あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



バリ島の地形(その3;ングラライ軍ー1)

バリの地形...
なんぞと大きな題をつけたもんだから、
どこから書いていいか入る処がみつからず、
悩んでいる(笑)

で、最も書きたい処から入ることにする。

書きたいのはバリ島の複雑な地形だ。
隠れて襲撃したり襲われたら逃げたりする処がいっぱいある。
そんな地形なもんだから、ングラライはゲリラ戦を戦えた。

それを書きたい。

まず、ングラライのゲリラ戦を大雑把に捉えたい。
それには、ングラライの軍勢の推移を見ることだ。

全てが1946年の話....

1、4月、デンパサールのオランダ宿舎攻撃軍勢

  2000名
  これは、バドゥンとギャニアールだけ、
  ほとんどが「竹槍隊」
  堀内も日本軍では大尉(バリ軍では中佐)という偉い人
  だったのに、ピストルと竹槍だけで突進したのですよ。

2、5月、ムンドックマランでのングラライ軍の旗揚げ

  2000名
  バドゥンとギャニアールの1000名
  プラスその他の地方。

3、6月、「ムンドックマランの戦い」で
  司令部をベンケルアニャールに移転。

  1000名
  残り1000名は、各自の田舎に帰さす。

4、6月、バトゥカル山の山越え

  800名
  200名は、田舎に帰さす。

5、6月、ブレレン着

  1000名、
  軍勢が多いと、与える食料が大変!
  やっと800名に減らしたのに、シンガラジャ近辺から
  新しい兵が加わって、またまた1000名になる。
  (このときの日本兵の数;17名)

6、6月、キンタマニー高原を前にして、

  500名、
  場所は、マニクリユ村、ここで、軍のスリム化を図る。
  半数を田舎に返す。

7、6月、キンタマニー高原の麓にて、

  400名、
  場所は、ランディ村。
  日本兵8人で「日本兵特別遊撃隊」を作るなど
  軍勢を小分けして、400名まで減らす。

8、7月、「タナアロンの戦い」
 
  350名、

9、7月、アグンサン越え、

  330名、
  (日本兵二人行方不明に)

10、8月、ムンドック、プンゴレンガンでの解散、

  300名、

これが、ングラライ軍の大雑把な軍勢です。
これだけの人数がバリ島の複雑な地形を歩いたのです。

減らしても減らしても、参加してくる青年達がいて、
ングラライは困るのです。
武器を持っていない、竹槍だけの兵がいくら増えても
敵の機関銃には勝てません。
その竹槍兵に「食料」を支給するのが大変なのです。

大変といえば、

ングラライ軍の持っていた、一番破壊力のある武器...
それは、飛行機も落とせる、12.7ミリ重機でした。
それを使うのは、日本兵の松井久年でした。
この重機、300キログラムあるんですよ。
田んぼのぬかるみも、渓谷も、これを人間の手で運んだのです。
4人で運んだことを書いていますが、
重かったでしょうね。
でも、この重機のお蔭で、タナアロンでは大勝するのです。
味方軍死傷者ゼロ、オランダ軍死者96名....
96名は、殆ど松井の12.7ミリ重機の犠牲者でした。

その松井。
ムンドックプンゴレンガンの「隊の解散」では、
無情さを嘆いて泣くのです。
自殺を図ろうとするのですが、バリ人戦友に止められて
断念するのです。
で、その後、死に場所を求めて、
最後はマルガラナでングラライと共に玉砕するのです。

# by yosaku60 | 2017-06-26 10:28 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その2;次に解らない処)

おはようございます。

何故に「バリの地形」なんて書きだしたか、
ちょっと説明をば.....

みなさん、知ってますか。
このたび(といっていつから知らないけど)、
バリ島が観光地として世界一になったのですよね。
なんで、バリ島が世界一だなんて....
それに観るべきポイントとして、スミニャック、クタ、ウブド
をあげています。
私にとっては、3ヶ所とも、行きたくないところです。
観光客の見る観点と、住んでみて感ずる観点とは、
違うということなのですけどね~

まあ、それはそうですが、
ちょっと反発したくなったのです。
バリ島は、もっと他の魅力がある処なんですよ!
ってことをしゃべりたくなったのです。

私の思う、バリ島の魅力は、
その複雑な地形、
どんな過酷な地形にも必ず人家がある光景、
そうした処に住む人々の暮らしと連携、
を見ることなんです。

で、その思いの源泉である「過酷な地形」
を書こうと、バリ島全体を俯瞰していると、
またまた、解らないことが出て.....
一昨日から悩んでいるのです(馬鹿ですね~)

悩んでいることってのは.....、
なんで、どうして、
バリ島は南に平野があるのだろう。
って疑問なんです。

スマトラ島を見てください。
平野は北に向けて広がっています。
ジャワ島もそうです。
でも、その隣のバリ島は平野が南にあります。
(ロンボク島もバリ島と同じですけど)

スマトラ島、ジャワ島、バリ島は、
同じ火山列島の中にあります。
なのに、何故バリ島だけが.....

勿論、
南にヌサペニダ島があること。
島としては小さいこと。
オーストラリア大陸との関係(海溝)。
海流の流れ。
島周辺の海の深さ。
列島全体が南にもうひとつある二重列島。
季節風と雨の量。
なんぞをあれこれ考えてみるけど、
原因らしきものが見つからないのです。

間違ってもいいんです。
たぶん、こうなんだろって、理屈がつけばいいんです。
その理屈が見つからないんです。

なぜ、バリ島は、
南に平野があるのでしょうね。ワカリマセン。

# by yosaku60 | 2017-06-24 07:23 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

一族が集まってのお祈りです

今日は「新月」。
満月と新月には、どこかで大きなお祈りがある。
満月と新月って、2週間に一回来る。
バリ人はお祈りに忙しい。
まだある、例えば....
明日は、Tumpek Kandangと言って、牛や豚にお祈りする日。
全島一斉のお祈りだが、特に、シンガラジャでは大きいお祈りだ。

こと左様に、
バリ島では、いろんなお祈りがある。
んで、今朝のビーチで出会った大きなお祈りの報告、です。
ムルタサリビーチで、出会った、こんな人達です。
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ここにも....
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「どんな集まりですか」と聞くと、
「ひと家族です」と言う。
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「本当に」と聞くと、
「本当だ、昔は、ひとつの夫婦から始まった」という。
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にしても男がいないと探したら、ここにいた。
そう、これがバリの男どもだ.....
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海岸に並べられた、お祈りの装飾品の数々..
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ひと家族にしては、500名ほどがいる。
「一族だろうが」と聞くと、
「バリにはそういう言葉がない、ひと家族だ」と言い張る。
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ほんに、バリは、わからん。
言葉がもっと話せたら、もっとおもしろいだろうに....

