日本軍統治時代、稲川さんはシンガラジャに住んでおられた。
そのシンガラジャに行ってみたいという稲川さんにお願いした。
シンガラジャに行くにはクランディス経由で行きませんか。
半ば強引にお願いして了解して頂いた。
何故にクランディス経由なのか。
73年前、ングラライは行きも帰りもこの地を通ったからだ。
残留日本兵のワジャがそして美馬がこの地で戦死している。
日本兵にとってもゆかりのある土地だ。
クランディス近辺の道路は最近整備されたと聞く。
まずは、道路事情を聞くためにプラガの知人宅に寄った。
上の図のA地点だ。
道路は整備されているという。
が、運転手に道を教えるのに神経を使い、写真を撮るのを忘れる。
クランディスからパキサンの方に降りたかったが道路が狭い。
バイクでしか通れない。
しようがないので、ルンデティン村の方に降りた。
ボンティンの慰霊碑を見たかったがウバチャラの行列があって行けない。
そのままタンブラン村に行き、クブ・タンバハンに降りた。
そこから、シンガラジャに向かう途中のパンタイ・クロボカンで昼食。
上の図のB地点だ。
シンガラジャでは、タンシー宿舎(昔の名)を訪れる。
宿舎の前でドリアンを食べる。
一個約100円、シンガラジャは安い。
(C地点)。
シンガラジャからの帰り、工事中の高速道路を見る。
このあたりは、バンクンバンカ....
高速道路としては最も高い地点と思える。
ということで、サヌールに戻って、
夜は、アリーナでちょっと遅めの夕食...
クラシックがお好きだという稲川さん...
にとって、ちょっとうるさすぎたかも。
でも、写真でみるとおり、
打ち解け方には違和感がありません。