あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



世界の海(まとめ)

これは25年前に書いたものです。
それを8年前にブログに再掲載しました。
その再掲載は原文どおり細切れのままの発表でした。
私としては思い出深い内容です。
今回は一挙に読み切りでリリース致します。
............................

ここ2日、元船乗りとしての意見を書いたら、
昔を思い出して何か書きたくなってきている。
が、昔の記録は日本の家に置いてきている。
で、PCに残る過去の記録がないか調べて見ると.....
「海の臭い」と、題するメモが見つかった。
15年ほど前になるが、
私は年配者だけが会員になれる、
あるメールクラブに所属していた。
そこで、ある会員から「海の臭いってありますか?」
との問いがあり、それに応えて書いたメモです。
これを書いた頃の私だが「水先人」をしていた。
右が船長(イギリス人)、左が水先人の私です。
世界の海(まとめ)_d0083068_11291843.jpg
現役の船乗りではないが、世界の船乗りを相手にしての仕事である。
それらの船は、世界の海を渡って寄港する船である。
当然に海の臭いも引き連れて来る。
「海の臭い」を書いて欲しいと頼まれて、
ある程度それに応えれる環境にあったのだろう。

書いたメモを読み直して見る。
真面目に書いていて、なかなかオモシロイ。
が、今は、もうこういう文章は書けない。
ほとんど忘れてしまって夢にも出てこないからだ。
ということで、昔に書いたメモ「海の臭い」を
「世界の海」という題になおして、以下に紹介する。
メモに残ってるのは、次の海、湾、海峡です。

太平洋、
東シナ海、
南シナ海、
マラッカ海峡
ベンガル湾
インド洋
モザンビーク海峡
アラビア海
ペルシャ湾
紅海
アカバ湾
スエズ運河
地中海
アドリア海
エーゲ海
ジブラルタル海峡
喜望峰
大西洋
スエズ運河
マゼラン海峡
パタゴニア水道
カリブ海
ビスケー湾
ドーバー海峡
北海
キール運河
バルト海
パナマ運河
南太平洋
ベーリング海
..................................

昔のメモより......

「臭い」と「受ける感覚」とは若干違うのでしょうが、
「受ける感覚」を考えていると、
その「臭い」がしてくるような気がするのです。
説明は難しいのですが、そういう気がするのです。
で、「臭い」と「感覚」とは、
明確に分けれない部分がありますが、
その辺はあいまいに考えて見ます。


1、太平洋: 「単なる海」

部分的に例えば、太平洋の北(アリューシャンの南)、
アメリカ西海岸周辺、日本の東、ハワイ近辺、南太平洋の南米西岸、
などに分ければそれぞれ違う臭いがあるように思いますが、
「太平洋」とポンと言われると、
「海」としか思いつきません。
大きすぎて臭いが混ざりすぎて、
なんの臭いもしない単なる「海」です。


2、東シナ海:「母国の臭い」

特に黒潮に乗っかってスピードを稼ぐときの
黒潮上でそんな「臭い」がします。
南西諸島を右に見ながら黒潮に乗りますが、
島々が水平線に見えると、
そこから日本人の住む気配が流れてきて「ヨ、みんな頑張ってるな」
という気分になります。 
それが「母国の臭い」と感じる理由だろうと思います。


3、南シナ海:「東南アジアの複雑雑多な臭い」

東南アジアに閉じ込められた圧迫された海洋のような感覚があります。
海洋の中央にいて最も遠くても、
2~3日走ればどこかの国にぶちあたる窮屈さが、
そのような「臭い」として感覚に残るのでしょう。
位置的にベトナム、フイリッピンの国境なのに、
遠くの中国までもが支配したがる地域があって複雑です。


4、マラッカ海峡;「材木の臭い」

「マラッカ海峡」と言えば、そういう題名の小説がありました。 
谷恒生(死亡)という作家の書いた本です。
同級生です。風変わりな男でした。
スイマセン。急に思い出しました。  
話し戻します。
マラッカ海峡は海賊で有名で、
海賊対策をしている間は「臭い」など感じているヒマはありません。
で、あらためて思い起こしてみます。
海峡を通じて全体的に感ずるのは...............
島々の木々の豊かさ、
海まで張出したマングローブ、
海面を漂う流木、
枝にからまった海藻などの漂流物....
周囲は材木だらけ....で「材木の臭い」がします。
................
昨日は、マラッカ海峡を書きました。
当時、それを読んだ方(MLの会員)から次の質問がありました。
(質問)
ところで先便でマラッカ海峡の海賊の話が出ましたが、
わざわざ海賊の出る海を航海しないで、
中東から日本に石油を 運ぶ航路は?
かなりロスになるのでしょうか?
(返答)
この質問に対して
当時、次のように返答しております。

海賊について

マラッカ海峡に何故に海賊が多いのかの一つの原因に
マラッカ海峡はマレーシア・シンガポール・インドネシアの
の3国が隣接しており、お互いに牽制しあって、
強硬な対抗策を講じにくいことがあります。
海賊はその弱点をついてくるのです。
そういう点からは、海賊を避ける為に、
マラッカ海峡以外を通る方法を思いつくかも知れませんが、
海賊はインドネシアの周辺であれば、何処でも出るのです。
他のルートに集中しても、
海賊は簡単に「遠距離出張」しますので、
それほどの意味がないものと思います。

他のルートについて

マラッカ海峡の中ほどと、東への出口付近に浅瀬があり、
マラッカ海峡を通過する船の喫水が制限されます。
船型(船に大きさ)が制限されるということです。
それに対してスマトラ島の南を通り、
インドネシアの島々を北上する次のルートがあります。

1、 スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡
2、 バリ島の東のロンボク海峡

これらの海峡はマラッカ海峡よりも水深が深いので、
大きな船が航行できます。
したがって、

A 大きな船で大量の貨物を運ぶメリット
B 航行距離が伸びるデメリット
C 大きな船で運んでも、そんな大きな船では、
  日本の港で入港できる港が限られるデメリット

を考えて(海賊への考慮は検討外)ルートが検討されますが、
現在も中東と日本のルートとして、
依然マラッカ海峡を利用しているということは、
他ルートよりも経済的メリットがあるということでしょう。
但し、中東からではなく、
南アフリカ南端の喜望峰から日本に来る大型船は、
スンダ海峡、あるいはロンボク海峡を経由することが多くあります。
その後双方ともボルネオ島とセレベス島の間のマカッサル海峡を経て、
セレベス海に出るルートが一般的です。
.........

と、返答したことが昔のメモに残っております。
今読んでみると、少し正確さに欠けるので、追加します。
カリマンタン島とセレベス島の間のマカッサル海峡ですが、
そこを通るのが一般的と書いています。
今読むと、一般的と言い切ったことに後悔があります。
航路の選定には、次を考慮するとの注釈が必要でした。

マカッサル海峡は、地図上では広いのですが、
海底は岩場で暗礁が多く、大型船(10万トン以上)での、
安全な航行域としての水路幅も水深も限られるので、
航路の選定及び船位の確認は慎重でなければなりません。


5、ベンガル湾:「腰巻」

ビルマ、東パキスタン、インド東岸の 沿岸の
浜辺を思い出しております。
貧しさ度はみんな一緒。
上は裸、下に長めの腰巻一枚の男ども。
その腰巻も黄色く薄汚れた白の無地か
淡い色の大きめのチェック柄。
そんな光景がすぐに頭をよぎります。    
40年前のベンガル湾沿岸一帯のイメージです。
古すぎますよね。
最近のベンガル湾沿岸はもっと違うんだろうな。


6、インド洋:「インド人」

当たり前だって................いいえ、違いますヨ。
インド洋はほとんどがインド人なのです。 
そこを離れるとインド人はいません。
なのに、インド洋の中央にあるモルデイブ諸島、
セイロン(今のスリランカ)、
マダガスカル、
モーリシャス・・・・・・・、
みんなインド系です。
ですから、インド洋といえばインド人が思いつくのです。
インド洋の台風は「サイクロン」といいます。   


7、モザンビーク海峡:「古代」

マダガスカルとアフリカの間の海峡です。
インドがアフリカより離れてインド洋を北上し、
ぶつかってヒマラヤができたことはどなたもご存知と思います。
でも、マダガスカルがアフリカより離れたことは、
どの本にも書いていません。
モザンビーク海峡を通るとき、
そのことがよーく判るのです。
マダガスカルを切り抜いて大陸のモザンビークに貼ると、
海岸線がピッタリ合うのです。
そのピッタリの合い方がまた面白いのです。 
マダガスカル島の現在の形ではなく
200m等深線に沿って切り抜いて貼りつけた方が、
もっとぴったり合うのです。
今、手元に海図がないので確かめることができないのが残念。 
このように古代の大陸移動を考えたり、
モザンビーク海峡のコモロ諸島に今も生きる、
シーラカンスのことを考えたたり、
アフリカから分かれたはずなのに、
マダガスカル特有の動物や植物が居ることの不思議を思うとき、
この海峡を「古代」でくくれる気がするのです。
モザンビーク海峡・・・南流の潮が速いんです!!


