あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



日本への空路往復チケットを買う

9月末、日本に帰り、10月末、バリ島に戻る。
今回(日本滞在40日間)は、エヴィを連れて帰省する。
ただ、航空運賃はじめ交通費はエヴィの自腹....

で、どんな航空会社にするかは、エヴィにお任せ。
私らは、エヴィについて行くだけ...
で、エヴィが選んだのは、エアーアジアの羽田着往復便....
私達にとって、直行便は少々疲れる。
マレーシアで、3時間待ちは、ちょうど良い中間食事タイム、
で、別に過不足なし、まあ望むところ。

ということで、航空運賃だが、
夫婦二人分の往復で、1680万ルピア(14万円)。
(受託手荷物は、行き帰りとも二人で、70キロで申請)
(又、行き帰りとも、保険付き)

これが、高いか安いか、よくわからない。
(エヴィに言わせると、安いとのこと)

さて、私たちは、バリ島からの航空チケットを買う場合、
いつも地元の会社「 Anta Tour 」を使うことにしている。
いろいろ情報が聞けて便利だからだ。
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で、お金を払うと、
札束をこんな風にしてカウントする。
バリ(多分、インドネシア中)は、みんなこういう数え方をする。
実に手早い。
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彼の場合、一度指を手繰ると、3枚を数える。
(指を手繰る;指パッチンをするように....)
3枚で一回ということになる。
で、10回手繰ると、30枚になる。

3枚づつを指で手繰る方法と、
5枚づつ指で手繰る方法の2種類あるらしい。

まあ、いずれにしても数え方が速い、見事だ!

# by yosaku60 | 2017-08-25 11:04 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

可愛い生徒達

私は、週に一度、私立の語学学校に通っている。
ボランティアで、バリ人に日本語を教えるためだ。

その目的....
「バリ人に喜んで欲しい」からであるが、
よーく考えてみると、それは建て前であって、
私の心の奥を覗いてみると、
「自分に満足感を得るため」の様である。
本音は「わがまま」「いいかっこし」ということになる。
まあ、いつもの私である。

では、あるが、
日本語を学ぼうとする、生徒たちに接していると、嬉しくなる。
これは本当だ。

で、単に日本語を教えるだけでなく、
日本語に関連して、生徒達に目的を与えたくなった。
具体的には、「日本語能力検定試験」へのチャレンジを勧めてみた。

と、この4人がやってみようと申し出てきた。
「ありがたい」
「やろう、やろう」
てんで、我が家で、週に一度の課外授業を始めた。
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私は、教材を準備したり、軽く教えるだけだが、
勉強の仕方などは、エヴィ(右から二人目)がやってくれる。

エヴィ、ありがとう。
そして、人生に前向きなバリの若者達....
傍にいるだけで、嬉しくなる。

みんな、私のわがままを受け入れてくれる。
ありがとね!

# by yosaku60 | 2017-08-24 09:58 | バリ島=人生のかかわり方 | Comments(0)

バリ島の「バリ」という意味は....

バリ島は、インドネシア語で pulau Bali と書く。
pulauは「島」ですが、
Bali は、何だと思いますか?

Banyak libur の頭文字をとったという、こんな冗談があるんですよ。
Banyak=多い
libur=休暇
ということは、休んでばっか ということ!

なんでやすむのかって?
バリヒンドゥーの宗教行事が多いからです。

まあ、これはジョークですが、
住んでみると、ホントに休みばっかです。

ここ、一週間をみてみると、
8月16日は、独立前夜祭
8月17日は、独立記念日

まあ、これは国の行事だから特別ですが、
二日後の
8月19日は、サラスワティ(Saraswati)...
教育の女神さまに感謝する日 (必ず土曜日)です。
感謝するのですから、この日は本を開いたり雑念を持ってはなりません。
で、学校は休みです。

んで、次の日の
8月20日は、バニュピナルー(Banyu Pinaruh)
サラスワティの締めくくりに、海で水浴して身体を禊ます。
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そして、今日
8月23日は、パグルワシー(Pagerwasi)
ご先祖を供養する日です。
同じ目的で、ガルンガンがありますが、
シンガラジャでは、ガルンガンよりもパグルワシーの方が大事なんですよ。
シンガラジャ出身者は、この日は、絶対に故郷に帰らねばなりません。
勿論、バリ島中、この日は「お休み」です。

で、明日は、
マニス・パグルワシー。
無事にご先祖を供養できたことを祝って、楽しくおしゃべりする日です。

ああああ、バリ島....banyak libur の bali
でも、いいんじゃないですか。
神の島 なんだから...

# by yosaku60 | 2017-08-23 09:29 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

ナンカってどう料理するのか。

バリ島には果物が多い。
その中で私がもっとも好きなのは「ナンカ」である....
と以前のブログで書いた。
その想い、今も変わらない。

ナンカ....別名「ジャックフルーツ」
昨日、コミンちゃんから、その半切れを頂いた。
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大きい。
どう切って中身を取り出すのか....
分からない、
まあ、なんとかやってみた。
どうにか、こねくり回して、こんなのになった。
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が、この写真を見てくれ。
以前、エヴィのおかあさんが切ってくれたもの。
全然、形が崩れていない。
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ナンカをきれいに取り出す技、見てみたいものだ。

さて、ナンカの種を食べれるのご存知ですか。
少し水に漬けておき、ふかすとこんなのになる。
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実のしまった栗のような味と歯ごたえで美味だ。
少々、塩をふると、さらに美味しくなる。

