あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



ナシジンゴのナシジンゴたる由縁

昨日も今日も朝食はナシジンゴでした。
写真は今朝の私...
d0083068_09361350.jpg
ナシジンゴ、一食、35円~45円。
量が少ないので、ナシ・クチン(猫)とも言われます。
ネコの食べる程の「少ないごはん」と言う意味なのでしょう。
d0083068_09392196.jpg
以前、ナシジンゴは「労働者のメシ」と言う意味だと書きました。
ではありませんでした。
で、ナシジンゴの命名の由縁をば.....

オランダ人のことをオを抜いてランダ、さらにラがロに変わり、
ロンド人と呼ばれます。
ちょっと昔、ブノアにロンド人の男性がいました。
そのロンド人は、仇名を「ジェンゴ」と言いました。

ジェンゴには、バリ人の奥さまがいました。
ジェンゴの奥さまなので「マ・ジェンゴ」と呼ばれていました。

ある日のこと、
マ・ジェンゴは、簡単に食べれる「少量の混ぜご飯」を
売り出しました。 これが美味しいと、評判を呼び、
マ・ジェンゴが作るものなので、「ナシ・ジンゴ」と、
呼ばれ、またたく間に、バリ中に普及しました。

これが、ナシジンゴのナシジンゴたる由縁です。
ということは、バリ島だけで通ずる呼び名なのでしょう。

# by yosaku60 | 2017-07-09 10:10 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

バリ島の地形(その14;Tegal Linggah)

⑤の場所、キンタマニー外輪山上のほぼ北、
村の名でいえば、Tegal Linggah ですが、家はほとんどありません。
d0083068_09123304.jpg
ここまで行くのは少々大変です。
外輪山上の道は、あちこち穴が開いていて、でこぼこ道だからです。
でも、こんな景色が見えるのです。
右がバトゥル山、中央がアバン山、左がアグン山です。
三つの山を一緒に見ることができるのは、ここだけです。
d0083068_08143499.jpg
何故に三つの山が見えるのか。
写真を撮ったのは、赤丸の場所です。
d0083068_08153614.jpg
外輪山の上を更に東に行くと、
ブランディンガン村に着きます。
小さい道がありますが、ほとんど行き止まりです。
ここで、ングラライの兵がひとり飛行機から撃たれ戦死しています。
写真が、その慰霊碑です。
d0083068_08192094.jpg
この慰霊碑のある場所は、
三叉路になってキンタマニーの盆地の中に降りる道があります。
降りた処が、バトゥル湖の東の果てのソンガンと言う村(写真)です。
d0083068_08222240.jpg
ソンガン村の村民....
バリ人ですが、なぜか顔が少々違うように思えたことがあります。
気のせいかな~

# by yosaku60 | 2017-07-09 08:27 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

バリ島の地形(その14;Seraya)

③の地点、Ujung water palace から Amed までの海岸線、
20キロのうちの10キロほど.....
d0083068_09123304.jpg
(Ujung water palace)
d0083068_08124815.jpg
(Amed)
d0083068_08135410.jpg
この区間、ここ5年だけ見ても、どんどん発展している。
発展の方向は、アメッドからスラヤに向かってだ。
すでに5キロは、ビラやホテルが建っている。
いずれ10年もすれば、海を見下ろす道路沿いは、
家で埋まるのではないだろうか。
といっても、棲む人は欧米人。
発展と共に、バリの昔が消えてゆくのだろう。

# by yosaku60 | 2017-07-08 08:27 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

バリ島の地形(その13;Sidemen)

③の地点、Sidemen。
隠れた宿泊村になって久しい。
d0083068_09123304.jpg
川沿いの景観を楽しみながらの滞在がコンセプトの村であるが、
霧がかかることが多く、付近の山の全貌はなかなか見れない。
それに宿泊のほとんどがホームステー、
それも長年、軒数が増えていなく手詰まり感あり。

ただ、Unda川の川向うのLuah村あたりの田舎感が少々面白いかも、
ここ2年ほど、橋がながれて向こう岸に渡れなかったが、
もう新しい橋がかかったとの情報が聞こえてきた。
どういう橋がかかったのだとうか、
一度、行ってみたいと思っている。

(写真はLuah村)
d0083068_08071426.jpg


# by yosaku60 | 2017-07-07 08:07 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

バリ島の地形(その12;Banjar Anyar 村)

②の地点、バンジャールアニャール村周辺....
いつの日からか、少しづつ噂がひろがり、
今や欧米人が好んで訪れる(あるいは住む)場所になっている。
d0083068_09123304.jpg

1、村々に昔のバリが残っている。
2、平和な田園地帯である。
3、高い峰や深い谷が少なく、全体として丘陵地である。
4、喧騒地のシンガラジャから離れていて車やバイクの往来がない。

ということで、なかなか良いところですよ。
d0083068_09153916.jpg
d0083068_09160867.jpg
d0083068_09163945.jpg
d0083068_09165676.jpg

(交通)

ブドグル街道から降りる道はありません。
シンガラジャからパンジ経由で村に近づけます。
後ろ2枚の写真は、バンジャールアニャールの更に奥のチェンガナ部落です。

# by yosaku60 | 2017-07-06 09:27 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

バリ島の地形(その11;Belok村)

①の地点の風光明媚な処です。
d0083068_09123304.jpg
プラガの大橋(写真)を過ぎてmungsenganまでの6キロの間が

1、右も左も緩やかな谷で見晴らしが素晴らしい。
2、高地なので空気がさわやかで美味しい。
3、車やバイクが少ない。
を理由に大好きな場所です。

(プラガの大橋)
d0083068_09510730.jpg

# by yosaku60 | 2017-07-05 09:52 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

ジェイ一家と食事会

昨夜は、
ロンボク島からバリに遊びにきたジェイ一家との食事会でした。
モスリムの人と食事をするときは少々難しいんです。
おまけにベジタリアンも中に混ざっているのです。
さらに、お酒を飲むのは、私だけ....
だなんて、難しすぎる。

で、難しい注文を受けてくれる、レストラン「ムティアラ」へ、GO!
左から、リナ(ドイツ人)、タニヤ、カニヤ、カミさん。

d0083068_11290853.jpg
左から、ジェイ、私、アンディ(オーストラリア人)。
d0083068_11303446.jpg
左から、タリア、クミン、ジェイ。
d0083068_11315648.jpg
もう一人、男の子がいたんですけどね~
走り回ってて、カメラに入っていませんでした。

カメラ目線ができるようになった、カニヤ。
d0083068_11331860.jpg
このの中にベジタリアンが4人いるのです。
それにサーファーがひとり(サーファーは、話題が特殊で少々苦手)いるのです。
ほんに、難しい食事会でした。