8、アラビア海:「航海」

アラビア海沿岸は、ベンガル湾沿岸と同じく
「腰巻」のイメージがあります
が、アラビア海全体でイメージを探ると、
単なる「航海」なのです。 
航海と航行は次のように与作の中でイメージが違います。
航海・・・・・時間がゆったり流れます。
航行・・・・・安全確保へ緊張します。
アラビア海は次のように行きも帰りも「航海」なのです。

(往航)
セイロンの南を航行し、
インドの南端をかすめて少し走ると小さな島や浅瀬にぶつかります。  
モルデイブ諸島の北の果ての島々です。 
その島々のうちのキルタン島という小さな島を抜けると、
インド洋が終り、アラビア海に入りますが、
それまでの沿岸航行や島と島や浅瀬を間を航行した緊張感から解放され、
安堵の「航海」に移ります。

ちょっと脱線・・・モルジブは今こそ、
新婚旅行のメッカとして有名になりましたが、
30年前はココナッツのみが生きる糧の情報の少ない、
得体の知れない国でした。
水路誌(海の参考本)を調べると、
難破した船を拿捕してしまうという、怖いコトが書かれていました。

(復航)
ペルシャ湾の中は良いことなんぞ一つもありません。
ペルシャ湾を出て、アラビア海に入ると、
ほっとした「航海」になります。
オマーンの北にオマーン湾というのがありますが、
感覚的には、アラビア海です。
で、アラビア海というと、
行きも帰りも、開放されたひととき、
ゆったり時間の「航海」が思いおこされるのです。


9、ペルシャ湾:「東経60度」

日本人の船乗りならば、東経60度というと、
すぐに「ペルシャ湾」という言葉が帰って来るほど、
馴染みの深いイメージです。
ペルシャ湾の夏の暑さは、
東経60度以西に入ると急に過激になります。
その境がジャスト東経60度なのです。
本当にジャスト60度なのです。
東経60度は有名です。
誰もがいいます、  
「60度から苦しみが始まる」と、
そしてここよりペルシャ湾夏季手当がつき、
給料がポンとあがります。
ただ、東経60度はペルシャ湾の入り口ではありません。 
オマーン国の東端であり、
オマーン湾も、ペルシャ湾夏季手当の対象内ということになります。
ペルシャ湾内の夏の暑さは、
甲板上に生卵を置けば卵焼きができる、
とよく船乗り間で言われるほどです。
船内は45度~50度になります。
冷房のない昔の船では、夜になると枕をもって、
船内の涼しいところ、寝場所を探すために、
アチコチをウロウロし、やっと狭い寝場所を見つけると、
先客がいたりして、
・・・つまらないことが思い起こされます。
・・・ちょっと一言オマケ・・・
ペルシャ湾内に入ると海の色が白濁色に変化します。  
どうしてなんでしょう。   
砂かな?   
与作だけの感覚かな?
ペルシャ湾に雨が降らない・・・とんでもない。 
まれなことになりますが、降り出したらすごい。 
どしゃぶりです。
「港の臭い」・・・の項に入ったら書こうと考えていますが、
地球をゆさぶるような雷もあります。
ペルシャ湾の冬・・・・、夜は結構寒いんです。
いずれにしましても、
ペルシャ湾には良い思い出が何もありません。
南は浅瀬が多く、目標が少なく、
水路もくねくねして、イヤーなところ。
早々に入り口であり、出口である、
ホルムズ海峡を書いて退散します!!!!


10、ホルムズ海峡:「どうしてオマーン」

ペルシャ湾の入り口の狭い海峡をホルムズ海峡と言います。 
中東の石油を日本に運ぶ船は全てここを通ります。 
安全が阻害されたらすぐに経済的にパニックになる重要な海峡です。
北はイラン、南はアラブ首長国連邦のはずなのに、
この海峡の南の土地はオマーンなのです。
アラブ首長国連邦の中にある、オマーンの「飛び地」なのです。
「どうして ここが オマーンなんだよ」
というイメージがあります。
ホルムズ海峡の中ほどに、
リトルクイーン(リトルコインだったかな・・・?)
という島があります。  
船乗りにとっては、この島の通過を通して、
ペルシャ湾への出入りと認識されます。


11、紅海;「電波障害」

高さ5mほどの島があるとします。 
その島に向けレーダーの電波が発射されたとします。
島が近い場合には、
レーダーの電波は島にぶつかり、撥ねかえってきます。
でも地球は丸いので、その島が遠くなると、
直進した電波は島の上を抜けてしまうので、
撥ねかえって来ないので、
レーダー上では測定できなくなります。 
ある程度の大きさと高さがないと、
遠い物標はレーダーでとらえることができいのです。
ところが、
紅海では、信じられない遠い物標が、
レーダーに映って来るのです。
紅海では電波は直進せず、屈折するのです。
電波は温度差のある空気魂を抜けるとき、
少し屈折することは知られています。 
でも、紅海では”少しの屈折”程度ではなく、
”異常な屈折”になるのです。
なぜそうなるのか、誰も調べた人がいないのでしょう。
原因はわかりません。
船乗り間では誰もが語るミステリーなのです。
ですから、逆もあります。
レーダーに映るべきものが映らない事もあるのです。
それが怖いのです。
紅海の中ほどにジェダ(サウジアラビア)、
という港町があります。
南から近づくのも北から近づくのも難しく難儀しますが、
その原因は海図の不備と電波障害により、
レーダーの信頼度低下があるからです。
最近では、どの船もGPSを持っているので
簡単に航行できるのでしょうが・・・、


12、アカパ湾:「・・・・」

....としたのは、与作が行ったことがないからです。
紅海の途中から右に入る細く長い海域です。
そのアカパ湾の奥にアカパという港町があります。
アカパに入港した経験のある船乗りから聞いた話ですが、
アカパの町には、ヨルダン、イスラエル、エジプトの
三つの国が入っており、
町の中に国境線が二つあるとのことです。  
なるほど、地図で見るとそうなっています。
ちょっとあやしい奇妙な町、アカパ・・・、
行ってみたい港の一つでしたが、
機会がありませんでした。


13、スエズ運河:「マールボロ」

マールボロは煙草の銘柄です。 
どの船の船長もスエズ運河を通るときは、
ある程度の煙草を準備します。 
運河航行中に船に乗ってくるいろいろな人に土産として、
あげる接待用としてです。
いろいろな人とは、
パイロット、官憲、ボートマンなどですが、
合計10人ほどです。
こちらが機嫌が良いときには、
1カートン(10箱)の封を切らずにそっくり
渡すこともありますが、
うるさいことを言うと、一箱しかやりません。
そうすると、「ケチ」と言われて喧嘩になります。
しばらく争ったあと、3箱ぐらい上げることになります。
要求どおりに煙草のお土産を持たすと、
免税品で安いとは言っても金額がかさみます。
貰ったタバコは、
彼等はそれを市場で売りさばくので,
結構な収入になるのです。
ここで可笑しい事に、
煙草は「マールボロ」でなくては、ならないことです。
他の銘柄は受け取らなくはないのですが、
機嫌を悪くします。
煙草といえば、カナダやスカンジナビアは、
とっても値段が高い(確か一箱500円ぐらい)筈です。
与作は煙草を吸わないので値段を知らない。
それに比べ、船では無税なので、
日本の煙草も外国の煙草もほとんどが一箱70円程度で、
仕入れる事ができるので、タバコをお土産に渡しても、
実際にはそれほどの負担にはなりません。
単に彼等の要求どおりにお土産を渡すのが腹立たしいので、
争そうだけです。

