何故にマルガラナ国立公園博物館に.....
歴史勉強コーナーを作る気になったのか、
そのそもそも論を書きたい。
結論から先に書く。
バリ島の歴史記述には誤りが多すぎる.....
ので、真実を残しておきたいと思ったのだ。
ただ、迷うことがあった。
歴史に真実を求める日本人にとっては間違いだが、
バリ人にとっては些細な間違いで気にならない。
どうでも良いことだ。
これが真実だと言い過ぎると日本人のお節介になる。
要らぬおせっかいはやめた方が良いとの迷いだ。
どんな間違いがあったか例をあげる。
バリ軍とオランダ軍との最も有名なタナアロンの戦い...
現地には壮大なモニュメントが建てられているが、
その展示のひとつに次のような絵がある。

ングラライ軍の足跡を描いている。
タナアロンまでの行程はあっている。
が、タナアロン以後の行程は全部間違っている。
余りにもひどいミスだ。
タナアロンの戦いは7月5日であった。
その一日前は、プサギ村で戦った。
その戦いを記述するプサギ村のモニュメントがこれだ。
7月14日に戦いがあったと記述されている。
7月5日の1日前は、7月4日なのに、14日になっている。
単に、1 だけの違いであるが、日本人の私には許されない(笑)
残留日本兵の一人に「大舘」という人物がいた。
バリ名は、ニョーマン・スニアと呼ばれた。
大舘は、ワナギリの戦いで戦死した(ことになっている)。
その名(スニア)をマルガラナの戦死者刻印版で探すと....

ニョーマン・スニアではなく、クトット・スニアと書かれている。
ニョーマンは三番目の子、クトットは四番目の子....
こんなミスはよくあることで気にならないが、
クトット・スニアの前に、ブン・チャングとも書かれている。
ブン・チャングの経歴はよくわかっていないが、
射撃が上手く「ブン・チャング隊」を率いていたとの一部記述がある。
大舘とブン・チャングは明らかに別人である(筈だ)。
一つの欄に二人の名前を書いてもいいのだろうか。
それを確かめるため、私は博物館職員のイブ・サメ(写真)に聞いてみた。
すると、彼女曰く....

一つの欄に二人書かれることはない....
でも、どうしてそんな細かなこと気にするの.....
ほら、これが私のお爺ちゃん......
お爺ちゃんもここで戦死したんだけど......
名前が違って書かれているのよ......
そうなんです。
バリの記述は、だいたいでいいんです。
それがおおらかな良いところなんです。
とは、思いながらも.....
私は、自分が調べた真実をなんとか残したい。
いくらおおらかなバリ人でも、
真実を知った方が嬉しいだろうに、と勝手に考えて、
歴史勉強コーナーを作ろうと思ったのです。
ただ日本人の知ったかぶりの押し付けにならないように、
それだけは十分に気を付けました。
そして、それが成功しました。
次回のブログでそれを書きたいと思います。
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