これは昨日の我が家で撮った写真です。
写真を撮りながら「ここまで来たんだ」と嬉しくなりました。
私ごとですが、聞いてください。
机に座る後ろ姿の娘さんはアリさんと言います。
大学4年生です。
アリさんに日本語を教えて約3年になります。
そのアリさんがスカイプで日本語を教えています。
その生徒の名はディアンさんです。
高校一年生です。
残留日本兵のひ孫さんです。
ディアンさんのお爺ちゃんはスラジャさんと言います。
スラジャさんは残留日本兵の息子さん(78歳)です。
私がスラジャさんの存在を知ったのは6年前でした。
バリの戦時記録に残留日本兵の遺児がいると書いてありました。
遺児とだけで名前を書いてないので探すのに2年かかりました。
探せてお会いできたのは4年前でした。
なぜに2年もかかったのか。
スラジャさんは父が残留日本兵だと言わないようにしていたのです。
小学生の時、残留日本兵の子、ということで虐められたのです。
それがトラウマになっていたのでしょう。
愛知県のあるグループが残留日本兵のことを知りたいと私の処に来ました。
お子さんがいたら逢いたいと言いました。
30人ほどのグル―プでしたが、私はスラジャさんの家に案内しました。
日本人は残留日本兵について誤解しております。
大東亜戦争で日本はインドネシアを独立させた....
まあ、結果論はそうですが、そんな簡単なものではありません。
そこの処を解って欲しいので、私はスラジャさんに予め言いました。
日本兵の子供だと言うことで虐められて辛い思いをした....
そのことを是非に伝えて欲しいと言いました。
しかし、当日、スラジャさんはそのことを一切言いませんでした。
日本の30人と一時間ほど話しましたが、一言も言いませんでした。
関連した質問も出ましたが、スラジャさんは、こう応えました。
いろいろありましたが世界が動いていました....
その中の些細なことであり、もう忘れました.....
どこの国とも仲良くやれたらいいと思います.....
ここで、私は最近のバリに来られる日本人に言いたいのです。
実は、バリ島は5年ほど前までは静かでした。
ここ2、3年、次のような日本人が多くなりました。
残留日本兵や三浦襄の存在を誇張するのです。
独立は我々が助けた...と言わんばかりに振る舞うのです。
マルガラナ慰霊祭に日本の国旗を振りかざして乱入する輩がいました。
来賓として出席していた私は、それを見て恥ずかしくなりました。
日本を誇示し上から目線でバリを見る行為です。
そういう行為はいつか誤解を生みます。
日本のみなさん、どうぞ静かにバリを見てください。
私は時々スラジャさんの家に伺います。
スラジャさん手造りのお父さんの神棚にお詣りします。
スラジャさんは、そういう私に少しづつ心を開いてくれました。
ある日、知らない人(ディアンさん)からメールが来ました。
日本語を勉強したいと言ったら、お爺ちゃんが紹介してくれました...
と書いてありました。
スラジャさんが、孫を私に託してくれたのです。
私を信用してくれたのです。
そうして始まった日本語の勉強です。
週に一回、ディアンさんは私の家に来ます。
私はアリさんに教え、ディアンさんはカミさんに任せます。
一ヶ月ほど前のものですが、これがそうした写真です。
話、戻します。
アリさんがディアンさんにスカイプで教えている昨日の写真です。
アリさんは将来、日本語を使う職業をめざしています。
日本語教師の道もあるということで実習の意味でトライさせました。
アリさんの日本語習得もここまで来た....
ディアンさんは残留日本兵の子供の子供の子供です....
バリに来て12年、こうした関わり合いをもてるようになったこと、
昨日は、それをつくづく感じて嬉しくなったのです。
今、私はアメリカの大統領選挙のことを発信し続けています。
自分のためです。
きっと世界が変わるのです。
それをまのあたりにしてじっとしておれないのです。
傍観者ではありません。
アメリカも中国も日本も世界の中のひとつです。
私もその世界の中のひとりです。
アメリカ大統領選が終わったあと...
私はまたバリのことに戻ろうと思っています。
私は能力がないので、ひとつのことしかできないのです。
バリ島で、もう少ししたいことが残っています。
大げさですが、バリ人と共にありたいと思っています。
私の命もあと5年ほどと思っています。
「よくやった」と自分をほめながら死にたいと思っています。