さて、こうして事前工作を終えた。
もう決行までの期日は余すところ僅かであった。
田中はジャワ前線の大隊本部に急行した。
インドネシア兵の協力を得ることが本当にできるかどうか......
を、前線の現場で確認しておくためである。
ジイン少佐に面接し、第13旅団の命令書を提示した。
少佐は、協力することを確約してくれた。
以上で準備は整った。
ついで、田中は、
ワジャ正面のトンバン地区のオランダ軍の情報収集を行った。
集まった情報を分析し、検討した結果、
攻撃目標をキダル・オランダ軍硝所に決定した。
そして、
その攻撃目標のオランダ軍の兵力装備・陣地の状況、
及び付近部落住民の動向について、
綿密に、また周到に内偵を始めた。
そんな時であった。
ウリンギイより山口が来て、吉住が死去したと言う。
今日の通夜と明日の葬儀に参加するようにとの市来からの手紙があった。
田中は、大隊長ジイン少佐と「ネコ」に、
敵情報収集を続行するように依頼し、山口と共にウリンギイに引揚げた。
ウリンギに着いた後は、田中の証言どおり転記(一部省略)する。
(証言)
吉住の遺体はゼコン農園よりウリンギイに移されている。
日本人部隊の全員が集まっている。
ハイルデン以下、インドネシア人の顔も多数見受けられる。
吉住の霊前にぬかづき、焼香して合掌し冥福を祈る。
数日前この部屋で、
「スマランで暴れたように東部ジャワで暴れてくれ」
と言った吉住の声が聞こえてくるようである。
必ずやります。
8月31日に決行します。
何故にその日まで待ってくれなかったのですか。
ちょっと早すぎました。
私は今、前線から返ってきたばかりです。
あの世で詳報をお待ちください。
と、心の中で約束する。
一晩通夜のあと、翌日はトラックで、ブルタルに遺体を運び、
イスラム教方式で葬式が挙行された後、ブルタル陸軍基地に埋葬される。
インドネシア部隊の小銃射撃(礼砲)が墓地の四辺に木霊する。
日本人部隊長吉住、インドネシア名アリフは此処に眠る。
日本人全員、その日のうちにウリンギイに引き上げ、
翌朝全員集合の上、今後の日本人部隊の在り方について協議する。
先ず、隊長に昇格した市来が、部隊の規律を設定する必要性を強調し、
各自の意見を述べるようにとの発言があった。
私は、現在までの規則は、そのまま続行されるべきで、
何も吉住一人の死亡で全てを改める必要はないものと判断します。
と、発言した。
その発言に続き、次を申し出た。
尚、私は、第15旅団長ザイナル・アルヒン中佐、
第5旅団長スラマット中佐、ジイン大隊長、BPRI秘密旅団長、
マゲランのブロト、トウマングンの池上などとの打ち合わせがあるため、
これで、ウリンギイを離れます。
8月31日のオランダ軍攻撃は予定通り決行します。
これによって、吉住の霊に餞けとする覚悟です。
若し私と行動を共にする意志のある人は、
8月30日までにワジャの前線に集合されるようお願いします。
と、発言すると、
山口、広岡、日浦の3人が即座に同意を表明した。
翌日、私はこれら3名に事情あって林を加えて、
クジャへ向け出発した。
決行の期日が切迫している。
ぐずぐずしては居られない。
前線に着いた私は、ジイン少佐に面接して、
爾後の情報収集の状況を聴取した。
「ネコ」の情報も合わせると、キダル・オランダ軍硝所陣地の
状況が、ある程度浮き彫りになってきた。
強固な陣地によるオランダ軍兵力は、一ヶ小隊(30~60名)である。
重機関銃・迫撃砲も装備している。
8月30日までに駆けつけて来た日本人は、
山口、日浦、広岡、林、杉山、前川、家原、若林、山野で、
私を入れて、計10名である。
日本人全員集合して、攻撃の図上作戦を練る。
この攻撃に参加するインドネシア兵は二ヶ中隊(120~500名)、
日本人9名とする。
山野はトラック一台を準備して、RI地区前線に待機し、
戦闘終了後の日本人移動のための輸送を担当する。
移動先はダンビットのコーヒー農園とする。
日本人9名を含むインドネシア軍二ヶ中隊で集中攻撃して、
一時的にキダル陣地を占領する。
その間、兵器弾薬は全部頂戴する......、
という雄大な計画が出来上がる。