あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



広岡勇の証言:市来隊長の戦死(その3)

戦況はいよいよ逼迫して来ました。
杉山が「市来さ~ん」と3回連呼しましたが、
返事はありませんでした。


敵軍の左翼が迂回を始め、杉山重機の包囲体制を示しました。
重機の足元にも敵弾が集中し始めました。
一方重機の手持ち弾も少なくなったということで、
東の谷を渡って退避することとし、
前川機銃がしんがり部隊として退避援護をすることに決まりました。

その時、同時に杉山重機の射手、若林が「杉山さ~ん」
と、悲鳴をあげ始めました(その時負傷、後日死亡)。
杉山は「後を頼むぞ!」と言い残して退去し始めました。


前川機銃は部落中央道路に位置している敵本陣めがけて射撃を続行しました。
敵の擲弾筒弾は方向違いに落下、破裂しておりました。
我が擲弾筒隊の林が杉山重機は後退したというので、
「擲弾筒も直ぐ退れ」と、退避させました。


前川は機銃を雨外套で巻き、
片膝を立てて機銃をその上にのせ、
射撃と移動を繰り返しながら、
我々機銃隊も後退し始めました。
広岡は樹銃弾2~300発兵士から受け取り、
兵士も先に退却させました。

深さ50~60mの谷の上まで後退してきた時に、
杉山重機は谷を下りきり、対岸の崖を登り始めている所でした。
それは丁度蟻の行列を連想させるものでした。


先に後退した杉山重機の援護の元に、
我々もスメル山中で1~2と言われる深い谷を越え、
約30cm幅の細い崖道を約60mの高所まで這うように登り終え、
ゴム林に辿り着いた時には、緊張からの開放感も伴って、
兵器も投げ出してぶっ倒れました。


大地に身体を投げ出し、高ぶった気持ちも落ち着くと、
危機を脱出した安心感と共に心にも余裕が出来て、
谷越え時によくも敵さんは出てこなかったものだと、
前川とも話し合いました。

遮蔽物の少ない谷を渡っている際、
オランダ軍が追求して来ていたら、
我がゲリラ部隊はおそらく全滅に近い被害を受けたことであったと、
思われました。


その時又敵飛行機が飛来し、
アルジャサリ部落周辺を機銃掃射している音が伝わってきました。
敵軍は我々が南方面に後退したと判断した模様でした。

広岡にとってこの戦闘は初めての経験でした。
それに引きかえ杉山、前川は共に関東軍以来のツワモノであり、
適切な戦況判断とそれに基づく判断には頭の下がる思いでした。
おそらく市来隊長といえども、
そのような戦闘駆け引きは、真似が出来なかったであろうと思われました。


その後尚谷を越え、スンバル・アゴンの本体に合流したのは、
午後1時頃になっていました。

スンバル・アゴンの部落民も
既に今朝の戦闘のあったこと報を知っていて、
我々ゲリラ隊を手厚く持て成してくれ、
早速コーヒーや食事などの準備をしてくれました。

インドネシア兵士達は手まね足まねを交えて、
戦闘状況を住民に伝えるのでした。
そして、日本人部隊と行動を共にしていれば戦闘も間違いない、
との確信を持った様子で、
日本人を全面的に信用してくれるようになりました。


さて、一応満腹したので思い思いの場所を選んで仮眠休憩しました。
しかし、午後4時半になるも市来隊長と山野の消息が一向に得られず、
案じていたところ、2時間後の6時半、市来隊長を探して、
ダンピット方面を廻ってきたという山野が帰隊しました。

山野の話によると、
市来隊長は兵士の小銃をとって小銃隊に合流した由でした。
敵味方至近距離の戦闘でしたので、
相互共に中腰に腰を浮かさねば相手が見えにくい状況であったことから、
市来隊長が敵を求めて腰を半ばあげた途端、
敵の自動短銃が火を吹き負傷されたと言うことでした。


山野は直ちに兵士2名に市来隊長を後送する様指示し、
自身は破甲爆雷を敵中投げ込み、
敵部隊を威嚇した後、
周囲を見回した時には、
既に部下の兵士は1名もいなかった由でした。


山野は市来隊長がすでに後退したものと思い、
自身も後退し始めたが、
途中注意するもそれらしい様子は、
見られなかったということでありました。


その後も市来隊長に関する情報を集めるも、
一向に消息は判明しなかったことから、
山野に兵士数名を配し、
ダンピット方面を再度調査してもらうことになりました。


翌日1月4日早朝、山野を長とする市来隊長捜索隊は、
スンバル・アゴンを出発しました。

捜索隊は一日半を費やし、翌5日午後帰隊したが、
報告によると市来隊長らしい消息はつかめず、
ダンピット方面で負傷手当中という噂は、
全く誤報であることが判明しました。


再度協議の結果、
翌6日アルジャサリの戦闘現場を捜索することとし、
朝の9時半、日本人と小銃隊員が捜索隊を組織し基地を出ました。
再び谷を越えてアルジャサリに到着したのは、2時間後でした。


アルジャサリ部落の上方から捜索隊は一列横隊に展開して、
部落に下がりながら戦闘現場を探すも、
市来隊長に関連あると思われる兆候は何一つ得られませんでした。


又、アルジャサリの部落民を集め情報聴取するも結果は同じでした。
丁度戦闘のあった当日は、
敵飛行機の銃撃で部落民26名が死亡したことから、
事後処理に追われ、その後まだ畑に出た者もないということでした。
by yosaku60 | 2013-05-20 10:46 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)
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