# by yosaku60 | 2017-06-23 09:50 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

バリ島の地形(その1;解らない処)

バリ島に住んで10年....
過去を振り返っていいほどになった。

面白かったことは.....
①バリ人を知ったこと。
②バリの地形に触れたこと。

である。
①は、過去形であるが、②は、過去もそうだが、
まだ、進行形でもある。

未だに、解らず、悩んでいることがある。
キンタマニーの外輪山とアバン山の間の深い窪みである。
どうして、こういう深い窪みができたのだろう。
まずは、全体を見ていただこう。
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これはウィキペディアから、とったものだが、どうも加工してある。
何故なら、アグン山もアバン山も山麓の傾斜が25度と解っているのに、
それよりも急傾斜になっている。
写真を横につぶして載せているようだ。
で、傾斜を25度に引き延ばして、アバン山付近を見てみると、
こんなのになる。
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これが、実際に近い山のはずだ。
外輪山とアバン山の切り込み、すごいでしょう。
普通なら、水(雨)の浸食と考えるのでしょうが、
両方に逃げ道のある川で、こんなに侵食されるでしょうか。

アバン山のできた経緯を描いてみたい。
これは、キンタマニー火山博物館に発表されているものなので、
まずは、間違いない。

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この古代のキンタマニー山(陥没前).....
博物館では、3000m と発表している。
が、山麓の傾斜角をそのまま伸ばしていくと、3800mになる。
アグン山よりも高い山の存在を書くと、
アグン山の神格度がうすれるので、
3000mと発表しているのだと思う。
まあ、こういうところはどうでも良い。
問題はアバン山だ。
左の傾斜は、25度。
なのに、何故右がドスンと落ちているのだ。

考えられるのは、左の外輪山付近のみの陥没だ。
というのは、バトゥル湖は左にあるからだ。
こんな風にだ。
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最初の写真に戻って見て欲しい。
キンタマニーの陥没内を見てみると、
右の方が二重になっている。
陥没は、何度かあったのではなかろうか。

こういう疑問を持つと、オレはすぐに現地に行って見たくなる。
が、ここは無理だ!
想像するだけだ。

# by yosaku60 | 2017-06-22 11:08 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

記憶力の薄いラクダ

久しぶりにラクダに会いに行った。
近くに寄って顔を撫でようとするとイヤイヤをする。
どうも俺を忘れたらしい。
牛なら一年会わずとも覚えているのにラクダは頭が悪い。
ついでに、牛とラクダ、どちらが頭が良いか、調べてみた.....
が、どちらも順位に入るほどの脳を持っていない。
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ちなみにネット掲載の生物の知能順位とその理由。
25位から1位。

25位;イカ          記憶力2日間
24位;クモ          鏡を認識
23位;アリ          集団行動
22位;ヒヒ          ストレス発散能力
21位;アシカ         論理的思考
20位;オランウータン    抽象的空間理解
19位;ハト          地理的把握能力
18位;カラス         適応力
17位;ヒツジ         集団内個別識別能力
16位;アライグマ       問題解決能力
15位;ウマ          記憶力
14位;アカゲザル      94%人間
13位;ハヤブサ       空間識別能力
12位;ネズミ         学習能力
11位;フクロウ        記憶力プラス空間識別能力
10位;ネコ          優れた感覚器官
9位 ;リス          自立生存能力
8位 ;ゾウ          優れた社会感覚
7位 ;タコ          道具理解
6位 ;イヌ          好奇心
5位 ;クジラ         相互連携能力
4位 ;オウム         記憶力
3位 ;バンドウイルカ    コミュニケーション能力
2位 ;ブタ          感情表現理解
1位 ;チンパンジー     人間に近い

オレもヒマだね~

# by yosaku60 | 2017-06-21 10:49 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

これが、バリ人の中流家庭かも

一人の男性を紹介します。
昔からの知り合いですが、口数の少ない男で、
何年も、ちょっとしか話したことがなかったのです。
とにかく、仕事に一生懸命で真面目な男性です。
が、最近、話すようになると、びっくり....
彼は、日本語を話せるのです。
能ある鷹は爪を隠す....ではなく
能あるバリ人は日本語を隠す....です。
つたない日本語で話しかけてくるバリ人が多い中で、特筆ものです。
尊敬するバリ人のひとりです。
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彼と話していて、思うんです。
バリ人の生計(あくまでも金銭的、幸福度は別)を見てみると、
苦しい;60% まあまあ;30% 余裕;10% と思うのです。
まあまあ、ってのを「中流」とすると、彼は中流だと思うんです。
言い換えれば、バリでは、どこにでもある話(程度)なのです。

そんな「中流程度」を覗いてみると、
1、年齢;64歳
2、職業;昔、木造船の船大工、今、マネージメント。
3、家族;
  1番目の奥さま;55歳.....アートショップ経営
          にお子様3人(全員既婚)
  2番目の奥さま;49歳.....ワルン経営
          にお子様2人(全員既婚)
4、マネージメントの実態;
   二日づつ、奥さまのところを渡り歩く。

細かいことは書き切れません。
アートショップの経営、ワルンの経営の経費、収入なども知っています。
それで、「中流」だと判断したのです。

あ~、オレ、バリの「中流」になりたい!!
なんて、金輪際、思うわけがありません。
んん?
# by yosaku60 | 2017-06-20 10:05 | バリ島=人物往来 | Comments(5)

イージス艦とコンテナ船の衝突事故

イージス艦とコンテナ船の衝突事故、
軍艦なので、衝突時の情報がながれてきません。
で、少ない情報から勝手に想像してみます。

1、まずは、質量の差を頭に入れる。

コンテナ船のバルバスバウは海面に出ていません。
貨物いっぱい積んだ満船ということで、相当に質量が
重い状態です。 コンテナ船が「相撲取り」なら、
イージス艦は「小学生」だと思っていいでしょう。
相撲取りが小学生にぶつかれば、小学生は、ふっとば
されます。

2、次に、海面下の構造を知る

こんな状態だったと想像します。
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3、衝突(追い越し関係)を想像する。

①は、イージス艦の右後ろからコンテナ船が追い越す場合。
コンテナ船がイージス艦を避けなければなりません。

②は、イージス艦の右前にコンテナ船がいる場合。
イージス艦は、コンテナ船を右に見ています。
右に見ているイージス艦が、コンテナ船を避けなければ
なりません。

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ただ、外洋での「追い越し関係」による衝突事故はめったに
ありません。 外洋ではどこでも走れるので、こういう関係
にならないように、早めに「大きく避航」するからです。
それに、追い越し関係では、避航時間に余裕があります。
こういう状態で衝突したとなると、どちらにしても大きな
怠慢(双方とも)です。

