あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



オゴ・オゴ人形

今年のバリの新年「ニュピ」は、3月28日。
その前日の夜は、オゴオゴ人形が町を練り歩く。
各所で、その人形作りが始められている。
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材料は発砲スチロール。
当たり前だけど、びっくりするほど軽い。
それにしても巧いものだ。
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ところで、オゴオゴの発音、とても難しい。
ogoh ogoh と書く。
日本人は、単語の途中にある「ご」は、鼻濁音で喋る。
が、この場合の「ご」は、濁音の「ご」である。
そのあとに「h」がつく。
この「h」はやはり小さく発音しないと通じない。
咳をする時の擬音語で「ゴホッゴホッ」というのがある。
その先に「オ」をつけて、「オゴホッ」という感じであるが、正確な発音は難しい。

ところで、ところで、
最近の日本の若者は、鼻濁音を使わないらしい。
私にとって、「オゴ・オゴ」を正確に言うのは難しい。
ってことは、私が年寄りってことになる。
まあ、それは、そうだけど.....
# by yosaku60 | 2017-02-21 08:06 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

改装なる村の診療所に行ってみた

d0083068_1565472.jpg私は勝手に「村の診療所」....
と訳しているが、
インドネシア語では、プスケスマス。
料金が安く、一般の庶民が行ける、
唯一の医療機関でもある。
私の家から徒歩一分....
便利なので、ちょくちょく利用している。
というより、料金の安さが理由で...
てふ、私も庶民のひとり。
お医者さんの全員が女医さん....
で、優しくしてくれるのも嬉しい。
さて、そんなプスケスマスに、
今朝は、改装後、初めて訪れた。
待合室が少々広く、明るくなっている。
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来院目的は、虫歯の治療。
穴が開いたところに詰め物をしてもらうため。
開院後10分の8時10分に着いたのに、受付番号39番。
まあ、月曜日は、こんなもんかな。
オレ、バリに来てから、ながーく待てるようになった。
気が長くなったのではない、単に慣れっこになっただけ。
2時間待って、受付の順番がきた。
初診料150円払って、歯医者さんの診療室に入る。
やっぱりだ....中年だけど、上品な女医さん!
「今日は、仮の治療をしておきます」
「本格治療は土曜日です」と言われる。
なんでかわからんが、どうでもいい。
今日の仮治療代は、300円、多分、土曜日もそんなもんだろう。
日本流に言えば、500円コインでまだ釣りが来る。
プスケスマス....って、ありがたい。
# by yosaku60 | 2017-02-20 15:24 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

ちょっと気になる「ジェニス・カフェ」

メリキュールホテルのシーサイド....
の南の外れに、自然食の店があったが、いつしか消えた。
その同じ場所に、2か月前からオープンした、こんな店。
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ちょっと、いいかな....
てふ、なんとも気になる佇まい。
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ビーチから見たら、こんな感じ...
こっちから見ても、悪くない!
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近寄ってみた。
「ジェニス・カフェ」とある。
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入口はこっちかな....
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中に入ってみた.....
なかなか良い感じ。
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もっと奥に進んでみた....
違和感がない。
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外人の女の子がいた....
店の雰囲気にピッタリ、違和感なし。
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ピザも自家焼きのようだし....
本格的だ。
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飲むだけのバーカウンターがある。
どうもここに座ることになりそうだ。
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ビーチを楽しむスペースもある。
夕陽が沈む頃にくれば、ここに座るかも。
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ちょっと気になる店だ。
マークしておいて、いつか来よっと!!
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# by yosaku60 | 2017-02-18 09:47 | バリ島=レストラン | Comments(0)

千名ほどで、ビーチのゴミ拾い

今朝のムルタサリビーチは人がいっぱい。
まずは、学生さん。
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兵隊さんもいる。
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この人達は、官庁にお勤め。
「今日は何?」と聞くと、応え方もエリート風...
スラスラとメモ書きしてくれたのが、
gerakan penghijauan dan penanaman pohon
「何のことかわからん」と言うと、
英語で「緑化運動」と言う。
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見ていると、浜のゴミ拾いのようだ。
例によって、女の子は真面目。
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男どもはいい加減、が、これぞバリ!
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ラクダ公園も人がいっぱい。
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このナンバーの色、なんだっけ??忘れた。
軍隊か、政府のお偉方の筈.....
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会場に、こんな看板が出ていた。
2020年に向け、ゴミ掃除....
青少年による緑化奉仕活動....
それに向けて、学校、軍隊、官庁、企業....
による合同の奉仕活動のようだ。
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千名はいるように思えた。
「全部で何人いるの?」と聞いてみた。
誰もが「さあ」と言って、笑うばかり....
まあ、これもバリらしい。
すぐに人数を気にする日本人がおかしい。
# by yosaku60 | 2017-02-17 11:10 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

晴れた朝のビーチ

今朝はカラッと晴れた!!
いつものワルンに行く。
右の白いシャツがカミさん、
が、目立たない程のバイクの量。
みんな釣り人のもの。
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久しぶりだもんな、こんな天気。
アグン山は、裾野くっきり....
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美味しい空気...
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潮が引いてるゥ....
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オオッ!
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オモシロイ!
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芝生がキレイ!
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こんな朝は、みんな早起きだ。
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# by yosaku60 | 2017-02-16 07:57 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

