Batu Kaang で戦いのあったことを書いているのは、Made Dhama である。
戦後、日本にも来て、靖国神社をお詣りしてくれたバリ人である。
ご本人は、10年前にお亡くなりになっているが、
奥様(写真)は今だご健在であり、私も何度かお会いしている。

奥様も従軍看護婦として、独立戦争を戦っている。
Made Dhama は、バドン大隊擲弾筒分隊の分隊長であった。
当時の記憶を辿る戦記、間違った記録も多い。
で、記憶を語る場合、何人か戦友に事実を確認してもらうことになっている。
これから語る、Made Dhama の証言は、次の4氏が事実確認している。
1, Ketut Dangga ; バドン大隊中尉 指揮官
2, Nyoman Sarja Udaya ; バドン大隊中尉 機関銃射手
3, Gusti Made Oka ; バドン大隊中尉
4, Gusti ketut Gede Oka ; バドン大隊 擲弾筒班 助手
(Made Dhama の証言)
Batu Kaang 村で初めてオランダ軍の放った照明弾を経験した。
夜だというのに空は光り輝き、その明るさを利用して、
オランダ軍は、雨あられと我々を撃ってきたので、
部隊は大混乱になってしまった。
目標もなく右に左に逃げ回るばかりとなった。
敵と味方の距離も20メートルほどで、
そんな至近距離から撃たれたらたまらない。
味方の Dewanli と Made Geh の二人が弾に当たってしまった。
そのあとに、部隊に西の方角に退去するよう命令が届いた。
空にはもう照明弾を撃ちあげてこなかった。
我々は、朝まで休息をとることにした。
翌早朝の5時頃、外はまだ薄暗い光の中、
谷間の方から敵とおぼしきイギリスの鉄兜を被った人物が、
こちらに歩いて来るのが見えた。
私は、指揮官のピンダ大尉に、
「擲弾筒を一発打ち込んでやりましょう」と話したところ、彼から、
「だめだ、弾は高価なんどぞ」と断られてしまった。
日も昇り空も完全に明るくなったので、あたりを見まわしたら、
オランダ軍は全員去った後で、例のイギリスの鉄兜人物がいた。
よく見たら、それは味方のSugianyar大尉であった。