スエズ運河は一方通行です。
北航船がある時は、南航船は待機します。
南航船がある時は、北航船は待機します。
それぞれが集団で航行します。
その集団をコンボイと言います。
北航にしても南航にしても途中で必ず待機があるので、
通行には、朝から夜までの丸1日かかります。
  
世界の三大運河といえば、
スエズ運河、パナマ運河、キール運河です。 
これらの運河は 「港の臭い」で、
詳しく語ることを考えているので、
ここではこれだけにの記述にしておきます。
世界のどんな船長に聞いても、
「スエズ運河=マールボロ」と言えば、
ニヤリと笑うでしょう。 
それほどの強いイメージです。


14、地中海:「砂嵐」

地中海を頭においても、実は何もイメージが湧きません。
北は南ヨーロッパ、南は北アフリカなので、
それから受けるイメージが強すぎて、
地中海としてのまとまりのあるイメージが湧いてきません。
で、船乗りにとって時々話題になる、
「地中海の砂嵐」を取り上げてみました。
船乗りであれば少しは納得してくれそうなイメージです。
砂嵐にはそれほど出会うわけではありません。
与作は船乗り時代を通して、
15回程度は地中海を航行しておりますが、
運が良いのか、遭遇したのは1度だけです。
砂嵐はリビア沖が多いと聞きますが、
与作が出会ったのはアルジェリア沖でした。
砂嵐といっても砂が風に舞うというイメージではありません。
空気が茶色になって、前が見えなくなるのです。
それほどに細かく吹けば飛ぶような砂なのです。
ですから、舞いあがった砂漠の砂は、
上空高く舞いあがり、漂い、
時にはヨーロッパにまでゆくのだそうです。
ただ、ヨーロッパの空まで曇らす砂嵐は、
数が少ないのではないでしょうか。
多くは地中海をくらーく覆うことになるので、
その発生頻度から「地中海の砂嵐」が、
船乗り間で有名なのだと思います。
前が見えなくなりますが、
レーダーの電波を遮蔽するほどではないので、
注意しながら安全航行を確保できます。
が、レーダーのない昔の船は、
砂嵐に苦労したことが想像できます。


15、番外編

当時MLクラブで「海の臭い」を書いてるとき、
海に関するいろいろな質問があり、
それにも応えて書いております。
次のような質問と返答でした。

(質問)
一つお尋ねします。
船の上から見る飛び魚が、10cmぐらいにしか
見えなかったのですがあれは船が大きかったからでしょうか。
イースター島で釣り上げた飛び魚は30センチはありました。

(返答
飛魚は20~30cmくらいだと思います。
飛魚は何かに追っかけられると、逃げるために飛びます。
したがって、
船が航走すると、それにびっくりして、
船側付近から放射線状に飛び出します。
飛魚は高く飛べません。
水面からせいぜい2~3mほどです。
でも、時にはもう少し高く飛んでいるのもまれにあります。
というのは、早朝の甲板上に飛魚が打ち上げられているのを
よく見るからです。
見つけた人の朝食のごちそうになります。
油がのって美味しいです。
こんな飛魚は水面上5m以上は飛んでることになります。
飛魚は100~150mほどはゆうに飛びます。
でも、それは海が荒れてなく、波のない凪いだ海面の場合です。
波が高いと飛んだらすぐに波頭にぶつかって落ちてしまいます。
波がなく、鏡のような海面に飛魚が飛び出す飛行線......
飛魚はほとんど曲がれません。
まっすぐ直線に飛ぶだけです。
それを見ていると、心がやすらぎます。

(質問)
波が大きいと怖いと思いませんでしたか。

(返答)
見上げないと波頭が見えない、
ついたてのように行く手をさえぎる大波もあります。
が、怖いとは思いませんでした。

(質問)
ベットから落ち、食器が滑り落ちる波は経験しませんでしたか。
こんな怖い目には遭われましたか。お尋ねします。

(返答)
置いてあるものが全部吹っ飛んでしまうこと、
数え切れないくらいありました。
でも、荒天準備といって、
時化る前に動きやすいものは固縛しておきます。 
その準備が間に合わず突然の揺れにやられることがあるのです。
客船は、揺れない航路を選びますので、
経験することは少ないと思います。
また、客船は揺れを少なくするための、
装備(3つほどあります)をしております。


16、アドリア海:「どうしてこんなに違うの?」

左を見ればイタリア、右を見ればユーゴスラビアです。 
入り口にアルバニアがありますが、
貿易も少なく船乗にとっては縁のない国なので、
目立たずに通り過ごしてしまいます。
アルバニアは貧しい.....と、与作の船に乗ってきた,
ルーマニア人の密航者が生意気にも言っていましたけど、
与作は知りません。
イタリアの女性....時々顔全体が「鼻」の女性がいます。
イタリア女性を想うと、
どうしても「鼻」がイメージされ、
可愛くありません。
それに比べ、アドリア海の対岸の、
ユーゴスラビアの女性...なんて美しいのでしょう。
街を歩いていても出会うのは美人ばかりです。
美人でない人はいません。
後日、ユーゴスラビア人の機関長が与作の相棒として
乗船してきた時、そのことを聞いて見たら....
彼も「そう思う、特に北部は美人ぞろい」
と自国女性の美人度を語っていました。
ユーゴスラビアは多民族国家でしたが、
日本人には顔の違いは感じません。
みんな美人です.......しつこいな~与作、な~ぜ?

    
17、エーゲ海、黒海:「・・・」

どちらも与作は行っておりません。
黒海のボルボラス海峡は、
他の事情があって少し知っていますが、
実際に行ってないので、全く「臭い」がしません。


18、ジブラルタル海峡:「巾着の口」

地中海という大きな風呂敷からの唯一の出入り口が、
ジブラルタル海峡ですので、「巾着の口」、
のイメージがあります。
海峡周辺の町として、
アルジェシラス(スペイン)、
ジブラルタル(イギリス)、
セウタ(モロッコ内のスペインの飛び地であるが周囲はモロッコ)、
があり、この三者が微妙な立場で対立しながら安定を保っている。
歴史を感ずる海峡です。
詳しくは、「港の臭い」で書くことになるでしょう。

巾着の口.....とイメージするのは他の理由もあります。
潮の満ち引き、あるいは潮流からのイメージです。
.......ここでちょっと、勉強
潮の満ち引きは 「月」(太陽もあるけど)、
の引力ゆえ、ということは誰でもが知っていると思いますが、
もう少し理解するため、
次のようにイメージを膨らませてみてください。  
地球の「海」は、
とろろイモのような粘性のあるモノと想定します。
月から一本の腕が伸びて、
手のヒラでそのとろろイモを掴みとろうとします。
太平洋は広いので、
手のひら全体でとろろイモを掴めます。 
それだけ沢山の量を掴めます。
手のひら全体でトロロを掴んで引揚げると、
周辺のトロロは中央に引きずられて寄ってきますが、
当然にその量も多くなります。
ですが、例えば日本海になると、
狭いので、親指と人差し指でしか掴むことができません。
少なくしか掴めないのです。 
おまけに周辺のトロロは、
周囲を塞がれている(対馬海峡、間宮海峡、津軽海峡)ので、
自由がきかず、中央に引きずられる量も限られて来ます。
これが、日本海側は潮の満ち引きが少なく、
太平洋側が多いという現象が起きる理由です。
翻って「地中海」を見てみます。
摘むのは、親指と中指、人差し指の三本で掴めそうなので、
日本海よりましです。  
とは言っても、
トロロを補給する入り口がジブラルタルという、
狭いところひとつで塞がれているので、
トロロの移動はそんなにできません。
地中海は、潮の満ち引きの差(潮高差といいます)が、
比較的少ないのは上記の理由からです。
ということで、
「巾着の口」とイメージしたのは、
単に形状からだけでなく、船乗りが気にする、
このような「潮の動き」が制限される、
という感覚も含まれるからです。

..........続いて、余談

地中海は大きい池なので、
暖められて水蒸気として蒸発する量もばかになりません。 
表面の海水が蒸発すると塩分が濃くなり、
重くなって底に沈みます。
底に沈んだ重い海水は、
唯一の出口であるジブラルタル海峡の海底付近を通り、
大西洋に吐き出されます。
そして、それを穴埋めする海水が、
大西洋からジブラルタル海峡の海面に近いところを通り、
地中海に入ります。
ということで、ジブラルタル海峡の表面流は、
いつも大西洋から地中海に流れると言われております。
ただ、日本の瀬戸内海の来島海峡や関門海峡のような、
海水の流れを経験している、日本人船乗りにとっては、
それほど気になる潮の流れではありません。