4、衝突(横切り)関係を想像する。

横切り関係で、もっとも想像されるのが、この図です。
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質量の大きいコンテナ船の船首が軽いイージス艦のボデーに
直撃するのですから、通常ならイージス艦が真っ二つに割れて
沈没します。 もし、こういう衝突で、イージス艦が沈没し
なかったというのであれば、まず、最初に衝突したのが、
船底のバルバスバウで、衝突した後、コンテナ船がイージス艦
をバルバスバウの上に乗せて、横にずれながら一緒に移動する。
その後に、本格的な接触があった。 すなわち、衝突のショック
で、お互いがずれながら擦った、ということです。
そうそう、この場合の衝突回避責任ですが、イージス艦から
見て、コンテナ船が右から近づく船なので、イージス艦が、
コンテナ船を避けなければなりません。

こんな場合も想定されます。
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③のケースの実戦型です。
イージス艦; 右からコンテナ船が近づく危ない!舵を左にいっぱい切る。
コンテナ船; 左から船が近づく危ない!舵をいっぱい右に切る。
イージス艦の絵をみてください。
進む矢印より、船の幅分、お尻を右に振っているでしょう。
コンテナ船の絵をみてください。
進む矢印よりも、船の幅分、お尻を左に振っているでしょう。
船というのは、大舵をとると、一旦、反対方向に滑ってゆくのです。

コンテナ船の船幅は、35mほどだと思います。
35m 行きたくない方向に滑ってゆくのですから....

ということで、
この場合、二つの船が近寄ってゆくのです。
互いに吸い寄せられるような近づき方をします。
そして、見てください。
ぶつかる直前の二つの船の見合い関係です。
「同じ方向に走っている」ように見えるでしょう。
こういう衝突の仕方もありえます。
この場合は、③の場合よりも衝撃の度合いが少ないので、イージス艦
も沈没するまでには、至らないと思います。

はたして、どういう衝突だったのでしょうね~

(参考)

今回の事故は、夜だったので、上記のような書き方をしました。
これが昼だと、コンテナ船は、相手が「軍艦」だということが判別できます。
判別できた場合は、「軍艦は動きに制約がある」ということを忖度して、
一般の商船は、軍艦を避けなければなりません(船員の常務)。

# by yosaku60 | 2017-06-19 09:17 | 日本=知ったかぶりです | Comments(1)

冷房機の掃除料金

クーラーが効かなくなったので、掃除をしてもらった。
室外機も含め、中が真っ黒だった。
掃除後、余りにも冷えるようになったので、びっくり。
ところで、クーラーの掃除料金....
昔は、確か350円か400円だった。
今は、一台600円(6万ルピア)とるようになった。
少々高くなったが、その価値があると思っている。
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# by yosaku60 | 2017-06-18 13:47 | バリ島=物価・修理費 | Comments(0)

カデ、結婚おめでとう

カデの結婚式に行ってきた。
カデとは、長い付き合いだが、夫となった男性とは初対面だった。
二人は、9年間のおつきあいの末、ゴールインした。

カデ曰く
「彼は9年前と今も一緒です」
「なにも変わっていません」
ごちそうさま....
お幸せに.....
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# by yosaku60 | 2017-06-17 07:44 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

ラマダン中はバリ人の食事事情も変わります。

インドネシアは、現在ラマダン(断食)の時期です。
バリは、バリヒンドゥーですが、影響はあります。
最近、バリで働くジャワ人が多くなったので、その影響少なくありません。
市場に並ぶもの、ワルンで並ぶもの、が違ってきます。

今朝なんぞ、いつもの「ナシジンゴ」をワルンでいただけませんでした。
作る人がジャワに帰っているからです。

ところで、バリの食事ですが、
ナシゴレンとミーゴレンだけではありませんよ。
バリの家庭料理は、結構に美味しいのです。
日本人に合った、やさしい味です。
先日は、コミンに作ってもらい、「バリ家庭料理パーティー」をしました。
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# by yosaku60 | 2017-06-16 11:16 | バリ島=社会・生活 | Comments(1)

嬉しい結婚案内状

朝食を摂る、4つのワルンのひとつ、
カデの店のカデちゃん......
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から、結婚式の案内状をもらいました。
我々夫婦にとって、とてもうれしいことです。

d0083068_09571576.jpgカデに恋人がいることは、内緒でした。
内緒の相手は、バンジャールです。
カデの住むバンジャールの誰にも知られたくない、
と打ち明けられておりました。

それから、5年。
二人は、なかなか結婚できない。
カデの両親を面倒看るためです。
カデの彼氏は、長男です。
結婚すると相手の家に入ります。
両親の面倒を看る人がいなくなるのです。

その両親が最近、決断したのです。
いつまでも我々を看てると、アンタは結婚できない。
もういい、我々はどうなってもいい。
結婚しなさい。

ということで、結婚が決まったのですが、
それを聞いた、カデの彼氏。
結婚した後も両親のワルンを手伝ったら良い。

てなことで、全てがうまくいって、とんとん拍子に、結婚式が決まったのです。
バリの結婚式の案内状は.....ど派手! です。
でも、カデのんは、お金がないので「ささやかなんです」と、
いいんだ、いんんだ、 こんな素朴な案内状をもらったほうが、俺は嬉しい。
カデ、待ってろよ! お祝い金、どかっと、持ってくからな。


# by yosaku60 | 2017-06-03 10:09 | バリ島=人物往来 | Comments(3)

今年3回目の「大当たり」

レストラン「ムテアラ」での、食事は、
私のストレスのはけ口です。

ビールを頼み、料理ができるまでの間、
茹でピーナッツをいただく。

で、中身が5粒入っていると「大当たり」
てんで、ビール一本、無料でもらえる。

先日、またまたまた、「大当たり」が出た。
今年で3回目だ。

この先、まだまだ、出そうだ。
週に2回行く「ムテアラ」........週3回にしようかな。
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# by yosaku60 | 2017-06-02 07:12 | バリ島=レストラン | Comments(0)

赤信号を無視するポリス

バリ島はすごい。
朝の光景......
中学生が数人集まった。
信号が「赤」だった。

交差点に立つポリスが、左手の手で、
青信号で進んでいる車の列を止めた!