レストラン「ムティアラ」の森崎さんへ、
わがままなオーダーを聞いていただき、ありがとうございました。
難しい食事会にも拘わらず、楽しく終えることができました。

# by yosaku60 | 2017-07-04 11:42 | ロンボク島= | Comments(0)

ロンボク島からジェイ一家バリに遊びに来る

ロンボク島からジェイ一家がバリに遊びに来た。
片道一時間半を毎日バイクで往復し、
建築現場で肉体労働をしているジェイ。
その現場は、山の傾斜地という過酷な処。
そんな現場で年中無休で働く真面目なジェイ。
働いて3年半になるのに、愚痴一つ聞いたことがない。
私が尊敬するインドネシア人のひとりだ。
そんなジェイ.....
ボスに話して、三日間休みをもらったとのこと。
よかったな~ ジェイ。
d0083068_09170368.jpg
奥さんのカニヤ。
強い、弱い。厳しい、優しい。
いろいろな性格が混ざった、カニヤ。
時々「元気か」と電話で呼んでくれる。
こんなじじいを忘れないでいてくれて、ありがとうね。
d0083068_09171644.jpg
もうすぐ小学2年生になる、タニヤ。
オレに会えるってんで、昨夜は寝れなかった...って、
ありがとう。
d0083068_09173103.jpg

# by yosaku60 | 2017-07-03 09:17 | ロンボク島= | Comments(0)

バリ島の地形(その10;ングラライ軍ー8)

パングジャラン村の戦い その2


(写真;中央のご婦人の叔父さんが戦死した)
d0083068_08015716.jpg
その西の方向から、自動小銃の音が聞こえてきた。

味方のサルジャ中尉隊の自動小銃だった。

サルジャ中尉隊は、昨夜から南の方の番屋で休んでいた。

外から見て、本隊が西に逃げるということを事前に察していた。

で、本隊の西に廻り、敵が待ち伏せるのを待ち伏せていたのだ。


西に廻ろうとした敵は総崩れし、退却した。

ただ、この時のサルジャ中尉隊の自動小銃は、弾が一五発しかなかった。

九発撃って、残り四発しか残っていなかった。


ングラライ隊は、開けた西に向かって谷を降りた。

少し降りたら、平らな台地があった。

先ほどの位置から百メートルほど離れている。

その台地に布陣し、敵の動向をうかがった。

午後五時三〇分ごろだった。

あたりが暗くなり始めた。

オランダ軍は、決して夜は戦いを仕掛けてこなかった。

それは、今までの体験からわかっていた。

待ちに待った、その夜がきた。


ングラライ隊は、台地から抜け出ようと動いた。

七時ごろだったろうか、その時であった。

北の方角で爆発音が響いた。

とたん、味方の隠れた台地が明るく照らされた。

昼間のような明るさだ。

照明弾だ。

照明弾など見たこともない隊員が多かったのでパニックになった。

台地の真ん中に迫撃砲弾が落ちた。

隊員はますますパニックになり、西に南に逃げた。

逃げ終えて空になった台地に迫撃砲弾があられのように降ってきた。


間一髪であった。


南に逃げた者も西に逃げた者も、ゆくゆくは同じ谷底に落ちて行った。

暗くて何も見えない。

下に下にと落ちてゆくだけだった。

道はなかった。

雨水の流れ道があった。

その道を辿りながら谷へと落ちて行った。


みんな疲れていた。

ここまでは追ってこない。

とりあえず寝ることにした。

が、寝る場所を探せない。

誰かが木に足を踏ん張って寝た。

その者の肩を踏み台にして、木にしがみつき誰かが寝た。

その誰かに背中をくっつけて誰かが寝た。

そんな夜が明けて、翌日になった。


ばらばらになった隊をまとめるのが大変だった。

サルジャとダンガが谷に落ち上がれなくなっていた。

そこには、ジャワ海軍部隊の何人かも一緒だった。

八メートルほど下の穴に落ちていた。

直径一メートルほどの穴に押し合いながら座っていた。

身動きできない風だった。


みんなで引っ張り上げた。

深い谷底を彷徨する


ングラライ隊は、滑るように谷底に落ちて止まった。

ングラライは、ウィスヌに指示して全部隊の点呼をとった。

スギアニャール大尉隊は、アグン山を越えなかった者が七名いた。

(日本人二人を含む)