# by yosaku60 | 2017-08-22 09:41 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

出版記念パーティー

出版記念パーティを主催して頂いた、佳子さん邸....
の一階ロビー。
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25メートルのプールは泳ぎ甲斐がありそう。
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2階に上がり....
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外を見ると、ちょうど「凧揚げ大会」の真っ最中。
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で、始まった「お食事」....
夫のフイリップはフランス人。
で、佳子さんもフランス料理がお得意。
エヴィ達女性陣は、さすが詳しい。
横文字をいっぱい並べた料理の数々をどれも美味しいと感嘆する。
私は、どれが何でどれがそれか全くわからない。
手前の「ちまき」は、佳子さんちの使用人シェフ。
それ以外は、全て佳子さんご自身の手作り。
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をテラスでいただき....
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んで、次に始まったのが、新聞社の取材。
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続いて「説明会」というのかな....
私がもっとも苦手とする「おはなし」
が、後ろの方に、バリ人のグループが話を聞いてくれていた。
話は、ところどころ、エヴィが通訳してくれた。
実は、私が「尊崇」をもっとも読んで欲しいと思っているのは、バリ人。
話しながら、時々、バリの方々が頷いてくれるのが嬉しかった。
そして、終わったら....
バリ人の若い男の人が挨拶に来て、
「バリ人への語りかけ、心に届きました」
「感激しました、ありがとう」
と言ってくれたのです。
私は、話し下手ですが、このひとことで救われました。
ありがとう。
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佳子さん!!
素人の私なんぞが書いた本「尊崇」のため、
かくも盛大な「出版パーティ」を開いてくださってありがとうございます。
身に余る光栄なひとときでした。
写真は佳子さんとフランス名誉領事。
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# by yosaku60 | 2017-08-21 10:56 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

出版記念パーティーでの挨拶

本日の出版記念パーティーでの挨拶...
佳子さんから、私の過去の経験、
特にベトナム戦争中のサイゴン(現在のホーチミン市)の話でも、
とのリクエストがあった。
が、ベトナム人に化けて市内に潜入の話なんて、
無謀すぎて、面白くもなんともない。
それに、昔すぎる。

済んだ過去よりも、これからの話のほうが良い。
で、昨夜、ゆっくり考えて、
本「尊崇」の今後の活用について話すことに決めた。

1、バリ人に対しては、

  バリ人は、歴史を語りたがらない。
  史実を残すのに、村と村との連携がない。
  そうした連携を作る為の資料に使ってもらえないかな~
  具体的には、バリ島のトゥグパラワンに特化した本(パンフレット)の出版。
  エヴィ、翻訳頼むよ!

2、日本人に対して、

  独立戦争に日本人が加わった足跡を
  見て歩くだけでも、3日~5日はかかる。
  ビーチや段々畑だけでなく、新しいバリ島の観光として、
  日本兵の足跡探検ツアーなどを企画する旅行会社が現れないかな~

を話す予定にしている。
んでも、オレ、話し下手だしな~

# by yosaku60 | 2017-08-20 11:43 | 帰らなかった日本兵 | Comments(5)

急遽、明日、出版記念パーティーをば....

自費出版した「尊崇」....

私の友人の佳子さんが、
「出版記念パーティーをやりましょう」
と、急遽、準備してくれました。

ありがたい話です。

で、「尊崇」をお買い上げいただく予定の方は、
是非にご参加ください。
15万ルピアのところ、
当日会場では10万ルピアにさせていただきますので...

主催者の佳子さんからは、
「何人来ても結構よ」と、了解をもらっていますので、
初めてお会いする方も遠慮なさらずに、ご参加ください。

会場は、佳子さんの家...
サヌールのムルタサリビーチの南端の大きな家です。
(マングローブの北の端の通り沿いの一軒家です)
(大きな門があって、道路からは二階建ての白い家が見えます)
開催時間は、明日(日曜日)の午後一時からです。
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# by yosaku60 | 2017-08-19 14:31 | 帰らなかった日本兵 | Comments(3)

カミさんも71歳になりました。

8月17日は、インドネシアの独立記念日。
同時に(畏れ多くも)、カミさんの誕生日でもあるのです。
私と同じで、71歳になりました。
祝ってくれた方々.....
左からエヴィ、
カミさんのお友達のFさん。
私、そして、同郷(白山市)のJちゃん。
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エヴィが、こんなケーキを持ってきてくれました。
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それに、自分の家で飼っている白鳥(見に行くと、ホント何匹もいた).....
の卵を2個持ってきてくれました。
卵焼きにして食べましたが、鶏の卵よりも濃厚な味でした。
(大きさの比較のために下に鶏卵を置いてみた)
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ホンに、バリ島ではいろんなものが食べれます。

