当時、スマランの警備は、城戸部隊が任にあたっていた。
隊長は、城戸進一郎少佐だ。
百二十名の特殊構成部隊で残務処理が目的で戦闘部隊ではなかった。
当時のインドネシアは、終戦直後の混乱期にあった。
その混乱に乗じ共産主義者の過激分子が台頭してきていた。
その組織は、アンカタン・ムダと呼ばれた。
スマランのアンカタン・ムダは特に過激であった。
左翼革命社会実現すべく、独立・革命を訴え、独立運動の主力になっていた。
そんなアンカタン・ムダの首脳者が、城戸部隊に武器の譲渡を迫ってきたのだ。
城戸部隊長は、すぐには断らなかった。
そうはできない状況をこんこんと説明し、最後は凛として決意を述べた。
「これ以上の要求をしたければ、私を殺してからにしろ」
「そうすれば部下は私の屍を乗り越えてゆく」
「あらゆる兵器を動員して全力で暴徒を鎮圧するだけだ」
アンカタン・ムダの首謀者は、「解りました」と言い、城戸の元を去った。
しかし、夕刻になってから、状況が一転した。
アンカタン・ムダの最過激派が違う計画を立てているとの情報が入って来た。
第一段階として、日本軍の保有する兵器の全面強奪。
第二段階として、日本軍の保有する一切の公物、私物の掠奪。
第三段階として、日本人の逮捕監禁並びに殺戮
以上の三段階を通じて武器を得る。
その武器でオランダ軍及びこれを支援する勢力と武力抗争を継続する、というのだ。
その情報を知り、城戸はすぐにアンカタン・ムダの首謀者宅に出向いた。
その真意を確かめるも、のらりくらりの返答であった。
武力による鎮圧も止むを得まい、城戸はそう決断した。
が、城戸の行動が遅れた。
その夜から翌朝にかけて、暴徒が暴れたのだ。
市内のオランダ人・混血人・親オランダ系住民が暴徒により逮捕され監禁されたのだ。
その総数は二千人に達した。
また、同じ頃、暴徒の一隊は大挙してスマラン飛行場を襲撃した。
少数の警備兵の武装を解除して連れだした後、飛行場を占領した。
城戸部隊長は、状態の悪化を知り動いた。
同日正午ごろ、市内に住む軍属・邦人に隣組を通じて次の指令を極秘理に伝えた。
「一部暴民の治安攪乱は極限まで来たため、
近いうちに武力を行使して治安の回復を図る。
軍属・邦人は市内で砲声を聞いたならば、城戸部隊、憲兵隊、
もしくは市長官舎のいずれかに集まり、軍の指揮下に入ること」
この城戸部隊長の指令も遅きに失した。
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