右手を動かし、
「さあ、あんたたち、渡りなさい」
と、中学生を横断させた。

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良いのか、悪いのか、判断が分かれるところ.....
まあ、バリ島らしい...ところでは、あります。

# by yosaku60 | 2017-06-01 07:29 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

仲間たち

バリでの暮らし10年目に入っている。
いろいろな仲間ができた。
写真の彼女たちとも、ふるーい、仲間だ。
左から2番目の太めの子、名前はコマン。
家に遊びに来たときは、まだ小学生だったのに、
こんなにおっぱいおおきくなっちゃて.....
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後ろを振り返るようになってしまっては、人間失格です。
.....反省!

# by yosaku60 | 2017-05-30 09:38 | バリ島=人生のかかわり方 | Comments(0)

ングラライを忖度(そんたく)する

バリ島の英雄、ングラライ....

5万ルピア紙幣の顔ですが、嘆かわしいかな、それすら知らない....
インドネシア人、時にはバリ人、時にはバリ在住の日本人、がいる。

バリ島の独立の歴史は、ングラライだけではない。
が、調べてゆくと、どうしてもングラライにぶつかる。

独立戦争の歴史は約5年。
そのうち、ングラライが歴史に出てくるのは1年だけ。
ってことは、5分の1、なのに、何故に、ングラライなのか。
何故に、パ・ジョコをもっと語らないのか。

その理由を一言でいうと....
ングラライのいた一年間だけ、バリの一般島民が一緒に戦ったからだ。
その闘争の結果であるが、はっきり言って、オランダが勝利した。
さらに、はっきり言おう。
オランダを勝利させたのも、バリ島民だ。
バリ人にとっては、歴史の恥部である(と、私は思うのだが)。
でも、生きてゆくためにしようがなかった部分がある。
ングラライもそれを認めながら、苦しく戦った。

さて、ングラライがマルガラナで玉砕した後、
闘争は、日本軍がいた時と同じように、地下に潜る。
実際には、地下でなくて、山に登って籠るのだが(笑)。
地下に潜ると、一般島民は参加できにくくなる。
で、一般島民は騒がなくなって....
歴史として、語らなくなって...

というのが、
ングラライだけが語り残され、
残りが歴史から消えた真相である。

さて、
ングラライだが、私は、長年、ングラライを忖度してきた。
その上で、ングラライの主たる闘争歴史.....の
そのスタート....(1945年12月13日)と、
その終わり.......(1946年11月20日)に、
日本人が大いに関わっていたことが解ってきた。

これは、どんな本にも書いていない。
私がングラライの心を忖度して解ってきたことだ。

バリ人は、こんなことを思っても記述に残さない。
かといって、日本人の誰も、ここまで興味を持たない。
ングラライの日本人に対する心の忖度をする者がいない。

日本人に対する、ングラライ司令を一言で忖度すると、
スタートは「憎しみ」。 
終わりは「感謝」だった。

そういう話、書き残したいが、私には文才がない。
一度、挑戦して、よーく解っている。

お酒飲むときの「私の得意なお話し」にしておこう(笑)。
一緒に飲む機会があったら、ングラライを質問してね。
待ってます~

# by yosaku60 | 2017-05-28 08:24 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

コミンちゃんの話

最近、はやりの言葉......「忖度(そんたく)」

互いに忖度し合うのが、日本人の美徳と思っていたけど、
それがいけないことになりつつある。

さて、
コミンちゃんを一言でいうと、
「オレって人間を忖度してくれる若い女性」である。

この場合のオレ.....
時には、バリの歴史を調べたがるオタク爺、
時には、単なるスケベ爺、
時には、無茶うるさい鼾(いびき)爺、
時には、何度も屁をする臭い爺、
だったりする。
いずれにしても「爺」である。

そんな爺を忖度してくれるのだから、コミンちゃんは太っ腹だ。

まだ、ほめることがある。

時々、コミン夫婦に電話する。
「今から、メシ食べに行くから.......」
朝から電話しておくと、昼にはバリの家庭料理を食べれる。
バリ人には珍しく薄味で、美味しい上に、レパートリーが多い。

まだまだ、ほめることがある。

コミンちゃんは、自宅ではすっぴんだ。
が、我が家にマッサージに呼ぶと、お化粧をしてくる。
普段なれなれしくても仕事は仕事として甘えることはしない。
プロフェッショナルに徹する。
人間なかなか、こんな風に徹しきれない。

まだまだまだ、ほめることがある。

バリに住むと....
バリ人には当たり前にできて日本人にはできないことがある。
そんな時、コミンちゃんに頼むと二つ返事で引き受けてくれる。
それも明るく、そして足が軽く、そして約束を忘れない。

まだまだまだまだ、ほめることがある。

「時間を守る」ことである。
それも「5分間精神」を兼ねながら守る。
自分は待つが、他人を待たさない。
こんなバリ人は珍しい。


さて、そんなコミンちゃん登場だ!
箸を使って私たちに溶け込もうと忖度するコミンちゃん。

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カミさんに、バリ料理を教えてくれる。
若いのに、料理を作るのがうまい。
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さて、昨晩来たから、
今度は、火曜日だね、コミンちゃん。
待ってるよ~

# by yosaku60 | 2017-05-27 09:41 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

プトリちゃんの話

ビーチで朝食を摂る処が4か所あると書いた。
夫婦間で、その4か所を次のように呼んでいる。

1、ムルタサリのいつもの店
2、カデの店
3、おばあちゃんの店
4、プトリの店

で、4番目の「プトリの店」のプトリである。
生まれた時から、知っている。
こんな可愛い女の子だ。
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「プトリ!、アンタちょっと可愛いからって...」
「将来、男を泣かす女になるなよ」

私が、いつもプトリに言うセリフだ。
と、プトリは、真面目にうなずく。

そんなプトリちゃん、
母親がいない。 で、おばあちゃん娘(こ)だ。
母親は、私も逢ったことがない。
プトリを産んで、すぐに出て行ったきり帰って来ない。
聞くと、クタあたりに居るらしい。

その母親のお母さん、すなわち、おばあちゃんに聞いてみた。
あんたの子供のことだけど、プトリのお母さん....プトリに会いに来ないの?
「来ないね~」
いいの?
「しようがない」
「プトリが成人になったら会いに来るでしょう」
と、言って笑う。

このプトリ。
あと2ヶ月で幼稚園に行く。
私立の金額の高いところに行かせたいそうな。
「だけど、高いのよね~」
いくらぐらい?
「一年で、1.8ジュタ」(毎月約1300円)
「小学校も同じ私立だけど、3ジュタ」(毎月約2100円)
そりゃ、大変だね~
「毎日の送り迎えも大変」
そんなの簡単じゃん。
バリの男は、4人まで妻を持てるじゃん。
女性も、二人ぐらい亭主を持っても、ティダアパアパじゃん。
その2番目の亭主に送り迎えしてもらえば簡単じゃん。
アンタは、口紅さえ塗れば、まだまだ魅力があるじゃん。
「ハハハ」

今朝のワルンでの、つまらない会話でした。
さて、今日も明るく生きて行こう!
ゴール、間近だから.....(んん?)