# by yosaku60 | 2017-08-19 09:39 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

サヌール市、独立記念日式典

昨日は、インドネシアの独立記念日でした。
サヌール市の式典に参加(見学)してきました。

見どころは、若者の真摯な顔、顔、顔です。
毎年、そうした顔に接すると、心が洗われます。
独立記念日によせるサヌールの市民の想いを写真で報告します。

9時40分....
バンジャールの婦人会がそれぞれの装いで集合します。
各バンジャール、決められた人数だけ参列しているように見受けました。
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9時50分....整列
式場正面の右は、婦人会...
その左は、小学生(全員ではなく、選ばれた学年だけ)
そのさらに左が軍隊及び警察隊(の選ばれた人)
で、写真右の後ろ姿の兵隊さん...
私は、この後ろにいたのですが、
式典の間を通して、微動だにしませんでした。
後ろ姿から、その真摯さが伝わってきました。
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9時55分...
式典開始のファンファーレ。
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続いて、国旗掲揚のために、
選ばれた高校生(多分)...の入場。
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続いて選ばれた中学生....の入場。
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どの少年もどの少女も凛々しい。
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国旗掲揚が始まる。
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若くして国旗に敬意を表す姿に、胸が熱くなる。
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来賓の大人たちも胸に手をあてて敬意を表す。
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中学生退場。
最後まで気を抜かないとする真剣さにうたれる。
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高校生退場。
退場後、全員で掛け声をかけ、そして解散!
その最後のまとめかたも素晴らしい。
さすが寄りすぐり選ばれた面々だ。
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国旗掲揚が終わり、記念の踊り披露。
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同じく記念のドリル。
左の女性の掛け声だが、声がつぶれてしまっていて、
それがかえって勇ましかった。
今日の演武に至るまでの練習の厳しさを物語っていた。
見てくれ、みんなの足が地面についてないでしょう。
飛びながら、歩くんですヨ。
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いつも思うことだが、
バリ島のこうした演武には、女性が多い。
このグループも男性は4名だけだった。
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空手の演武あり、踊りあり、歌まであった。
全てが素晴らしかった。
ここまでそろえるのに半年かかったらしい。
そんな若者の真剣さに接することができて幸せだ。
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インドネシア....バリ島....サヌールの若者たち。
おれは好きだよ!
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# by yosaku60 | 2017-08-18 10:46 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

バリ島で自費出版(その6;日本への送料)

自費出版の本「尊崇」300冊の配布先...
バリで150冊、日本で、150冊と漠然と考えていた。
が、それは無理だとわかった。
理由は、日本への送り代が高すぎるのである。

バリから日本に物を送る場合、
いろいろあるが、郵便局が安くて安全らしい。

で、本を送りに郵便局(本局;写真)に行ってみた。
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まずは、本を書くにあたって、
もっともお世話になった方に一冊、送るべく申し出た。
で、その一冊の料金(航空便)だが、300000ルピア(2500円)だった。
おお、高い! でもまあ ....

で、次に船便で大量に送る場合を聞いてみた。
と、船便の重量限度は30キロだという。
ということは、50冊しか送れない。
 いくつも梱包すれば、いけるのだろうけど...
そして、その料金だが、
1300000ルピア(11300円)という。

料金はともかく、
最大3ヶ月かかるいう、その輸送期間だ。
今から送っても、今度私が日本に帰っている間に受け取れないかも知れない。

どうも、ある量を手荷物として、持っていかねばならないようだ。



まあ、こんなことはどうでもよい。
今日は、インドネシアの独立記念日。
現在の私、少々思い入れのある日だ。
朝風呂を浴びて、すでに体を清めている。
スダ、シアップーシアップ だ。

# by yosaku60 | 2017-08-17 08:09 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

バリ島で自費出版(その5;あとがき)

自費出版「尊崇」のもうひとつの売り(笑)は、

ところどころに手書きの地図を載せていることです。

バリ島の地図を手元におき、本書を読むと、

それが何処の話かということがすぐに解るようになっています。

本書を読み終わるころは、バリ島の隅々がわかるように....

であったらいいな(笑)と思っております。

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んで、あとがき....