.........続いて、当時のMLの会員から、

次のような「喜望峰」の質問があり、それに返答しています。
その返答をもって喜望峰の記述にします。


19、喜望峰

(質問)
海の色は、場所によって変わるのでしょうか?
私は空の色が 海を染めるのかと思っていましたが、
喜望峰の太平洋と大西洋では、違った感じがしました。
水温、水深、雲の具合でも変わるのでしょう。

(返答)
海の色(反射する光りの波長)を決める原因は、
経験から.....
1、空の色(厚い雲の下の海は影で黒く見える)
2、海底(さんご礁の貝殻の海は白い)
3、水深、プランクトン
なのでしょうが、
こんなのどんどん書きつらねても返答になりませんね。
喜望峰の太平洋と大西洋では、違った感じがしました。
そんな感覚として答える方が直接的だと思います。
喜望峰は常時東から西に流れる海流があります。 
先に書いたモザンビーク海峡を南下する海流が、
喜望峰で西に向きを転じ、沿岸を西行するのです。
一般に海流のない海面では吹送流といって、
風の向きと同じ方向に海水面の流れができます。
が、このように海流があって、
且つ風の向きが逆の場合、
海面に細かな三角波ができます。
いわゆる岬、あるいは半島というところは、
上空の大氣塊に地域的な温度差ができるので、
風が強く吹きます。
三角波は垂直に立つので、
裏と表では光りの反射と影ができます。
その光りの反射と影を見る方向によれば、
海の色が変わって見えます。
海流がある幅で流れる場合、
その境目で色が違って見えるのは、
よくこのことが原因します。
喜望峰を境目にしてインド洋と大西洋では、
海流の向きも風の向きも違うので、
三角波のでき方の頻度も当然に違います。
海の色が違うことを体験されたのは、
多分この原因であろうと思います。
また、喜望峰を境にして、
インド洋は暖流系、大西洋は寒流系の流れになります。
当然にプランクトンの種類や量も違うと思います。
このことも海水の色を変化させる一因と思いますが、
与作は最初に書いた方の理由が色の違いの主因と思います。
そうですね。
インド洋と大西洋の海の色が違うことよりも、
喜望峰沿岸を流れる海流は確かに色が、
濃く感じた記憶があります。
南大西洋を東西に横断する船は少なく、
航海中滅多に他の船には会いません。
喜望峰を抜けると多くの船が北上します。


20、大西洋:「海嶺」

海嶺とは海の中にある山脈です。
山脈ですので、海面に突出する部分も出てきます。
ですから、海嶺沿いに島や浅瀬があるので、
船乗りにとっては気になるので、
イメージとして掲げました。
アイスランドを北の境として、
そこから大西洋の全域を縦断するように、
海嶺が走っております。
この線にそって、地球内部よりマグマが噴出して、
常時新しい海底ができあがっております。
ということは、
アメリカ大陸とヨーロッパ/アフリカ大陸が、
少しづつ離れてゆくということです。
ということは、
大昔はくっついていたと言うことにもなります。
次を考えるとわかります。
この海嶺は大西洋の真中でS字状にうねっています。
それと同じ形で、
アフリカ沿岸もアメリカ(南北)沿岸も、
同じくS字状にうねっております。 
三者は全く同じ形です。
世界地図を見るだけで判ると思いますが、
もっと、細かく検証してみましょう。
ブラジルの東の岬がアフリカのカメルーンの、
奥まった湾にあてはまります。
そして、ブラジルのリオデジャネイロが、
アンゴラのモサメデスに重なります。
両方の町を知っているので、
イメージが湧きやすいので書きました。
大昔は、くっついていたということで、
くっついていた場所のアメリカ側とアフリカ側を
同じに思い浮かべて、土地柄の類似点を探すべく、
過去になんどか頭に描いたことがありますが、
微妙にイメージが違い、
イメージでは一致しません。
あたりまえですね。
土地が離れた時が大昔すぎます。
海岸の風景はその後に形成されたものです。

・・・・・・・

当時のMLでは、
大西洋の記述のあとに次を書いております。

話しが、海の臭い・・から遠ざかってしまいました。
でも、大陸移動は世界の海を航海していると、
どうしても頭に入ってくることです。

で、次は、番外として、
大陸移動の移動量を頭に思い浮かべる手法を書いてみます。

(船のスピード)

船の速力は、ノットで表します。
1ノットは、1時間に1マイル(海里)進む速さです。
1マイルは、1852mです。
1箱X2 と覚えます。
通常の大型船は、約15ノットで走ります。
1時間に約28km進む速さです。

(世界一周の距離)

地球は円です(自転の遠心力で若干赤道付近が長い)。
円ですので、一周は360度です。
1度は さらに60分に区切られます。
1分の長さは、1マイル(海里)です。
ですから、地球一周の距離は、
1852m X 60分 X 360度 ≒ 4万km です。
船のスピードと世界一周が、
判りやすい関係になっていること、
お分かりいただけると思います。
もし、60ノットの船があれば、360時間(15日)で、
地球を一回りできることになります(障害物がなければ)。

(日本誕生)

日本は中国大陸から、分離したあと、
崩れ、隆起し、崩れることを繰り返してできたことは、
よく知られております。
その中国大陸は昔、ゴンドワナ大陸の一部として、
南半球にありました。
ゴンドワナ大陸の一部が北中国プレート、
あるいは南中国プレート(将来の日本がのる)として、
分かれながら、今のローデシア大陸にぶつかりました。
移動距離は地球の4分の一周です。
1万キロmです。
移動した期間は大雑把ですが、
動き出したのは3億年前、
ぶつかったのは、2億年前(中生代)ですので、
1億年かけて移動したことになります。
実際には北中国と南中国が別々の時期に移動したので、
上記は大雑把です。
恐竜時代の幕開けは、この後です。       
1億年かけて1万km動いた訳ですから、
1年では10cmになります。
それがですよ。
今、日本にぶつかっているフイリッピンプレートは、
丁度1年間に10cmの速さなのです。
面白くありませんか。
昔、これを計算してみて、なーるほどと面白く思ったので、
思い出しながら書きました。
東京とハワイは、大雑把に8000キロ、
ハワイが乗っかている太平洋プレートは、年間8cmの速さ、
ということは、たったの1億年後は、
東京にワイキキビーチがあることに......
与作は、こんなの好きなんです。
ひとりよがりで脱線しました。

こういった地球上の距離の算出を書いたところ、
当時のMLの会員から次の質問があり、返答しております。

(質問)
でもなんですね、
インド洋からスエズ運河に入るには、
北に向かって 船は進む訳ですから、
運河までの距離を地図上で正確に測るのに
何か方程式があるのでしょうね。

(返答)
お互いの緯度と経度が判れば、
その間の距離は簡単に計算できます。
計算方法は、2種類(どちらも近似値)あります。
メリカトル図法での図の上のAとBの間ので、
簡単に距離を知る方法を書きます。
1、AとBの緯度の中間の緯度を覚えておきます。
2、AとBをデパイダーで充てます。
3、そのデパイダーを先ほど覚えた中間の緯度がデパイダーの真中
  になるようにして経度線に下ろします。 
4、そして、その経度線上で緯度の差を読みます。
5、その緯度の差が求める距離になります。
こんなふうに書いても何がなんだか、わからないと思いますが、
こういう風にして、計算せずとも海図の上で概略の距離を知る
ことができるということをお判りいただければと思います。
先のメールでハワイまで8000キロと大雑把に書きましたが、
知っていたわけではありません。
メルカトル図法で日本とハワイの緯度経度を大まかに測り、
その上で上記のようにして、約8000kmと割りだしました。


(スエズ運河の距離を測る場合)

スエズ運河のように南北に走る方が、
距離の計算が簡単になります。
大雑把にスエズ運河の入り口は、
北緯31,5度であり、出口は北緯32.5度であり、その差は1度です。
手元に資料がありませんので、
世界地図から大雑把に読み取りました。
1度は60マイルです。
この60マイルに、メルカトル図法での修正を行うための、
cos中間緯度(32度)を掛けると距離が出てきます。
約51マイルとなります。
ちょっと専門的になり、つまらなかったと思いますが、
こんなことをするのか、程度に判っていただければありがたいです。

.........