# by yosaku60 | 2017-05-26 09:08 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

ちょっとびっくり、散水車

バリ島の散水車はすごい!
その証拠の、写真を見ていただけますか。
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あれ、左手で散水!ハンドルは?
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ずーと、片手運転です。
右目で水を見て、左目で前方確認してるのかな?
人件費削減で、いいことですよね。
でも、これ日本だったら、どこかの誰かから苦情がでるでしょうね。
でもね、ここは、ティダアパ(気にしない)のバリ島....
こんなの、いんですよ!

などと思いながら、ずーと彼の仕事ぶりを追っている、オレ...
って、馬鹿だね~
馬鹿ついでに、片手運転を戒める規則があるかどうか、
調べてみたけど、ありません。
次の規定だけです。

(安全運転の義務)第70条 
車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を
確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、
他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。

まあね、そうなんでしょうね....

# by yosaku60 | 2017-05-24 06:32 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(1)

私の朝食(ナシジンゴ)

私の朝食は、いつもビーチで摂る。
行きつけの店が4ヶ所あって、それらを順に廻る。
食べるのがナシジンゴ。
(ナシジンゴ...「労働者のメシ」って意味だそうな)
紙に包んだものより、バナナの葉に包んだものの方が美味しい。
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一個5千ルピア(45円)
ご飯、焼きそば、テンペ、鶏肉...などがチャンプルされている。

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それに、肉の串刺しを45円分いただく。
店によって違うが、この店では4本買える。
カミさんと2本づついただく。
本物の炭火焼きである。
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焼きたてなので、ふーふーと美味しい。
串刺しは、魚肉と豚肉の二つある。
どちらも値段は同じ。
左の味付けは、「サンバル」という。
この店の串刺し用サンバルは、全て天然(自然)だ。
10種類の野菜の葉や実を砕いて作る。
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それに飲み物は、コーヒー。
カミさんは、ネスカフェ、私は現地コーヒーのブラック。
(時には、コーヒーお代わり)

これだけ頂いて、お二人分のお勘定トータル、
2万ルピア(170円)。
これは、コーヒーお代わりの価格込みの値段ですが、
お代わりしなくとも、2万ルピア払うんです。
で、「つりはいいよ」って、いいかっこするんです。

これが....
私のバリでの年金生活の実態....でないと生きてゆけません。

但し、今朝はちょっと贅沢しました。
串刺し4本追加、コーヒーを私だけがお代わり...
てんで、2万5千ルピア(210円)になってしまいました。
時々、こんな’贅沢をしなければ...でないと生きてゆけません。

# by yosaku60 | 2017-05-22 10:25 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

朝のビーチ(写真の整理)

朝の散歩時、ちょっといい感じの光景に出会うと、
写真を撮ります。
でも、あとで見ると、大したことのない写真です。
その日の朝の気分で、感じ方が違うのでしょうね。
そんな、捨てるに捨てれない写真の整理です。

これ、みんな竹でできてる家....
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日曜日のムルタサリビーチ....
このバイクの数、見てください。
バリ人もビーチ遊びが好きです。
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ちょっと、いいでしょう。
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これも....
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上の写真の右の木です。
この一本で、随分と憩いの空間を作っています。
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お客様少ないですね。
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まだ、時間が早いからです。
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最後は、カミさん.....
前を走って(いや、歩いて)おります。
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# by yosaku60 | 2017-05-20 07:51 | バリ島=その日のできごと | Comments(3)

スマラン事件(その12; 最終回)

病院からの迎えの自動車が待ち遠しく、
一分が一時間ほどの気がしました。

病院へ行けば、輸血も考えられるので,

「閣下、血液型は何ですか」
「血液型を聞いて何にする」
「俺は輸血の必要がない」

「それでは私が困る、軍医に聞かれても応えられない」
「A型だ、けれど輸血の必要は無いぞ、それよりか水を一杯くれ」

「水、水は差し上げることはできません」
「腹部重傷に水を飲んだら助かるものも助からぬことになります」
「こればかりは閣下の命令でも私は絶対にお上げすることはできません」
「そうか、皆に済まぬ、野市にも気の毒なことをした」

(野市さんは寺垣局長が銃で撃たれるのを防ぐため、
 身を挺して護り暴徒の竹槍に刺され戦死した)

閣下は自動車の中で多少苦痛を訴えておられたが、
その内に何も言われず、
握っていた手も大分冷たくなっていました。

もしかすると駄目かもしれぬと思ってきました。
「閣下、何か遺言がありませんか」
「何もない、みなに済まぬ」
「留守宅への遺言は」
「何もない」

思わず、私は大声で泣きました。
閣下の目にも涙が出ていました。
さぞかし残念なことでしょう。

「この仇は必ず討ちます」
「.......」
この時、閣下は私の手をしっかりと握られ、
二度シャックリをされ、
これが永遠のお別れでした。


これが「スマラン事件」だ。
が、これは全容ではない、一部だけだ。
監獄に入れらた日本人を救出する場面だけだ。

日本の憲兵隊は、
監禁されたオランダ人・混血人・
親オランダ系住民をも救出している。
そのために、インドネシアの青年たちと戦い続けた。

インドネシア側の犠牲者は、千名から二千名いた。
こんなにも犠牲者数が曖昧なのは、
それだけ混乱していたからだ。

日本軍とインドネシアの過激な青年との戦争は五日間続いた。
これら全てを通して「スマラン事件」と呼ばれている。
# by yosaku60 | 2017-05-19 07:37 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その11; 我が民族は動物なり)

隊長は、生き残った負傷者の手当てを託して、
この惨劇をインドネシアの代表者に検証させるため、
城戸部隊に軟禁中のオンソネゴロ省知事、
スカルジョ・プルサ病院長の両名を現場に連行して
各監房内の惨状を目撃させた。

正面から入って右側、
三番目の監房内の壁に書かれた

「インドネシアの独立を祈る、万歳」

血書の前で、
青木がオンソネゴロにこの文意を
インドネシア語で伝えると、
彼は顔面蒼白になり

「バハギャ キク ビナタン(我が民族は動物なり)」

と繰り返した。

以上が救出隊の分隊長であった、
青木氏の手記である。


........