華やかに晩酌 in  「ムティアラ」

レストラン「ムティアラ」には、週に2回行くことにしている。
大概、エヴィも一緒に行く。
が、この日は、スペッシャル!!
きれいどころが二人も加わった。
これだけそろうと、鼻の下が床に触れるほどに伸びて....
お酒も、ぐーと美味しくなる。
ご機嫌に酔って、家に帰って爆睡....
ごめんね、かあちゃん、鼾うるさくて!
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# by yosaku60 | 2017-02-14 09:27 | バリ島=レストラン | Comments(2)

ローカルなビーチが好きです。

私は、観光客が集まる処は好きではない。
変わり者で天邪鬼....と自負し自虐もしている。
サヌールのビーチもそう.....
人の来ないローカルなビーチが好きだ。
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が、こういうローカルさが好きな変人は他にもいる。
そういった輩は、欧米人に多い。
アジア人特に中国人は、こういう処に来ない。
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満月後の四日間は、潮の干満が大きくなる。
観光客が多い処は、運ばれた砂がすぐに取り除かれる。
が、ローカルなビーチは、ばんらばらである。
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# by yosaku60 | 2017-02-13 09:31 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

久しぶりにアンジェリーに会ってきました。

バリの雨季、今年は特に雨が多い。
なかなか朝の散歩に出れない。
たまに出ても....
逢いに行くのは、ラクダばっかり。
で、昨日.....
アンジェリー(牛の名)に逢って来た。
一か月ほど逢っていない。
なのに、覚えてくれていた(ように思えた)。
アンジェリー....
牛年齢から言えば、もうおばあちゃん。
だけど、まだまだ、カワイイ!!
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# by yosaku60 | 2017-02-12 08:39 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

今日は満月です。

今日は満月(プルナマ=pernama)......
の日は、バリ人は、集団でお寺へお祈りに出かける。
で、夕方になると、道路が混雑する。
それに今日は土曜日、学校がある日。
渋滞で、家に帰れなくなるかも....
過去に、そんなことがあった...
てんで、調べてみた。
プルナマにも大と小があるからだ。
お祈りの程度が違う。
プルナマ大の方が、余計に混雑する。
プルナマ大、のことを....
pernama kapat とか、pernama kedasa とか言う。

バリのカレンダーを見てみた。
今日の満月は、Sasih Kewulu とある。
プルナマ大ではない....良かった!!

ついでに、プルナマ大がいつあるのか調べてみた。
3月12日は、Sasih kesanga とある...プルナマ小だ。
4月11日は、Sasih Kedasa  とある...プルナマ大だ。

さて、いずれにしても、今日は、満月の日....
いろいろなお祝いごとも、この日にする。

写真は、今朝のムルタサリで出会った、「お祈り」。
祈るのは、プマンクーではなく、プダンダ僧....
結構に格式の高い「お祈り」だ。
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聞けば、新造船の進水式の「お祈り」とのこと。
サヌール(マタハリツルビット)とヌサペニダ島の連絡船だそうな。
25分で両島間を突っ走るそうな。
にしても、そのためのエンジン5基は、すごい!
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# by yosaku60 | 2017-02-11 10:00 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

専門店を知ると生活が便利になります。

ここバリ島では、モノがすぐに壊れます。
でもまあ、修理の費用が安く....
それに、もう慣れてしまい、それほど気になりません。
が、自分で修理するとなると....
部品を売っている店を探さねばなりません。
専門店のことです。
写真は、ドアーの部品専門店です。
こうした専門店は、ほとんどがデンパサールにあります。
専門店を知ると、生活が便利になります。
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# by yosaku60 | 2017-02-10 09:31 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

日本人がいっぱいです。

サヌールビーチ....
2月に入ると、日本人がいっぱい集まります。
今朝の浜でも、沢山の日本人に出逢いました。
みなさん、サーファーです。
この時期、波が良いのか、チケットが安いのか、
どちらかわかりませんが、毎年のことです。
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# by yosaku60 | 2017-02-09 10:57 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

ラクダ公園に桟橋ができた

ラクダ公園に桟橋ができた。
船から直接に陸に上がれるようになった。
写真左の奥を見て欲しい。
建設中の桟橋がみえる。
ムルタサリビーチ、確実に変わりつつある。
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# by yosaku60 | 2017-02-08 08:57 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

高校生の課外授業

今朝の浜で、出会った男の学生たち....
学校どこ、に....「専門高校」という。
専門は何、に.....「プルホテラン」と応える。
ホテル学科だ。
今日は何の授業....に通じないのか、
見れば解るでしょう!てな感じで、笑って無視された。
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隣に目をやると、先生が動きだした。
うん、やり投げだ。
やり投げを教えるのだ。
ホテル学科に、なんでやり投げなのだろう。
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真面目な女の子が指名され、トライした。
が、左の女の子のグループ、
真面目な子を無視し、おしゃべりに夢中。
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この女の子も真面目だ。
が、お喋りっ子は、引き続き無視。
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最後まで、お喋りし続けるグループ。
後ろを歩く先生、「こりゃ、だめだ」....と思ったのかも。
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バリ島らしい、まったりとした朝の光景でした。
# by yosaku60 | 2017-02-07 10:03 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

