこで案内役の三人を返した。
ボゴールからバンドンまではさらに百数十キロはある。
が山道が多く人家が少なく比較的楽に距離を稼げた。
昭和17年3月7日夜、三人はバンドンの町に入った。
日本軍がジャワに上陸してまだ六日目だった。
目指すのはバンドンのオランダ軍司令部だった。
オランダ軍6万5千人を束ねる司令官がいる。
ハイン・テル・ポールテン中将だ。
翌3月8日未明、柳川中尉はオランダ軍司令部に侵入した。
中野学校で訓練した彼にとって造作もないことであった。
柳川中尉は寝ているポールテンを叩き起こして迫った。
日本軍は既にバンドンを三方から取り囲んでいる!
事実、3月6日、日本軍はジャワ西部中心部に進軍していた....
柳川中尉のはったりであったがポールテンはそれを信じた。
柳川中尉はポールテンを睨みつけた。
当時の日本軍には共通の教訓があった。
銃や剣がなければ腕で相手を絞め殺せ!
腕がなければ歯で相手を噛み殺せ!
腕も歯もなければ眼で相手を睨み殺せ!
中野学校では実際にそんな訓練をしていた。
柳川は訓練で得た眼光の強さには自信があった。
その眼光でポールテンを睨み低い声で言った。
あなたの部下や兵を傷つけないためにも!
一刻も早く降伏願いたい!
柳川中尉はそれだけ言ってその場から消えた。
同日、3月8日、オランダ軍は降伏した。
..........
日本軍はオランダ軍を一週間でインドネシアから追い出した。
この事実、その裏にはこういう話があったのです。
でなければ一週間で追い出せるはずがありません。
この話、戦後生き残った柳川宗成が直接書いています。
柳川はこのバンドン潜行で思ったことを実行しました。
本当にインドネシアの青年を集めて教育したのです。
それがPETA(郷土防衛義勇軍)です。
インドネシアのためのインドネシア人によるインドネシア軍です。
後日、インドネシアはオランダ軍と独立戦争を戦います。
その時、インドネシア軍の主力となったのがPETAです。
ですから、柳川宗成はインドネシア独立の恩人です。
独立を終えたインドネシアは柳川宗成を自国に迎えました。
柳川をインドネシアに住ませ死ぬまで面倒見たのです。
実はこの話、私はすごく身近に感じています。
何故なら、柳川宗成は拓殖大学出身です。
私自身がお付き合いさせていただいた稲川義郎さんも拓殖大学です。
稲川義郎さんは戦前戦中、バリのシンガラジャで陸軍軍属でした。
戦後、稲川さんはジャカルタの日本商社で働きました。
ジャカルタに居た時、同じ大学と言うよしみで柳川邸に出入りしていました。
その時、インドネシア政府が柳川宗成を敬愛しているのを現場で見ているのです。
それを経験した実話として私に教えてくれたのです。
オランダ軍司令のポールテンの耳元で言った....
あなたの部下や兵を傷つけないためにも!
の話は、本人から直接聞いたそうです。
さて、話を戻します。
冒頭の写真のボゴール出身の女性です。
名前は、アクティアさん、23歳、
独身で恋人もいないそうです。

ICON BALI の一階の屋台群でジュースを売っています。
ジュースには砂糖を入れないでサトウキビを使います。
それが珍しいので頼んでみました。
大きなコップで一杯が280円、味もなかなかでした。
アクティアさんはジャカルタにある会社に所属しています。
その会社からバリに派遣されたそうです。
時々、ジャカルタに戻り同じような屋台を任せられるそうです。
バリとジャカルタを行ったり来たり....
280円のジュースを売ってそんな利益が出るのだろうか。
他人事ですが、ちょっと気になりました。
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