あとひとつ手記があるので、これも語り継ぎたい。
松音友治氏(中部陸輸局員)が語る,
寺垣俊雄司政長官のその後である。

(松音友治氏手記)

私は、閣下の安否を尋ね大声で
「寺垣閣下、寺垣閣下」と叫び続けた処、
折よく憲兵隊長が来られて

「閣下は重傷だ、すぐ行け、そこの布団の上に寝ておられる」

と言うので駆けつけますと、
何とお気の毒に全身血まみれて既に顔面の血色もない、

「閣下、松音です。傷は浅い。大丈夫です」

「ウン、有り難う。俺は腹を遣られているから多分駄目だ。」
「手足はもう痺れている。皆に申し訳ない。」
「自分としてはできるだけのことはしたつもりだが、今となっては何にもならない。」
「みなによろしく伝えてくれ。」
「それにしてもお前が助かったことはせめてもの幸せだ。」
「俺のいた室の壁に遺書を書いてあるから後で見てくれ」


ただ涙のみで物は言わず、
すぐに病院へと思いましたが、戦闘中で如何ともできず、
幸いオランダ人医者が来て、カンフル注射三本をうちました。

閣下の傷は下腹部、臍の下を自動小銃で貫通していました。
閣下が言っておられた遺書のことが気になり、
他の同僚に閣下をお願いし、室に参りますと、
その中で二十数名折り重なって憤死し、
その惨状はとても言葉や筆は表現できるものではありません。
# by yosaku60 | 2017-05-18 08:04 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その10; 壁に書かれた血書)

決死隊員は逃げて行く青年たちには目もくれず、
各監房内の日本人救出に全力をあげた。

丁度その時、血まみれになった日本人数名が
監房内から転がるようになって飛び出して来た。

この人達は我々の身体に抱きつくなり,
「ありがとうございました」
と泣きながら礼を言っていた。

この中のひとりは、
中部陸輸総局の寺垣司政長官であったが、
寺垣氏は我々に礼を言った後、
それ以上は口を利く気力もなく、
所内の庭に崩れる様に倒れてしまった。

中部陸輸総局で特殊任務に携わっていた青木分隊長は、
これが寺垣俊雄司政長官閣下であることが一目でわかった。

青木は長官に傍に駆け寄り、
「救護班がすぐに来ますから、どうぞ頑張ってください」
と大声で告げ、携帯していた三角巾で、
出血の激しい腹部の応急手当てをして差し上げると、

幽かな声で、
「青木さん、ありがとうございました。
他の人達のこともよろしくおねがいします」
のみ、言い終わったが、
顔面は既に死相になっていた。


監房内の死体を搬出していた青木は、
薄暗い監房内の血痕の飛び散っているようなものに気付いた。

側によってよく見ると、

「インドネシアの独立を祈る、万歳」

と書かれた血書である。

機銃で射殺された日本人犠牲者が死を直前にして、
流れでる自らの血を指に採り書いたものである。
文字の大きさは、一文字十センチぐらいで、
最後の「万歳」の文字はもう精根尽き果てたという感じであった。

青木はすぐに、この文字のことを報告した。

隊長はこの文字の前に立って、
しばし茫然としていたが、ただ一言、

「遅かった」

と、腹の底から絞りだすような小声を残して壁から離れた。
# by yosaku60 | 2017-05-17 13:36 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その9; 救助隊来る)

この三輪義雄氏の手記。
つぎのとおり救助隊が来たことが書いてある。


十月十五日の未明の三時を期して、
城戸部隊は完全装備し、
波状的に戦闘を開始した。

目的は市内の治安維持だった。
午前中には、インドネシアの青年隊(急進共産革命を目指す)が
占有している処を全て確保した。



引き続き市内の掃討作戦を展開している時、
日本人が拉致され、
拉致された人々はブルー刑務所に監禁され、
多数の死者が出ている、との情報が憲兵隊に入ってきた。


和田憲兵隊長は
早速に城戸部隊長に邦人救出の意見を具申したが、
ブルー刑務所に通ずる道路の強行突破は、
現状兵力では至難との返答であった。

和田憲兵隊長は部隊がやらなければ、
憲兵隊だけで決行しようと決断した。

これがため、決死隊を編成し、自らが救出隊長となり
四十名の救出隊を編成した。


編成は和田隊長率いる指揮班を根来准尉以下七名、
左側小路を進むのは田中第一分隊長以下の十六名、
右側小路を進むのは青木第二分隊長以下十六名とした。

前進中の田中部隊にガラン川の向こうから撃ってきた。
補助憲兵のひとりの腹部を貫通しその兵は間もなく戦死した。


田中部隊は、銃が撃ち込まれる中、さらに前進した。
三方の道路から前進した救出隊は、
夕暮れ近くの五時頃、
刑務所前の通りに辿り着いた。

和田隊長は道路を隔てて全面に立ち塞がっている
ブルー刑務所の正面扉を睨みながら、
河野曹長と青木分隊長に、正面扉を破って突入を命じた。


両名に向かって
付近の家屋の二階や物陰に潜んでいる敵から
機銃掃射があった。

両名は、それを意にせず、
十二メートル幅の道路を全速力で駆け抜け、
刑務所正面の木製扉に体当たりした。

扉は微動だにしなかった。
両名は、それにひるまず、
二度三度と身体中で扉にぶつかった。


その間、インドネシア青年隊が軽機関銃で
二人を目掛けて掃射を浴びせて来た。

両名は腰を低くして銃弾をよけながら、
なおも繰り返し扉に体当たりを続けたところ、
奇跡的に突然扉がギーと鈍い音をたてて開いた。

両名は開いた扉から転がり込むようにして、
刑務所内に飛び込んだ。

それを見て、和田隊長が「突撃」を指示した。

全員が刑務所内に飛び込んだ。
「日本人はどこにいるか、憲兵隊が救出に来たぞ」
と叫びながら、所内に駆け足でちらばっていった。

刑務所内にいたインドネシア青年二十名ぐらいが
高い塀をよじ登って、
われ先にと刑務所の外に逃げて行くのが見えた。
# by yosaku60 | 2017-05-16 07:33 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その8; 部屋でただひとりの生還者)

それを見て、野市友三氏(元名鉄)が
思わず飛び出して「待て、待て」と両手を上げ制止した。

今度は、その野市氏を竹槍で激しく突いた。
局長は少し後ろに動いた。
その時、銃声がして局長が倒れた。

それから我々への銃殺が始まった。
入り口を竹槍数人、自動小銃一人、小銃一人で囲み
「今より殺す」と宣言した。

一人一人立った者に向かって自動小銃が火を噴いた。
私も五・六人目に立ちあがった。
銃口を見つめた。

銃口が目に入った瞬間、
頭部と足の爪先に圧力がかかり、
身がキュット締め付けれられる思いがした。

ふと楽になった。
後は覚えがない。


ふと気がつくと山積みの死体の内に倒れている自分を発見した。
上に乗っている死体が重くて仕方がない。
跳ねのけようとしたが、どこを撃たれたのかその力もない。

(頭部貫通による脊髄損傷全身麻痺のためだった)