では、海の臭い、次は、カリブ海に入ることにします。
カリブ海に入った後は、メキシコ湾流に乗りながら、
ヨーロッパに進もうと思います。

.........

カリブ海に入る予定でしたが、
Old Boy さんから次の質問があったので、
それを序文として書き、マゼラン海峡に入ることにします。
そのあとに、カリブ海を書きます。

(質問)
ものの本で読んだ話ですが、
紀元前数千年前にジャワ周辺に住んでいた人間が、
オーストラリアやニュージランドは無論のこと
遠くハワイ諸島やイースタ島に、
なかには南アメリカの先端マゼラン海峡周辺までも、
移動したような話を・・凄いですね。


(返答)
近年DNAの研究から、
人類の移動の時期が凡そ読めるようになったそうで、
過去に読んだそうした本によれば.....
ジャワ島付近に人間が来たのは、5~6万年前、
そこから、太平洋の島々に移動したのは、
案外に新しくて、ハワイ島は1400年前、
イースター島は1500年前、
ニュージーランドは1000年前、
マゼラン海峡にまで移動したのは、
イースター島経由ではなく、そのはるか以前に、
アラスカ経由で、北アメリカ、南アメリカの沿岸沿いに、
移動して来たものと書かれてありました。
本を読んだとき、ノートの切れ端に走り書きしておいたものを
紐ときながら書いています。
手元に現物の本がないので、
数字が違っていたらお許し下さい。
ちなみに、その本では人類がアラスカを渡り、
アメリカに出たのは、1.2~3万年の長期に通じてだそうです。
陸経由の移動の方が海経由よりも随分と早かったようです。
.....

次は、これら人類の移動を感じながらの、
マゼラン海峡であり、パタゴニア水道を書くことにします。


21、マゼラン海峡:「不毛の地」

与作はマゼラン海峡は1度しか渡った事がありません。
でも、多くの船乗はマゼラン海峡を知らないので、
1度だけでも貴重な体験です。  
それも冬の真っ最中の海峡通過でした。
マゼラン海峡のマゼラン海峡らしい時期の通過でした。
夏に渡れば、もっと違った印象かも知れません。
大西洋からマゼラン海峡を抜けて、
太平洋に出るには、パイロット(水先人)の案内を受けます。
海峡の東側に「プンタレナス」、
という大きな町があります。
その港の沖に船を寄せ、チリー人のパイロット(2名)を
船に乗せます。 
彼等に船の航行を任せることができるので、
与作はゆったりした気分で周囲の景色を味わうことができます。

........が、

吹雪きで前が見えない。
船橋のガラス窓に顔を寄せて前を凝視する。
一瞬、サーと吹雪きが止む。
突然、左右から切り立った岩山が目に飛び込む。
どの岩も山も雪や氷で覆われている。
岩にへばりついた雪が風で大きく舞い上がる。
そして、再び吹雪きが始まる。
人を寄せることを許さない不毛の地。
その迫力に身震いする。

.......ううっ

これがマゼラン海峡の印象です。
その迫力ある光景は、頭の奥に入り込んでいて、
今でもすぐに引き出すことができます。 
過去をどんどん忘れる与作ですが、
この時の光景は頭から抜けることはありません。

...........

世界を廻った話をすると、
今まで行ったところで最も良かったところは?
とよく聞かれます。
その場合、「パタゴニア水道」と応えることにしています。
明日は、その「パタゴニア水道」を書きます。


22、パタゴニア水道:「天国」

マゼラン海峡を西に抜けると太平洋ですが、
冬場は時化ることが多く、航行に難渋します。
そのような場合、
マゼラン海峡パイロットをそのまま案内人にして、
チリー内海のパタゴニア水道を
北上するルートを選ぶことがあります。
太平洋の時化はこの水域まで入って来ません。
とっても静かな水域です。
日本の瀬戸内海を更に狭くしたような水域で、
幅は狭くても距離は瀬戸内海の4~5倍はあります。
島々の間を縫って走ります。
地図で確認される方は、
チリーの南部沿岸沿いのゴマのような点々を
見てください。
そのゴマの間を縫って走る水路です。
とてもきれいな水路です。
周囲の空気は冷えて玲瓏とし、
海水はそれなりに温度があり、
その温度差によって海面に雲ができます。
3mほどの厚さの雲です。
船上からは眼下のその雲が邪魔して、
海面が見えません。
左右両側の岩や島は、
その雲の間からニョキッとでています。
雲間から顔を出すので島とは思えません。
雲間から顔を出す山の頂きに見えるのです。
雲海の中を山を縫いながら船が走るのです。
言ってみれば、
海ではなくアルプスの山々の
山頂の間を抜けてを走っているような感覚です。
与作が今まで体験した世界の中の景色で、
この景色がナンバー1でした。
まるで「天国」に居るような気分になるのです。
天国をスペイン語で「パライソ」と言います。
そして、しばらくすると.....
本当に「なんとかパライソ」という村に着くのです。
「なんとか」としたのは、
名前を忘れてしまって書けないからです。
バルパライソではありませんヨ。
村人の全てが幸せに暮す部落です。
チリー人のパイロットもここを見た人は、
みんながみんな「天国」と言う、と話していました。

次は、その部落の話です。
............

水道を1日ほど走ると、
極端に島と陸が狭くなり、屈曲した水路に出ます。
その一角(島側)に人家が見えます。
原住民の民家です。
せいぜい20軒程度と思える小さい部落です。
マゼラン海峡を北上して、
最初の民家、最初の人々です。
マゼラン海峡の南側にも人が住んでいますが、
それは科学が発達した現代になって、
必要があって移住して来た人々でしょう(多分)。
ここは違います。
アラスカを渡って、
アメリカを南下した人々の末裔です。
その顔......インディオの顔です。
ポリネシア系の顔ではありません。
チリー人のパイロット曰く、
産業もなく、仕事があるでもない彼等を
チリー政府は、生活保護のためのお金を支給して、
そこでの生活を維持してもらってる、とのこと。
文化の保護のために維持されている部落なのです。
生活が補償されているためでしょうか、
人々は、実にのんびりとしています。
その部落の前で錨をおろしました。
部落から小さなボートが出てきます。
ボートには、貝や蟹を積んでいます。
部落ではお金が要りませんから欲しがりません。
空になって捨てるドラム缶と物物交換です。 
今日は、臨場感を味わっていただくため、
写真を準備しました。  

1、 船の前方を写しました。
雲が海面にそのまま映っていることで、
海の静かさがわかります。
世界の海(まとめ)_d0083068_10434039.jpg
2、 船の後方を写しました。
屈曲水路の狭さが判ります。
世界の海(まとめ)_d0083068_10440271.jpg
3、 ドラム缶との物物交換で蟹を運んで来た部落の民です。
遠い写真ですが、インディオの顔を判っていただけます。
世界の海(まとめ)_d0083068_10442419.jpg

23、カリブ海:「昔が消された島々」

カリブ海の島々を巡るうちに、
なんとなく違和感を持ち始めます。
最初はわからないのですが、
訪れる国や島が増えるごとにその違和感が、
はっきりしてきます。
  
カリブ海の島々には「昔」がないのです。
 
昔は、メキシコから海づたいに渡ってきた、
インディオが住んでいたに違いないのです。
でも、どの島にもその痕跡がないのです。
跡形もなくなっているということは、
征服したスペイン人(だと思う)が、皆殺しにし、
残っていた「文化的なもの」も全て廃棄した、
に違いないと思うのです。
そうでなければ、
こんなにきれいさっぱり過去がなくなりません。
現在のカリブ海の島々の人種の顔つきや、
構成を見ても、そのことが判ります。
原住民が全滅したあと移住してきた、
スペイン人と彼等に連れて来られた黒人のみで、
構成されているように思うのです。
単に島ごとにどちらの血が濃いかだけの区別になります。
もっとも黒人の血が濃いのは、
ジャマイカ、
次にハバナ、キューバ、
次にハイチ、ドミニカ共和国となります。
プエルトリコになると、ぐんとスペイン顔が多くなります。
このまま、カリブ海の島々を右回りに見てゆきます。
アメリカ、イギリス、オランダ、フランスの、
それぞれの領土が島が変わるごとに国も変わります。
国境線が異常に多いのです。
与作は、これらの小さい島々を全部は見ておりませんが、
見たかぎりでは、こうした小さな領地は、殆ど白人です。
トリニダード・ドバゴまで来ると、
再びスペインの血が濃い黒人の混血(プエルトリコ程度)
になります。

このようにして、
カリブ海の島々の人種の交わり具合を考えてみると、
過去にスペインが原住民を全滅させて、
過去を奪ったからこその現在の人種の、
交わり具合だと思うのです。
・・・・・・

以上は、本によるのではなく、
与作が与作の体験から感じたことのみで書いていますので、
事実かどうかはわかりません。
間違っていたらお許しを......