その七名は、隊に帰って来なかった。

ブランディンガン村では、ひとりが行方不明になった。

昨夜、パンガジャラン村では、二人が戦死した。

ウィジャナ大尉のタバナン隊の一個小隊が行方不明だった。

その一個小隊は、クレデック軽機隊であった。

マルカディ大尉のジャワ海軍隊は、全員そろっていた。

スイジャ大尉のブレレン隊は、全員そろっていた。

ムディタ中尉のバンリ隊は、全員そろっていた。

ディアサ中尉の対空射撃小隊は、全員そろっていた。

ピンダ中尉の擲弾筒部隊も全員揃っていた。

ウィスヌ少佐指揮下の本部スタッフは、四名が行方不明であった。

以上が谷底に集まった小スンダ連隊本隊の約三百名であった。


全員が空腹だった。

小銃や機関銃はあったが、弾丸はほとんどなかった。

オランダ軍や山のオランダ兵は、この様な状態を知っているだろう。

オランダ軍にとっては、牙と爪を失った大虎同然だ。

ングラライは思った。

大虎よりも猫かネズミの方が良かったかも知れない。

逃げ回れるし、食料を探すのも楽だ。

ングラライ隊は、士気が低下している。

戦う弾丸がなく、生きる食料が不足している。

なのに、敵はだんだんと士気があがっているように思える。

以前は、夜には、戦って来なかった。

が、今は昼夜、戦いをしかけてくる。

以前は、一方から攻めてきた。

が、今は、二方、三方より挟み撃ちに来る。

戦う人数が増えている。

村人の多くが、親蘭派になっている。

なぜに、村人が、こんな風になったのだろうか。

理由はふたつあった。

ひとつは、脅されて恐怖がゆえに親蘭派になった。

もうひとつは、オランダ軍の効果的な宣伝だ。

メラプティ派は、強盗や盗賊で社会を混乱させている。

そんな風に言いふらして、それを信用する村人も多い。

いずれにしても、オランダは長い宗主国の経験があった。

植民地の住民を手なずけるに慣れていた。

今のングラライは、どうしようもできなかった。

谷底を逃げるのみであった。

が、谷底を逃げるのも全く安全とは言えなかった。

時々、飛行機が襲ってくるのだ。

飛行機は決まって、昨夜宿営した場所に爆撃弾を落とす。

崖の上から村人が見つけて通報するのだろう。

で、宿営しても夜明け前に起きて、その場所を抜けだした。


どれだけ歩いたろうか。

谷が浅くなった場所に出た。

少し登れば、道路のようなものがあるようだ。

まばらだが、人家がある。

斥候を出し、確認すると、クランディス村という。

それに嬉しいことに村民の全てがメラプティ派とのこと。

ングラライは、全員が谷から出るよう命令した。


(写真;パングジャラン村にある闘争モニュメント)
d0083068_08035379.jpg

# by yosaku60 | 2017-07-03 07:56 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その9;ングラライ軍ー7)

パングジャラン村の戦い その1


どこを歩いても親蘭派ばかりだ。

メラプティ派の村がなくなった。

ングラライは、メラプティ派を求めて山へ山へと入った。


スルルン村辺りに来た時だった。

道端に二人の男が腰を落として座っていた。

よく見ると二人とも眠っていた。

「おじさん、ちょっと話があるのだけど」

起こされた二人は、ングラライ隊を見て飛び跳ねて逃げた。

その様子を見て、すぐに理解できた。

彼らは、ングラライ隊が来るのを見張っていたのだ。

ここにも山のオランダ人がいた。

至る所が親蘭派になっている。

明日は、ここにオランダ軍が来るだろう。

ングラライは先を急いだ。

一夜を通して歩き、パングジャラン村に着いた。

人里離れた小さな村である。

が、村にはすぐに入らなかった。

川を挟んだ対岸の森の中に隠れた。

川の水は澄んでいた。

隊員は体を洗い、衣服までも洗濯した。

蚤退治の新しい方法も見つけた。

衣服を石の上に広げる。

丸い平らな石で衣服を押しながらこする。

すると、蚤がプチプチと音をたててつぶれるのだ。

隊員は久しぶりにくつろいだ。

カランガッサムのサム部落を思い出した。

ひとつ違うのは、火を使えなかったことだ。

サム部落は火を使っても通報されることはなかった。

が、ここで火を使うことの安全性は確認されていなかった。

野生のものでも火を使わないと食べられないものがある。

火を使っても大丈夫だろうか。

パングジャラン村にもスパイがいるだろうか。

ングラライは、それらを確認するための斥候を出した。

斥候が帰ってきた。

村民はメラプティ派でもなければ親蘭派でもない。

そうしたことに村民は無縁に過ごしている。

ということであった。


(現在のパングジャランの村;昔と変わってないという)

d0083068_08000415.jpg


ングラライ隊は、村に入って行った。

この村には、トウモロコシがいっぱいあった。

食べてもいいですか、と聞くと、

「どうぞ、どうぞ」の返事が返ってきた。

隊員は、村のあちこちに分かれて休息した。

その晩は、みながゆっくり眠れた。


翌日であった。

みんなが寝ている小屋の上に鳥が飛んできた。

そして、やかましいほどに鳴いた。

隊員は、知っていた。

鳥が来て鳴くとオランダ兵が来る。

その前触れに鳥が来て鳴く。

なんども、その鳥に助けられた。

もうすぐ、オランダ兵がここに来る。

ングラライに知らせねばならない。

ングラライの寝ている家までは遠い。


すぐに伝令が走った。

知らせを受けたングラライは、すぐに斥候を出した。

その斥候を待ったために、臨戦準備が遅れた。

斥候が帰って来た時、敵は北東方向二キロに来ていた。

敵はトラックに乗っていた。

ングラライは、すぐに全軍迎撃態勢を命令した。

隊員は、走ずり回った。


その時だった。

南の方角、わずか三〇メートルから銃声が聞こえた。

タッタッタッタッ

あきらかに自動小銃の音である。

準備が遅れた。

誰もがパニックになった。

そんな時、報告があった。


歩哨に立っていた二人が一〇メートルの至近から撃たれた。

「撃たれたのは誰だ」ピンダが聞いた。

「イ・グデとデワ・ウィです」の答えが返ってきた。

敵は、北東と南から来ている。

西方向は、険しい谷底になっている。

西に逃げるしか道がない。

が、そうしたことは、オランダ軍はすでに知っているだろう。

西の崖の手前に待伏せているに違いない。

ただし、手薄であろうから、その囲いを突破するしかない。


と、思った時だった。


# by yosaku60 | 2017-07-02 07:58 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その8;ングラライ軍ー6)

ングラライのゲリラ戦、
①の地点の往路の二つの戦い、
ランプーの戦いとボンの戦いを書いた。
d0083068_09123304.jpg
この二つの戦いに関して(行軍)と(自軍)
をまとめて一言でいうと、

(行軍)

まだ、敵の攻撃が厳しくなく、クランディス渓谷の峰を歩けた。

(自軍)

次から次と入隊希望の若者が現れて、兵員数1000名に膨れ上がり、
当然に、その中には、親蘭派のスパイが紛れ込んでいたため、作戦が
敵に筒抜けとなり、ングラライは、その対応に困った。

で........

ングラライは、自軍の中にいるスパイ(マタマタ)一掃とスリム化の
ため、三日後に兵員数を半数にする。
それ以降、自軍の行動が敵にもれなくなり、また、兵のほとんどが、
火器を持つこととなり「強力なゲリラ軍」が出来上がる。

それが、タナアロンの大勝利につながる。
が、タナアロンで、殆どの弾薬を使い果たしてしまったゲリラ軍、
アグン山の山越えをしたあたりから、襲われると逃げ回ることの
多い、ゲリラ戦に変わって行った。

で......

そういう状態で、①の地点に戻ってきて、起こったのが、
パングジャランの戦い。
ングラライ軍は、逃げ落ちるように渓谷にはまり込んで行く。
その後、谷の底をはいずり歩く。

ということで.....