ままよ死期を待つのみと思った。
その時、声が聞こえた。
壁の前の寺垣局長の呻き声であった。

「野市君、三輪君、もういったか。水が欲しい」。 
私も水が欲しいが何ともならず、ウトウトとしてしまった。

もう駄目だと自らの命を首吊りで終える者もいた。
私も手首の血管に噛みついたがすぐに血が止まり、駄目、死ねない。

最後の止めの一発で終わるかなと、またウトウトした。
激しいスコールに目が覚めた。


軒からの雨滴が激しく落ちている。
何とか飲みたいともがいたが、身体が動かない。


呻き声は絶えた。
局長の声もない。

スコールが止んだ直後に「ワァー」という聞きなれた日本人の声がした。
救助隊の声だ。
救われた。

私の部屋で生存したのは、私(三輪)ただ一人だった。
# by yosaku60 | 2017-05-15 07:35 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その7; 竹槍で突き刺した)

他の部屋でも生き残った人がいた。
中部陸輸局員の三輪義雄氏だ。
彼は中部陸輸局長の寺垣俊雄氏と一緒の牢に入れられた。

三輪義雄氏も手記を残している。


同じ部屋に入れられたのは、
局長の寺垣俊雄氏を中心とする局員、
邦人、軍人を交え四十三名であった。
部屋は間口二間・奥行二間のコンクリートの床敷だった。

四十三名では座るのが精一杯、
手足を伸ばすのも不自由だった。
その上、格子戸についている羽目板が閉ざされているので、
室内の蒸し暑さは言葉に絶し、
汗びっしょりで呼吸困難な状態であった。


見張り役に羽目板を開けるよう頼んだが
「喋ってはいかん」と叱られ、
明け方六時頃になってようやく
羽目板を開けてくれた。


八時頃、
鎖錠が外され二名づつ用便が認められ、
食事も与えられた。
この最中に銃声が聞こえ、
急遽入室を要求され再び監禁された。


そのあと、留置場の狭さを訴えたところ、
すぐに許され、
二十名が他の部屋に移され、
私の部屋は二十三名になった。



他所から銃声が聞こえ,
殺戮が続けられているようであった。
その内、あたりが暗くなり、
灯りのないこの部屋は真っ暗になった。

暗闇の射撃はできず、
匪賊は今日の襲撃は取りやめたようだ。 


翌十六日午前八時頃、
軽機を持った者が竹槍を持った五名を従えてやってきた。 

寺垣局長は、その中にたまたま顔見知りの者を見つけた。
その者に「陸輸ナショナルコミニツ」に連絡とるように依頼した。
相手は了承し引き上げた。 
部屋の者一同は安堵した。

午後三時頃に給食が出た。

それから三十分後、局長一人だけ外に出て、
話し合いが始まった。
ほんの少しして、竹槍で局長を突き始めた。
# by yosaku60 | 2017-05-14 13:04 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その6; 何故に殺されるのか)

全く死の恐怖の断崖に立たされたが、
頭の中ではいろいろの事が思い浮かぶ。
身は傷つき所詮死は時間の問題だろう。
このまま潔く敵の弾で斃れても良いが、
故郷に愛する妻と
未だはっきりと見覚えぬまま残して来た赤子もいる。

一同疎開先で無事であるとの便りを受け取っている。

今このままで死ぬとは!
戦争も終わり、敗れたりとはいえ、
命を全うして復員できるのに! 
インドネシア独立運動の犠牲になるとは、
全く無意味で犬死に以上の何物でもない。

ここはなんとしても生きて帰るぞと決心し、
自分に言い聞かせ念じた。


敵匪の襲撃は留置場ごとに行われ、
その都度悪魔の銃声が響いた。

その内辺りは暗闇となり、
敵匪の作業は終わり、
大殺戮事件が行われた刑務所は
何事もなかったように静かになった。


気が落ち着いてくるにつけ、
インドネシア人の我々に対する鬼畜行為には
大いなる憤懣が湧いて来た。

我々はインドネシアの独立を助長こそすれ妨害した覚えはなく、
またする必要もないのに、何故恨まれなければならないのか。

彼らに我々の心情を知らせんものと、
流れている血潮を指先につけ部屋の白壁に

「パギャン インドネシア ムルデカ
(インドネシアの独立を祈る、万歳)」と書くものもいた。

「天皇陛下万歳」とか、
「自分の名や家族の名」を書く者もいた。


遠くから銃声が聞こえて来た。
息のある者もシーンとしている。
日本軍が我々の救出に動きだしたと祈っていた。

しばらくして、また敵匪が現れた。
室内の様子をうかがっている。
少しでも動いているものを発見するや狙い撃ちである。

申し訳ないと思いながらもそっと友の亡き骸を引きよせる。
賊はなおも弾を撃ち込んでくる。
息をこらし生きた心地がしない。

「助かりたい」の一念で友の死体を抱えていることを一晩中、
気に留めながらも、いつしか眠った様だ。

その内殺気と幽鬼が一杯立ち込めていた部屋にも
夜明けの光が見えて来た。
全く長い夜であった。


# by yosaku60 | 2017-05-13 07:24 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その5; みな殺し)

前列に並んだ人は一瞬の間に至近弾を受けバタバタと斃れた。
急所を外れた者もおり部屋は阿鼻叫喚の地獄と化した。

私は部屋の一番奥にいたので、
直撃は避けれたが右ひざ関節あたりが生ぬるく感じ、
見るとズボンに丸く血がにじんでいた。
何かに当たった弾が跳ねてかすったのである。

辺りの様子がどんなに変化したか見極める余裕もなく、
専ら身を護ることが精一杯であった。

我々の部屋の襲撃を最初として、
しばらく間をおいて前の部屋の襲撃が始まり銃声が聞こえる。

死を覚悟した蛭間千代松氏(元東鉄局)の声で
「待て、待て、これから一人一人殺してくれ」
「格子の処に立つから指定したところを撃て」と、

その声に続いて一人づつ、
「ここを撃て」と頭、心臓、あるいは咽と指示し、

中には官姓名を名乗り、
または「天皇陛下万歳」を叫びながら、
刑務所の露と消えていった。

落合正男氏(元大鉄局)
古堂操氏(元名鉄局)の声も聞こえた。

私は、暴徒がまた襲撃に来る気配を感じ、
動ける者で最後の防戦をする準備をした。
まず扉を開いて中に入られてはおしまいだ。
幸い扉は内開きであるから、同胞の死体には気の毒であるが、
開き止めの盾になって貰おうと、
真っ暗の中、手探りで引き寄せた。

