まずは、文章が長くなりそうなので、
休憩の意味で挿入したカットの説明からです。
最初のんは、ニカ・ニキのお母さん、
家で織物を織っています。
2週間で一反織るそうです。
早いのか遅いのか想像がつきません。
続いて、ロンボクの牛。
ロンボクの田舎に行くと、
時々こういう牛追い光景が見られます。
牛は正面からカメラを持って構える、
オレの邪魔をしないように、
すれすれに交わしながら通り抜けてくれます。
バリの牛よりもおとなしいんです。
カットの最後は街外れの長閑な光景です。
ガセボ(東屋)の屋根を葺く藁(アランアラン)を束ねています。
バリ島に送るものなんだそうです。
さて、主文に入ります。
何故に、強制退去の日まで、
それもブルドーザーでガリガリと、
家を根こそぎ壊されると噂される日まで、
呑気に営業を続けておれるという、
常識外(オレにとって)の行動の出所です。
今度のロンボクでは、
常識外が3度ありましたが、
最大にして最後の常識外の行動です。
強制退去の指示日は10月25日でした。
オレがロンボクに着いたのは10月20日、
離れたのは10月24日の朝、
ということは、
まさに強制退去を目前にした5日間の見聞です。
アンタはどうするの?
あるおばさんに聞きました。
「さあ?」と、
手のひらを上に腕を拡げるだけです。
アンタは?
別のおばさんに聞いてみました。
「そのうちに引越しするよ」に、
そのうちにっていつ?
と、聞くと
「さあ?」と、結局は同じ答えでした。
おばさんばかりでなく、
ある男性店主にも聞いてみました。
どうするの?........に、
「友人の家に引越しするよ」というので、
いつ?と聞くと、
「多分、25日」
って、ブルドーザーで家を壊される日じゃないか?......には、
「まあ、そうだけど」の返事。
殆どがこういう会話です。
カニヤの言い分を聞いてみたところ。
「19日に退去指示書を持ってきたポリスに逆らって受け取りを拒否した者が3名いた」
「怖くて見ておれなかった。ああいう風にはなりたくない」と言う。
じゃ、早く引っ越しすればいいじゃないか!と言うと。
普段は明快の返答をする彼女なのに、黙ってしまうんです。
で、黙るカニヤの代わりにミアの夫のマンが応えてくれたのは、
「23日の営業が終って(夜10時)から、引越しを始める」でした。
が、結果からいうと、カニヤの店もミアの店も24日の朝もいつもの通りの店開きでした。
何故、引越ししなかったの? マンに聞くと、
「ミアが24日も店を開きたいと言い張るから」との返事。
明日が取り壊しの日というのに......
何故にみんながみんなこうなんでしょう。
ここまで行動を先延ばしするなんて、日本人の感覚では想像もできません。
みんなで先延ばしすれば、行政が少し面倒をみてくれるようになる、
と思っているのかも知れないと思い、みんなに聞いてみました。
と、声をそろえて
「それはない、取り壊しはもう決定済みだ」と、
すでに強制執行を受け入れているんです。
じゃ、どうして、早く引っ越さないんだろう。
あなたもそう思うでしょう。
そう、オレもそう思うんです。
その理由ですが、どうも次の二つのようです。
①引っ越すところがない、②考えるのが面倒くさい。
の二つです。 たったのそれだけです。
そして、引っ越すところがない....ってのも、
考えるのを面倒くさがるから見つからないという一面があるのです。
要するに、苦しいことは先に延ばして考えることをしないってことです。
それが全てのようです。
今日の日を過ごすことのみを考えるという生活スタイルが根底にあるのです。
生活が貧しいと、そう考えなければやってゆけないんでしょう。
よくよく考えてみると、少々わかるような気がします。
ロンボク島に来てみるとバリ島以上に「いい加減さ」があることが分ります。
ロンボク島がバリ島以上に貧しいってことです。
この「いい加減さ」ですが、
本音と建前の二つを使い分けることなんか及びもつかない.....、
即ち、心を司るもっと基本的な部分で必要不可欠なファジーさ、と思うんです。
そのファジーさが前面に出ただけです。
で、こうした「いい加減さ(ファジー)」を理解すると、
逆に心が解放されるものを感ずるんですよね(オレだけかも)。
オレ、天邪鬼なのかなア~
計算されない、その日その場の正直な心.....
貧しいところにこそ、そんな本物の心がある......
世界をみてきたオレが、カミさんに言い聞かせてきたことです。
そうした心を求めてオレ達夫婦もインドネシアに来たのでした。
もっともオレんちの場合、
半ば強引にカミさんを引っ張ってきたんだけど....チャンチャン。