日本のマスコミはいつから偏向報道を始めたか。
進駐軍の「プレスコード30項目」で報道規制されてから....
ということを書いて来た。
偏向報道があったから、すぐに日本人が馬鹿になる...
なんてことはあり得ない。
では、日本人は、いつから....
マスコミの偏向報道に惑わされる様になったのだろうか。
それが、ある時を境にいっぺんに膨らんでいったのだ。
その境....というのは「60年安保闘争」だ。
日本中が狂ったように騒いだ。
1960年6月4日、
総評は時限ストを指令、全国で460万人が...とか。
1960年6月15日、
この日のストには580万人が参加したと言われる...とか。
さらに、この日、東大生・樺美智子(22歳)が転倒し、
デモ隊の学生らに踏まれて死亡した....とか。
今では考えられない、これほどの大きな闘争が、
何が原因で起きたかを調べてみるとあきれたことが解る。
60年安保闘争....
昭和27年(吉田内閣)に結んだ日米安全保障条約が、
余りにもアメリカ一辺倒すぎる、これじゃ日本の権利が
何も守られないじゃないか、と岸伸介(安倍総理の祖父)
がアメリカと交渉し日本の不利な部分を改訂し、新しい
日米安全保障条約を結ぼうとした。
それに国民が反対したのが安保闘争だ。
おかしいでしょう。日本にとって不利な安保条約のまま
でいいじゃないかというデモなのです。
このおかしなデモの正体を探って見ましょう。
まずは、安保条約の旧と新の比較です。
二つを見れば、改善が一目瞭然でしょう。
では、何故に国民から反対されたのか。
実は、当時、野党であった社会党も条約の改正には賛成
だったのです。それが急に反対するようになったのは、
ソ連と中国の介入があったからです。
当然です。
ソ連も中国も日米の連携が強くなるのは困るのです。
で、ソ連は安保条約が改正されれば.....
「米国の戦争に巻き込まれるよ」と宣伝工作をしたのです。
その宣伝工作にのったのが朝日新聞です。
中国も天安門広場に100万人集めて日米安保条約改正反対
の集会をします。それを朝日新聞は大きく報道しました。
当時はメディアの権威は大きくその筆頭が朝日新聞でした。
特に当時のインテリだった学生達が真っ先に騙されました。
次の表を見て下さい。
1960年代の大学生はたったの10%(全体)だったのです。
数少ないインテリだから自負があって責任感がある。
こういう人が偏向報道に騙されやすいのです。
また、内容を知らなくともデモに参加してしまうのです。
若さと自負と責任感の突っ走りです。
まあ、言ってみれば「若さに燃えた」のでしょうね~
理由なんてどうでも良いんです。
後々の世論調査で次のような数字が残っております。
1、何故に闘争デモがあるのですか。
安保改正が原因と知っていますか。
知っている=50%、知らない=50%
2、知っていると答えた人に聞きます。
改正の内容を知っていますか。
知っている=11% 知らない=89%
本当の目的を知らず、朝日新聞の「日本は再軍備化する」
というフェイクニュースだけを信じて、これだけのデモ
を起こしたのです。知らないのも罪です。
私は、この「60年安保闘争」からマスコミの偏向報道に
踊らされる日本人が生まれ始めた...と思っています。
そして、今日、未だその傾向から抜け出れません。
それがまた問題なのです。
では、何故に今日まで引きずっているのでしょう。
日本人の特性が影響しているように思うのです。
次回は、そんなところを書いてみたいと思います。