男の遊び....釣り

バリ人の男の遊びを三つあげれば....、
闘鶏、凧揚げ、釣り、だろうと勝手に思っている。
サヌール海岸では、クレンティックと呼ばれる小さな魚を釣る。
早朝、その釣りの準備をする、男に出逢った。
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帽子....
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その内側は、財布兼モノ入れ....
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表側、そのてっぺんに....
蓋つきのいれものがあって...
釣り針につける餌が入っている。
トドルと呼ばれる米をベースにした練り物だ。
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この男は、帽子を持たない。
で、トドルは、ヤクルトの空き缶に入れて....
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さあ、出陣!
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遊ぶ男の背中に、忍び寄る哀愁....
オレの背中は、骨が浮いてるだけ。
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# by yosaku60 | 2017-02-06 10:59 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

鉄の日でした。

バリ島はお祈りごとが多い。
昨日のバリは鉄の日でした。
台所の包丁やバイクや自動車など....
鉄製のもの全てを飾ってお祈りする。
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ヘルメットのことを日本語で鉄兜という。
が、誰もヘルメットにお祈りしない。
ヘルメットは、鉄兜じゃないってことだ。
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# by yosaku60 | 2017-02-05 22:07 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

バリ島は、バンジャールが全て....

バリ島は、バリヒンドゥー教の島。
バリヒンドゥーの宗教行事を取り仕切る地域集合体....
それをバンジャールと言う。
日本語では、村落共同体と訳されている。
そのバンジャールの力....
今朝は、まざまざと見せつけれた。
写真で紹介する。

今朝の浜への散歩の途中....おや?
遠目に、バンジャールのクルクル櫓が飾られているのが見えた!
クルクル櫓;本当の名前を知らない。
        私が勝手にそう呼んでいるだけ。
        どこのバンジャール集会所にもある。
        村民集合のためのクルクルと呼ばれる音を鳴らす櫓。
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道路の半分を占領して、こんなのがある。
この中で、ガムランを演奏するのだ。
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きれいどころも集まっている。
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子供たちは、この日のためのお揃いのシャツを着ている。
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ご婦人たちもおそろいのクバヤだ。
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お供え物も多い。
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バンジャール集会場の広間も赤じゅうたんを敷いてある。
大きなセレモニーだ、何のためだろう?
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通りに出て、看板を読んでみた。
この程度なら、私でも解る。
バンジャール「バトゥジンバル」の息のかかるベーカリーの開店祝いだ。
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集会場の横の通路も飾ってある。
許可を受けて入ってみた。
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ビーチに向かって、お祈りがあるようだ。
ビーチでのお祈りとは、やはりバリらしい。
新しい店を開くときは、どんなに小さな店でもお祈りしなければならない....
とのコミンの言葉を想い出した。
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お祈りを見れない人のために、音声と映像中継もされるようだ。
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バンジャール「バトゥジンバル」...って、多分、150軒ほどの共同体であろう。
日本的にいえば、小さい集落だ。
ただ、ビーチ沿いの土地の権利を持っている、お金持ちが多い。
にしても、盛大、且つ豪華だ。
バリ島のバンジャール、その組織の結合力、なんともすごい!!
# by yosaku60 | 2017-02-04 10:21 | バリ島=バンジャール | Comments(0)

お茶目で優しいエヴィ

ジャワ島に行っていたエヴィが一週間ぶりにバリに戻って来た。
一緒に食べに出るのも久しぶりだ。
テーブルにトンボがいた。
それを捕まえたエヴィ....
二枚の羽根を束ねて持って、足を下にさげさせる....
その足で、テッシュを掴ませた。

トンボは強い、結構な量のテッシュを足で挟む。
バリ人の誰でもが知ってる遊びだそうな。
後で、そのトンボを逃がしてやる。

トンボのお尻に爪楊枝を刺して飛ばせる....
てな、残酷な我が昔よりは、随分と優しい。
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# by yosaku60 | 2017-02-03 12:07 | バリ島=人物往来 | Comments(2)

雨季真っただ中

一昨日も雨、昨日も雨、今日も雨....
バリ島は雨季真っただ中....
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サハラ砂漠に分けてあげれないだろうか。
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# by yosaku60 | 2017-02-02 08:46 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

朝の男ども

今、バリ島は雨季。
毎朝のように雨が降る。
で、なかなか朝の散歩ができない。
今朝の雨は小降り....思い切って浜に出た。
が、ワルンに着くと、本格的に降りだした。
いつも、外のベンチに座る男どもも屋根下に集まって居る。
奥はカミさん。
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こんな男どもとの会話も役に立つことがある。
顔なじみになると、いろいろな話を教えてくれる。
全員タバコを吸う。
見た目いかついが、みんな穏やかに喋る。
コーヒー一杯だけで一時間は喋る。
きぜわしい私、そんな忍耐力がない。
# by yosaku60 | 2017-02-01 09:28 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その4; 総括)