①という、同じ地点を、往路は峰を歩き、復路は谷底を歩く、
そうならざるを得なかった、ングラライはいかほどに悔しかっ
ただろうか。

明日は、そんな「パングジャランの戦い」を書く。

# by yosaku60 | 2017-07-01 09:36 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その7;ングラライ軍ー5)


①の付近であったングラライのゲリラ戦、
次は、ボンの戦い。
d0083068_10180064.jpg
パ・ジョコが離隊した、ボン村でも戦いがあった。
ランプ村のオランダ軍硝戒所襲撃が失敗した。
それは襲撃が失敗しただけでは終わらなかった。
ングラライ軍がランプ村周辺にいることがばれたのである。

オランダ軍が集中的にパトロールしてきた。
そのパトロール隊を襲おうとして逆撃ちに会った。
それが「ボンの戦い」だ。

一九四六年六月十三日であった。
陽が沈みかけた夕刻であった。
ングラライ隊は、ボン村にいた。

その村の近くを七人の敵のパトロール隊がやってきた。
味方軍は、それを事前に知り待ち伏せをしていた。

味方は小高い丘の上にいた。
断然に有利な位置取りであった。

パトロール隊が眼下に来たので襲った。
が、するりと抜け出て逃げられた。
で、逆に襲われてしまった。
マデ・スレムが正面から弾を受けた。
くるりと反転すると、今度は背後から撃たれた。
体の中が全部見えるほどの穴が開いた。
ダムダム弾を使った模様だ。
彼は、即死した。

(写真は、ボンにある戦闘モニュメント)
マデ・スレムが戦死した事が書かれている。
d0083068_07572851.jpg
グスティ・ナティも負傷した。
胸に被弾し、弾は肺を貫通していた。
一人が戦死し、一人が負傷した。
敵を撃つことすらできなかった。
完敗だった。

# by yosaku60 | 2017-06-30 07:48 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その6;ングラライ軍ー4)

①の地点で、
ングラライは、3度の戦いをしている。
1、ランプーの戦い
2、ボンの戦い
3、パンゲジャランの戦い
である。

ランプーの戦い、と、ボンの戦いは、「往路」である。
パングジャランの戦いは、「復路」である。

この「往路」と「復路」の戦いを比較してみると、
ングラライのゲリラ戦の全体像がよく見える。

やって見る。
まずは「ランプーの戦い」である。

ランプーの戦い

ランプ村には、オランダ軍の硝戒所があった。
ジクグ隊とグルブ隊が、そこを襲うことになった。
二隊合わせて二個小隊(八十名)ほどの軍勢であった。

ジクグ中尉もグルブ中尉も日本の義勇軍育ちであった。
訓練を十分に積んでいる。
立派に隊列を組み、出発して行った。

で、翌日早朝に隊は帰ってきた。
ジクグ中尉が腿に被弾し、二人の行方不明者があった。
襲うどころか襲われたのである。

敵は、とんでもないところに待ち伏せしていた。
その場所は、味方でなければわからない場所だった。
ということは、味方軍にスパイがいるということだ。

ングラライ軍が戦うと、味方してくれた村は、
あとで必ずオランダ軍により村が燃やされる。

村が燃やされるたびに、スパイが増える。
これには、ングラライも悩んだ。

同じく、パ・ジョコも悩んだ。
当時の二人の関係は微妙であった。

ングラライ隊にあって、パ・ジョコは参謀であった。
が、参謀以上の地位にあった。

パ・ジョコは一九二三年五月生まれで、当時は二三歳。
ングラライは、一九一七年一月生まれで、当時は二九歳。
年齢は、パ・ジョコの方が六歳若い。
が、パ・ジョコには、長い闘争歴があった。
日本軍がインドネシアに来た直後から闘争を始めている。
その時、パ・ジョコは、まだ十八歳だった。

二十歳でバリ島全てを統括する青年隊のトップになっていた。
今も、パ・ジョコをトップと崇めるバリ人青年が多くいた。
闘争に軍隊が必要と、ングラライを選んだのもパ・ジョコだった。

ングラライは「戦い」についてはウィスヌ少佐に相談した。
が、「独立闘争の仕方全般」についてはパ・ジョコに相談した。

二人は、そんな関係だった。
ベンケルアニャールの司令部を解いた時もそうだった。

ングラライの長征希望をパ・ジョコも賛成して決められた。
今回も二人は、話し合った。

ングラライの言い分は一貫していた。
あくまでも戦う。
戦って勝たなければ独立ができない。
が、今のままでは、勝てない。
ジャワ島からの援軍と武器の補給が必要だ。
そのために、東に向かって長征を続ける。
敵の目を東に向けて、西のジャワ軍上陸を助ける。

これに対して、パ・ジョコの意見は違った。
目的はインドネシア独立である。
親蘭派が増えれば増えるほど独立が遠のく。
戦えば戦うほど、親蘭派が増える。
戦わずして、島民の意識を変える方法を考えるべきだ。
長征して戦い続けるのは反対だ。

バリ島の中央部に司令部を構えて籠城する。
幸いに、この地の地形は複雑だ。
籠城するに最適だ。

それに、ブレレン県とバンリ県とバドゥン県の県境にある。
三つの県から注目を集める司令部ができる。
二人は、長時間話し合った。

お互いの考えがお互いに理解できた。
独立を望む闘争心は同じであった。

二人は、結論を出した。
お互いは助け合いながら独自の道を進む。

パ・ジョコは拠点をバドゥンに置き、バリ島の若者をまとめる。
パ・ジョコは、ボン村に入ったところで、ングラライ軍を離れた。
そこは、パ・ジョコの拠点であるバドゥン県だからであった。

(写真は、ランプー村にある戦闘記念モニュメント)
d0083068_15032087.jpg


# by yosaku60 | 2017-06-29 13:34 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その5;ングラライ軍ー3)

複雑なバリ島の地形....

車で走ると「バリ島っていいな~」と思える処がいっぱいあります。
ざーと、思いつくところをひろって見て、
何が良かったか、書いてみたいと思います。

まあ、次の9か所ですが、
まだ、調査中ですので、全部ではありません。
道路は、いい加減です(念のため)。

d0083068_10180064.jpg
まずは、①です。
私が大好きな場所です。
村でいえば、ランプー村近辺です。
ここに行くと、なぜか幸せを感じます。
この場所は、1、戦略的な位置 2、風光明媚
の二つの特徴があります。

で、今日は、この場所の戦略的な位置、の意義。

ここは、3県~4県の県境です。
バドゥン県に近く、
バンリ県に近く、
ブレレン県に近く、
それに、タバナン県もそれほど遠くないのです。

独立戦争の時のバリ兵は、県ごとに「隊」を作っていました。
4県の兵が集合しやすいのが、この場所なのです。

ングラライのあとのバリ島の指導者は、パジョコという人物です。
ングラライとパジョコは、ある時期一緒に戦略を練っていました。
で、この場所に来た時でした。

ングラライは、東に向けて行軍を主張。
パジョコは、この場所の戦略的意義を考え、ここで司令部を置き、
ここから、バリ中に指示を出すことを主張。

するのです。
結局は、ングラライの主張したとおり、ここから東に移動します。
で、パジョコは、この地点でングラライと別れるのです。

この場所は、そんな歴史的拠点なんです。
それが、私が時々行ってみたくなる理由の一つです。

# by yosaku60 | 2017-06-28 10:35 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その4;ングラライ軍ー2)

バリ島の複雑な地形とングラライのゲリラ隊の関係....
密林に入ったり、渓谷に入ると飛行機からは狙われない。
平地に出たり峰を歩いたりすると、飛行機から撃たれる。

