根本博の名は、余り知られていない。
何故に語られなかったかの裏話を書きたい。
根本博は蒋介石に恩返しをしたいと奔走していた。
蒋介石の元に駆けつけ一緒に戦いたいと思っていた。
一方、明石元長は、台湾を助けたいと思っていた。
明石元長は、ある時期、貴族院男爵の地位にあった。
その関係で元陸軍幹部にも人脈を持っていた。
三笠宮殿下(元陸軍軍人)も既知であった。
秘密裡に蒋介石を助ける軍人を探した。
全員が根本博の名をあげた。
彼ならやる。
度胸の据わっている彼しかできない。
で、明石元長は、
根本博に会い、援助を申し出た。
が、これは極秘であった。
天皇陛下の弟君が加担していたことをGHQに知れたら、
天皇陛下に災いが及ぶ。
ということで、
根本博の密航を陰で支えながら全員が口を閉ざした。
根本博が台湾に渡ったかも知れないとの噂が日本でも広がった。
警察が根本家に捜索に来た。
妻は「釣りに出かけて帰りません」とだけ言った。
実際にそのとおりだったのである。
議会でも野党から「密航」の有無を指摘された。
吉田一郎首相は「噂は聞いている」と煙にまいた。
根本が日本に帰ってからも全員が口を閉ざした。
ただ、密航が罪にならず、
すんなり日本に戻れたということは、
政府が既に知っていたということを物語るものだ。
まあ、こうしたことは闇の中で良い。
ただ、金門島が死守されたことで、
台湾島と中国本島の大きな海を「台湾海峡」と呼ばれる。
何故なら、
金門島という台湾領と台湾島の間の海峡であるからだ。
もし、金門島が中国領になっていれば、
「中国海峡」になっていたかも知れない。
さらに、現在の金門島の住民だが、
国民党軍に殺されなかった経緯を既に知っていて、
根本博に感謝しているという。
ありがたいことである。
さらに、
蒋介石から送られ、根本家に保管されていた花瓶だが、
根本家の申し出により、現在、台湾に返還されている。