私の今回の巡礼の目的....
バリ人がどういう価値観を持って巡礼するのか....
それに接するのが目的でした。
結論から先に書きます。
楽しい、嬉しい、ありがたい....
の三つの言葉が詰まっているのが巡礼だと知りました。
写真を見ながら解説したいと思います。
6時集合でしたが実際の出発は7時....
そういうのは織り込み済み....
判っていても私は6時の5分前に行く...
これが日本人です(笑)。
巡礼参加人員67名、内男性は5名、
子供や若人の参加ゼロ、全員が中年以上、
三台のバスに分かれて出発。
これが座席に座って撮った写真。
先に紹介しておきます。
手前は友人のカルダナさん(63歳)。
お祈りの仕方から始まり私をずーとサポートしてくれました。

私の座ったのは一列に三人が座る後部座席で、
右隣りにはカルダナさん、左隣はデヴィさん(70歳)、
67名の内、70歳超えはデヴィさんと私だけ.....
ってこともあって直ぐに打ち解けて車内居住は快適。
タバナンの田園地帯を右回りに一周するコースです。

車窓からみえる景色は段々畑だらけ...
昔は随分こうしたコースを走りましたがすっかり忘れていました。
こうした田舎道を走っていると「これぞバリ」を感じます。
バリ在住の方は是非に挑戦してみてください。
さて、一時間ほど走って、最初の寺院、
Tamba Waras(タンバワラス)寺院に着きました。
後で知ったことですが、名の知れた由緒ある寺院とのことです。参拝者はまずは持ってきたお供え物(チャナン)を奉納します。
手前の若いご婦人はヨガの先生の一人でエカさん。
私の乗る三号車の引率リーダーです。
ヨガは勿論、ダンスも歌も超一流のエンターテイナーです。

奉納のチャナンがラーパン(laapan)に並べられお詣りが始まる。

お詣りの順序だが、
★ チャナンに聖水が掛けられる。
★ お坊さんの祝詞が始まる。
★ お坊さんの鈴の音が変わると参拝者のお詣りが始まる。
★ まずはお線香の煙を手で掬いその手を頭の上にそろえて拝む。
★ なんらかの合図があって拝む手を降ろす(ここのところが判らない)。
★ 次にお坊さんの鈴の音が変わる....
★ 花びらを指先に持って頭の上で手を合わせる。
★ なんらかの合図があって拝む手を降ろす(ここのところが判らない)。
★ 次にお坊さんの鈴の音が変わる....
★ 種類の違う花びらを二枚以上指先に挟み頭の上で手を合わせる。
★ この花弁は捨てないでウドゥンに挟む(女性なら髪に)。
★ 次にお坊さんの鈴の音が変わる....
★ 何も持たず手だけを頭の上で合わせて拝む。

これが、お詣りの仕方だが、
聖水の受け方も書いておく。
★ お坊さんが参拝者に聖水をかけに廻る。
★ お坊さんが近づくと両手を両膝の横でひろげる。
★ お坊さんが掌に聖水を蒔いてくれる。
★ それがあったらすぐに右手を上に掌を合わせる。
★ お坊さんがその掌に水を注いでくれる。
★ それをありがたく飲む。
★ その動作を三回続ける。
★ 四回目の掌の水はそのまま自分の頭にかける。
★ お坊さんも頭に聖水をかけそれを助けてくれる。
タンバワラス寺院では、他に嬉しいことがある。
参拝者全員に白黒のブナン(Benang)が配られることだ。
赤白黒の三色が一般的なブナンだが、
白黒だけってのは多分タンバワラス寺院だけだ。
このブナンについてはありがたいことがある。
空港の税関でこれを見せると「オオッ バリ人」と
フリーパスになった経験がある(笑)。
さて、次に着いたのが、バリで二番目に高い山...
バトカル山(2271m)の麓にあるBatu Karu(バトゥカル)寺院。

ここは大きな寺院なので二か所でお詣りをした。
境内は広い。

寺院に入る前に禊をする洗い場も広い。
これは禊をする順番待ちをする同僚たち....

