さて、インドネシア初代大統領のスカルノですが、
調べれば、誰でもわかることを書きたくないんだよなあ(笑)。
んで、まったく畑違いの話。
まずは、スカルノという発音の仕方....
日本語読みでスカルノと言っても、インドネシアでは100%通じない。
読み方、アクセント、発音の全てが微妙に違うので、全体として通じないのだ。
じゃ、どういえば良いのか....
スーカルゥノ....と言えば通じますよ(面白いでしょ)。
次に、インドネシアにあっての大統領の扱われ方。
次の実例を話せば、感覚がつかめるかな....
私の友人(バリ人)に、ホテルのマネージャーがいる。
先日、彼のホテルにユドヨノ前大統領が来たそうで、
もう辞めてから久しいのに、ユドヨノに逢った彼は、
心が震えたそうで、その感激を嬉しそうに私に話してくれた。
翻って、ワタシ。
安倍総理に会っても、「アッ安倍だ!」と思うだけで、
ときめきはしません.....多分。
でも、天皇陛下にお会いできれば、
大いにときめいて震えるでしょう。
インドネシア人の大統領を思う気持ちは、
きっとそれに似ているのでしょう(と思う)。
次の表を見れば、その理由がわかるかと思います。
( )は、行政の長。 《 》は、元首と行政の長を兼任。
さて、初代の大統領であった、スカルノ。
今でも、インドネシア人にとっては、特別な存在です。
なぜなら、彼の娘である、メガワティ....
インドネシア人の誰もが、彼女を無能と言う。
そうは言いながら、彼女の率いる政党......
闘争民主党(PDIP)への支持者は、まだまだ多いんです。
現在のインドネシアの大統領は、ジョコウィドド。
彼もPDIPの支持があって政権を保てているんです。
インドネシア人の心の底流に、
今もスカルノへの崇敬があるってことでしょう。
さて、そんなスカルノと吉住、そして市来との関係、
彼らが互いに、どんな風に思っていたか、であるが.....
まずは、スカルノが、吉住と市来に残した言葉で、
kemerdekaan bukanlah milik suatu bangsa saja,
tetapi milik semua manusia
があります。
直訳すれば、「独立は一民族のものではなく、全人類のものである」
であるが、「日本人である貴方たちがインドネシアの独立に尽くしてくれた」
ことの感謝の言葉であると思っていいでしょう。
次に、吉住が市来に対してであるが、
インドネシアの独立への思いは同じものの、
それに向けての戦い方については、持論があり互いに譲らず....
とはいうものの、お互いに尊敬し合う友人でした。
また、吉住がスカルノに対してであるが、
政策が手ぬるいとして提言する間柄にあった。
次に、市来がスカルノに対してであるが、
「あいつは政治家だ」と、評していたことが語られている。
市来は、スカルノの手ぬるさに反発する、筋金入りの実戦家であった。