あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



平良氏証言から得たマルガ大戦でのふたつの確信

マルガ大戦を振り返って、
私は次の二つを確信している。

1、バリ人兵士の全員が戦死したわけではない。
2、オランダ軍戦死者数は、300~400名であった。

どうでもよいことかも知れないが、
情報が少ない中、ここまで確信するにはちょっと苦労したので、
その苦労をちょっとだけ書きたく(笑)、
冗長になることお許し願いたく。

........................

バリ島におけるインドネシア独立戦争、
の中でもっとも大きな戦いは、マルガ大戦であった。
この戦いは別名、マルガラナのププタンとも呼ばれる。
ププタンとは、玉砕を意味する。
ウィキペディアでは、マルガ大戦を
「バリ兵96名が降伏勧告を拒否し壮絶に戦って玉砕した」と、
戦った全員が戦死したように書いている。
が、私はいくつかの理由から、この全員戦死説に疑問を持っていた。

その1

プナルガン村の戦史によれば、
同村出身のバリ兵は約220名、それを松井と荒木が率いたことになっている。
220名という数字は、独立戦争の5年を通算してのものである。
マルガ大戦では、この中の何名が参加したか定かではない。
が、指導者の松井と荒木がマルガで戦死したのだから、
相当の部下が一緒に戦死したものと思われる。
同村の220名の兵士のうち36名が独立戦争を生き残っている。
この36名のうち、マルガ大戦を戦ったものがいたのではなかろうか。
生き残った人数を数字的に見て、そのように直感するのである。

その2

以前に書いた、バリ人戦友が語る日本兵のスラマット の記述。
そこではマルガ大戦がどのようであったかをバリ兵が詳しく書いてる。
これを書いたバリ兵は、生き残ったから書けたのではなかろうか。

その3

戦いは昼に始まって白兵戦となって夜に終っている。
暗くなって見えなくなったから終ったのではなかろうか。
途中で終ったのであれば、生き残っていた者がいたはずだ。

その4

そのように思っていたところに、この度、
末尾に掲げる「平良定三氏証言:マルガ大戦」が手元に入った。
この中に、

1、その壮絶なる白兵戦の状況はとても口では説明できません。
2、翌朝、両軍共に負傷者の収容、戦死者の処理などを行いました。

との、平良氏の二つの証言があるが、
これは、生き残った者がいたからこその記述と思える。
ということで、
これら、その1~その4の理由を合わせ、
私は、マルガ大戦では、全員が戦死した訳ではない、と確信する。



もうひとつの確信は、オランダ軍の戦死者数。
マルガ大戦での戦死者数は、
日本兵スラマットを語る中で語られている。
語ったのはバリ人兵士である。
「バリ兵の戦死者96名、オランダ兵戦死者300~400名」と、書いている。
この数字、余りにも大雑把なので大げさではなかろうかとの疑問をもっていた。


が、平良氏の
「オランダ軍はその甚大なる消耗で戦意を喪失したようです」
の記述から、この数字は、大げさではないと思いなおした。
白兵戦であれば、武器の量ではなく、戦う意志の強さが、
相手を上回ることになろうとの一般的観測も後押ししての思いなおしである。
オランダ兵戦死者300~400名であったのだろう。


さて、
そんな二つの確信をさせてくれた、平良定三氏の証言を紹介しよう。
平良氏が、月森省三氏(以前に記述)に語ったものの中からの紹介である。



(平良定三氏証言:マルガ大戦)

当時のインドネシア義勇軍は、圧倒的なオランダ軍の火力に
海岸拠点からブドゥグル山麓へと転戦しておりました。
オランダ軍もバリ島南部中原を制圧した余勢を駆って
山麓地域帯へと進出して来ましたので、
戦局の大勢は必然的にマルガの会戦へと流動して行ったのです。

マルガ一帯の村落はオランダ空軍の執拗なガス弾、焼夷弾爆撃を受けましたが、
独立義勇軍の兵士は壕内でひたすら耐えました。
空軍の掩護を受けながらオランダ歩兵部隊が近づいた時、
壕内で満を持していた独立義勇軍は敢然と白兵戦に打ってでました。

その壮絶なる白兵戦の状況はとても口では説明できません。

11月20日午後から夜間にかけての延々たる白兵戦の断続で、
両軍共に甚大なる兵員を失いました。
11月21日払暁、
両軍共に負傷者の収容、戦死者の処理などを行いましたが、
もはや銃声はありませんでした。
明らかに、オランダ軍はその甚大なる消耗で戦意を喪失したようです。
独立義勇軍も甚大なる損耗を払いましたが、
自主独立への基礎を獲ち取ったという大戦果をあげました。
by yosaku60 | 2014-06-26 11:33 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)
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