自費出版「尊崇」の売り(笑)は、全て現地調査して書いてるところです。
で、現地調査の際の写真を、そのページごとに挿入しております。

んで、まえがき...
まだ生存者がおられる。
今、書かないと書けなくなる。
そういう思いで、急ぎペンを走らせている。
インドネシアのバリ島の話である。
四国の三分の一にも満たない小さな島だ。
大東亜戦争中は、日本の統治下にあった。
七十年前の一九四五年八月、敗戦により日本の統治が終わった。
が、戦争が終わったにも関わらず死者が出ている。
この小さな島で戦後に四十三名もの日本人が死んでいる。
戦争中の話ではない。
戦争が終わった後で命を落とした日本人だ。
戦争が終わった後に死亡した例としてシベリア抑留日本兵がある。
三万人の抑留日本兵がシベリアの地で死亡している。
原因は、極寒の地が故と、ひもじさの故であった。
が、バリ島はシベリアとは、違う。
南国の島である。
着るものがなくとも凍え死ぬことはない。
太陽がさんさんと輝き、雨も降り、水も豊富にある。
島の至る所にある木の実は、ほとんどが食べることができる。
野生の芋が至る所に自生する。
生き延びるだけなら、なんとでもなる。
まさに豊穣の島である。
が、戦後に四十三名もの日本人が命を落としている。
命を落とした理由は、いろいろある。
バリ人に殺された者、日本人に殺された者、オランダ人に殺された者などだ。
それらは、それぞれに悲惨である。
だが、死の理由のどこかしこに日本人魂がほと走っている。
私は、そのことを書きたい。
埋もれたままにしておけない気持ちにかられる。
現在私は、七十一歳、バリ島に住んで十年になる。
日本人四十三名の死を確かめにバリ島の隅々まで歩いた。
言葉の壁があって、遅々として進まぬ調査であった。
が、ようやくまとめあげるほどに頭が整理された。
私は、物書きが専門ではない。
頭の中から引きだして語りかけるような書き方しかできない。
でも我慢して、まあ、聞いて欲しい。
死亡は戦争後、と書いた。
言っておくが、太平洋戦争のことではない。
大東亜戦争のことである。
太平洋戦争というのは、アメリカが言い出したもの。
インドネシアに住んでいる私にとっては、大東亜戦争と語ることがしっくりする。
しっくりする言い方にこだわらせて欲しい。
この大東亜戦争の戦争原因…
みなさんは、どうお思いですか。
手前味噌的に考えるのなら、どうにでもに書ける。
大事なのは、相手がどう思っているかである。
それが良くわかる例として、バンドン会議を挙げたい。
第一回アジア・アフリカ会議(AA会議)のことだ。
バンドンで開催されたので、バンドン会議と呼ばれた。
バンドンは、インドネシアのジャワ島にある古い都市だ。
今は学園都市となって栄えている。
バンドン会議が開かれたのは、戦後十年の一九五五年四月である。
その頃の世界を見てみよう。
アジアには独立する国が増えてきていたが、
西欧の帝国主義的考えが一掃された訳ではなかった。
アメリカとソ連の冷戦状態が続いていた。
その隙を抜って、フランスによるインドシナ戦争があった。
そういう世界情勢にあった。
そうした中で危機意識を感じていた国々があった。
かっての欧米の植民地だ。
欧米から搾取され続けた、アジア、アフリカの諸国だ。
時計の針を逆に戻させてはならないと危機感をもっていた。
そのことを世界に発信しなければならないと思った。
で、その必要性をコロンボ会議に集まった五カ国で話し合った。
インド、インドネシア、セイロン、パキスタン、ビルマだ。
意見をリードしたのは、インドネシアだった。
そのインドネシアのリードによりバンドン会議が開かれた。
最終的には次の二十九カ国の集まる大きな会議となった。
アフガニスタン、イエメン王国、イラク、イラン、インド、インドネシア、英領ゴールドコースト、エジプト、エチオピア、カンボジア、サウジアラビア、シリア、スーダン、セイロン、タイ王国、中国、トルコ、日本、ネパール、パキスタン、ビルマ、ベトナム民主共和国、フイリッピン、ベトナム国、ヨルダン、ラオス、リビア、リベリア、レバノン、の二十九ヶ国だ。
何世紀も続いた世界の帝国主義…
そして、植民地主義の終焉を宣言したのだ。
白人に対する有色人種の正当で堂々たる叫びだった。
ここで見て欲しい。
この二十九ヶ国の中に日本が入っているのだ。
会議を主導したのは、インドネシアだった。
インドネシアは何故に日本を仲間として招待したのか。
自国に日本軍が来て戦場と化し凄惨をなめている。
日本人はすぐに「バカヤロ」と怒った。
「ロウムシャ」に駆り立てられ、何人も死んだ。
それでも日本を仲間として招待したのだ。
インドネシアは日本に本音と建前があることを知っていた。
建て前は大東亜の国々の独立だ。
が、本音は石油欲しさの侵略だった。
それが解った上で、日本を招待したのだ。
本音はどうであっても良い。
結果として日本の画策した建て前どおりになった。
日本のおかげで独立できたと評価したのだ。
インドネシアが思うだけでは、そうはならなかった。
他のアジア、アフリカ諸国も同じように思ったのだ。
戦後十年してバンドン会議が開かれた。
帝国主義の終焉を宣言する会議であった。
日本もその会議の一員として招かれた。
勝手に参加したのではない。
同じ仲間として招待された。
この意義をもって、私は大東亜戦争を総括している。
話が多いにそれている。
本書の目的は…
終戦後にバリ島で命を落とした日本人を書くことにある。
時々、目的を確認しないと、話が逸れ続ける。
年寄りの悪い癖だ。
さて、終戦後バリ島で命を落とした四十三名。
ここで、その内訳を確認しておきたい。
マルガラナ英雄墓地に祀られているのは、次の十四名だ。
ブンアリ、高木米治、松井久年、荒木武友、ブンスラマット、ブンチャングー、グデ、クトット、美馬芳夫、ブンマデ、ワジャ、工藤栄、曽我、大舘、
次は、ジェンブラナの地でバリ人に殺された十名だ。
前田久一、後藤和、永井精作、迫貞雄、川畑松義、窪田昌平、宮永清、村野穣、前田英司、池田初雄
次は悲惨である。
シンガラジャの地で日本人に殺された七名だ。
軽部一郎、他六名(名前不詳)
その他に戦死したことが解っているのが次の十二名だ。
長野兵曹、原田、渡辺、田中軍曹、シンタロー伍長、大久保宗臣、満留四齢、福士由蔵、竹崎清、白石勉、中野、島村中尉、
これらを合わせると、四十三名になる。
本書の目的は、これら四十三名の全員について語ることにある。
彼らとバリ人の関わり合いを語りたい。
戦時中、日本人はバリ人にいっぱい迷惑をかけた。
遺恨に思われてもしようがないほどの迷惑だ。
が。彼らのお蔭でその遺恨が随分と緩和されている。
私は今その恩恵を受けてバリ島に住んでいる。
私にとっては、まさに尊崇な存在である。
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