(14) ビラデコンデ港 停泊
マナウス出港以降、
密航者にご飯を与えるのも風呂に入れるのも煙草を吸わせるのも、
全て
私自身が携わることとした。
コ三ユ二ケーションを良くするためと、
これ以上失敗できないからである。
二人とも従順になって来ており、
密航することよりもサントドミンゴに帰りたくなってきている。
一時期より安心してみておれる。
11月2日 08時25分 ビラデコンデ入港。
町も何もない。
代理店員もスピードボートに乗ってベレンから1時間かけて来るところ。
明朝7時の出港予定である。
あしかせつけ、それに
ツイストロックをぶらさげ、
ドアーには大きな錠前をつけ、
ダンパーは鉄板に変更していたので安心していた。
夜中の12時。
甲板手、密航者のデッキからコトコト音がした様に思え、確かめに行く。
人夫がドアーの前にいる。
近づくと逃げる。
アッパーデッキに通ずるアイアンドアー開きぱなしであった。
鍵の蝶番をこじ開けようとした跡がある。
覗き穴から密航者を見る。
どうも様子が不審。
通報を受けた二航士ドアー前に見張りを立てさせる。
船長 2時に様子を見に降りて来て、この事実を知る。
直ぐに密航者を点検する。
部屋に入って電気を点けてみると
ツイストロックを繋いでいた
チエーンが切られている。
部屋に煙草がある。
ライターがある。
危ないところであった。
ブラジルの下層階級は自分自身悪いことをしながら、
貧しい者を可哀想だと思ったりするところがある。
直ぐに
他人に同情する。
同病相憐れむの心境なのであろう。
生活苦から来た防衛本能が醸成するこのような性格、
ファミリー思想の豊かな国に多い。
本船フイリピンクルーもそうである。
自分も十分でないのに可哀想な人に涙を流してものを与える。
核家族化した日本人には、理解できない”思いやり精神”である。
いずれにしても外部から密航を助ける輩がいることに驚く。
今後各港共注意すべきである。
乗組員1名停泊中常時ワッチさせることとする。
(15) 逃亡防止策 再確認
ビラデコンデの経験から,
外部からも開けれないような錠前をパイプとバーで作りドアーにつけた。
同時に窓のワイヤークリップを溶接する。
(当初チエーンであったが一部切られたためワイヤーに変えた)
ダンパーの代わりに入れた鉄板を止めてあるアイボルトも溶接する。
足かせのアイアンベルトはそのまま、
但しツイストロックの重りは余りにも過酷過ぎるとしてやめる。
これら対策を施しながら考える。
いつも逃亡企てている者がいる場合。
その者の人権を守りながら、長期間拘留するような場所は、
船内では作りえないのではなかろうか。
鉄と鉄をこすればどんな道具でもできる。
道具があれば何とでもなる。
鉄のない部屋で頑丈な所なんて船にない。
時間さえかければなんだってできる。
だから船でできる手段は[逃亡す気をなくすること]の方が重要なのであろう。
............
(解説)
私自身が携わる;
航海中の3度の食事は、リオンとペドロと一緒に食べた。
食べる場所は、部屋ではなく、甲板上とした。
船橋で当直する乗組員は、我々3人が食べるのを監視していた。
青空の下、みんなが見ている中で、
3人が車座になって食事したということだ。
ツイストロック;
重りに使用した鉄の塊りの名前
人夫がドアーの前にいる;
ドアーの前にいたのは男だった。
が、煙草をくれたのは、リオン曰く、きれいな女性という。
女性は「可哀想!可哀想!」と涙を流したらしい。
何人か共同して、密航者を逃がそうとしたようだ。
他人に同情する;
極端に言えば、泥棒にまで同情する。
例えば、リオデジャネイロの貧民街は貧しくて危険。
事情知らずに近寄るのは危険とされる。
だが、人々の優しさが溢れる処でもある。
私がブラジルに住みたいと思った原点(多種多様)である。
海外移住をブラジルにしたかったが、
カミさんに反対され、結局はバリ島に来てしまった(笑)。
全体説明;
この時の二人、自分からすすんで逃げるのではなく、
逃がそうとしてくれる外部侵入者が居たので、
その誘いに呼応して行動を起こしたように思えた。
二人を責める気にはなれなかった。
なんと甘いのだろうと、自分を責めた。