当時、飛行機はスラウェシ島のマカッサルから飛んできていた。
近いといっても2時間以上かかったから、常時狙われたのではない。
空から発見されやすい場所に出た時に襲われた。

さて、ングラライ軍は、半年間の間に6回、
飛行機から襲われた。
d0083068_13371501.jpg
①は、ジェンブラナである。
これはングラライ軍の本隊ではない、ジェンブラナ支隊が
襲われたものである。
唯一、渓谷の中にいるのに襲われた。
ただ、陸上からアンボン軍のあぶり出しがあった。
渓谷の上の峰からアンボン兵が撃つ、出てきたところを
飛行機から機銃掃射するという戦法で、相当の犠牲者が出た。

②は、タバナンのムンドックマランである。
起伏の緩やかな丘が多い地である。
飛行機からは丸見えだ。
迫りくる飛行機に高木米治が機関銃を撃ち、命中させる。
ただ、ふらふらしながらも、落ちなかった。
次の飛行機には、松井久年が12.7ミリ重機を命中させる。
この飛行機は至近に墜落した。
ここでのバリ軍の戦死者はゼロだった。

③の地は渓谷から峰に出た処を狙われた。
場所は、ブラタン湖の東のラワック村、
ングラライ軍は、東の渓谷に逃げて、戦死者ゼロ。
ただ、峰を歩くことの危険さを知る。
照明弾も撃ってきた。

④は、タナアロン。
96名のオランダ兵が殺され、次の日、怒ったオランダが
飛行機で追っかけてくる。 背丈の低い木の茂みに服をかけて
そこに居るようにカモフラジュするングラライ軍。
その服めがけて、飛行機から機銃掃射....
その隙を狙って、ングラライ軍はアグン山を越える。

⑤は、バトゥル湖の北、ブランディンガン村。
オランダのスパイに通報され、突然空から襲われる。
逃げ遅れた一名が戦死。

⑥は、パキサンからギギット間、
クランディス渓谷から出てくるングラライ軍を待ち受ける
オランダの飛行機。
埃をたてないように行軍し、なんとか見つからずに歩きぬく。

⑦は、マルガラナ。
陸と空からの波状攻撃を受ける。
逃げ込む林や渓谷の方は、全てオランダ軍が待ち受けていて、
平地に閉じ込められて、外に逃げれない。
そこを飛行機から機銃掃射される。
96名のチュウワナラ隊(ングラライ軍の最後の軍の名)は、
全滅、その多くは飛行機からの掃射で戦死。

# by yosaku60 | 2017-06-27 14:00 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その3;ングラライ軍ー1)

バリの地形...
なんぞと大きな題をつけたもんだから、
どこから書いていいか入る処がみつからず、
悩んでいる(笑)

で、最も書きたい処から入ることにする。

書きたいのはバリ島の複雑な地形だ。
隠れて襲撃したり襲われたら逃げたりする処がいっぱいある。
そんな地形なもんだから、ングラライはゲリラ戦を戦えた。

それを書きたい。

まず、ングラライのゲリラ戦を大雑把に捉えたい。
それには、ングラライの軍勢の推移を見ることだ。

全てが1946年の話....

1、4月、デンパサールのオランダ宿舎攻撃軍勢

  2000名
  これは、バドゥンとギャニアールだけ、
  ほとんどが「竹槍隊」
  堀内も日本軍では大尉(バリ軍では中佐)という偉い人
  だったのに、ピストルと竹槍だけで突進したのですよ。

2、5月、ムンドックマランでのングラライ軍の旗揚げ

  2000名
  バドゥンとギャニアールの1000名
  プラスその他の地方。

3、6月、「ムンドックマランの戦い」で
  司令部をベンケルアニャールに移転。

  1000名
  残り1000名は、各自の田舎に帰さす。

4、6月、バトゥカル山の山越え

  800名
  200名は、田舎に帰さす。

5、6月、ブレレン着

  1000名、
  軍勢が多いと、与える食料が大変!
  やっと800名に減らしたのに、シンガラジャ近辺から
  新しい兵が加わって、またまた1000名になる。
  (このときの日本兵の数;17名)

6、6月、キンタマニー高原を前にして、

  500名、
  場所は、マニクリユ村、ここで、軍のスリム化を図る。
  半数を田舎に返す。

7、6月、キンタマニー高原の麓にて、

  400名、
  場所は、ランディ村。
  日本兵8人で「日本兵特別遊撃隊」を作るなど
  軍勢を小分けして、400名まで減らす。

8、7月、「タナアロンの戦い」
 
  350名、

9、7月、アグンサン越え、

  330名、
  (日本兵二人行方不明に)

10、8月、ムンドック、プンゴレンガンでの解散、

  300名、

これが、ングラライ軍の大雑把な軍勢です。
これだけの人数がバリ島の複雑な地形を歩いたのです。

減らしても減らしても、参加してくる青年達がいて、
ングラライは困るのです。
武器を持っていない、竹槍だけの兵がいくら増えても
敵の機関銃には勝てません。
その竹槍兵に「食料」を支給するのが大変なのです。

大変といえば、

ングラライ軍の持っていた、一番破壊力のある武器...
それは、飛行機も落とせる、12.7ミリ重機でした。
それを使うのは、日本兵の松井久年でした。
この重機、300キログラムあるんですよ。
田んぼのぬかるみも、渓谷も、これを人間の手で運んだのです。
4人で運んだことを書いていますが、
重かったでしょうね。
でも、この重機のお蔭で、タナアロンでは大勝するのです。
味方軍死傷者ゼロ、オランダ軍死者96名....
96名は、殆ど松井の12.7ミリ重機の犠牲者でした。

その松井。
ムンドックプンゴレンガンの「隊の解散」では、
無情さを嘆いて泣くのです。
自殺を図ろうとするのですが、バリ人戦友に止められて
断念するのです。
で、その後、死に場所を求めて、
最後はマルガラナでングラライと共に玉砕するのです。

# by yosaku60 | 2017-06-26 10:28 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その2;次に解らない処)

おはようございます。

何故に「バリの地形」なんて書きだしたか、
ちょっと説明をば.....