Pegayaman の日本軍が造った武器庫....
思った以上に、大掛かりなものであった。
一人二人の日本兵では、これほどのものは造れない。
武器庫を護るため、大木に見張り所も作ったという。
今は、朽ちてしまったが、Wani(ワニ)という木だそうな。
マンゴに似た実をつける大木になるそうだ。
現場付近のWaniの木を写真に収めてみた。
枝がしっかりして登りやすそうな木だ。
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さて、発見した武器保管庫....
村民に助けられたにしてもひとりふたりの日本兵では造れなかった。
結構にまとまった日本兵がいたに違いない。
当時のシンガラジャの地にインドネシア独立の志に燃え...
しかもまとまった兵員数となると、林田部隊しかいない。
隠れて武器を持っていたのも林田部隊だけである。
ということで、林田部隊の残党がここに棲みついた、と結論付けたい。

あとひとつ、証拠づけることがる。
残留日本兵の曽我さんの息子さんのスラジャさん(写真)....
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の語った話と重なるのだ。
スラジャさんは、過去、父の戦死場所を調査に歩いたことがあった。
その調査の過程で、ギギット付近で、日本兵がオランダ兵に殺された....
との情報を得たそうな。
Pegayaman の村を出て、本通りに入ったところがギギットである。
林田部隊の誰かが、オランダ兵に殺されたのだと思う。

それにしても、Pegayaman は、特殊な村であった。
なんとも子供の多い村であった。
バリ島は、どんな小さな村にも「ワルン(売店)」がある。
が、pegayamanでは、ワルンを見なかった。
村人は、何をして生計をたてているのだろうか。
コミン曰く「チンケ(Cengkeh)」が異常に多いという。
気温の低い高地にある木だ。
チンケから、ミニャックが採れる。
昔は安かったが、今は高く売れるという。
どうもそれだけでは、やってゆけないように思うが....

100%イスラムというのも特殊だ。
同行したコミンは、
「私が一緒でなければ、村に入れなかった」という。
バリ人にとっては、薄気味が悪い村のようだ。

こんな特殊な村の存在.....
ブンアリ達は、どうして知ったのだろうか。
それを考えると、またまた現地に行って調べたくなる。
もういい、もういい(笑)。
もうこの辺で調査を終わりにする.....オワリ
# by yosaku60 | 2017-01-31 09:52 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その3; 武器格納庫発見)

バリ島の残留日本兵を追っている私....
いつも思うことがある。

バリ人は歴史に興味を持たない。
村落間(隣村と...)の横のつながりが少ない。
村落の中でも村民相互間に情報の共有がない。
当時の文盲率は95%、文字で書き残す習慣もない。

で、調査は、現地に直接出向き....
それを知る人と直接に逢うより....方法がない。

ということで、Pegayaman の調査....
1月24日、午後一時、村に入った。
こんな処だ。
村の歴史に詳しい人を探していると告げると、
小学校の先生のムハジルさんに逢うことを勧めてくれた。
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小学校に行ってみた。
ムハジルさんは、家に帰っているとのことだった。
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若者に案内され、ムハジルさんの家に向かった。
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この人がムハジルさんだ。
会話はバリ語で行われた。
ムハジルさんは、ムスリムのハジという階級。
バリ語も尊敬語を多く使われ、コミン、少々難しいとぼやく(笑)。
そんな会話が交わされる中、次のことが解った。
1、日本人が作った武器庫が山の中に三つと川沿いにひとつある。
2、何人の日本人がいたかは知らない。
3、日本人の名前も伝わっていない。
4、山の武器庫の近くには、高い高い大きな木があった。
5、その木のてっぺんに人が登り近づく者を見張った。
6、その木は、大きすぎて、今は朽ちてしまって、もうない。
7、日本人は、住民に戦い方を教えてくれた。

やった!!
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若者の案内で山に向かった。
村内には、子供が多い。
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道路は迷路のように入りくんでいた。
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村はずれに出たように、思ったが....。
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まだまだ家が続いた。
子供が家の手伝いをしていた。
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昔は、小さい村だったらしい。
が、今は相当の人口があるようだ。
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やっと、村はずれに出た。
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で、記念写真。
左の若者、名前をワヤンハッサンと言う。
名前からして、バリヒンドゥーとムスリムの混在だ。
が、その彼、村民は100%ムスリムと胸をはる。
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山への上り道となった。
この時点で、少々息があがり気味。
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脇道に入った。
本格的に山に入るようだ。
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私は、ワヤンハッサンに続く2番手として山に入った。
が、前を行く、彼を見失った。
足が早すぎる。
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居た、居た!
ハーハー息をつぎながら追いついた。
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山の入り口に、こんな家があった。
これが最後の家、これから上は、家がないとのこと。
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これから上は、写真が少ない。
手があかない。
こんな段差をいくつも昇り降りするからだ。
上がる時は若者が手を引っ張ってくれ、
降りる時は、転げる体を下で受けてくれた。
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おまけに前方も見えない程の藪もある。
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で、最初に出逢ったのが、これ!
コンクリートの塊りだ。
武器庫だったとのこと。
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煉瓦造りだ。
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背後からみると、こんなんだ。
飛行機から爆撃されても壊れそうにないほど堅固だ。
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もう一つは、この藪の下にあるという。
が、足元のおぼつかない私は、崖を降りるのは無理だ。
コマンに行ってもらって、写真を撮ってもらうことにした。
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で、コマンの写してくれた写真がこれ。
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ここも相当に大きい。
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しかも発見されにくい藪の中にある。
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三つ目の武器保管庫に向かった。
そこへの道は、険しかった(で、写真がない)。
ちょっと、広い場所に出た。
で、出会った第3の武器保管庫がこれ!
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卵型の天井....日本軍のものそのものだ。
奥で右に続いた穴があるとのこと。
d0083068_9504333.jpg

