マスコミにプレスコード30項目を徹底させるだけでは、
「GHQ製洗脳器」に入れた日本人を完全に洗脳することができない。
で、プレスコード検閲に加えて、次の三つが実施された。
1、進駐軍を批判すると思われる人物を追放すること
2、戦前の日本を肯定するような書物を焼却すること
3、戦前の日本人の意識を創った制度を変更すること
ひとつづつ述べる。
1、人物の追放
(公職追放)
人物の追放のひとつは、公職追放であった。
どんなプロセスで追放したか...
まずは政界、経済界、教育界、マスコミ界、知事・行政官
に絞って、人物をチェックした。
総数20万6千人に及ぶチェックだった。
問題なのは、誰がそれををチェックしたかである。
進駐軍ではない。
進駐軍から委託を受けた日本人がチェックしたのだ。
委託を受けた日本人スタッフは、5700人いた。
訴えやすい....と、どうなる。
嫌いな上司を追い落とすタレこみが蔓延した。
当時、職を失うと2度と職が見つからず一家は餓死するしか
なかった。指導者の地位にある人は戦々恐々となった。
ただ、一般国民にはあまり関係がなかった。
なぜなら餓死者が出る程に食べる事に困窮していたからだ。
政治や経済や教育なんてどうでも良かった。
底辺の国民がそういう状態で各界の指導者が辞めさせられ、
或いは宗旨替えさせられた。
ということは、結局は日本国中が親米一色になっていった。
ただ、この時点、国民が完全に洗脳されていたかというと、
そうではなかった。
その後、だんだんと洗脳が進むのであるが、それは冒頭の
図の偏向教育の蓋が被さってからだ。
(教職追放)
人物追放のもうひとつは教職員追放だった。
現在の日本人の思想をコントロール出来ても、子供達或いは、
新しく生まれる子供も洗脳しなければならない。その為には、
過去の日本を肯定する教育者を一掃しなければならない。
当時、教育者は130万人いた。その130万人全員が調べられ、
親米家になりえない人物、約10万人が離職させられた。
この10万人だが、戦前の師範学校出が多かった。更にこの
弾かれた10万人については、その者の血縁者の第3親等迄が
教職につけなかった。
要するに親日として育った系統を全て排除して末代までも
戦前の日本を自虐するように仕向けたのだ。
冒頭の「日本の闇」の洗脳器の器に偏向教育の蓋が被せられ
たのだ。後にこの蓋は開くどころかますます固く閉じられた。
そして日本人の洗脳が完成したのだ。
そう言う意味では、教育界の偏向教育が「日本の闇」を完成
させた最大の元凶だっと思う。このあと、言及したい。
2、書物、教材の焼却処分
人物を追放しただけではない。人物を追放しても後の人が
勉強して反旗を翻してもらっては困る。
で、勉強したら困る本を集め焼却処分(7700点)した。
3、法制度の変更
戦前の日本を思わせるようなものの廃止に向け、法制度の
変更も実施された。
終身の廃止、教育勅語の禁止、教育基本法の制定、などだ。