マルガラナには、独立戦争を語る遺品館があります。
私は、これまで何度もマルガラナに来ていますが、
入口には鍵がかけられていて、中に入れませんでした。
が、当日は特別に開館しており、展示品を見ることができました。
館に入り、最初に目についたのが見覚えのある次の写真です。
右上が高木米治氏です。
その左が平良定三氏です。
左下が松井久年氏です。
どうも日本に関係のある掲示のようですが、
あとの3名は、どういう方なのかわかりません。
表示だけを見て判断できないからです。
というのは、
例えば、松井久年氏の名前ですが、バリ名を Wayan Sukra と言います。
が、Bung Sukra と表示している場合もあります。
さらに、彼の日本名となると、Mutsisiso とか Mutswiso と表示されています。
聞こえたままに表示しているからです(稲川氏証言)。
松井久年は、実地あがりのトップの兵曹長(陸軍では曹長)でした。
で、松井兵曹長、即ち「Matswiso」と聞こえたままに表示したのです。
ついでに言うと、
荒木武友氏についてもいろいろです。
荒木を Harraki とか、極端には、Haraka とも書かれます。
そういう風に聞こえたのでしょう。
バリ人は年齢を気にしません。
ですから、年齢となるともっといい加減です。
松井久年氏は、1915年生まれで、戦死した当時は31歳でした。
荒木武友氏は、1920年生まれで、戦死した当時は26歳でした。
が、バリ州が作成した「Puputan Margarana」には、
両氏とも40歳と記入されております。
と言う風に、
バリでは、過去の記述に少し曖昧さがあっても気にしません。
判らないで書かないより、何かしら書いた方がよいだろうとの感覚なのでしょう。
ですから、書いてある表示を見ただけでは、全てがわからないのです。
一冊の本を読んだだけで全てを理解した気になってはいけないということです。
さて、次の写真は、左から、エヴィさん、カミさん、
そして、高木武友氏の忘れ形見、アリニさん、
右端は、アリニさんの長男の奥様です。
アリ二さんとは、久しぶりであり、うれしい出会いでした。
高木武友氏と工藤栄氏の両名とも、海軍の第三警備隊所属でした。
同じ部隊の戦友だったということです。
そのご親族どおしが一同に集まり夕食をご一緒しました。
バリヒンドゥー教では、死して草場の陰に居るのではなく、海の彼方に居ます。
サヌール海岸のレストランでの会食でした。
高木、工藤の両氏も、波打ち際まで来て、
この会食光景を喜んで見ていてくれたことでしょう。