みなさん、知ってますか。
このたび(といっていつから知らないけど)、
バリ島が観光地として世界一になったのですよね。
なんで、バリ島が世界一だなんて....
それに観るべきポイントとして、スミニャック、クタ、ウブド
をあげています。
私にとっては、3ヶ所とも、行きたくないところです。
観光客の見る観点と、住んでみて感ずる観点とは、
違うということなのですけどね~

まあ、それはそうですが、
ちょっと反発したくなったのです。
バリ島は、もっと他の魅力がある処なんですよ!
ってことをしゃべりたくなったのです。

私の思う、バリ島の魅力は、
その複雑な地形、
どんな過酷な地形にも必ず人家がある光景、
そうした処に住む人々の暮らしと連携、
を見ることなんです。

で、その思いの源泉である「過酷な地形」
を書こうと、バリ島全体を俯瞰していると、
またまた、解らないことが出て.....
一昨日から悩んでいるのです(馬鹿ですね~)

悩んでいることってのは.....、
なんで、どうして、
バリ島は南に平野があるのだろう。
って疑問なんです。

スマトラ島を見てください。
平野は北に向けて広がっています。
ジャワ島もそうです。
でも、その隣のバリ島は平野が南にあります。
(ロンボク島もバリ島と同じですけど)

スマトラ島、ジャワ島、バリ島は、
同じ火山列島の中にあります。
なのに、何故バリ島だけが.....

勿論、
南にヌサペニダ島があること。
島としては小さいこと。
オーストラリア大陸との関係(海溝)。
海流の流れ。
島周辺の海の深さ。
列島全体が南にもうひとつある二重列島。
季節風と雨の量。
なんぞをあれこれ考えてみるけど、
原因らしきものが見つからないのです。

間違ってもいいんです。
たぶん、こうなんだろって、理屈がつけばいいんです。
その理屈が見つからないんです。

なぜ、バリ島は、
南に平野があるのでしょうね。ワカリマセン。

# by yosaku60 | 2017-06-24 07:23 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

一族が集まってのお祈りです

今日は「新月」。
満月と新月には、どこかで大きなお祈りがある。
満月と新月って、2週間に一回来る。
バリ人はお祈りに忙しい。
まだある、例えば....
明日は、Tumpek Kandangと言って、牛や豚にお祈りする日。
全島一斉のお祈りだが、特に、シンガラジャでは大きいお祈りだ。

こと左様に、
バリ島では、いろんなお祈りがある。
んで、今朝のビーチで出会った大きなお祈りの報告、です。
ムルタサリビーチで、出会った、こんな人達です。
d0083068_09405479.jpg
ここにも....
d0083068_09430182.jpg
「どんな集まりですか」と聞くと、
「ひと家族です」と言う。
d0083068_09461368.jpg
「本当に」と聞くと、
「本当だ、昔は、ひとつの夫婦から始まった」という。
d0083068_09472548.jpg
にしても男がいないと探したら、ここにいた。
そう、これがバリの男どもだ.....
d0083068_09495066.jpg
海岸に並べられた、お祈りの装飾品の数々..
d0083068_09531093.jpg
ひと家族にしては、500名ほどがいる。
「一族だろうが」と聞くと、
「バリにはそういう言葉がない、ひと家族だ」と言い張る。
d0083068_09564119.jpg
ほんに、バリは、わからん。
言葉がもっと話せたら、もっとおもしろいだろうに....

# by yosaku60 | 2017-06-23 09:50 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

バリ島の地形(その1;解らない処)

バリ島に住んで10年....
過去を振り返っていいほどになった。

面白かったことは.....
①バリ人を知ったこと。
②バリの地形に触れたこと。

である。
①は、過去形であるが、②は、過去もそうだが、
まだ、進行形でもある。

未だに、解らず、悩んでいることがある。
キンタマニーの外輪山とアバン山の間の深い窪みである。
どうして、こういう深い窪みができたのだろう。
まずは、全体を見ていただこう。
d0083068_10484117.jpg
これはウィキペディアから、とったものだが、どうも加工してある。
何故なら、アグン山もアバン山も山麓の傾斜が25度と解っているのに、
それよりも急傾斜になっている。
写真を横につぶして載せているようだ。
で、傾斜を25度に引き延ばして、アバン山付近を見てみると、
こんなのになる。
d0083068_10522902.jpg
これが、実際に近い山のはずだ。
外輪山とアバン山の切り込み、すごいでしょう。
普通なら、水(雨)の浸食と考えるのでしょうが、
両方に逃げ道のある川で、こんなに侵食されるでしょうか。

アバン山のできた経緯を描いてみたい。
これは、キンタマニー火山博物館に発表されているものなので、
まずは、間違いない。

d0083068_10593243.jpg
この古代のキンタマニー山(陥没前).....
博物館では、3000m と発表している。
が、山麓の傾斜角をそのまま伸ばしていくと、3800mになる。
アグン山よりも高い山の存在を書くと、
アグン山の神格度がうすれるので、
3000mと発表しているのだと思う。
まあ、こういうところはどうでも良い。
問題はアバン山だ。
左の傾斜は、25度。
なのに、何故右がドスンと落ちているのだ。

考えられるのは、左の外輪山付近のみの陥没だ。
というのは、バトゥル湖は左にあるからだ。
こんな風にだ。
d0083068_11232069.jpg
最初の写真に戻って見て欲しい。
キンタマニーの陥没内を見てみると、
右の方が二重になっている。
陥没は、何度かあったのではなかろうか。

こういう疑問を持つと、オレはすぐに現地に行って見たくなる。
が、ここは無理だ!
想像するだけだ。

# by yosaku60 | 2017-06-22 11:08 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

記憶力の薄いラクダ

久しぶりにラクダに会いに行った。
近くに寄って顔を撫でようとするとイヤイヤをする。
どうも俺を忘れたらしい。
牛なら一年会わずとも覚えているのにラクダは頭が悪い。
ついでに、牛とラクダ、どちらが頭が良いか、調べてみた.....
が、どちらも順位に入るほどの脳を持っていない。
d0083068_10351763.jpg
ちなみにネット掲載の生物の知能順位とその理由。
25位から1位。

25位;イカ          記憶力2日間
24位;クモ          鏡を認識
23位;アリ          集団行動
22位;ヒヒ          ストレス発散能力
21位;アシカ         論理的思考
20位;オランウータン    抽象的空間理解
19位;ハト          地理的把握能力
18位;カラス         適応力
17位;ヒツジ         集団内個別識別能力
16位;アライグマ       問題解決能力
15位;ウマ          記憶力
14位;アカゲザル      94%人間
13位;ハヤブサ       空間識別能力
12位;ネズミ         学習能力
11位;フクロウ        記憶力プラス空間識別能力
10位;ネコ          優れた感覚器官
9位 ;リス          自立生存能力
8位 ;ゾウ          優れた社会感覚
7位 ;タコ          道具理解
6位 ;イヌ          好奇心
5位 ;クジラ         相互連携能力
4位 ;オウム         記憶力
3位 ;バンドウイルカ    コミュニケーション能力
2位 ;ブタ          感情表現理解
1位 ;チンパンジー     人間に近い

