2022年3月4日、75歳と11カ月。
現在の我が欲望を分析する。
欲望をよーく考えると二つある。
ああなりたいこうなりたいという欲望と、
ああしたいこうしたいという欲望である。
前者を願望欲、後者を達成欲と言う名前に替えて語ってみる。
欲望も齢と共に変わってくる。
そんな齢と共に変わる欲望を一本の線に置き替えてみる。
線を描く最初の頃は願望欲だけである。
願望欲は自分を受け入れることでだんだんと薄れる。
今の私は願望欲は薄れた、というか卒業した。
今の私は達成欲だけを求めて行きつ戻りつしている。
その達成欲だが…
達成の対象が何かを考えてみると…
自分に対してではない。
自分に対しては、願望欲のところで既に卒業している。
そうなのだ。
達成欲は願望欲と混ざらない。
何故なら、一本の線は混ざることがない。
欲望を一本の線と考えるメリットがここにみえてきた。
願望欲を卒業した私は、自分を考えることにはならない。
自分を考えては論理の整理ができない。
私の達成欲は「自分以外の他をどうできるか」で満たされる。
「他人の幸せ」に自分がどう関与できるかである。
だから、最近の我が行動…これで由とする。
欲望を一本の線と考えることで、最近の自分も整理できた。
その結論をもって今日の思索の成功とする。
思索の成功は、もうひとつある。
達成欲も齢と共に薄れる筈だ。
いずれ何もできなくなる。
そして死を迎える。
そうした時期に過去に卒業した筈の願望欲が湧いて来る。
多分、そうだろう。
それでいいのだ。
50歳~死…
その間、一本の欲望の線に乗って生き抜く。
願望欲に始まり、達成欲で大半を過ごし、
最後は願望欲を満足させて死に至る。
私は、この一本の線の上を歩くことになろう。
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