.....................

上記をMLに発表したら、当時のMLのご年配の会員から、
次のような文章が届き、それにつづいて次を書いております。


(ご年配の会員よりのご意見)


与作さんの「海の臭い」の凄さは、
与作さんが自分の目で見て身体で感じたことをお書きになっています。
私は本でしか確認できませんが、史実です!

(ご意見に対しての返答)

そうですか、史実なのですか。
スペイン人がみな殺しにしたのは、
いくつかの本で読んだ記憶がありますが、
「文化」までも消し去ったようだ、
と思えた時は、少しショックでした。
島は逃げるところがないので、
消去しやすかったからなのでしょうね。
与作がそう感じたのは、
何度か訪ねるうちに、カリブ海の島々には、
民芸品がない......と思い始めたからです。
でも、与作の言うのは少しあてになりません。
与作は、その街の裏町しか知らないからです。
観光客が寄るようなところは、
お金が高いので、最初から近寄りません。

いつも、裏町......いつも場末の酒場です。

観光客の寄る空港などには、
もしかしたら民芸品があるのかも知れません。
で、書いたことの裏づけに自信がないので、
間違っていたらお許しをと書きました。

「混血の程度」を書いた顔のつくりですが、
与作の判断材料は、ほとんどが女性の顔です。
それを証明できそうな、写真をお見せいたします。

インディオの血が少し入った女性です。
国は、中南米のグァテマラ。
小さな街の「イッパイ飲み屋」です。
後ろの窓のたたずまいがなんとも言えません。
テーブルがひとつだけの店ですが、
与作ひとりのためにアコーデオンとギターの歌付きで、
ビール一本100円なり。
母の店を助ける真面目な兄妹でした。
左に写る男性は、ワタシ....
25年前はヒゲも真っ黒でした。
髪も生えていたし.....神よ、髪を返して!(笑)。
世界の海(まとめ)_d0083068_11094406.jpg


24、ビスケー湾:「大時化(おおしけ)」

フランスの西岸とスペインの北岸に挟まれた海域です。
船乗の中では、「ビスケーの時化」と呼ばれ、
時化て当たり前のように思われる海域です。
この海域は南北に走る船が多いのですが、
そうすると横からの波(東から)を受けるので、
大揺れになります。


25、ドーバー海峡:「メキシコ湾流」

ブラジル東岸にぶつかり、
カリブ海の中で180度回転し、
フロリダ半島を抜ける海流があります。
メキシコ湾流といい、温かい暖流です。
日本の黒潮にあたります。
この暖流は、イギリスの東西を洗い、
ノルウェーの西岸にまで達する強い海流です。
イギリスとカムチャッカ半島は、
同じ緯度の高さにありますが、
こんなにも気候が違うのは、
全てメキシコ湾流によるのです。
     
ただ、北緯50度は、やはり太陽から遠いので、
カンカン照りのような日はありません。
ですから、
ドーバー海峡の空はいつも、
どんより曇っております。
海の色も褪せています。
きれいな海峡ではありません。
見る価値なしの海峡です。


26、北海:「油田」

ドーバー海峡を北に抜けると、北海に入ります。
ドーバー海峡同様、どんより空の色あせた海です。
冬分は時折、猛烈な時化に遭遇します。
スウェーデンやフインランドやポーランドに行くときに、
この猛烈な時化に合うと、
デンマークの北にまで到達できません。
その場合、次のキール運河を使うこともあります。
北海といえば、北海油田なので、
油田とイメージしましたが、
正直なところ航路から外れているので、
油田の存在はそれほど気になりません。


27、キール運河:「放牧」

ハンブルグのあるエルベ河の入り口に、
キール運河の入り口があるので、
ハンブルグを出港したあと、
北海の時化に遭わずにキール運河に入ることができます。
デンマークをオミットして、
バルト海にでることができます。
与作も1度だけ、入ったことがあります。
人工運河なので、直線部分が多く、
勿論静かな水路です。
水路の両岸には人家がまばらしかありません。
時折、緑豊かな放牧場に出会います。
ゆったりしている牛を見ると、
こちらまでゆったりしてきます。
通行には、通行料+パイロット料+繰舵手料を
支払わねばなりません。
その費用が高いのでしょう。 
利用する船が少ないので、
水路航行中は滅多に船に遭いません。


28、バルト海:「静穏」

スエーデンとポーランドに挟まれたバルト海は、
大きくて広くて静かです。
静かというのは、船の往来が少ないことと、
海も荒れることがなく静か、
という二つの意味からです。
過去はともかく、
現在は何もないだだっ広い平和な海です。

今日は、ちょっと飛ばしました。
世界地図を見ていると、
例えばイギリスのブリストル水道とか、
アイルランドとの境のセントジョージス海峡などが、
目につき、指が動いて書きたくなりますが、
イメージではなく、思い出話しになってしまいます。
「臭い」に通じるイメージとしては、
上に書いた程度のことしかありません。
これでヨーロッパを終わりにして、
一気にパナマ運河を抜けて、太平洋に出ます。
いよいよ、日本が見えてきました。
東シナ海、南シナ海、マラッカ海峡 
と進んできたので、このまま西に進みます。


29.パナマ運河:「あと戻り」

今日はパナマ運河ですが、
この記事には当時のMLの会員からいろいろな質問がありました。
そうした質問それに対する返答も全て下記に転記します。

下記には以前にアメリカと日本が計画した「第二パナマ運河」
のことも書いておりますが、40数年前に頓挫したその計画を
中国が引き継いでやるらしいと、最近の報道にありました。
40年前の中国と言えば、思い出すことがあります。
その頃は、まだ中国に船員の教育制度がありませんでした。
で、当時の中国政府から、私が勤めていた会社に、
船員育成の手法を指導してくれるように依頼がありました。
教えるには教えるための「指針書」が必要であろうと、
当時、乗船中だった私に、急遽その役が来て、
臨時に本社勤務となった私は、一か月という制限された中で、
「中国船員教育指針」を書き上げたことがありました。

40年前の中国は、
船員の捉え方について、どうしてよいか判らない、
いわば、歩き始めたヒヨコのような国だったのです。
それが、今や、パナマ運河を作ろうとするまでに、
世界へ影響力がある国になりました。
たった40年の間なのに移ろいの早さに愕然とします。
さて、始めます。

大西洋からパナマ運河に入っても、
太平洋からパナマ運河に入っても、
パナマ運河を抜ける際は、後戻りすることになります。
運河の位置が次のようになっているからです。

(運河の位置)

運河の大西洋側に、コロンという町があり、
その中にクリストバルという港があります。
運河の太平洋側に、首都であるパナマ市があり、
その中にバルボアという港がありますが、
そして、
クリストバルの位置は、バルボアよりも西にあります。

大西洋から太平洋に抜けるのに西に向かうはずなのに、
若干ですが、東にバックすることになります。
運河であと戻りするのです。
殆ど南北に走る運河ですが、
東西で見てみると、このように一見おかしく思える、
位置関係になっております。
このことは余り知られておりません。
若干のことなので船乗りもあまり気づきません。

(海の高さ):大西洋が高い

パナマ運河を境にして大西洋側が太平洋よりも、
水位が高いことはよく知られております。
が、その原因を解明した学術的なものに出会いません。
大西洋の水面上昇の理由を与作の推測で拾ってみると、

1、 地球の自転による慣性(海水に粘度あり)
2、 大西洋に吹く一般風による吹送流
3、 メキシコ湾流の暖流による海水の膨張
などがあると勝手に思っています。
  
以前に現在のパナマ運河より少し北側に掘割式、
(ロックではない水路)の第2パナマ運河を作ろうと、
アメリカ主導で日本の経済界がそれに協力する形で、
検討されたことがあります。
その際のアメリカ側の資料の一部で、
記憶しているものをひろってみると、

1、大西洋と太平洋を掘って繋いでしまうと、
その運河は、常時大西洋から太平洋に海水が流れる。
その流速は、最大で4ノット、最小で0ノットであり、
太平洋から大西洋への逆流はない。

2、大西洋にいない海蛇が太平洋から侵入してくると、
海の生態系がどのように変わるかの予測が必要。

などがありました。 
この計画、いろいろな世界情勢の変動から、
計画中止になりましたが、余り知られていない、
具体的な数値として面白いので紹介しました。

..............

