
さて、以前約束した、
インドネシアの高校3年生の
歴史教科書の紹介である。
高校3年生の教科書(左)には、
インドネシアの独立宣言のことが
詳しく書かれている。
その独立宣言に、
日本がどのようにかかわったのかであるが、
日本の援助を受けず、
独自で独立宣言した事に重点を置いて書いている。
その通りであり、私のブログも、
インドネシアが自前で独立宣言した経緯に、
焦点を当てて書いている。
独立準備調査会の設立、
独立準備委員会への切り替え、
なども淡々と事実を書いている。
本来なら日本の押し付けを嫌った若者達の抵抗を
もっと強調してしかるべきであるが、そういうこともあったと、これも淡々と書き述べている。
こうした点では、インドネシアの教科書の歴史認識に誇張はない。
したがって、ここでもう一度、独立宣言を詳しく取り上げることはしない。
ただ、一点だけ食い違うことがあった。
たいした点ではないが、ちょっと書いておきたい。

食い違うのは、
1945年8月16日の深夜の話である。
前田邸に集った諸氏が西村陸軍少将宅に、
翌日の独立宣言への了承をとりに行く場面である。
私のブログでは、
前田精海軍少将がスカルノ、ハッタ、吉住を伴い、
西村少将邸を訪ねた......と書いた。
これに対して、教科書では、
前田精、西嶋、吉住、三好、スカルノ、ハッタで
西村少将邸を訪ねた......としている。
西嶋、三好も加わっていると書いているのだ。
しかも、教科書では、
西村少将は、単に断ってきたのではなく、
「独立準備委員会の決議を認めない」
とまで発言したことが書かれており、スカルノとハッタは怒ったことを記述している。
その西村の発言が事実であれば、怒る前にあきれる話だ。
独立準備委員会を発足させたのは、当の陸軍であるからだ。
私が思うには、
西村少将宅に行ったのは、私のブログの方が正確なのではなかろうか。
そして、西村少将が独立準備委員会を否定する発言をしたとの教科書の記述も
これはこれで正確なのであろうと思う。
まあ、いずれにしてもたいした違いではない。
日本に関係するインドネシアの歴史認識は正確であると結論付けたい。
右上は、教科書に載っている前田海軍少将の写真。
独立宣言の歴史を教える中で唯一ある外国人の写真である。
インドネシア人ならば誰もが知っている前田精少将.....なのに、
日本人の多くが前田少将を知らないのは、情けない話である。