私はプロの物書きではない。

「まえがき」「あとがき」の本当の意味を知らない。

で、勝手に決めつけている。

「まえがき」は、書き始めるにあたっての「心づもり」であろう。

そういうつもりで「まえがき」を書き、続いて本文を書き始めた。

で、「あとがき」であるが、

書き終わった後の「心の締めくくり」であろうと思っている。

そういうつもりで「あとがき」を書きたい。

私は書き始める前から、

何に重きをおいて、何を書こうと決めていた訳ではない。

が、書き終わって、何を書いて来たかは、はっきりしている。

書き始める前の漠然とした気持ちではなく、

書き終わったのだから、ファクト(事実)として、

数量的に計算、分析できるのだから、当然である。

私は、何を書いてきたか。

結果として、次の三つを書いて来た。

一、バリ人・バリ兵

一、日本人・日本兵

一、これら二つのコラボレーション

あくまでも私流と断って上で、

これら三つをあらためて、あからさまにしたい。

まずは、簡単なものから、書く。

三番目の「二つのコラボレーション」である。

この結論は、三八八頁に既に述べてきた。

曰く、

ングラライは思った。


日本兵との思い出は、過去は「憎しみ」だった。

が、今は「感謝」に変わっている。


当時のングラライの心を忖度すると、これ以外の言葉が見つからない。

ただ、注釈が入る。

広く日本人にではなく、一緒に戦ってくれた日本兵に、

対してのングラライの想いである。

が、そうであっても構わない。

残留日本兵のおかげで、

ングラライが日本人の違う一面を知ることになった。

私は、その恩恵を受けて、

現在バリ島でバリ人に護られ暮らしている。

私が残留日本兵を尊崇して当然だ。


二つ目の「日本人・日本兵」に移りたい。

これについては、言いたいことがいっぱいある。

戦後教育、マスコミに対してだ。

事実を公表せず、隠していることが多すぎる。

大東亜戦争を終わる際の「玉音放送」だが、余りにも一方的過ぎる。

世間に流されるのは、

いつも「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」だけである。

そこは終わりの方のほんの一部だ。

その前段に大事なところがいっぱいあるのに、全く語られない。

天皇陛下は、玉音放送の中で英米の国際法違反を訴えている。

米英と戦うことは本意ではないと前置きし、

米英が意図的に経済断行をしてきたための自存と自衛の戦争であること、

目的は東アジアの永遠の平和を確立するため、と訴え、

戦争を止める理由の一つに、

「残虐な爆弾(原子爆弾)」の存在を訴えている。

前者の「自衛戦争」は、国際法上認められた権利である。

また後者の民間人の無差別殺戮は国際法上禁止されている。

この二つの交際法違反を戦勝国の米英が黙殺するのは解る。

が、日本人がそれを言わなくなっている。

日本人に正義はなくなったのだろうか。

まだ、全く語ってこなかったことがある。

戦争を終わる「玉音放送」があれば、

戦争開始の「開戦の詔書」がある。

実は、私も「開戦の詔書」の存在を知らなかった。

私がそれを知ったのは、

ルバング島で戦い続けた小野田少尉の言葉である。

小野田少尉は、日本に帰還し、

何故に日本人は「開戦の詔書」をないがしろにするのかと憤慨した。 

小野田少尉は、その言葉を諳んじていた。

彼は、その場で「開戦の詔書」を一句一言間違わずに言った。 

それがルバング島で三十年間戦い続けた理由なので当然であったろう。

その小野田少尉のその時のことが昔も今も全く報じられていない。 

また、小野田少尉がそらんじた、

「開戦の詔書」の存在すら全く報じられていない。

なので代わりに、ここで書こう。

「開戦の詔書」と「玉音放送」は一対のものである。

どちらも、東アジアの平和を訴えている。

ここまで、書くと、あれは「本音と建て前があって」という人がいる。

私も本書で、そう書いているところがある。

それはそれで、いろいろあって由としよう。

が、絶対に由とできない対象が居る。

東アジアの平和を願って、命を落とした残留日本兵にである。

彼らの一人ひとりが、

天皇のお言葉があったが故の行動をとったかどうか、私は解らない。

が、解ることがある。

欧米諸国にいじめられるアジア人としての憤慨だ。

「開戦の詔書」と「玉音放送」を聞くに、

天皇も多分そう思われたものと想像する。

戦地で戦う兵士も同じ思いであった。

前線の兵士は、東アジアの現地人と戦ったのではない。

植民地を支配する欧米人と戦ったのだ。

欧米人にいじめられるアジア人として反発したのだ。

日本人の反発もインドネシアの独立も同一線上のものだったろう。

インドネシアの独立のために命を捨てた残留日本兵の行為は、

彼らが日本人として国体を背負っている気構えがあったからこそ、

できた行為である。

ちっぽけな理屈で彼らを評するのは不遜である。

尊崇の心で敬うのみである。


さて、最後の「バリ人・バリ兵」である。

これに関して、私が理解に苦しんだところがある。

バリ島の独立戦争を調べてゆくと、

バリ人とオランダ人の戦いだけではなく、

バリ人と「山のオランダ人(親蘭派バリ人)」との戦いの呈もある。

言ってみれば、バリ人同士の戦いなのだ。

少ない量ではない。

本文を読んでいただいたら解るが、

マタマタ(スパイ)が横行する複雑な人間模様があった。

独立戦争を戦ったメラプティ派の兵士にとっては、

バリ人の八割が敵方だったと評する人もいるほどだ。

さて、それから、七十年過ぎた。

私は、歴史を調べ始めた。

昔ではない、ほんの最近の歴史である。

なのに、バリ人同士が争った痕跡が何も見つからない。