オレもヒマだね~

# by yosaku60 | 2017-06-21 10:49 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

これが、バリ人の中流家庭かも

一人の男性を紹介します。
昔からの知り合いですが、口数の少ない男で、
何年も、ちょっとしか話したことがなかったのです。
とにかく、仕事に一生懸命で真面目な男性です。
が、最近、話すようになると、びっくり....
彼は、日本語を話せるのです。
能ある鷹は爪を隠す....ではなく
能あるバリ人は日本語を隠す....です。
つたない日本語で話しかけてくるバリ人が多い中で、特筆ものです。
尊敬するバリ人のひとりです。
d0083068_09570795.jpg
彼と話していて、思うんです。
バリ人の生計(あくまでも金銭的、幸福度は別)を見てみると、
苦しい;60% まあまあ;30% 余裕;10% と思うのです。
まあまあ、ってのを「中流」とすると、彼は中流だと思うんです。
言い換えれば、バリでは、どこにでもある話(程度)なのです。

そんな「中流程度」を覗いてみると、
1、年齢;64歳
2、職業;昔、木造船の船大工、今、マネージメント。
3、家族;
  1番目の奥さま;55歳.....アートショップ経営
          にお子様3人(全員既婚)
  2番目の奥さま;49歳.....ワルン経営
          にお子様2人(全員既婚)
4、マネージメントの実態;
   二日づつ、奥さまのところを渡り歩く。

細かいことは書き切れません。
アートショップの経営、ワルンの経営の経費、収入なども知っています。
それで、「中流」だと判断したのです。

あ~、オレ、バリの「中流」になりたい!!
なんて、金輪際、思うわけがありません。
んん?
# by yosaku60 | 2017-06-20 10:05 | バリ島=人物往来 | Comments(5)

イージス艦とコンテナ船の衝突事故

イージス艦とコンテナ船の衝突事故、
軍艦なので、衝突時の情報がながれてきません。
で、少ない情報から勝手に想像してみます。

1、まずは、質量の差を頭に入れる。

コンテナ船のバルバスバウは海面に出ていません。
貨物いっぱい積んだ満船ということで、相当に質量が
重い状態です。 コンテナ船が「相撲取り」なら、
イージス艦は「小学生」だと思っていいでしょう。
相撲取りが小学生にぶつかれば、小学生は、ふっとば
されます。

2、次に、海面下の構造を知る

こんな状態だったと想像します。
d0083068_09163039.jpg
3、衝突(追い越し関係)を想像する。

①は、イージス艦の右後ろからコンテナ船が追い越す場合。
コンテナ船がイージス艦を避けなければなりません。

②は、イージス艦の右前にコンテナ船がいる場合。
イージス艦は、コンテナ船を右に見ています。
右に見ているイージス艦が、コンテナ船を避けなければ
なりません。

d0083068_08543198.jpg
ただ、外洋での「追い越し関係」による衝突事故はめったに
ありません。 外洋ではどこでも走れるので、こういう関係
にならないように、早めに「大きく避航」するからです。
それに、追い越し関係では、避航時間に余裕があります。
こういう状態で衝突したとなると、どちらにしても大きな
怠慢(双方とも)です。

4、衝突(横切り)関係を想像する。

横切り関係で、もっとも想像されるのが、この図です。
d0083068_09410453.jpg
質量の大きいコンテナ船の船首が軽いイージス艦のボデーに
直撃するのですから、通常ならイージス艦が真っ二つに割れて
沈没します。 もし、こういう衝突で、イージス艦が沈没し
なかったというのであれば、まず、最初に衝突したのが、
船底のバルバスバウで、衝突した後、コンテナ船がイージス艦
をバルバスバウの上に乗せて、横にずれながら一緒に移動する。
その後に、本格的な接触があった。 すなわち、衝突のショック
で、お互いがずれながら擦った、ということです。
そうそう、この場合の衝突回避責任ですが、イージス艦から
見て、コンテナ船が右から近づく船なので、イージス艦が、
コンテナ船を避けなければなりません。

こんな場合も想定されます。
d0083068_09512846.jpg
③のケースの実戦型です。
イージス艦; 右からコンテナ船が近づく危ない!舵を左にいっぱい切る。
コンテナ船; 左から船が近づく危ない!舵をいっぱい右に切る。
イージス艦の絵をみてください。
進む矢印より、船の幅分、お尻を右に振っているでしょう。
コンテナ船の絵をみてください。
進む矢印よりも、船の幅分、お尻を左に振っているでしょう。
船というのは、大舵をとると、一旦、反対方向に滑ってゆくのです。

コンテナ船の船幅は、35mほどだと思います。
35m 行きたくない方向に滑ってゆくのですから....

ということで、
この場合、二つの船が近寄ってゆくのです。
互いに吸い寄せられるような近づき方をします。
そして、見てください。
ぶつかる直前の二つの船の見合い関係です。
「同じ方向に走っている」ように見えるでしょう。
こういう衝突の仕方もありえます。
この場合は、③の場合よりも衝撃の度合いが少ないので、イージス艦
も沈没するまでには、至らないと思います。

はたして、どういう衝突だったのでしょうね~

(参考)

今回の事故は、夜だったので、上記のような書き方をしました。
これが昼だと、コンテナ船は、相手が「軍艦」だということが判別できます。
判別できた場合は、「軍艦は動きに制約がある」ということを忖度して、
一般の商船は、軍艦を避けなければなりません(船員の常務)。

# by yosaku60 | 2017-06-19 09:17 | 日本=知ったかぶりです | Comments(1)

冷房機の掃除料金

クーラーが効かなくなったので、掃除をしてもらった。
室外機も含め、中が真っ黒だった。
掃除後、余りにも冷えるようになったので、びっくり。
ところで、クーラーの掃除料金....
昔は、確か350円か400円だった。
今は、一台600円(6万ルピア)とるようになった。
少々高くなったが、その価値があると思っている。
d0083068_13473753.jpg

