この三輪義雄氏の手記。
つぎのとおり救助隊が来たことが書いてある。
十月十五日の未明の三時を期して、
城戸部隊は完全装備し、
波状的に戦闘を開始した。
目的は市内の治安維持だった。
午前中には、インドネシアの青年隊(急進共産革命を目指す)が
占有している処を全て確保した。
引き続き市内の掃討作戦を展開している時、
日本人が拉致され、
拉致された人々はブルー刑務所に監禁され、
多数の死者が出ている、との情報が憲兵隊に入ってきた。
和田憲兵隊長は
早速に城戸部隊長に邦人救出の意見を具申したが、
ブルー刑務所に通ずる道路の強行突破は、
現状兵力では至難との返答であった。
和田憲兵隊長は部隊がやらなければ、
憲兵隊だけで決行しようと決断した。
これがため、決死隊を編成し、自らが救出隊長となり
四十名の救出隊を編成した。
編成は和田隊長率いる指揮班を根来准尉以下七名、
左側小路を進むのは田中第一分隊長以下の十六名、
右側小路を進むのは青木第二分隊長以下十六名とした。
前進中の田中部隊にガラン川の向こうから撃ってきた。
補助憲兵のひとりの腹部を貫通しその兵は間もなく戦死した。
田中部隊は、銃が撃ち込まれる中、さらに前進した。
三方の道路から前進した救出隊は、
夕暮れ近くの五時頃、
刑務所前の通りに辿り着いた。
和田隊長は道路を隔てて全面に立ち塞がっている
ブルー刑務所の正面扉を睨みながら、
河野曹長と青木分隊長に、正面扉を破って突入を命じた。
両名に向かって
付近の家屋の二階や物陰に潜んでいる敵から
機銃掃射があった。
両名は、それを意にせず、
十二メートル幅の道路を全速力で駆け抜け、
刑務所正面の木製扉に体当たりした。
扉は微動だにしなかった。
両名は、それにひるまず、
二度三度と身体中で扉にぶつかった。
その間、インドネシア青年隊が軽機関銃で
二人を目掛けて掃射を浴びせて来た。
両名は腰を低くして銃弾をよけながら、
なおも繰り返し扉に体当たりを続けたところ、
奇跡的に突然扉がギーと鈍い音をたてて開いた。
両名は開いた扉から転がり込むようにして、
刑務所内に飛び込んだ。
それを見て、和田隊長が「突撃」を指示した。
全員が刑務所内に飛び込んだ。
「日本人はどこにいるか、憲兵隊が救出に来たぞ」
と叫びながら、所内に駆け足でちらばっていった。
刑務所内にいたインドネシア青年二十名ぐらいが
高い塀をよじ登って、
われ先にと刑務所の外に逃げて行くのが見えた。
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