バリ人は、昔をみんな忘れてしまっている。

というか、昔をみな許し合っている。

インドネシアは、オランダに三百五十年の永きに亘って蹂躙された。

そのオランダと五年間にわたって独立戦争をした。

独立戦争を終わるに際し、

オランダがインドネシアに債務負担を請求した。

国を荒らされたインドネシアが請求したのではない、

荒らした方のオランダがインドネシアに請求したのだ。 

「独立を認めよう、が、手切れ金を払え」

と言わんばかりの厚かましさである。

が結局、インドネシアは、債務負担(少し値切るが)を受け入れる。

まだある。

そんなことまでしておきながら、

オランダはインドネシアを真からは認めなかった。

オランダがインドネシアの独立を本当に認めたのは、二〇〇五年である。

インドネシア建国六十周年を記念して認めたのだ。

何を認めたかというと、

一九四五年八月十七日のスカルノの

「インドネシア独立宣言」を有効と認めたのです。

さて、こういうことは歴史を勉強すれば解ること。

私が言いたいのは、別のことです。

前置きが長くなりました。

最初に書いた、私が理解に苦しんだことです。

バリ人はオランダにここまでされても、彼らを憎むことはないのです。

七十年前のバリ人同士の殺し合いも忘れるし、

三百五十年にわたって、苦しめられ、お金までとられ、

その後も六十年間、

国際常識を無視してきたオランダを恨むこともしないのです。

なんと、あっけらかんとしているのでしょう。

その、「あっけらかん」は、どこから来るのでしょう。

私は、バリ人が信仰するバリヒンドゥー教にあると思うのです。

バリヒンドゥー教は、

インドネシアの憲法ともいえるパンチャシーラに合わせ、

一応「神はひとつ」としているが、本来は「多神教」です。

日本の神道と似ている。

木の神がいて、水の神がいて、悪魔の神までいる。

では、そんな沢山いる神に何を祈るかというと、

神に自分のことを祈ることはない。

何を祈るのですか、とバリ人に聞いても満足な答えが返ってこない。

愚問のようである。

どうも「神様、元気でいてくださいよ」とか、

「悪魔の神様暴れないでね」とか祈っているように思える。

多神教と違い一神教は「絶対の神」である。

そこには例外がない。

多神教はその逆になる。

「絶対」というものがなく例外も多い。

バリ人と付き合いだすと、特に感ずることである。

バリ人の間には、「絶対」と思うものがない。

だから許せる範囲が多くなる。

本誌から例を拾ってみる。

本文の156頁を見て頂きたい。

残留日本兵の工藤栄氏の慰霊塔を建て直すことになった。

バリヒンドゥーのお坊様に来てもらって祀りごとの全てを終えた。

お坊さんといっても、その所作は日本の神主さんと同じだった。

その神主さん(お坊さん)が言う。

「終わりましたから....」

「このあとはどんな宗教で祈っていただいても結構ですよ」

これが、バリヒンドゥーの垣根の無さである。

他の宗教をおしのけたりしない。

宗教だけではない。

バリ人の社会生活の中でも許し合うことが多い。

「済んだことは済んだこと」

「その時はその時」

「何かの事情があってそうなったのでしょう」

「いいじゃないですか」

バリ人は、こういう言葉を良く使う。

本書は70年前の歴史を書いている。

バリ人と話していると、

余りにも歴史に興味を持たないことに驚くことが多い。

が、正確に言えば、興味を持たないのではない。

歴史に執着しないのだ。

同様に恨むことにも執着しない。

ヒンドゥ―教一筋に千年の結果なのだろう。

バリ島に住んで十年、それが少し解ってきた。

ングラライが、いつも兵士に語っていた。

「オランダ側につく住民を恨んではいけません」

「彼らには、彼らの事情があるのです」

「その家には、その家の事情があるのです」

「その村には、その村の事情があるのです」

このングラライの言葉を

「バリ人・バリ兵」のまとめとし、

「あとがき」の締めくくりとする。


# by yosaku60 | 2017-08-16 11:05 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

バリ島で自費出版(その4;お買い上げいただく方へ)

自費出版「尊崇」をお買い上げいただく方のため、
バリの自宅の地図を掲載します。
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① バンジャール・タマンで、プスケスマスのある路地(ギャン)
  に入って20メートルほど進んだ右側にある、サヤンタマン
  と言う名のビラに住んでおります。
② わからない場合は、サヌールのバイパスのマクドナルドの前で
  待っていただき、電話(081-5575-1231)下されば、
  バイクで5分ぐらいで行けますので、持ってあがります。


クルンクンのかおりさん、
お買い上げありがとうございます。
上記の①もしくは、②のどちらでもお選びください。

今度、バリ島に来られる松倉様。
お買い上げありがとうございます。
上記の①もしくは②をお選びください。
ただ、私は、9月20日から日本に行きますので、
9月11日~9月19日の間にお会いしたいと思います。
よろしくお願いします。
# by yosaku60 | 2017-08-15 14:50 | 帰らなかった日本兵 | Comments(5)

バリ島で自費出版(その3;まえがき)

自費出版「尊崇」の売り(笑)は、全て現地調査して書いてるところです。

で、現地調査の際の写真を、そのページごとに挿入しております。

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んで、まえがき...