それがあちら側の入り口に繋がっているとのこと。
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そう、左側にかすかに通路が見える。
これも日本軍の造りだ。
d0083068_9511088.jpg

最後に記念撮影....
横の若者、最初から最後まで私の手を引いてくれた。
名前も聞かず、名前を呼んでやることもしなかった(申し訳ない)。 
でも、ありがとう。
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pegayaman 調査の総括は、明日のブログ....
# by yosaku60 | 2017-01-30 08:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その2; イスラム教徒.....)

残留日本兵の中で、「ブン」がつく名前を名乗っているのは4名いる。
ブンアリ、ブンマデ、ブンチャング、ブンスラマットである。
ブンとは、イスラム教徒が使う呼び名である。

ブンスラマットは、マルカデ海軍大尉と共にジャワ島から来た日本兵である。
ジャワ島は、ほとんどがイスラム教徒である。
で、ブンスラマットの名乗った理由は理解できる。

が、残りの、ブンアリ、ブンマデ、ブンチャングは、バリ島に居た。
バリ島住民は、ほとんどがバリヒンドゥーで、イスラム教徒は少ない。
が、この3人は、イスラム教徒名を名乗っている。
何故なのか。

ブンアリであるが、林田隊の隊員だったことは、ほぼ解っている。
同じく、ブンマデだが、ワナサリで、ブンアリと共に戦死している。
彼は、最初から最後までブンアリと共に行動した。
で、同じく、林田隊の隊員で二人は戦友だったと思える。

ブンチャングは、途中から別の行動をとっている。
が、ングラライ軍にあって、特別小隊をひきいるほどの人物であった。
その経歴から、やはり林田隊の隊員だったと想像できる。

他に、バリ名はついていないが、気になる日本兵が4名いる。
原田、渡辺、田中軍曹、シンタロー伍長である。

この内の原田、渡辺は、1946年4月6日の「リンディキットの戦い」....
に、ブンアリと共に参戦している。
この二人も林田隊員なのだろう。

田中軍曹であるが、それから2日後の1946年4月8日、
パンクンバンカで、ひとりで8名のオランダ軍兵士を殺している。
時、場所の双方を考えると、彼も林田隊員なのだろう。

シンタロー伍長であるが、1946年6月19日、
パンクンバンカで、オランダ軍のトラックを襲い粉砕している。
場所から、想定して彼も林田隊員だったのではなかろうか。

ということは、名前が残っているだけで、
6名の林田隊員がいることになる。
一個分隊に近い兵員数だ。
死を覚悟した兵隊が、これだけおれば何でもできる。

で、かれらの潜伏地だが、
戦闘をおこした、パンクンバンカ付近だったのではなかろうか。
その潜伏地が、イスラム教徒の村であれば、なおさらに有力だ。

パンクンバンカというのは、古い地名で今は使われていない。
が、土地の者に聞くと、ギギットからワナギリの間という。
で、その間の村を調べてみる。
ギギットに近いところに、Pegayaman がある。

私の家のお手伝いさんのカデの実家は、
この近くのpegadungan 村である。
一キロ離れた隣の村がPegayamanである。

で、カデに聞いてみた。
pegayamanて、どういうところ?
....と、「イスラム教徒の村です」
「怖くて近寄らないので知りません」

一キロしか離れていないのに、知らないとは...んん!!
これなら、スパイの目からも逃れることができる。

当時は、独立派、独立阻止派の二つに分かれて、
バリ島中にマタマタ(スパイ)が暗躍していた。
で、秘密裏に潜伏するのは、大変だった。

ここだ!
林田隊員が数名まとまって、潜伏した地だ!
その地に、大量の武器を隠したに違いない。
ということで、Pegayaman の調査、即ち、

何人もの日本人が潜伏していたこと....
大量の武器を隠れ持っていたこと....

の痕跡があるかどうか、調べに行ったのです。
# by yosaku60 | 2017-01-29 11:48 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その1; 調査理由)

1月24日のPegayaman の調査....
思った通りのものが発見できた。
成功であった。

その報告だが、余りにも嬉しいので、勿体ぶりたい(笑)。
何回かに分けて報告したい。

で、今日のブログは、
何故に、この調査を重視したかの理由である。


私は、バリ島の残留日本兵を追跡調査している。
当然に、バリ島での独立戦争をも調査することになる。
同じく、ングラライ軍のゲリラ活動をも調査することになる。

ゲリラ活動には、1=人 2=お金 3=武器が必要である。
人は余るほど集まった。
お金は、日本軍から盗んだものがあり十分だった。
問題は、武器の確保であった。

ングラライは、ジャワ島から武器を持ち込もうとした。
が、武器を積んだ船のほとんどがオランダ軍によって海に沈められた。

武器をバリ人に渡すなという命令が出ていたにもかかわらず、
その命令をかいくぐって、バリ人に秘密裏に武器を流す日本兵がいた。
が、組織だっての譲渡ではなかったため、少量であった。

