オレのブログ.......
なんで「オレ」と書くのかと聞かれることがある。
最近、オレと書くことに自身が違和感を持ち始めている。
主語をオレとするがゆえ続く文章がわざとらしくなる場合があるのだ。
8年前に書き始めたオレのブログ。
書き始めから「オレ」を使っていた。
その理由を少々書きたい。
高校時代の私は、国立富山商船高等学校で学んだ。
当時の商船学校は、全寮制で連帯責任の鉄拳制裁があった。
戦時中の「精神注入棒(お尻をひっぱたくバット)」も寮内に鎮座していた。
日常のいろいろなことに強制を教育された。
生徒は全国から集るので使う言葉も次のように限定された。
1、同級生の前では自分を「俺」と言うこと。
2、上級生の前では自分を「私」と言うこと。
3、上級生に話すときは、「敬語」を使うこと。
このような強制のおかげで役に立つこともあった。
社会に出ても「敬語」が自然に口に出て来たからだ。
で、昔に、このような癖を叩き込まれたオレ.....
「オレ」と「私」の使い分けにも思い入れがあるのだ。
で、ブログをスタートさせた時、気軽に友人に語るように綴りたい、
との思いで、「オレ」と書くようにしたのだ。
ではあるが、前述どおり、ちょっと違和感を持ち始めてきていた。
そして、そして、昨晩のこと。
この「オレのブログ」でオレにとっては、ちょっとした事件があった。
知り合いのNさん.....オレと同年代の独身の女性だが、
昨晩は、レストラン「ムティアラ」で同じテーブルで同席した。
その時、彼女がオレのブログを評し、
「吉井さん、韓国船の話、勉強になったわよ」
「吉井さんの話は、全て経験談をもとにしているから価値がある」
てな、お褒めの言葉を頂いたのである。
その時は「あんがと、Nさん」と茶化して応えておいたのだが、
その彼女の言葉を契機に、家に帰ったあと、
じわじわと「オレのブログ」の方向性考え始めたのだ。
かねてより「オレ」との表現に違和感を持ちはじめていたからでもあろう。
オレは、なんでブログを書いているのだろう?
日記のようなもので後で過去の自分の行動を調べるのに便利。
であれば、日記でいいじゃないか?
いや、誰かに読んで欲しい。
であれば、読まれること主体に記事を絞り込めば良いじゃないか?
それじゃ、つまらんだろう。
どうして?
自己表現もしたいじゃないか。
じゃ、その方向に徹底したら?
まあ、昔から、
こうした自問自答を繰り返しながらブログを書いていたオレだが、
インドネシアに残った残留日本兵を書き始めてから、
ブログの意義が少々変わり始めた。
インドネシアの残留日本兵のことを
ホームページにまとめてからは特に変わり始めた。
少しづつ私のまわりにそうした情報が集りはじめたのである。
戦後70年、今、情報を集めなければ、どんどん忘れられるだけである。
遊び半分に書き始めたブログに少々使命感を感じ始めている。
そして、Nさん曰くの、
韓国船の転覆の真相と題して書いた私のブログ。
あれは、日本を先導する操船技術コンサルタント部門への私からの警鐘の意味があった。
語られていない部分だから、教科書はない。
ある程度以上の専門知識があって、それにプラスされる思索である。
回頭中の横ずれで引き寄せられる海水による旋回影響なんて、
大げさに言えば、専門的に研究され、論文で明かされることであろう。
それをNさんが、いとも簡単に「理解できた」と言うから驚く。
読者を限定せず、
こういう記事、もっと書いてもいいんじゃなかろうか。
私は、韓国人と3年間、船の上で寝食・仕事を共にした。
フイリッピン人とは4年間、寝食・仕事を共にした。
そして今、バリ人社会に溶け込もうとに暮らし始めて6年を経過した。
船乗り時代に過去82カ国に行き、219の港町を巡った。
今、世間では、嫌韓とか言って韓国パッシングがある。
韓国は韓国、日本は日本、お互いに違ってあたりまえである。
日本人の心をもって韓国を評し、韓国人の心をもって日本を評することはあたっていない。
私の経験から、こうしたことを書くのも一種の使命かも知れない。
私は、これまでの人生にあって、種々の転機があるたびに、
人間、人生、自己、というものをポジティブに捉えて書き綴ってきた。
そうしたものが40篇ほど溜まっている。
今、読み返してみると、青臭いものも多いが、純粋さがほとばしる(笑)。
恥ずることなく、こうしたものを発表してもいいのではなかろうか。
とかなんとかで、オレのブログ。
方向性を検討中です。
もし変更するにしても、どう変えるか発表せずに変更することになろう。
齢をとって、爺さんになるがままに、任せるってことである。