まだ生存者がおられる。

今、書かないと書けなくなる。

そういう思いで、急ぎペンを走らせている。

インドネシアのバリ島の話である。

四国の三分の一にも満たない小さな島だ。

大東亜戦争中は、日本の統治下にあった。

七十年前の一九四五年八月、敗戦により日本の統治が終わった。

が、戦争が終わったにも関わらず死者が出ている。

この小さな島で戦後に四十三名もの日本人が死んでいる。

戦争中の話ではない。 

戦争が終わった後で命を落とした日本人だ。

戦争が終わった後に死亡した例としてシベリア抑留日本兵がある。

三万人の抑留日本兵がシベリアの地で死亡している。

原因は、極寒の地が故と、ひもじさの故であった。

が、バリ島はシベリアとは、違う。

南国の島である。

着るものがなくとも凍え死ぬことはない。

太陽がさんさんと輝き、雨も降り、水も豊富にある。

島の至る所にある木の実は、ほとんどが食べることができる。

野生の芋が至る所に自生する。

生き延びるだけなら、なんとでもなる。

まさに豊穣の島である。

が、戦後に四十三名もの日本人が命を落としている。

命を落とした理由は、いろいろある。

バリ人に殺された者、日本人に殺された者、オランダ人に殺された者などだ。

それらは、それぞれに悲惨である。 

だが、死の理由のどこかしこに日本人魂がほと走っている。

私は、そのことを書きたい。

埋もれたままにしておけない気持ちにかられる。

現在私は、七十一歳、バリ島に住んで十年になる。

日本人四十三名の死を確かめにバリ島の隅々まで歩いた。

言葉の壁があって、遅々として進まぬ調査であった。

が、ようやくまとめあげるほどに頭が整理された。

私は、物書きが専門ではない。

頭の中から引きだして語りかけるような書き方しかできない。

でも我慢して、まあ、聞いて欲しい。

死亡は戦争後、と書いた。

言っておくが、太平洋戦争のことではない。

大東亜戦争のことである。

太平洋戦争というのは、アメリカが言い出したもの。

インドネシアに住んでいる私にとっては、大東亜戦争と語ることがしっくりする。

しっくりする言い方にこだわらせて欲しい。

この大東亜戦争の戦争原因

みなさんは、どうお思いですか。

手前味噌的に考えるのなら、どうにでもに書ける。

大事なのは、相手がどう思っているかである。

それが良くわかる例として、バンドン会議を挙げたい。

第一回アジア・アフリカ会議(AA会議)のことだ。

バンドンで開催されたので、バンドン会議と呼ばれた。

バンドンは、インドネシアのジャワ島にある古い都市だ。

今は学園都市となって栄えている。

バンドン会議が開かれたのは、戦後十年の一九五五年四月である。

その頃の世界を見てみよう。

アジアには独立する国が増えてきていたが、

西欧の帝国主義的考えが一掃された訳ではなかった。

アメリカとソ連の冷戦状態が続いていた。

その隙を抜って、フランスによるインドシナ戦争があった。

そういう世界情勢にあった。

そうした中で危機意識を感じていた国々があった。

かっての欧米の植民地だ。

欧米から搾取され続けた、アジア、アフリカの諸国だ。

時計の針を逆に戻させてはならないと危機感をもっていた。

そのことを世界に発信しなければならないと思った。

で、その必要性をコロンボ会議に集まった五カ国で話し合った。

インド、インドネシア、セイロン、パキスタン、ビルマだ。

意見をリードしたのは、インドネシアだった。

そのインドネシアのリードによりバンドン会議が開かれた。

最終的には次の二十九カ国の集まる大きな会議となった。

アフガニスタン、イエメン王国、イラク、イラン、インド、インドネシア、英領ゴールドコースト、エジプト、エチオピア、カンボジア、サウジアラビア、シリア、スーダン、セイロン、タイ王国、中国、トルコ、日本、ネパール、パキスタン、ビルマ、ベトナム民主共和国、フイリッピン、ベトナム国、ヨルダン、ラオス、リビア、リベリア、レバノン、の二十九ヶ国だ。

何世紀も続いた世界の帝国主義

そして、植民地主義の終焉を宣言したのだ。

白人に対する有色人種の正当で堂々たる叫びだった。

ここで見て欲しい。

この二十九ヶ国の中に日本が入っているのだ。

会議を主導したのは、インドネシアだった。

インドネシアは何故に日本を仲間として招待したのか。

自国に日本軍が来て戦場と化し凄惨をなめている。

日本人はすぐに「バカヤロ」と怒った。

「ロウムシャ」に駆り立てられ、何人も死んだ。

それでも日本を仲間として招待したのだ。

インドネシアは日本に本音と建前があることを知っていた。

建て前は大東亜の国々の独立だ。

が、本音は石油欲しさの侵略だった。

それが解った上で、日本を招待したのだ。

本音はどうであっても良い。

結果として日本の画策した建て前どおりになった。

日本のおかげで独立できたと評価したのだ。

インドネシアが思うだけでは、そうはならなかった。

他のアジア、アフリカ諸国も同じように思ったのだ。

戦後十年してバンドン会議が開かれた。

帝国主義の終焉を宣言する会議であった。

日本もその会議の一員として招かれた。

勝手に参加したのではない。

同じ仲間として招待された。

この意義をもって、私は大東亜戦争を総括している。

話が多いにそれている。

本書の目的は

終戦後にバリ島で命を落とした日本人を書くことにある。

時々、目的を確認しないと、話が逸れ続ける。

年寄りの悪い癖だ。

さて、終戦後バリ島で命を落とした四十三名。

ここで、その内訳を確認しておきたい。

マルガラナ英雄墓地に祀られているのは、次の十四名だ。

ブンアリ、高木米治、松井久年、荒木武友、ブンスラマット、ブンチャングー、グデ、クトット、美馬芳夫、ブンマデ、ワジャ、工藤栄、曽我、大舘、

次は、ジェンブラナの地でバリ人に殺された十名だ。

前田久一、後藤和、永井精作、迫貞雄、川畑松義、窪田昌平、宮永清、村野穣、前田英司、池田初雄

次は悲惨である。

シンガラジャの地で日本人に殺された七名だ。

軽部一郎、他六名(名前不詳)

その他に戦死したことが解っているのが次の十二名だ。

長野兵曹、原田、渡辺、田中軍曹、シンタロー伍長、大久保宗臣、満留四齢、福士由蔵、竹崎清、白石勉、中野、島村中尉、

これらを合わせると、四十三名になる。

本書の目的は、これら四十三名の全員について語ることにある。

彼らとバリ人の関わり合いを語りたい。

戦時中、日本人はバリ人にいっぱい迷惑をかけた。

遺恨に思われてもしようがないほどの迷惑だ。

が。彼らのお蔭でその遺恨が随分と緩和されている。

私は今その恩恵を受けてバリ島に住んでいる。

私にとっては、まさに尊崇な存在である。


# by yosaku60 | 2017-08-15 09:39 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

バリ島で自費出版(その2;目次)

自費出版の本....
300冊と、ちょっと多すぎる冊数を作ったので、
気にしておりましたが、初日で約50冊の行先が決まりました。
思った以上の売れ行きです(笑)。
ご協力いただいた方、この場を借りてお礼申し上げます。

(本の裏表紙)
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本の中身の紹介ですが、
全体で405頁です。
今日は「目次」、明日は「まえがき」、明後日は「あとがき」と、
三日に亘ってブログに書きます。

で、目次です。

まえがき.....

第一章 インドネシア独立戦争に貢献した日本人5傑

      今村 均
      前田 精
      柳川宗成
      吉住留五郎
      市来龍夫

第二章 日本軍統治時代にバリ島の治政に貢献した日本人

      堀内豊秋
      三浦 襄

第三章 戦後のバリ島で命を落とした四三名の日本人

    第一話 終戦直後に起きた事件

        現金盗難事件
        チャンディクスマ事件
        ブノア港荷揚げ事件
        ヌサドゥアの戦い
        林田部隊事件
        
    第二話 インドネシア独立に加担した日本兵

        林田部隊から出た残留日本兵
        阿南大隊から出た残留日本兵
        日本人集結所から出た残留日本兵

    第三話 バリ島炎上直前の三ヶ月

    第四話 ジャワ島からバリ島の上陸作戦

        ングラライ部隊の上陸作戦
        ジャワ海軍部隊の上陸作戦

    第五話 バリ島における独立戦争初期

        リンディキットの戦い
        第一次バンクンバンカの戦い
        デンパサールの戦い
        カランアニャールの戦い
        ムンドックマランに集まった日本兵
        ムンドックマランの戦い
        プネベルの戦い
        ワナギリの戦い
        温泉に集まった五人の日本兵
        第二次バンクンバンカの戦い
        日本兵17名が揃う

    第六話 ングラライ軍の長征

        ブレレン山岳地帯の行軍
        日本兵による特別遊撃隊
        アグン山麓の行軍
        タナアロンの戦い
        アグン山山頂越え
        バングジャランの戦い
        アンブンガンの戦い

    第七話 マルガラナの玉砕

        部隊の解散と再会
        ワナサリの戦い
        チュウワナラ隊結成
        タバナン蘭軍警察兵舎襲撃
        マルガの戦い
        一人残った日本兵

あとがき......