# by yosaku60 | 2017-06-18 13:47 | バリ島=物価・修理費 | Comments(0)

カデ、結婚おめでとう

カデの結婚式に行ってきた。
カデとは、長い付き合いだが、夫となった男性とは初対面だった。
二人は、9年間のおつきあいの末、ゴールインした。

カデ曰く
「彼は9年前と今も一緒です」
「なにも変わっていません」
ごちそうさま....
お幸せに.....
d0083068_07333992.jpg

# by yosaku60 | 2017-06-17 07:44 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

ラマダン中はバリ人の食事事情も変わります。

インドネシアは、現在ラマダン(断食)の時期です。
バリは、バリヒンドゥーですが、影響はあります。
最近、バリで働くジャワ人が多くなったので、その影響少なくありません。
市場に並ぶもの、ワルンで並ぶもの、が違ってきます。

今朝なんぞ、いつもの「ナシジンゴ」をワルンでいただけませんでした。
作る人がジャワに帰っているからです。

ところで、バリの食事ですが、
ナシゴレンとミーゴレンだけではありませんよ。
バリの家庭料理は、結構に美味しいのです。
日本人に合った、やさしい味です。
先日は、コミンに作ってもらい、「バリ家庭料理パーティー」をしました。
d0083068_11295586.jpg
d0083068_11305244.jpg

# by yosaku60 | 2017-06-16 11:16 | バリ島=社会・生活 | Comments(1)

嬉しい結婚案内状

朝食を摂る、4つのワルンのひとつ、
カデの店のカデちゃん......
d0083068_09554598.jpg
から、結婚式の案内状をもらいました。
我々夫婦にとって、とてもうれしいことです。

d0083068_09571576.jpgカデに恋人がいることは、内緒でした。
内緒の相手は、バンジャールです。
カデの住むバンジャールの誰にも知られたくない、
と打ち明けられておりました。

それから、5年。
二人は、なかなか結婚できない。
カデの両親を面倒看るためです。
カデの彼氏は、長男です。
結婚すると相手の家に入ります。
両親の面倒を看る人がいなくなるのです。

その両親が最近、決断したのです。
いつまでも我々を看てると、アンタは結婚できない。
もういい、我々はどうなってもいい。
結婚しなさい。

ということで、結婚が決まったのですが、
それを聞いた、カデの彼氏。
結婚した後も両親のワルンを手伝ったら良い。

てなことで、全てがうまくいって、とんとん拍子に、結婚式が決まったのです。
バリの結婚式の案内状は.....ど派手! です。
でも、カデのんは、お金がないので「ささやかなんです」と、
いいんだ、いんんだ、 こんな素朴な案内状をもらったほうが、俺は嬉しい。
カデ、待ってろよ! お祝い金、どかっと、持ってくからな。


# by yosaku60 | 2017-06-03 10:09 | バリ島=人物往来 | Comments(3)

今年3回目の「大当たり」

レストラン「ムテアラ」での、食事は、
私のストレスのはけ口です。

ビールを頼み、料理ができるまでの間、
茹でピーナッツをいただく。

で、中身が5粒入っていると「大当たり」
てんで、ビール一本、無料でもらえる。

先日、またまたまた、「大当たり」が出た。
今年で3回目だ。

この先、まだまだ、出そうだ。
週に2回行く「ムテアラ」........週3回にしようかな。
d0083068_07094810.jpg
d0083068_07102145.jpg

# by yosaku60 | 2017-06-02 07:12 | バリ島=レストラン | Comments(0)

赤信号を無視するポリス

バリ島はすごい。
朝の光景......
中学生が数人集まった。
信号が「赤」だった。

交差点に立つポリスが、左手の手で、
青信号で進んでいる車の列を止めた!

右手を動かし、
「さあ、あんたたち、渡りなさい」
と、中学生を横断させた。

d0083068_07254219.jpg
良いのか、悪いのか、判断が分かれるところ.....
まあ、バリ島らしい...ところでは、あります。

# by yosaku60 | 2017-06-01 07:29 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

仲間たち

バリでの暮らし10年目に入っている。
いろいろな仲間ができた。
写真の彼女たちとも、ふるーい、仲間だ。
左から2番目の太めの子、名前はコマン。
家に遊びに来たときは、まだ小学生だったのに、
こんなにおっぱいおおきくなっちゃて.....
d0083068_09353388.jpg
後ろを振り返るようになってしまっては、人間失格です。
.....反省!

# by yosaku60 | 2017-05-30 09:38 | バリ島=人生のかかわり方 | Comments(0)

ングラライを忖度(そんたく)する

バリ島の英雄、ングラライ....

5万ルピア紙幣の顔ですが、嘆かわしいかな、それすら知らない....
インドネシア人、時にはバリ人、時にはバリ在住の日本人、がいる。

バリ島の独立の歴史は、ングラライだけではない。
が、調べてゆくと、どうしてもングラライにぶつかる。

独立戦争の歴史は約5年。
そのうち、ングラライが歴史に出てくるのは1年だけ。
ってことは、5分の1、なのに、何故に、ングラライなのか。
何故に、パ・ジョコをもっと語らないのか。

その理由を一言でいうと....
ングラライのいた一年間だけ、バリの一般島民が一緒に戦ったからだ。
その闘争の結果であるが、はっきり言って、オランダが勝利した。
さらに、はっきり言おう。
オランダを勝利させたのも、バリ島民だ。
バリ人にとっては、歴史の恥部である(と、私は思うのだが)。
でも、生きてゆくためにしようがなかった部分がある。
ングラライもそれを認めながら、苦しく戦った。

さて、ングラライがマルガラナで玉砕した後、
闘争は、日本軍がいた時と同じように、地下に潜る。
実際には、地下でなくて、山に登って籠るのだが(笑)。
地下に潜ると、一般島民は参加できにくくなる。
で、一般島民は騒がなくなって....
歴史として、語らなくなって...

というのが、
ングラライだけが語り残され、
残りが歴史から消えた真相である。

さて、
ングラライだが、私は、長年、ングラライを忖度してきた。
その上で、ングラライの主たる闘争歴史.....の
そのスタート....(1945年12月13日)と、
その終わり.......(1946年11月20日)に、
日本人が大いに関わっていたことが解ってきた。

これは、どんな本にも書いていない。
私がングラライの心を忖度して解ってきたことだ。

バリ人は、こんなことを思っても記述に残さない。
かといって、日本人の誰も、ここまで興味を持たない。
ングラライの日本人に対する心の忖度をする者がいない。

日本人に対する、ングラライ司令を一言で忖度すると、
スタートは「憎しみ」。 
終わりは「感謝」だった。

そういう話、書き残したいが、私には文才がない。
一度、挑戦して、よーく解っている。

お酒飲むときの「私の得意なお話し」にしておこう(笑)。
一緒に飲む機会があったら、ングラライを質問してね。
待ってます~

# by yosaku60 | 2017-05-28 08:24 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
カテゴリ
画像一覧
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月