あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



終戦直後のバリ島にいた日本人

バリ島の残留日本兵を総括すると勇ましいことをほざいたオレ。
何のためかというと、将来に記録を残すためです。
もしかしたら、今後新しい資料が出てくるかも知れません。
そんな資料が出て来たら、それを検証するために、
今わかっていることだけでも書き残しておきたいのです。
今まだバリ名しかわからない残留日本兵がいます。
この記録から、将来、その者の日本名が解るかも知れません。
そんな期待をこめて今わかる範囲で記録を残しておきたいのです。

さて、そんな理由で、記録を記述するには、
終戦時のバリ島に、どんな日本人が住んでいたのだろうか...
ということを調べねばなりません。
ということは、
バリ島の日本統治は、どういう組織形態にあったのだろうか....
についても調べねばなりません。
ということは、日本軍のバリ島攻略がどのようであったか....
を語らずには前に進めません。
さらに、その頃のバリ島の島民事情がどのようであったか,....
にも言及しておいた方が、理解が進む気がします。

などなど、
ということは、ということは...
で、どんどんさかのぼると、きりがありません(笑)。

が、少々遡りながら、書き進めたいと思います。
その手法として、まずは、時代を1942年に置きます。
そこから、前に進んだり後ろに戻ったりしながら書いてみます。

さて、1942年です。

日本軍の蘭印作戦が始まった年でもあります。
日本軍は、この年の1月からオランダ領インドネシアへ進出しました。
その進軍は早く、破竹の勢いでした。
ボルネオ島、マルク諸島、スラウェシ島を掌中に収めました。
で、3月1日には、ジャワ島に敵前上陸しようとしていました。
が、ジャワ島は蘭印軍の拠点です。
一筋縄ではいきません。

作戦を成功させるためには、制空権の確保が必要でした。
ジャワ島に近いのは、バリ島です。
バリ島には、トゥバン空港(現在のデンパサール空港)があります。
で、ジャワ島上陸以前にトゥバン空港の制圧を目論んだのです。

その制圧に選ばれたのが、台湾歩兵第1連隊第3大隊でした。
ここで、台湾....
との名があるので、台湾人による軍隊と間違う人がいます。
そうではありません。
当時日本の領地であった台湾を防衛するための軍隊なのです。
だから、隊員は台湾に近い、即ち九州人が多いのです。
当時の日本軍ですが、
日本の北、即ち東北人は、戦争区域でも北の支那を担当し、
日本の南、即ち、九州人は、戦争区域でも南の南方諸島を担当する。
という風に、区域別されていました。

さて、どこまで話したっけ、
そうそう、台湾歩兵第1連隊第3大隊の話でしたね。
話しを戻します。
陸軍第48師団本部から台湾歩兵第1連隊第3大隊に、
バリ島攻略の命が下ったのです。

第3大隊の大隊長は、金村亦兵衛少佐でした。
バリ島に敵前上陸したのは、何人ほどの軍勢だったのでしょうか。
書いてありませんが、大体想像できます。
次の表を見て下さい。
終戦直後のバリ島にいた日本人_d0083068_15123163.jpg

大隊で、指揮官が少佐であれば、500名ほどの軍勢だったのでしょう。
そうした500名が、バリ島に敵前上陸したのは、1942年2月18日の夜半でした。
敵の反撃がほとんどない状態で、次の日にはトゥバン空港を制圧しています。
実際の軍勢は約千名でした......後日談 。

そして、その後の金村大隊ですが、
2月27日にシンガラジャを占領し、
3月18日には、バリ島全域を掌握しています。

必要があって、このバリ島掌握をもう少し細かく見てみます。
大隊にはいくつかの中隊(2~6)があります。
バリ島掌握にあたり、シンガラジャの警備にあたったのが、第10中隊でした。
また、デンパサールの警備にあたったのが、第12中隊でした。
そして、この第12中隊の中隊長こそが阿南大尉でした。
何故に「必要があって」と、強調したかというと、
阿南大尉は、その後少佐に昇進して、終戦時には、
阿南大隊を率いて、再度バリに駐屯することになります。
で、ここにわざと名前を出したのです。
阿南大隊.......名前を覚えておいてくださいね。
この大隊から4人の残留日本兵が出るからです。

さて、話を1942年に戻します。
バリ島を掌握した金村大隊ですが、
バリ島にいたのは、約40日だけでした。
バリ島を含む小スンダ列島は、日本海軍の軍政担当地域と決まったからです。
担当交代日は、4月23日でした。

    (註)バリ島を撤収した金村大隊は、
       その後、ジャワ島のマゲランへと一端転進し、
       その後も転進を重ね、チムール島に行き、
       終戦時には、スンバワ島に集結していました。
       スンバワに集結したのは、金村大隊だけではありません。
       いろいろな部隊が集まり、
       終戦時には、4~5万ほどがスンバワに集結していたそうです。
       戦後、その一部がバリ島に来るのです。
       ですから、これも覚えておいてください。

さて、4月23日です。
その日から陸軍の金村大隊に代わりバリ島を警備するのは、
堀内豊秋大佐の指揮する海軍部隊になります。

堀内豊秋と言えば、思いだしますよね。
そう、北部スラゥシ島に電撃のように舞い降り、
占領した、落下傘部隊...
そう、その落下傘部隊の堀内大佐の軍です。

堀内の善政は、有名です。
特に厳しかったのは、占領地でのみだらな行為でした。
1942年の中ほどのバリ島....
軍律に厳しい堀内隊に加え、それを支える民間人の三浦襄がいました。
バリ島の統治が平和裏にすすんだのは、
この二人のおかげが大きかったのです。
後々まで、比較的穏やかにバリ島統治が行われたのです。