# by yosaku60 | 2017-08-14 08:16 | 帰らなかった日本兵 | Comments(4)

バリ島で自費出版(その1;費用)

上手く書けず、一旦あきらめていた、バリ島の日本兵の話。
カミさんの「記録として残しておくだけでも」の言葉に勇気づけられて、
再開し、このほど書き上げ、自費出版しました。

題名;尊崇
副題;戦争が終わったバリ島で43名の日本兵が命を絶った理由
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自費出版と言っても、
バリ島では、日本語の活字がないので、全てをPDFファイルで書きあげ、
印刷して、製本するだけの話です。
でも、意外にお金がかかったのは、予想外でした。

今日は、その自費出版の費用(印刷及び製本代)の話です。

① 本の重さ

  できあがって、まず驚いたのが、本が重いことでした。
  一冊600グラムあるので、100冊で60キロになります。
  重い原因は、ハードカバーです。
  小説ではなく、記録として残される本を意識したので、
  丈夫なハードカバーをオーダーした処、こんな重さになりました。

② 印刷がうすい

  日本の本に比べて、印刷が少し薄いのです。
  でも、これはしようがないところがあります。
  というのは、紙質の厚いもので製本すると、価格がぐーんとあがります。
  一冊2000円以上になるのです。
  それで、紙質を少し薄いものにしたのですが、濃く印刷すると、
  裏から透けるて見えるのです。
  で、透けて見えない程度の印刷の濃さにとどめたのです。
  ですから、費用とのかねあいで、印刷がうすい本になりました。

③ 本の厚さ

  紙質を薄くしたので、良いところもありました。
  400頁という量にもかかわらず、
  本の厚さを2センチに抑えることができました。

④ 本の綴じ方

  インドネシアの本は、何度も開くとページがばらばらになるものがあります。
  製本技術が日本より劣るように思えます。
  で、しっかりしたページ綴じをオーダーしたのですが、
  できあがりは、60点、まあまあ、及第というところでした。

⑤ 表紙の装丁

  表紙の装丁をプロに頼んだのですが、ネット上に落ちている写真を使うなど、
  気に食わなかったので、断り、全部、自分で装丁しました。
  で、発生した費用は、「断わり代」の500000ルピアだけでした。


⑥ 印刷、製本の費用

  こんな店を何軒かまわり、もっとも安い店を探しました。
  それでも、300冊で46500000ルピアかかりました。
  200冊でも、40000000ルピアかかるので、
  ちょっと多いのですが、思い切って300冊にしました。

⑦ お願いがあります。

  販売目的で書いたものではないので、これで利益を得ようとの
  気持ちはありません。が、冊数が少し多すぎるので、買って
  くださる方があれば助かります(年金生活者なので=笑)。
  実費(155000ルピア)より、ほんの少々安いだけですが、
  一冊150000ルピアでお買い上げ頂きたくお願いします。

# by yosaku60 | 2017-08-13 10:22 | 帰らなかった日本兵 | Comments(25)

ガンバレ!  コマン&コミン

私が応援する、バリ人の若い夫婦....
お互いに「ヤン」と呼び合う、コマン(右)と、コミン(左)。
「ヤン」とは...「サヤン」の略だ。
愛(いと)しい人....という意味だ、ごちそうさん。
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コミンは、私の家にマッサージに通ってくれる。
週に2回、もう2年ほど続けてくれている。
コマンは、パソコンの修理店を開いている。
といっても、持ち込まれる修理品は、
電子レンジ、テレビ、扇風機、スマートホン、携帯電話....
と弱電製品ならなんでも引き受けている。
嬉しいことに、少しづつお客が増えている。
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ただ、昼は雑音が多く、落ち着かず、
修理作業は、夜の10時から朝の5時に行うことが多い。
で、5時に寝て、起床は、朝の11時になる。
んで、朝の店開きは、妻のコミン担当だ。
今では、コミンも慣れ、お客をうまく応対できるそうな。
バリ版夫唱婦随だ。
ガンバレ!コマン&コミン。

# by yosaku60 | 2017-08-11 10:17 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

独立記念日まであと一週間

インドネシア独立記念日まで、あと一週間に迫る。
毎年、8月に入ると、独立記念日に向けて、町が「紅白」色に変わる。
インドネシアの国旗が紅白だからだ。
写真は、私が教えている学校。
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日本の終戦記念日は、1945年8月15日。
インドネシア独立記念日は、その二日後の1945年8月17日。
で、インドネシアは日本と戦って、独立を勝ち取ったと間違える人が多い。
そうではない。
1945年8月17日は、インドネシアの「独立宣言日」なのだ。
その後、5年間、オランダとの間で独立戦争があった。
この戦争のことを知らない人が多い。
日本人もそうだが、インドネシアの若者も知らない人がいる。
残念だ。

