イスラム教中心のインドネシア。
その中にあって、何故にバリ島だけが
ヒンズー教を守り通せたのか。
ここ一年間、その疑問を問きたく、
私なりにいろいろ考えてきた。
そして最近になって、それはバリ人の
自治の慣習によるものと結論付けた。
が、この結論は思考の途中経過でもあって、今後とも調べ考えてゆく。
と、前置きしておいた上、
これまで考えてきた順序を書き残しておきたい。
旧統治国であったオランダがバリ島の統治方法に旧来の王国制を残した。
オランダは、何故に王国制残したのか。
ブブアン(王一族の自殺行為と思えるオランダ軍への抵抗)に、オランダはバリ島統治の難しさを予感したのであろう。
が、それは王一族だけの抵抗であり、民族としての結集した抵抗ではないことの不自然さにも気づいたはずである。
即ち、各地の王とそこに住む民との主従意識の少なさの因を思ったはずである。
そして、各村に必ずあるバンジャール(村落共同体)制度の強さが故と悟ったのではなかろうか。
バンジャールには、村をまとめる法(道徳)があり行政があり裁判もある。
各バンジャールは、ひとつの自治国家とも言えるのだ。
中央の指令が届かぬ、こういう細かな組織体への統治の困難さを察したオランダは、バリ島の統治を旧王制に任せた。
即ち統治をやりっぱなした。
これが、バリ島のみにヒンズーの文化が残った理由ではなかろうか。
ただ、ヒンズー教ゆえにバンジャール制度が確立されたという面もある。
卵が先か鶏が先かの思考であり、思うにあいまみ合ってということでもあろう。
写真は、今年の「新年会」。
一緒に写っているのは、私の村のバンジャールの会長一家である。
左が会長のステンドラーさん、
バンジャールの会長の任期は5年である。
ステンドラーさんは、去年で10年を終え、交代を希望したが、住民の強い要望により、さらに5年、会長職を勤めることになった。
会長と言っても無報酬である。
言っておくが、バリの各種共同体の役員は全て無報酬である。
「みんなのために」・・・これがバリの共同体の風習であり、汚職を産むインドネシアの政治・行政と一線を引いている。
行政と一線を画し、警察権も及ばぬ実質的自治能力のあるバリ島のバンジャール制度。
この中に入らずしてバリ島を理解できない。