案の定、敵は人の動きを感じたか、
まだいきているぞ、
と無差別銃撃を始めた。

こちらも無我夢中で彼らの餌食になっては叶わぬと、
弾の死角を扉の内側に求めて身を隠した。
相手もさる者、生存者いると知るや、
今度は扉を開こうと取っ手をガチャガチャと廻したが駄目、
体当たりでも開かない。

敵はたまりかねて扉越しに弾を撃ち込んできた。
内側から扉上部を押さえていたが、バシッという音と共に、
左の尻たぶに丁度割り竹にビチャーと叩かれた様な、
軽い痛みと生暖かさを感じた。
上に手を当てるとべっとり血が付いた。
一発が肉を浅くかすめた貫通銃創であった。

しばらくして敵はあきらめて立ち去った。 
私は扉が開かないことが確認できたので、
僚友の死体に囲まれて横になり身体を休めた。

しばらくして、また外の音がして、
数人の敵匪が向かいの部屋を開いた。
死体を運び出し室内を洗っているらしい。

死体はどこに運び去られたのか、
川原にでも埋められたのか、
しばらくして、また辺りは静かになった。

# by yosaku60 | 2017-05-12 07:50 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その4; 無差別に撃ち出した)

城戸部隊が出動準備しているうちに暴徒が暴れていたのだ。
下町に住む日本人を次々といずれかに連れ去っていたのだ。

連れ去られ監禁されながらも、
九死に一生を得た、人の手記が残っている。
中部陸輸局員の北川哲夫氏の次の手記である。

十月十四日、今日は鉄道記念日。
このところの治安悪化では、いつ召集の声が係るかもしれず、
名鉄局工務畑の岩間八郎氏の発案で、
同郷の古瀬洋平氏と私の三名が食材を持ち寄り、
我が家で夕食会を開く。
鶏スキを囲み、ブランデーを飲み交わした。
これが永久の別れとも知らず、
打ち上げの盃を交わし解散した。

宴終了後、下男は後片付けを簡単に済まし,
「旦那さん、今夜は物騒だから外に出てはいかん。
青年団が夜警している」
と言い残して帰った。
今夜は屋外でピーピーと口笛を鳴らすインドネシア人の行き来が多いようだ。
私は特に気にも留めず、戸締りをして就寝した。
夜半ぐっすり寝込んだ所に突然玄関の扉を叩く音に眼を覚まされた。
出て扉を開けると武装した二人の青年がおり

「俺達は警備員だが世間が騒がしくなった。
ここにいては危険であるから、
保護するために日本人は集結してくれ今から案内する」

まさかの地獄の案内人とは知らず、
かねて緊急時のため用意していたリュックを背負って、
青年の後について行った。
近くの新聞社支部に着き中に入ると、
既に先客は沢山いたらしく、
部屋にはリュックなどの荷物が多数積んであった。

表にはバスが一台待っていた。
持ち物、リュックをその場に置き、身体検査後バスに乗せられ、
ブルー刑務所前で下車、そのまま狭い部屋に押し込まれた。

時刻は十五日午前三時頃、同室者は三十名近く、
ほとんどは顔見知りの鉄道隊員ばかりであった。
さしたる不安は感じなく、
まさかここが地獄とは思いもよらなかった。
昼食にやっと高粱米の石抜きしていない赤飯が配られた。
食べると小石がジャリッと歯に触る。

夕刻になって外部の様子がおかしくなり、
自動小銃を腰に構えた者と、
竹槍らしきものを持ったインドネシア青年二人が来て、

「これから用便のために出してやる。
その前に何人いるか点呼するから、
一同立って整列しろ」と言う。

やれやれ助かったと思い、
がやがや言いながら立ち上がり整列するや否や
銃を持った青年が引き金を引きバリバリと
無差別に我々に向かって掃射を始めた。

# by yosaku60 | 2017-05-11 14:20 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その3; 城戸部隊の指令間に合わず)

当時、スマランの警備は、城戸部隊が任にあたっていた。
隊長は、城戸進一郎少佐だ。
百二十名の特殊構成部隊で残務処理が目的で戦闘部隊ではなかった。

当時のインドネシアは、終戦直後の混乱期にあった。
その混乱に乗じ共産主義者の過激分子が台頭してきていた。
その組織は、アンカタン・ムダと呼ばれた。
スマランのアンカタン・ムダは特に過激であった。
左翼革命社会実現すべく、独立・革命を訴え、独立運動の主力になっていた。
そんなアンカタン・ムダの首脳者が、城戸部隊に武器の譲渡を迫ってきたのだ。

城戸部隊長は、すぐには断らなかった。
そうはできない状況をこんこんと説明し、最後は凛として決意を述べた。

「これ以上の要求をしたければ、私を殺してからにしろ」
「そうすれば部下は私の屍を乗り越えてゆく」
「あらゆる兵器を動員して全力で暴徒を鎮圧するだけだ」

アンカタン・ムダの首謀者は、「解りました」と言い、城戸の元を去った。
しかし、夕刻になってから、状況が一転した。
アンカタン・ムダの最過激派が違う計画を立てているとの情報が入って来た。

第一段階として、日本軍の保有する兵器の全面強奪。
第二段階として、日本軍の保有する一切の公物、私物の掠奪。
第三段階として、日本人の逮捕監禁並びに殺戮
以上の三段階を通じて武器を得る。
その武器でオランダ軍及びこれを支援する勢力と武力抗争を継続する、というのだ。

その情報を知り、城戸はすぐにアンカタン・ムダの首謀者宅に出向いた。
その真意を確かめるも、のらりくらりの返答であった。
武力による鎮圧も止むを得まい、城戸はそう決断した。

が、城戸の行動が遅れた。

その夜から翌朝にかけて、暴徒が暴れたのだ。
市内のオランダ人・混血人・親オランダ系住民が暴徒により逮捕され監禁されたのだ。
その総数は二千人に達した。
また、同じ頃、暴徒の一隊は大挙してスマラン飛行場を襲撃した。
少数の警備兵の武装を解除して連れだした後、飛行場を占領した。

城戸部隊長は、状態の悪化を知り動いた。
同日正午ごろ、市内に住む軍属・邦人に隣組を通じて次の指令を極秘理に伝えた。

「一部暴民の治安攪乱は極限まで来たため、
近いうちに武力を行使して治安の回復を図る。
軍属・邦人は市内で砲声を聞いたならば、城戸部隊、憲兵隊、
もしくは市長官舎のいずれかに集まり、軍の指揮下に入ること」

この城戸部隊長の指令も遅きに失した。


# by yosaku60 | 2017-05-10 09:01 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)


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