(証言者)
田中年男
1917年2月8日生 福岡県出身
第16軍憲兵隊 憲兵軍曹
田中年男は、小野寺忠雄と同様に憲兵出身である。
彼の証言には、
日本軍時代に憲兵だったという自負があちこちに見え隠れする。
そうした自負があったからだろう。
彼の戦闘は、少々あらっぽい。
が、そこに行くまでの作戦は用意周到である。
その辺を田中の証言から汲み取っていただければありがたい。
さて、
2012年12月12日の弊ブログ=阿部頌二で書いているが、
日本人とインドネシア人の間に、スマラン事件というのがあった。
このスマラン事件で相当な活躍をした田中年男は、
その後、インドネシア軍のいくつかの所属を経て、
KPI秘密師団に籍を置くこととなった。
このKPI秘密師団であるが、
100%独立派の地下集団であった。
兵力は、2万人をくだらなかったようで、まさに「師団」であった。
(註)旅団は2000~5000人、 師団はその上で1万~2万人。
地下集団だから、停戦協定があってもそれを遵守する気はない。
「独立か死か」で、最後までオランダ軍と交戦し、
完全独立を希望すると共に、これを勝ち抜き勝ち取る目的をもって
設立された集団である。
このKPI秘密師団に身を置いた田中は、
その時の心情をを次のように書いている。
KPI秘密師団は、
我ら日本人逃亡者と最後まで運命を共にすることができる、
唯一無二のインドネシア部隊である。
この有力部隊に参画できたことは、全く天佑といわねばならない。
この師団に置いて和戦両時に備えることを固く決意する。
KPI秘密師団の目的を明確に知った田中は、
入団すると直ぐに、カマギ師団長に、
目的を共にする日本人達が東部ジャワにいることを伝えた。
それを聞いた師団長は、大いに喜び連絡を取り合うため、
田中を東部ジャワに出向させることになった。
ということで、ここから田中年男の証言を始めます。
(証言)
直ちに東部ジャワのケデリーに出向し、山口に面接の上、
KPI秘密師団の実情を説明すると、山口は非常に喜んだ。
そして、吉住・市来を紹介してくれた。
吉住と市来は、東部に集まった憲兵を主力とする逃亡者をもって、
日本人部隊を編成することを考えていた。
そして、逆に私にその日本人部隊への参加を頼んできた。
私は、KPI秘密師団に所属していることを理由に断ったが、
ゲリラ戦における行動にあっては、その同目的のためには、
互いに協力して成果をあげるよう努力することを約束して、
ジョグジャカルタに引揚げた。
師団に帰り、カマギ師団長にそのことを報告した。
師団長は、報告を受けた後、
師団の現状として、使命達成のための行動が着々と進み、
軌道に乗っているという説明があった。
心強い限りであった。
日を変えて、ケデリー市内に行った時、
再び吉住と会う機会があった。
吉住は、インドネシア独立宣言以来の政治家の活動状況を
あらゆる角度から検討してまとめている最中であった。
橋本が傍で筆記している。
結核が悪化している吉住は、自分で書くだけの気力がないようである。
顔色も悪い。
挨拶するといきなり「刀を見せてくれ」という。
元気なところを見せようと努力している様である。
「菊一文字か、立派なものだ」と、讃めたあと、
「私のは胴田貫だ」と、長く重そうな刀を抜いて見せた。
実践用の刀である。
背の低い吉住には似合わない長刀である。
雑談の後、真剣な顔にかえった吉住が
「君にあらためてお願いがある」
「オランダ軍占領下にある敵地工作をやってもらいたい」
「今一度、スマランで活躍したように、この東部地区で暴れてもらいたい」
「それがこの地に集まっている日本人の一致した意見である」
と、懇願する。
そこで、
「スマランは指導者に多数の知人がいました」
「彼らの強力を得て動いたに過ぎません」
「その結果は、日イ双方に多数の犠牲者を出す羽目になりました」
「私にとって、東部ジャワのマラン地区は未知の土地です」
「ひとりの知人もいない状態です」
「あなた始め日本人多数の見当違いであります」
と、意見を述べた後、
市来以下が移動している、ウリンギイ部落に向けて出発した。
ウリンギイで市来に面談すると、市来は非常に喜び、
一片の紙片を取り出して、これが日本人部隊の編成表である。
と、次を見せてくれた。
隊長: 吉住
副隊長: 市来
庶務班長: 越智
情報連絡班長: 山口
民衆工作第一班長: 谷本
民衆工作第二班長: 中村
民衆工作第三班長: 井上
敵地工作班長: 田中
隊長以下の日本人の配置もきちんと決められていた。
各班には、2ヶ分隊(15~ 25名)のインドネシア兵が分担配属されていた。
この日本人部隊での元16軍憲兵は、9名であった。
それから数日、私は市来と共に行動した。
その時、吉住が日本人部隊に立ち寄った。
転地療養のため、セゴン農園に行く途中であった。
吉住は担架で運ばれていた。
市来に後事を託した吉住は、私に対して、
「とにかく、東部ジャワのマランで暴れてくれ」
と、繰り返しながら握手する。
氷のように冷たい手で、しっかり握る手には、
全身の力が集中しているようであった。
その真剣な目差しを見て気の毒になり断りきれず、
「引き受けました」
「近日中にマラン地区で暴れてみせますから見ていてください」
「今後は療養専一に務められて、一日も早く全快されることを祈っております」
と言って励ますと、
「有難う、有難う」と、
何回も繰り返して、かすかに微笑する。
吉住は再び担架に乗ってセゴン農園に登って行く。
看護の野口夫妻が後からついて行く。
見送りながら、市来と顔を見合わせる。