戦後の話になりますが、
バリ島からは、戦犯が出ませんでした。
その理由を稲川さんは、「三浦襄がいたから...」とおっしゃいます。
稲川さんの話には実感がこもっています。
なぜなら、その稲川さん、
三浦襄とは何度も会ってるからです。
稲川さんに言わせば、
つぎはぎだらけのズボンをはいた、普通のお爺ちゃんだったそうです。
が、支給される多額のお金は、全部バリ人に与え、
自分は着た切り雀のつぎはぎズボンだったのですって....
まさに明治の気骨人ですよね。

てな話で、またも脱線....
どこまで、話したっけ、
そう、堀内大佐の話でしたね。

実は、この堀内大佐の軍、
途中で解散し堀内大佐は日本に戻るのです。
いつだったのか、よくわかりません。
いずれにしても1942年の暮れには、堀内は日本にいるので、
多分、堀内隊によるバリ島警備は、6か月ほどだけだったのでしょう。

その後、バリ島を警備したのは、
海軍の第2南遺艦隊の第3警備隊でした。
この第3警備隊の司令部はデンパサールにおかれました。
そして、同隊が1946年の終戦までバリ島にいたことになります。
残留日本兵の内、実に10名が第3警備隊出身であるのは、
こうした理由からです。

さて、バリ島を統治したのは、軍隊だけではありません。
軍隊は戦いが専門で、平穏時は、警備だけです。
統治には、行政が必要です。
その行政を司るのが「民政部」です。

占領地の「軍政」と「民政」の関係をちょっと書きますね。
占領の最初は、軍政で統治されます。
統治が落ち着くと、民政が追加されます。
より住民の深部に入り、穏やかな統治をせんがためです。
が、ひとたび、戦線が混乱すると、民政を廃止し、
統治を軍政だけにする場合があります。

それが、軍政と民政の関係でしょうか。
いずれにしても、1943年2月には、
バリ島に「小スンダ民政部」がおかれたのです。

話が1946年に行ったり、1943年に行ったりしました。
さて、1942年に戻りますね。

1942年。
この頃のバリ島の島民事情を思いやってみましょう.....
1942年といえば、ププタンが終わってから、
まだ40年しか経っていません。

40年というのは、それほど長い年月ではありません。
例えば、40年前のオレ、30歳の青年でした。
すでに結婚していて2児の親で、
少々は、カミさんに威張れていた時代です。
日々の出来事を昨日の事のように覚えています。
私のようにボンクラがそうなのですから、
1942年当時のバリ人は、まだまだ「ププタン」を覚えている筈です。

ああ、そうそう、先にププタンの説明が必要ですね。
少し、詳しく書きましょう。

オランダのインドネシア支配は350年と言われますが、
バリ島は違ったのです。
王国の支配がしっかりしていたため、オランダは容易に入れなかったのです。
なんとか、バリ島を完全支配したかったオランダは、
1870年頃から、バリ島にちょっかいを出し始めたのです。
最初の頃の反発者はブレレン国の国王でした。
3回もの戦いを経て、それを滅ぼし、
その後、ひとつづつ王国の支配を広げ、
最後はバドゥン国の王を攻めました。

その頃のバドゥン王は、
バリ島の多くの王がオランダの軍門に下り、
もはや、多勢に無勢の状態でした。
戦闘にて抵抗できずに、態度で抵抗したのです。
それがププタンです。
「玉砕」とか「集団自決」とかに訳されるようですが、
死に装束に身を固め、オランダ軍の前で集団自決したのです。
女性は、金銀の首輪を首から千切り「欲しけりゃ持ってけ!」
とオランダ兵に投げつけ自決したそうです。
壮絶ですよね。

オランダとバリの王国とのこれら戦いを「バリ戦争」と呼んでいます。
30年続き、1903年のバドゥン王家のププタンで終結したのです。
それから、40年しないで、日本軍が攻めて来たのです。
バリ人にとって、戦争の傷跡が少々残っている時です。
多分、まだまだ複雑な気持ちで日本軍を迎えたのではないでしょうか。

話がいろいろ飛びましたが、
分かっていただけたでしょうか。
話の流れなので、全体的にぼやーと分かれば十分だと思います。

ということで、
今日の話のまとめに入ろうと思います。

1942年から始まった日本の統治....
それから、3年続いた1945年、その8月に日本が敗戦しました。
その1945年8月のバリ島にいる日本人の内訳です。

今まで書いて来たことから、わかりますよね。
次のようだったのです。

1、海軍の第3警備隊(司令部;デンパサール)
2、小スンダ民政部(本部;シンガラジャ)
3、転進中の陸軍阿南大隊の一部(駐屯地;シンガラジャ)
4、その他の陸軍散在(例えばヌガラの山砲兵第48連隊一部)
5、それに民間人。

ということで、これらの総数が、2000余名でした。
1945年9月以降、
その多くが「ムグイ集結所」に集まり、日本への引揚を待っていたのです。
by yosaku60 | 2015-12-18 15:12 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)
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