インドネシア語で書いた「ングラライ物語」....
それをビデオ化すべく製作会社に持ち込んだが、
長文過ぎて聴取できるものに仕上げる自信がないと断られた。
もっと短いものにしてくれというのだ。
で、私は「紙芝居形式」で短かく書き直すことにした。
この経緯は過去にもブログで書いたので省略する。
では、長文の「ングラライ物語」をどうするか....
ヤヤサンとも話した結果、
読みたい人向けにダウンロードできるものとして残すこととなった。
「QRコード」を歴史勉強コーナーの机の上に貼っておいて、
博物館に来た人が勝手にダウンロードできるのだ。
その「ングラライ物語」の作者を誰にするか、
裏表紙に次のように書くことでヤヤサンの了解を得ていた。

即ち、作者は「ングラライ研究会」であって、
その構成員として
日本人; 稲川義郎、吉井洋司
バリ人; エヴィ、 ワヤン, コミン
監修者として「ングラライ保存会(ヤヤサン)」
との表示である。
この表示については、ヤヤサンも了解してくれた。
.......
であったが、
ヤヤサンとのやり取りの中で、記事の内容を何度か
書き直すことがあり、ヤヤサンも本を書いているのは、
「ングラライ研究会」でなく私だとばれてしまった。
そこで、ヤヤサンが言う。
ヤヤサンの代表者として副会長(ワヤン・スダルタ)の名を入れる。
だから、あなたの名も作者として表紙に入れて下さい......
要するに責任の所在、いわゆる文責なのだ。
それには勿論に逆らえない。
で、裏表紙はそのままで、オモテ表紙を次のようにした。

私の名が出て特別に問題がなかろう...
と思うだろうが、そうでもないのだ。
実は、私のこうしたプロジェクト....
バリの私の仲間たちに、私は言いふらしていた。
まあ、自慢していたのだ(笑)。
★ 私はこんなことをしている。
★ これはバリ人のためであって私のためでない。
★ だからお金を出し作業もするが私の名を出さない。
★ それが日本人として私の「美学」だ。
自己満足にすぎないが、
私はいいかっこしてそんな風に言いふらしていたのだ。
言ってみれば「自分の美学」に酔っていた(笑)。
それが、自分の名をオモテに出すことになった。
「美学」が嘘になった。
恥ずかしい....
恥ずかしいけど、しようがない。
で、私は「自分の美学」を吹聴した人たちに言い訳に廻った。
その中で森崎さんが返してくれた言葉が嬉しかった。
自分から求めたのではない....
先方から求められたのだからいいじゃないの.....
という訳ですので、
まだ言い訳していないお方、ご理解ください(笑)。
ただ、嬉しいこともある。
本の関係者に「稲川義郎」の名を残せたことである。
稲川さんは生前「バリ日本会」を最後まで守り続けていた。
私にいっぱいのことを教えてくれた。
その、YOSHIRO INAGAWA の名を残したかった。
二年前にお亡くなりになってご子息に私は伝えていた。
もし何かを作れた時には「稲川義郎」の名を残したい。
そのお約束を守れたことが嬉しい。
稲川さん...
中央の人である。

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