私は参政党員で神谷さんの演説内容...
大枠は同調できますが同調できないこともある。
それは、先の大東亜戦争で....
東南アジアの国々を独立させたのは日本だ!
と言いすぎることだ。
私のブログでは昭和天皇の宣戦の詔書も書いている。
小野田少尉がそれを胸に戦ったことも書いている。
バンドゥン会議に日本が招かれた意義も書いている。
リーズベルトも書いている。
彼の後ろにコミンテルンがいたことも書いている。
私は、インドネシアの地に住んでいて、
ここ10数年、残留日本兵に寄り添って勉強してきている。
そうした中で、もっとも腹が立つのは、
日本人がアジア人を上から目線で見るおこがましさだ。
東南アジアの国々を独立させたのは日本だ!
と言い切るのは、そのおこがましさに聞こえるのだ。
宣戦の詔書に見る開戦の理由はその通りである。
終戦後に独立する国が増えたというのもその通りである。
ただし、
目的がそうであって結果論もそうであってもそれが全てではない。
始めと終わりがあっても、その真ん中を忘れてはならない。
少し実例をあげて説明する。
★ インドネシアの独立戦争はPETAが主力で勝ち取った。
★ そのPETA(義勇軍)を作ったのは、柳川宗成である。
これは大枠はその通りである。
ただし全てではない。
全てではない理由は次のとおりだ。
★ 柳川は上層部をごまかしてPETAを作った。
★ 正規に作るものなら計画がつぶされた。
★ PETA内部でも日本への反発があった。
★ PETA出身のスハルトもPETAのことを避ける。
..........
★ インドネシアでは当初、日本兵は喜んで迎えられた。
★ 当初は良かった、が、すぐに日本兵の横暴さに辟易した。
★ オランダ時代の方がまだ良かったとの国民感情になった。
それが証拠に....
★ ここバリの青年リーダーにパジョコという男がいた。
★ 彼の活力の源泉は「日本兵への仕返し」だった。
★ 彼は民間人だが、軍隊を組織する必要に迫られた。
★ 誰を軍のリーダーとして選ぼうか、彼はングラライを選んだ。
★ ングラライは、日本に反感を持つリーダーだったからだ。
★ その彼が、後にバリ島の独立の英雄となる。
.......
★ 戦前に三浦襄という男がバリに住んでいた。
★ 彼は日本兵とバリ人の間にたってもめ事を処理していた。
★ 日本兵の横暴さに三浦襄はほとほとと困った。
★ その度にバリ人に独立までの辛抱だ我慢してくれと頼んだ。
★ しかし、インドネシアは独立できず日本は敗戦した。
★ 三浦襄は、バリ人を苦しめた責任をとって自殺した。
★ 私が死ぬので日本兵の横暴さを許してやってくれ....と。
こと左様に日本兵は横暴で恨まれたのだ。
目的、結果がどうであれ、そのことを忘れてはならない。
東南アジアの国々を独立させたのは日本だ!
と言い過ぎるのは、そのことを忘れているのと同じだ。
実は、昨日、同じような光景を現在のバリ島で見てしまった。
これは昨日の写真である。
マルガラナの祈念塔に行った。
右から二番目の男性は残留日本兵のお孫さんと結婚した人だ。
その左隣が男性の娘さんだ。
日本人の血が8分の1ある。

見て欲しいのはこの人たちではない。
写真の右端だ。
拡大してみる。
頭に鉢巻をしているのがある。
残留日本兵のものである。

私は、この鉢巻を見ると腹が立ってならない。
誰がこれをかぶせたのだろうか。
誰も見ていなかったら私はこの鉢巻を外す。
「ごめんなさい」と言って外す。
過去にそうして外したことがあった。
だが、また誰かが鉢巻をかぶせるのだ。
誰がかぶせるのだろうか。
バリに住む日本人ではないと思う。
きっと日本人の観光客がかぶせるのだろう。
こんなのを見ると...
俺たち日本人が助けてやった.....
とおこがしく主張してるように見えるのだ。
情けない。
私は、残留日本兵のひとりひとりを全て調べた。
どなたもバリ人を上から目線で見るような生意気な男はいない。
バリ人に溶け込んでバリ人のためにバリ人として死んでいった。
名前も日本名を使わずバリ名を使った。
バリ人になり切った。
死んだらバリ式の葬儀をしてくれと言って死んだ人もいた。
そんな彼らに「日本の鉢巻」をして喜ぶと思うのか。
彼らの前に立ちそーと「ありがとう」とだけ言えば良いのだ。
ということで、神谷さん。
私は、あなたのいうことほとんど了解しているが、
日本が東南アジアの国を独立させたといっても良いが、
あまり言い過ぎると、日本人としての品位がなくなる。
理屈とは別に日本兵に苦しめれたアジア人もいる。
戦争なので、あまり謝らなくとも良い。
済んだことでもある。
だけど忘れてはならないと思うのだ。
日本人が終戦で自虐心を叩きこまれた話とは別である。
そのことを少し考えて欲しい。
でも、がんばれ。
少し自慢させてほしい。
マルガラナには1372名の祈念塔がある。
独立戦争中に死んだ人たちだ。
この中に13人の残留日本兵が混ざっている。
戦前戦中にはいろいろあった。
が、ングラライ保存会(ヤヤサン)の方たちは、
この13名に感謝の意を述べてくれている。
私はこの13名に寄り添ってヤヤサンと付き合っている。
先日、ヤヤサンが言う。
あんたは14番目の残留日本兵だ!!
私にとっては何よりもの誉め言葉だ。
この言葉をもらったことは私の誇りだ。
これだけでもバリ島に住んだ価値があった。