病院からの迎えの自動車が待ち遠しく、
一分が一時間ほどの気がしました。
病院へ行けば、輸血も考えられるので,
「閣下、血液型は何ですか」
「血液型を聞いて何にする」
「俺は輸血の必要がない」
「それでは私が困る、軍医に聞かれても応えられない」
「A型だ、けれど輸血の必要は無いぞ、それよりか水を一杯くれ」
「水、水は差し上げることはできません」
「腹部重傷に水を飲んだら助かるものも助からぬことになります」
「こればかりは閣下の命令でも私は絶対にお上げすることはできません」
「そうか、皆に済まぬ、野市にも気の毒なことをした」
(野市さんは寺垣局長が銃で撃たれるのを防ぐため、
身を挺して護り暴徒の竹槍に刺され戦死した)
閣下は自動車の中で多少苦痛を訴えておられたが、
その内に何も言われず、
握っていた手も大分冷たくなっていました。
もしかすると駄目かもしれぬと思ってきました。
「閣下、何か遺言がありませんか」
「何もない、みなに済まぬ」
「留守宅への遺言は」
「何もない」
思わず、私は大声で泣きました。
閣下の目にも涙が出ていました。
さぞかし残念なことでしょう。
「この仇は必ず討ちます」
「.......」
この時、閣下は私の手をしっかりと握られ、
二度シャックリをされ、
これが永遠のお別れでした。
これが「スマラン事件」だ。
が、これは全容ではない、一部だけだ。
監獄に入れらた日本人を救出する場面だけだ。
日本の憲兵隊は、
監禁されたオランダ人・混血人・
親オランダ系住民をも救出している。
そのために、インドネシアの青年たちと戦い続けた。
インドネシア側の犠牲者は、千名から二千名いた。
こんなにも犠牲者数が曖昧なのは、
それだけ混乱していたからだ。
日本軍とインドネシアの過激な青年との戦争は五日間続いた。
これら全てを通して「スマラン事件」と呼ばれている。