スエズ運河は面白くもなにもないが、
パナマ運河は面白く何度渡っても新しい感動があります。

始めての外国・・・

与作の始めての外国は、パナマです。
昔、ケネデイーが世界の帆船をハドソン川に集めて、
パレードをする企画を作り実施半ばで撃たれました。
あとを継いだジョンソンがその企画を実行し、
日本にも招待が来ました。
その際の、招待された練習船の学生として、
ニューヨークに行く旅の途中のパナマ運河の寄港でした。
その時の写真がこれです。
当時の写真は白黒でした。
パナマ運河の夜の幻想的な景観に圧倒されました。
世界の海(まとめ)_d0083068_11145771.jpg

 運河の構造:水のエレベーター

パナマ運河の中ほどに、ガツン湖という名の人造湖があります。
この人造湖の海抜は、約30mです。
この人造湖まで、水のエレベーターで登り、
向こう岸に着いたら、再び水のエレベーターで下がり、
大洋に出ます。
この水のエレベーターに使う水は、
パナマ地方に降る雨水です。
この地方では雨が多いので、
人造湖近辺に降る雨水を貯めることで、
充分に水が足ります。
余る雨水は、太平洋と大西洋に垂れ流して捨てます。

エレベーターのことを「ロック」といいます。
大西洋側には ガツンロック、
太平洋側には、ミラフロレスロック、ペドロミグエルロック、
と合計三つのロックがあります。

水のエレベーターは、次のように作動します。
世界の海(まとめ)_d0083068_10480668.jpg

1、船がロック内に入ると、後ろのゲートを閉める。
2、ゲートが閉まると、ロックの底から水が涌き出る。
(ポンプを使いません、バルブを開け閉めするだけ)
3、ロック内の水が増えるごとに、船も一緒に上昇する。
4、前のロックの水位と同じ高さまで船が上がったら、
前のロックとの境のゲートが開く。
5、ゲートが開くと、船は次のロックに進む。

お判りでしょうか。
判らなくとも、大体のところで感じ取ってくださいね。
ご承知のようにパナマ運河はアメリカが建設しました。
100年以上前の話です。
パナマ運河建設にあたり、
高温多雨の風土の中でマラリヤや黄熱病で、
数多くの人が死んだそうです。
運河の最も狭いところ(ガイラードカットと呼ばれる)が、
あり、そこにその人達の慰霊碑が建っており、
運河通行の船を見下ろしています。
歴史をも感ずる運河です。

(質問)

知りませんでした!となるとパナマ運河周辺の山岳標高を
太平洋から測るのと大西洋から測るのでは異なるのでしょうか?
どうも小学生並みの質問で恥ずかしいですが。

(返答)

答えになるかどうか、
知っていることと想像とを合わせてお答えします。

1、海の深さの基準線

海の深さは、潮汐によって上がり下がりするので、
どの時点を持って深さを表すか決められております。
海の深さは略最低低潮面で表示されております。
略最低低潮面とは、
特殊な大潮のときのマイナス潮を除いて、
最も低くなる潮の時をもって、
海の深さを表しております。
ですから、その土地その土地で基準が違います。
これは、海の深さを低く見積もった方が、
より安全であるという考え方から来ています。

2、山の高さの基準線

海抜は平均水面からの高さであって、
略最低低潮面からではありません。
深さと高さは基準が違うのです。
平均水面とは、干満で高くなったり低くなったり、
するものの平均をとって決めた水面です。
パナマ運河の山々の海抜も多分平均水面上からの、
高さで表しているはずと思います。
が、パナマの海抜は、太平洋側と大西洋側の
どちらの平均水面を採用しているか知りません。
もしかすると両大洋の平均をとっているかも知れません。
また、首都(パナマシティー)のある太平洋側の
平均水面を採用しているのかもしれません。
いずれにしましても、その地方の海抜を表すのには。
その国が勝手に決めることができ、
世界的なルールは決まってないように思います。
しかし、
エベレストの高さは、何処を基準にするか、
となると、統一しないと困るので世界的に了承された、
何らかの基準があるのではないでしょうか。
いずれにしても、海抜というのは、
常時上下する海の面からの高さなので、
海の高さのルールを決めてかからないと表示できません。
日本の場合は平均水面からですが、
世界もそうだと思うだけです。
説明にならなかったでしょうか。
与作は日本の「海抜」の表示は習いましたが、
世界の標準はどうなっているか、習いませんでした。
明確に答えられず失礼しました。

(質問)

パナマ運河通行中の事故は、
パイロットの責任なのか船長の責任なのでしょうか、
どちらが責任を負うのでしょうか。

(返答)

パナマ運河は世界で唯一、
パイロットが責任を負う港です。
パナマ運河以外の世界の港での航行に関する、
最終責任はすべて船長です。
ですから、入港時パイロットの指示に従うことに、
了承のサインをとられますし、
運河の通行ルールもまた厳しく決められております。
例えば、通行料を決める船の大きさですが、
最大船型に制限が決められております。
パナマ運河通行料のもっとも安いのは、「人」です。 
人間が泳いで運河を通行しても、
その人間の体重と体積に見合った通行料を取るそうです。
過去にそうした例があったそうです。
通行を許容されるもっとも大きな船を
パナマックス型といいます。
パナマを通るために制限ぎりぎりの大きさにした船で、
世界中の開運関係の人の中での共通の呼称です。
パナマックス型は、世界中にいっぱい走っています。
次の写真は、SPRING GARNET という船名の船です。
長さ290m、幅32mパナマックス型です。
日本のドックに入った時の写真で中央の白いのが与作です。
世界の海(まとめ)_d0083068_10491696.jpg
船の船尾の底を撮っています。
パナマックス型はどのような大きさなのか、
写真で想像してみてください。


(質問)

パナマ運河に行ってみたいと思うが、
いかがなものか。

(返答)

次の理由であまりお勧めできません。
昔のパナマ運河はきれいでした。
今はそうでもありません。
昔は、狭い地域ですが、運河を囲む周辺は、
すべてアメリカ領でしたので、
ところどころに芝生が植えられ、
それらが見事に管理され、
運河そのものも清潔な感じでした。
運河は、2000年に完全にパナマ国に移管されましたが、
30年前は、まだ結構にアメリカ的でした。
運河の最高責任者は10人での集団指導でしたが、
10年に一人づつ、アメリカ人の責任者が減り、
パナマ人に代わってゆく、
という協定でパナマ運河を運営しておりました。
3人のアメリカ人責任者がいたときは、
やはりアメリカ的でした。

アメリカそのものも30年前は、
今よりももっときれいでスマートのように思えます。
南部アメリカにモビルという名のその地方の中核都市
があります。
30年前は、スマートな街でした。
30年経過して、再度寄港のチャンスがありました。
中心街は官庁関係のオフイスだけで、
店も人通りも極端に少なくなり、
黒人とアジア人の中心街になっておりました。
車で20分ほど走ったところに「大モール」ができ、
その周囲にだけ白人が住んでおります。
閑散とした街の中心の佇まいを「ゴーストタウン」
と与作がいうと、現地の人は「そうは言わない、
「デッドタウン」と言う、と教えられました。
    
話し逸れました、続けます。

また、その頃(30年前)は、
ガツンロックに設けられたロックの船を
見下ろすことができる一般観光客用の展望台には、
アメリカ人の見物人でいつも溢れていました。
アメリカ本国からの観光客もいたのです。
それが、運河管理のアメリカ人の指導者が
一人に減った時点から主導権はパナマに移り、
時を同じくして、運河両端の町、
クリストバルもバルボアも治安が悪くなり、
船乗りも強盗が怖くて上陸しなくなりました。
今は昔の面影がありません。
期待しないで下さい。
与作がパナマ運河通行ごとに感動すると書いたのは、
そのような変化を感ずることの感動であり、
一回かぎりの観光としては、つまらないものと思います。

…………………….

