.....という訳で、
梶原(Bung Ali)と高木(Bung Made またの名をMade Putra)は、同じお墓に入っている。
墓守が所有するBung Ali とBung Made の記載も見せてもらった。
見ての通り、Bung Ali は28歳、Bung Madeを29歳としている。
どうも1~2歳違うようだが、まあ、おおよそで書いているのだろう。
日本でのBung Ali は陸軍の中尉であった。
一方、高木は海軍の兵曹長(准士官)であった。
が、インドネシア軍での階級は、どちらも中尉であった。
階級から想像して、二人で100人ほどのバリ兵を引率指揮していたと思われる。
二人が戦ったワナサリの戦闘は、
オランダ軍が梶原/高木の隊が持つ重火器を奪おうと仕掛けてきた戦いであった。
激しい戦いだったが、重火器は奪われず死守できた。
戦いには負けなかったということだ。
が、先頭で戦った梶原と高木は戦死した。
その二人のお墓が、カミさんが横に佇む写真のお墓である。
二人のお墓は110番、右の写真は187番のお墓である。
この187番のお墓、名前のところを拡大しておいたが、Sukur のお墓である。
墓守に伝えられている話では、
Sukur は、Bung Ali ともBung Madeともに親しい友人で、
Sukur も、二人のすぐ傍で重なるように戦死していたとのことである。
110番と187番は、番号こそ飛んでいるが、立地場所は至近である。
梶原と高木は、二人だけでなく
一緒に戦ったバリ人の戦友ともども、この地に一緒にいるってことだ。