大東亜戦争の日本兵のお墓をお詣りして、
ジャワ島、スラウエシ島、スンバ島を巡っておられる清水さん....
がバリ島に来られた。
独立戦争の史跡巡りにタバナン地区をご案内した。
朝の10時に出発、午後5時に帰るという、
7時間の史跡巡りを写真で紹介する。
① ムンドックマラン遠いところから行くということで、まずは、ムンドックマランに行った。
1946年4月14日、ングラライ軍が旗揚げ式をした処である。
2000人の兵が、バリ島中から、ここに集結した。
集まった2000人の中に、次の10名の日本兵がいた。
ワヤンスクラ、マデスクリ、ブンアリ、ブンチャング、ブンマデ、
ニョーマンスニア、ニョーマンサヤン、マデプトラ、イクトット、イグデ、
②; ワナサリの戦い慰霊碑1946年10月5日、
日本兵のブンアリとブンマデが10名の部下を従え、
オランダ軍と戦い、この地で戦死した。
前に訪れた時も「ワンカップ大関」があったが、
今回も新しい「お酒パック」が御供えされていた。
日本人の誰かが、お詣りしてくれたようである。
慰霊碑のあるお寺の同じ敷地内には、
神格化された、ガジュマロの樹がある。
③;ベンケルアニャールムンドックマランを逃れたングラライ軍は、
次の司令部をベンケルアニャールに置いた。
その司令部跡にこんなお寺が建てられている。
ここまでくる、観光客はいない。
村人に珍しがられる。
インドネシア30年の清水さんは、村人ともすぐに仲良くなる。
④;タバナン英雄墓地ワナサリで戦死した、ブンアリとブンマデのお墓をお詣りする。
手前のお墓は、イスラム教徒の戦死者。
支柱の頭の形が違う。
さらにお墓の方向がメッカの方に向いている。
ところで、ワナサリの戦いでは、
ブンアリとブンマデは、こういう格好で戦死した。
当時、その場所に埋められた二人を
戦後、タバナン墓地ができ、そこに移すため、掘り起こしたところ、
二人の骨は、くっついたままで離れなかったそうな。
で、タバナン墓地には、二人一緒のお墓に入っている。
800余名のお墓で、二人で入っているのは、ブンアリとブンマデだけである。
ここには、無名の日本兵のお墓もある。
7個あると思っていたが、数えなおすと9個あった。
墓守(左)に確かめると、全て日本兵とのこと。