ここからはお祈り光景だけを見て欲しい。

大きな寺院なので、私達だけでなく他のグループもいた。

お祈りが終わったあと、昼食を頂いた。
ヨガの会員が作ってくれたお弁当で一食100円....
とは思えないような美味しいお弁当だった。
美味しすぎて食べるのに一生懸命で写真を撮り忘れた(笑)。
さて、次に訪れるのがRambut Sedahna(ランブットスダナ)寺院だが、
そこに至る道を走っていて思い出したことがある。
郷里の友人の別宗さんをジャテイールイに案内しようとした時に
山道に入ってしまって抜け出れなくなった道なのだ。
その迷った迷路の奥にRambut Sedahna寺院があった。
お坊さんも参拝の我々に声をかけ乍らお祈りしてくれる。寺院も素朴ならお坊さんまでも素朴だ、こんなのも良い。

次のPucak Petali(プチャックプタリ)寺院はすぐ近くにあった。
まあ、ご近所の寺院だ。

ここまで来ると巡礼の仲間同士が打ち解けて来る。
リーダーのエカさんからも「一緒に写真を撮ろう」と誘って戴く。
ありがたい。
Pucak Petali から次の寺院に行く途中、ジャテイールイを通る。
時間があるので、写真タイムにしようということになった。私は、みんなに頼まれてシャッター押し屋になった(笑)。
私も入れてよ...いいよいいよ、早く来なさい...
で、5人に...
と、私も私も...てんで、こんなんになった。
バリ人はみんな写真が好きです。
という訳で、ワイワイ楽しみながら写真を撮り終え、次の寺院に向かいましたが、この間、三号車ではエカさんがずーと歌ってくれて楽しく、着いたのが、5番目のBesi kaling(ブシカリン)寺院。
ここも由緒正しき寺院であるらしく、入り口の禊場がしっかりしていました。
参道も広く....
お祈りもゆったりすることができました。
ここで、私はいろいろなことを知りました。お祈りが終わって自由な身になった時です。上手く撮れてませんがこの場面です。
誰かがトランスに入ったのです。一日のお祈りが終わり安堵したのか、神が乗り移って来たのです。お坊さんのお弟子さんが鎮めようとするもなかなか収まりません。それに手前のご婦人たち....聖水を家に持って帰ろうと並んでいます。みなさん、今日の巡礼を締めくくろうと真剣です。バリ人の場合、お祈りするときは神に自分のご加護を頼みません。神様、どうぞ、元気でいてください....と神のことを祈るのみです。神様のことを思い、気遣うのです。その神への思いが強すぎると乗り移ってくるのです。5神社訪問6回のお祈りの巡礼の結論ですが、巡礼旅は楽しく、お祈りできて嬉しく.....最後は神様と共にあることをありがたく.....思う。ということです。
三番目の神をありがたく思うをちょっと深堀りしたい。日本の「お祈り」と決定的に違うからだ。日本は自分の為に神に祈る。神様、仏様、お助け下さい、と祈る。バリヒンドゥーにはそれがない。神様を身近に感じられるのをありがたいと思うだけだ。もし良くないことが起こっても、神は私を見捨てた(八甲田山の神田中尉)とは言わない。全てを自分のせいにして受け入れる。バリヒンドゥーの成り立ちは「神と自然と人間の調和」だ。それを「トリ・ヒタ・カラナ」と言う。この三者がお互いに敬いながら宇宙が成り立つとしている。この「敬いながら」が、ありがたいと思うことの原点なのだ。日本人の宗教観は、神や仏が人間の上にいる。その自分より上に居る人に、ありがたいと思うことと、互いに敬いながら、ありがたいと思うこととは、似て非なることなのだ。神をありがたく思う なんて当たり前....と日本人感覚で思うかもしれないが基本的な立て付けが違う。今回の巡礼でそのことを改めて肌で確認しました。
ただ、誤解なきよう言っておきます。私は日本人の宗教観が良くなく、バリ人の宗教観の方が良いとは言っていません。単に「二つは違う」ということを言ってるだけです。私個人の宗教観ですが、私は、人間には宗教が必要と思っています。このことは、過去に随分と思索し勉強しました。そして基本的には宗教に悪いものはないと思っています。どんな宗教にも良いところがあるのです。ですから、もったいなくて、ひとつの宗教に染まりたくありません。今後、心の変化があるかも知れませんが、今のところ、ひたすらにひとつに染まらない....ということを貫いております(笑)。
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