船の船型の大きさ(パナマックス)について書いていますが、
今では、上記の記述も古くなってきております。
長さ350m、幅50mの大型コンテナ船が既に建造されております。
世界の海峡や水路で通航の船型が制限されるところとして、
主要なのは、スエズ運河、パナマ運河、シンガポール海峡の三つです。
その中で最も制限が厳しいのは、パナマ運河です。
パナマ運河の拡張、あるいは新しいパナマ水路が
本当に必要になってきているのかも知れません。
バリ島に安住して、そういうニュースには疎くなっております。


30、南太平洋:「マンガン団塊」

詳しい場所は忘れましたが、
確かガラパゴス島のさらに西方の海域、
であったと記憶します。
海底のマンガン団塊を採るための日本の鉱区があります。
ほぼ正方形で北海道の面積ほどの鉱区です。
ペルー沖の南太平洋の海底には、
マンガンの塊がごろごろ転がっております。
30年ほど前、
このマンガンを海底から拾い上げるため、
国が主導し民間の技術屋がそれに協力した、
プロジェクトがあり、ほんの少し与作も、
その研究に関連して働いたことがあります。
3000mの海底からマンガン団塊を拾うこと、
もしもそのことが技術的に可能でも、
商業的にペイするものでは、
ないこと誰もが承知でしたけど・・・。
今は、もう研究を止めてから久しくなると思いますが、
ある程度の研究発表をしたおかげで、
多分今も日本の鉱区を維持しできているはずです。
(詳しくは知らない)。
南太平洋は通常の貿易ルートから外れるので、余り
「臭い」がありません。
で、思い出したのが、海底のマンガン団塊でした。


31、ベーリング海:「アッツ島」

冬の北太平洋をアメリカ西岸から日本に来る航路として、
アリューシャン列島の北側である、
ベーリング海をよく通ります。
そんなに北を通るの・・・などと、
よく聞かれますが、この方が大圏航路に近く近道であり、
且つ冬の北太平洋の低気圧に吹く強風を
避けることが出来る、ごく一般的な航路です。
ベーリング海の西の最後の島がアッツ島です。
アッツ島を左に見ながら、
千島列島の東側を降りてきます。
アッツ島を双眼鏡でみると、
戦時中の名残のコンクリート壁が1箇所だけ見えます。
次回来たとき、また同じものを見ると、
「残っているな」と嬉しくなります。
   
今もあるだろうな.......

ベーリング海の中は静かなことが多く、
比較的安全な航海ですが、
アッツ島から北海道までが、
横風の強風が吹くことが多く冬場は大変です。
冬の北太平洋、船乗りはみんな嫌いです。
...............

 

さて、日本に着きました。
昔、MLで発表した記述の転記、これでおわりにします。
おわりにしますが、
あとひとつ大洋を忘れていました。

アマゾン川です。
アマゾン川の河口は、向こう岸が見えません。
充分に大洋です。
明日、思い出すことだけでも書き加えることにします。

なお、南太平洋のマンガン団塊の研究が、
途中で頓挫した話を書きましたが、

その研究が引き継がれ、三次元物理資源探査船「資源」の開発や
将来の日本近海のメタンハイドレードの発掘につながっているものと思われます。
当時は夢のような話でしたが、
技術の先行投資という意味で無駄な研究ではなかったのかも知れません。


32、アマゾン川:「桁外れ」

アマゾン川は、その大きさが桁外れである。

まず、長さ…….

上流はペルーの国まである。
上流と言っても狭い川ではない。
ペルーまで外航船が航行できる。
私は、そこまで上流に行ったことはないが、
川の中ほどの町マナウスには2度行っている。
マナウスまでは、行き(上り)が3日、
戻り(下り)は2日半かかる。

次に、幅…….

特に河口は川幅が広い。
対岸が見えない。
河口に近い川の中に中洲がある。
その中洲たるや九州以上の大きさがある。
どこから海かどこから川かその境が判らない。
とにかく、河口付近を船で行くと川と言う感覚がしない。

次に、傾斜……

上流と下流との水位差であるが、
数値は忘れたが、とにかく水位差が少ない。
したがって、川はゆったり流れる。
水があるだけで流れているって感覚も持てない。
ゆったり流れるので、いろいろな現象が起こる。
もし、アマゾン川の沖で地震があって、
津波が押し寄せたとすれば、随分と上流まで、
駆け上がるのではなかろうか。

次に、水の色……

マナウス港は、黒い色の川と白濁色の川、
が交差するところにある。
その色のパノラマを見ているだけで「凄さ」を感ずる。
黒と白の境がはっきりしている。
多分黒い水は、白い水の下に潜るだけで、
混ざり合わないのだろうと思える。
黒い川の色の原因は木々や葉が水に溶け込んだ、
養分の堆積であるそうな…..ってことは、
ゆったり流れる川だからであろう。
ある理由があって、
私は黒い川(ネグロ川という)を
泳いだことがある。
泳いだあと洗っても洗ってもネトネトが落ちない。
その養分の異様さ凄さを身をもって感じた。

次に、水の量の変化…

川が長く幅も広くゆったり流れるので、
水量が多いってことは当たり前である。
当たり前でないのが、乾季と雨季の水量の差である。
変化が半端ではない。
雨季と乾季とでは、川の形が変わる。
当然に水深も変化する。
マナウス港では、その差が10mと聞いた。
上流はさらなる水位差があるのだろう。
これだけ水位差があると、岸壁が作れない。
だから、マナウス港の岸壁は「浮桟橋」である。

次に、巨大魚…

アマゾン川の河口に「ベレン」
という名の大きな町がある。
そのベレンの魚市場に行ったことがある。
いろいろな見慣れない魚がいたが、
中でも巨大魚ばかり扱う店の陳列は壮観であった。
…………

以上がアマゾン川のあらましである。
もうひとつ付け加えておきたい。

バリに移住する前の私は、
仕事を終えたら、
世界のどこかに移住することだけは決めていた。
結局は、カミさんの反対で実現しなかったが、
移住の第一候補先は、アマゾン川の川沿いの街、
マナウス市であった。
理由は、

1、ポルトガル語が生活に困らない程度に喋れた。
2、ブラジル人のおおらかさが好きであった。
3、もう一度カラジャスに行ってみたい。

であるが、
3、にあげたカラジャスを次に説明する。
カラジャスとは、アマゾン川の奥地にある。
世界一の鉄鉱石の鉱山名である。
カラジャスに行ったのは、船乗りとしてではない。
陸上勤務時、社用としての出張であった。
当時のカラジャスは、
鉄鉱石の試験採掘の途中であった。
アマゾン川に沿って長大な鉄道は、
ほぼ出来上がっていた。
が、鉄鉱石を運び出す港の建設がまだであった。
その港の建設計画を視察し、
報告書を書くのが私の役目であった。
仕事の話はどうでも良いけど…
その時受けたカラジャス鉱山側からの、
「おもてなし」.....に感動した。

それから、35年…
昔の感動の最近を確かめてみたかったのだ。
今、カラジャスはどうなっているのだろうか。
きっと、鉱山に街ができているのであろう。
新しい港にどんな船が入港しているのだろうか。

(2023年5月現在での追記)
鉄鉱石の積み出し港の名は「ポンタダマデイラ」...
当時、私はこの港には35万トンの船でも安全に入港できる..
との報告書を書いた。
舵面積を広くして自分では思い切って結論づけた。
会社のお金を使っての一か月の海外出張なので、
頑張って安全性を計算しまとめた。
それが最近になって本当に35万トンの船が入港している....
ことを知った。
報告書を書いてから40年後に実現したことになる。
苦しい報告だったが今は嬉しい思い出に変わっている。

さて、話を戻す。
.............
マナウスからカラジャスは遠くない(ブラジル的に)。
マナウスに住めば、いずれカラジャスにも行けるだろう。
との理由で、マナウスに住みたかったのだが、
現在、ブラジルに行かずバリ島に来ている。
そして、バリ島での定住を楽しんでいる。

オレって、
想いがコロコロ変わる、いい加減な男だ(笑)。
を結論に、世界の海の話を終える。

by yosaku60 | 2023-05-28 11:00 | 日本=船員・船長時代 | Comments(2)
Commented at 2023-05-29 20:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yosaku60 at 2023-05-29 20:27
はい、わかりました。お待ちしております。
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