ングラライ軍の悩みは、武器不足だったのだ。

そんな中で、武器弾薬を確保していたのが、ブレレン隊だった。
ブレレン隊は、何故にそれほどの武器弾薬を持っていたのか。
そこで思いつくのがスンバワ島から来た林田隊である。

1946年1月2日、シンガラジャの兵舎より林田隊の数名が脱走した。
兵舎を護る福江中隊の兵士数名を射殺して、武器を奪い脱走したのだ。

なんと!
日本軍兵士が日本軍兵士を殺したのだ。
しかも、機関銃を乱射したとのこと、無差別殺人じゃないか!

写真は、その事件の現場....
今は、インドネシア軍の兵舎になっている。
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カミさんと一緒にいるのは、稲川義郎さん。
この写真の左側に建物がある。
事件のあった当日、稲川さんは、その建物の中で就寝していた。
機関銃の音で稲川さんは、飛び起きた! などなど...
稲川さんから、当時の生々しい話を直接聞いている。
が、痛ましい話、ここでは、余り多く語りたくない。

いずれにしても、
その時奪った武器がブレレンのどこかに隠されのだ。
それが、pengayaman の地であったように思ったのだ。

それを確かめるのが、pengayaman の調査だった。
なぜに、pengayaman と思ったのか....
明日は、それを書きたい。
# by yosaku60 | 2017-01-28 11:28 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

カフェテラス、EMPUNA

先日のシンガラジャ行きだが、
想像していた通りのものを発見した。
現在、その写真をまとめている。
で、発見報は明日書くことにして、今日は、食べる話をば...

サヌールを10時頃に出発すると、
ブラタン湖を過ぎたあたりで12時になる。
大体がいつもそうである。
で、毎回、昼食のために寄るレストランがある。
場所的には、廣済堂ゴルフコースのほぼ向かえになる。
右の看板を見て欲しい。
あけましておめでとうございます...
と、書いてある。
そう、日本人の経営するレストランだ。
が、経営している方とお会いしたことがない。
親子丼とかがあって、お味もまあまあ、お値段もまあまあ、である。
スタッフがよく教育されており、店内の清掃が行き届いている。
清潔な上に、ゆったり食べれるのが良い。
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# by yosaku60 | 2017-01-27 10:20 | バリ島=レストラン | Comments(0)

自分のこと(その10; ひゅうすとん丸・その4)

米軍機は、ひゅうすとん丸の左後方至近の海上に墜落した。
それを見て、船長(藤瀬紫郎さん)は、右いっぱいに舵を切った。
ひゅうすとん丸は、右回頭を始めた。
大きな船がぐるっとひと廻りするには少なくとも10分はかかる。
その間、私は米軍機を見張り続けた。
黒い煙に包まれた中ほどに赤い炎もあった。
飛行機も燃えるのだ!
燃料に引火したからであろうが、その時は、そうは思わず、
なんともはや、不思議に思えたことを覚えている。
ぐるっとひと廻りし終えた時、
ひゅうすとん丸は、墜落地点から遠く離れてしまった。
肉眼では、よく見えない距離にまでなった。
そう....ひと廻りすると、距離も遠くなるのだ。
船長は、エンジンをフルアヘッド(全速前進)にした。
少しでも早く、墜落地点に行こうとしたのだ。
船は、徐々に速力をあげていった。
米軍機の黒い煙は、幾分と少なくなっていた。
煙の下から、黒いものが見えた。
が、それが何であるか、
波の間に間に見え隠れするので、解らない。
墜落地点の近くまで来て、やっと解った。
それは、タイヤであった。
タイヤはゴムでできているので浮いているのだ。
ということは、機体がばらばらになったということだ。
船は、速度をもったまま、墜落地点に到着した。
と、黒い大きなタイヤの横に赤いものが見えた。
救命胴衣である。
赤い点滅灯も見えた。
その上に小さな頭が見えた。
人だ!
人がいる。
と、頭が動いた。
こちらを見て居る。
生きて居るのだ。
顔を見た。
煙にやられたのか、どすぐろい。
が、ひゅうすとん丸は、助けることができなかった。
まさか、人が生存しているとは思わなかった。
全速力で現場に来たのだ。
大きな船は、突然に止まることができない。
で、「人、発見」の電報を付近の船に打電した。
当時は、船舶間に通じ合える電話がなかった。
全て、無線電報を使ったのだ。
ひゅうすとん丸に続いて、墜落地点に向かって来る船があった。
結局は、その船が、救命胴衣の男を救助した。
そのアメリカ人からの情報が付近の船に伝わった。
飛行機には、12名の乗員がいたという情報だ。
ということは、残り11名を探さなければならない。
墜落事故を聞きつけて、フイリッピンから別の飛行機が飛んで来た。
その飛行機から、次から次と指令(依頼)が届いた。
こうした連携しての捜索では、まずは司令船を決めるとのこと。
その司令船は、最初に現場に到達した船が担うとのこと。
今回の場合は、ひゅうすとん丸が司令船になる。
米軍機からの指令は、まずは、ひゅうすとん丸になされる。
それを受け、ひゅうすとん丸から付近の全船に指令を出すということになる。
その指令だが、
捜索に参加する全船がそれぞれに決められた、
一定の地点から一定の針路で進むことで、見落としなく全海面をチェックし、
そのチェックの範囲を徐々に拡大するといった指令だ。
そんな、捜索が一日続いた。
何も発見できなかった。
11名は、飛行機と一緒に海底に沈んでしまったのだろう。
その後、米軍機から「捜索解除」の指令が来て、おひらきになった。
11名もの犠牲者が出たのに、捜索をはやくあきらめすぎだ。
米軍って、なんと淡白なのだろう、なんと潔いのだろう....と、私は思った。
私の米軍に対する感想、この時の思いが今も尾を引いている。
# by yosaku60 | 2017-01-26 09:56 | 日本=人生のかかわり方 | Comments(2)

