アンボン島は天然の良港があり飛行場もある。
日本軍としては、絶対に奪わなければならない島であった。
1942年1月24日、まずはアンボン島を空襲した。
第2航空戦隊の空母「蒼龍」と「飛龍」の艦載機である。
続いて、1942年1月31日、アンボン島を総攻撃した。
その時の戦力は、次のとおり、
攻撃側の日本軍6千人、守備側の連合軍3千人であった。
日本軍の戦力;
(陸軍)
第38師団歩兵第228連隊を基幹とする東方支隊
支隊長:第38歩兵団長伊東武夫少将....兵力5,300名。
この支隊には、同第228聯隊第3大隊第10中隊も含む。
中隊長;若林東一中尉
(海軍)
呉第1特別陸戦隊(呉一特)...兵力750名。
連合軍の戦力;
(オーストラリア軍)1200名
(オランダ軍)400名
(アンボン兵)1400名
攻撃開始から降伏までの戦闘;
1、1月31日未明、東方支隊は、アンボンの東側に、
呉一特と第10中隊は、アンボンの北側に上陸した。
2、31日夕刻、東方支隊は、アンボン市内に突入した。
3、市内守備のオランダ軍、翌2月1日未明に投降する。
4、北側から上陸した呉一特と若林中隊は、ラハ飛行場へ向かった。
5、飛行場正面より攻撃するも連合軍の抵抗激しく簡単に攻めきれない。
6、若林中隊は、飛行場側面の山地を迂回して背後に出る作戦を取る。
7、2月3日未明、前後から挟み撃ちで総攻撃する。
8、2月3日、6時30分、飛行場守備隊、降伏する。
9、2月3日、アンボン市郊外で抵抗を続けていたオーストラり軍も降伏する。
両軍の戦死者数;
(日本軍) 東方支隊=戦死55名、戦傷135名、
呉一特 =戦死40名、重傷50名、
(連合軍) =遺棄死体340、捕虜2,182名
評価;
日本軍の死者と負傷者合わせて280名に対し連合軍死者は340名。
攻撃側は守備側の2倍の兵力が必要である。
との格言通りに勝利を収めることができたが、
相当に激しい戦いであったことがうかがえる。