独立戦争後も生き残った平良定三は、
大舘の存在について、
「オオタテ....漢字は不明....三警出身と思われる」と書き残している。
が、当時三警に居た、月森省三海軍大尉が調査公表した、
三警離脱者の中には、大舘の名が含まれていない。
大舘は、三警(第三警備隊)には所属していないのだ。
軍属、しかも、海軍の軍属だったようだ。
軍属とは...
軍人以外で軍隊に所属する文官及び雑役を言う。
軍人ならば、組織の中であり、調べようがある。
が、軍属となると、どこの誰か調べようがない。
バリ島で、独立戦争を戦った日本人は、約20名居る。
その中で「軍属」だったのは、次の3名だ。
1、曽我 ; 海軍民政部所属と思われる?
2、ワジャ ; 海軍施設部所属と思われる?
3、大舘 ; 海軍軍属と思われる?
3名とも、名前の全てが解らず、日本の故郷を探すことができない。
中でも、大舘は、軍属は軍属でも、どんな仕事をしていたかも分からない。
(註) 曽我が民政部であり、ワジャが施設部であった、
との記述は、月森省三氏の筆跡で書き残されている。
月森氏は、調査にあたって昔の戦友に聞いている。
曽我が民政部であり、ワジャが施設部ではなかったか、
というのは、そうした調査の結果であろうと思われる。
それに比べて、大舘については、何も語られて居ない。
当時の調査では、知る者がいなかったからであろう。
では、何故に、オオタテ という名が伝わっているのだろうか。
クロボカンの独立軍に本名が残っていたとは思いにくい。
(註) バリ人が残した記述はどれもが後日談である。
独立軍として、ムンドックマランに集合した際、
日本人どうしが初めて出会って、お互いに本名を名乗った...
ことがあったのではなかろうか。
いずれにしても、よく解らない。
大舘という名は、本当かどうか?
大舘とは、どこの誰だろうか?
いろいろ解らないバリ島残留日本兵の中で、
解明が難しく、将来共に謎として残ることのひとつである。