自分のこと(その10; ひゅうすとん丸・その3)

台湾とフイリッピンの間の海をバシー海峡と言う。
昭和43年、日本を出てバシー海峡に入らんとする時であった。
「材木船沈没、救助頼む」の救援要請電報が舞い込んだ。
日本の船であった。
セオル号ではないが、材木船の沈没事故はよくあることだ。
材木は軽いため、甲板上に高く積み上げる。
その材木が荷崩れすると、沈没しやすいのだ。
人命救助は、海洋国際法上、絶対的遵守義務がある。
針路を右に変え、現場に向かった。
遭難後、一日経過の現場であった。
付近には、救助に駆けつけた、日本船が10隻ほどいた。
十数人が既に救助され、十数人が未だ行方不明であった。
現場付近には、積み荷の材木が散々としていた。
材木をスクリューに巻き込んではならない。
材木を発見するたびに、それをかわし、行方不明者の捜索にあたった。
その捜索にあたった次の日であった。
フイリッピンから米軍の飛行機が現場に来てくれた。
我々の救助活動をサポートしてくれるのだ。
船からは見えないが、上空の飛行機からは良く見える。
「どこどこに残骸が浮いている」との情報をくれるのだ。
その情報だが、発光信号で送られてくる。
モールス信号を受けるのは、無線士の役目であるが、
発光信号を受けるのは、航海士の役目である。
上空を飛ぶ飛行機から発せられる光を目で追いながら、
一字一字読み取るのは、大変だ。
幸いに、私の当直中には、一度だけであった。
それも簡単な英文だったので、無能がばれずに済んだ。
さて、そんな捜索中であった。
私は、船橋の左ウイングにあって、前方海上を見張っていた。
前方から米軍機が飛んで来た。
そして、私のすぐ横、100mほどだろうか、を通過した。
操縦士の顔が見えるほどに近い! そして、 低い!
飛行機は本船の後部を通りすぎた。
私は、その陰影を目で追っていた。
と、飛行機は、そのまま海に飛び込んでいくではないか。
何が起こったか、瞬間的に判断がつかなかった。
そして、多分、10秒ほどだろうか、
ぼっと火が付き飛行機が燃え出した。
墜落事故だ! 始めて気付いた。
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今日は、シンガラジャに行く日、
その出発時間がせまって来て、書く時間がありません。
つづきは、シンガラジャ(一泊どまり)から帰ってきてからにします。
# by yosaku60 | 2017-01-24 09:25 | 日本=人生のかかわり方 | Comments(0)

自分のこと(その10; ひゅうすとん丸・その2)

50年前のアメリカに行った場合の、
日本へのお土産の有名な3っつといえば、
1、キスチョコ
2、ミルク
3、お人形
でした。 
信じられないでしょう。
お人形....って、何故?
とにかくアメリカのお人形は、でっかい!
ので、日本では珍しかったのです。
当時は、一ドル=360円。
アメリカには、1ドル弁当というのがありました。
船に来る労働者が持参する、その弁当....
なんとも豪華で、さすがアメリカ...と思ったものでした。
まあ、それが50年前、
で、55年前(昭和35年頃)になると、びっくりするお土産が、
当時、私は、まだ高校生。
で、後日、船乗りから聞いた話なのですが、
なんと、船乗り仲間では、「背広」が、大受けだったそうです。
アメリカで、中古の背広を安く買って、
繕いを外して、ばらばらにして、生地を裏返して、縫い直すのです。
それをアメリカから日本へ帰る航海中にやるそうです。
日本に着くころには、新品の背広ができるそうです。
話しだけで、私は縫い直したものを見たことがありません。
が、「日本人、すごい!」と思ったものです。

ついでに、雑談....
50年前の他の国からのお土産事情。

中南米では、ワニの剥製。
一メートルほどのワニが5ドル。

西アフリカ(主にナイジェリア)からは、
黒檀の彫り物(当時で5000円~一万円の価値)。
お金ではなく、物々交換。
日本から持参するものは、「半袖ワイシャツ」
神戸のダイエーで、半袖シャツ、1000円((確か...)
東アフリカ、モンバサからは、
象牙、一万円(後日持ち込み禁止に...)

インドからは、九官鳥。
シンガポールからは、オーム(これは、後日持ち込み禁止に...)
南米からは、蝶の羽根の飾り物(これも、後日持ち込み禁止に....)

ヨーロッパ(主としてドイツ)からは、羽毛布団。

一方、日本から後進国へ持って行くお土産で、
もっとも喜ばれたものは、自動巻き腕時計....
自動巻き腕時計は、腕を振ると反動でゼンマイが巻かれるもので、
現在は、もう販売されていませんが、当時の価格は、約一万円、
どの国に行っても大受けで、誰もが欲しがりました。

などなどでしたが、
私は、いつもお金にピーピーしていたので、
最小限のお土産しか買いませんでした。
# by yosaku60 | 2017-01-23 10:51 | 日本=人生のかかわり方 | Comments(0)

本日はバニューピナロの日です。

バリヒンドゥー......の

昨日は、学問の女神に感謝する、サラスワティーの日。
本を読んでは、ならない日なので、学校もお休み....
というか、学校に集まって、お祈りするだけの日。

そんなサラスワティーが明けた今日....
をバニューピロナという。
身を清めるため、海で沐浴する。
んで、海は人がいっぱい。
現在、午前8時、
私も海から帰って来たばかり....

が、普段なら5分の距離なのに、
なんと、30分もかかってしまう。

昔は、バイクばっかりだったのに、
車が増えちゃって.......もう大変!

バリ島の道路は、随分と良くなっている。
が、車が増えて、道路事情がそれに追いつかない。
バリ島....だんだんと住み辛くなるようだ。
# by yosaku60 | 2017-01-22 09:57 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

前回のシンガラジャ調査の報告

前回のシンガラジャ調査....
出発前にその目的をブログに、次のように書きました。

........

もうひとつ探しものがあります。
Padang Bulia と Nagasepaha と Sari Makar....
の三角地帯の真ん中辺に、なにやらモニュメントがあるらしいのです。
もしかしたら...
ングラライ軍の解散の地ではなかろうか?
であれば、解散を嘆き、松井が涙を流した処です。

   (註) 本によれば、閑散の地は、sukasada となっている。
       が、sukasada とは、スカサダ郡のこと、
       シンガラジャ市の少し山手~ブドグルの全域がスカサダ郡だ。
       その範囲が広すぎて、特定することが難しい。

確かめに行ってまいります。

........

その報告です。
モニュメントは、下図のNagasepahaの街の中にありました。
d0083068_7472216.jpg

が、ングラライ軍の解散のモニュメントではありませんでした。
d0083068_7355425.jpg

1947年11月7日ということは、
ングラライ死後、一年を経過しての戦いです。
その戦いで、地元のこの二人が戦死したのです。
d0083068_7363730.jpg

この地で戦いがあったのでしょうか。
それを確かめるべく、聞き込みしました。
写真は、その聞き込みをした、近所のお爺ちゃん(103歳)です。
本も読めるというが、高齢すぎて、ほとんどの会話がなりたたない。
ただ、モニュメントにある戦いは、panji(上の地図参照)だったということが解る。
d0083068_7474125.jpg

panji といえば....
平良定三さんが、70人ほどのバリ人を率いて立て篭もった処だ。
立て篭もった時期も、この戦いがあった頃で、合致する。
戦死した二人は、平良部隊の隊員だったのではなかろうか....
などと思ってみたが、それを確かめることの価値が見いだせない。
nagasepaha の調査、残念ながら不発。
# by yosaku60 | 2017-01-21 07:37 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

残留日本兵、最後の調査にしたい

70年前のインドネシア独立戦争....
でのバリ島での戦い....
に加担した、残留日本兵の調査をして...
もうかれこれ、5年になる。

で、どうしても気になるのが、
日本兵・梶原(バリ名;ブンアリ)の潜伏地......
いろいろな情報から、ブドゥグルのpegayaman(下図の中央)...
だったのではなかろうかと、睨んでいる。
d0083068_1032249.jpg

昨年の11月に、pegayamanを訪れている。
が、言葉の壁があって、調査失敗に終わった。
バリの小さな村に入るには、助っ人がいる。
シンガラジャ方面の助っ人は、コマン、コミン夫婦(写真)だ。
d0083068_1075845.jpg

が、二人は忙しい。
助っ人を頼めるような状況にない。

.....と、思っていた。

が、昨日、バリのカレンダーを何気なく見ていると...
今月の25日が、pagorosi となっているじゃないか。
Pagorosi は、ガルンガンに似た儀式。
特にシンガラジャは、ガルンガンよりも大きな儀式と扱われている。
シンガラジャ方面出身者は、絶対に故郷に帰らねばならない。

この機会を逃すな、てんで....

コマン・コミンに確かめると、やはり、二人とも故郷に帰るという。
で、前日の24日に同行(我々夫婦もシンガラジャ一泊)して、
pegayaman の調査を手伝ってもらう交渉成立。

残留日本兵の調査だが、70年の年月は大きい。
いつまで続けても、これ以上は出てこない。
成果があってもなくても...
24日の調査を最後にしたい、と思っている。
# by yosaku60 | 2017-01-20 10:03 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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