8月17日は、インドネシア中が「国家色一色」になる。
日本にも建国記念日があるが、それほど盛り上がらない。
国民がこぞって集中する「祝い事」がある。
その点では、インドネシアをうらやましく思うときがある。

# by yosaku60 | 2017-08-10 10:58 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

だんだんと盛大になる「サヌール祭」

今日から5日間、サヌール祭り(サヌールフェスティバル)だ。
その会場を下見してきた。

サヌールに来た頃の「サヌールフェスティバル」は、
舞台があって、その周りをアンペラ造りのワルンが並んでいた。

それが、もう....
最近のときたら、豪勢になっちゃって....
その豪勢さを写真で紹介する。

まずは、駐輪場。
こんな狭いの、すぐにいっっぱいになる。
一度経験している。
自分のバイクを探すのが大変。
先に駐輪すると、出れなくなる。
家から会場まで歩いて5分、行くなら「歩き」だ。
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入り口....
なーるほど、もう12回目なのか。
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そして、入り口の割れ門....
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をくぐると、オゴオゴ人形が迎えてくれる。
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会場(観客席)は広い。
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中央右がメイン舞台。
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メイン舞台に近寄ってみる。
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会場の周囲のワルン群を見てみよう。
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ホテル、サントリアン....
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の姉妹ホテル、
グリアサントリアン...
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レストラン、スガラ...
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レストラン、アリーナ。
コンチネンタル料理....大味で日本人には不向き
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ハッテンワイン....
不味いという人も美味しいという人もいる。
私は、ワインの味が分からない。
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どこかの銀行だった(忘れた)...
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その銀行の裏には、こんなテント村が、
多分、なんらかの商売?
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あった、あった、日本が....yamaha
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あと少し歩くと...
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あった、次の日本、
が、「ほっか弁」って、出店はどこだろうか。
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漁師は、毎年頑張っている。
が、最近「ここや」に負けてる。
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さらに、もろもろ....

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ということで、下見報告でした。
ああ、疲れた。
若者であふれるサヌール祭...
もう十分だ。
今年もここに来ることはないだろう。

# by yosaku60 | 2017-08-09 10:17 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

これぞ、バリ島への「日本の技術援助」です。

昨夜は、嬉しくお酒が飲めた。
楽しいお酒と嬉しいお酒は、私の中では随分と違う。
楽しいお酒は、いつも飲んでるが、
嬉しいお酒は、そんなに飲めるわけではない。
嬉しいお酒....
そのお相手が、写真のお二人。
左が、富山市役所から来ている高田さん。
その右が、水機工業(株)の会長の野村さん。
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なぜにこのお二人と出会ったか、その経緯を書く。
二年ほど前になるだろうか。
日本領事館で、友人(バリ人)のスジャナーさんと逢った。
「どうしたの、スジャナーさん」と尋ねると、.
「富山県に行くんです」という。
「何をしに」
「小川の流れで発電できる発電機を見に行くのです」
「へ~、そんなのあるの」
ということで、その場は、スジャナーさんと別れた。
が、その後「発電の話、どうなったのか」と、
漠然と関心を持ち続けていた。
そんな発電機があると、バリ島の田舎は助かるだろうな~
なんて、時々気にしていた。

んで、
その結果だが、
偶然に出会った、野村さん達がそれを教えてくれたのだ。
昨日聞いたばかりで、難しい話は分からないけれど、経緯を書いてみる。

①、タバナン県は、小型水力発電に興味を持った。
②、かねてから知り合いの富山市にそのインタレストを話した。
③、富山市はタバナン県の要望に応えた。
④、その技術を持つ県内の水機工業(株)に紹介した。
⑤、水機工業(株)の会長の野村さんがその話に乗った。
⑥、会社として国際援助に使命感を持っていたからだ。
⑦、で、自らが技術援助でバリ島に来ている。

ということらしい。
お酒を酌みながらの楽しい会話を紹介する。

「水力発電は、どこで作るのですか」
「タバナンのジャティールイです」
「流れる水の力、落ちる水の重力、どちらを使うのですか」
「それらの組み合わせです」
「小さなダムを作るのですか」
「いいえ、自然の景観を壊さない形の発電です」

面白い….
野村さんからは、教えられることも多かった。
バリ人に接する思いに話が及び、

「バリ人を助けたくて」なんて生意気にオレが言うと、
「違うでしょう、バリ人と共に生きるでしょ!」と野村さんが言う。

まったくそのとおりだ。
そんなことを言ってくれる人はいない。
久しぶりに日本男児を見た。

日本からの技術援助に話が及んだ時、
日本は後進国への技術援助で、押しつけが多いことを話すと、
野村さんは、現在援助している「小規模水力発電」を語ってくれた。

①、将来、バリ人だけで運用できるということに絞って技術援助している。
②、その設備が完備したことにより、それがその地にどう寄与しているか、
  そうした追跡調査を含めて技術援助の一環に捉えている。

この話も嬉しい。
さて、現在、水力発電は建設中である。
11月初めには完成し、11月27日、に「発電による電灯」
が灯る式典があるそうな、是非に行きたい。

# by yosaku60 | 2017-08-08 12:28 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

本に書かれていないバリ島の輪廻転生

バリ語は覚えるのが難しい。
で、「麗(うるわ)しい」と、覚えた。
実際には、「ムルワシー」という。
Meluasih と書く。

何のことかというと....
日本には、こういう習慣がないので日本語にならない。
意味で説明すると...
1、死んだ人は「あの世」に行く。
2、バリ島の「あの世」は、海の彼方だ。
3、が、いつまでも「あの世」に住まわせてはならない。
4、家に呼び戻さなければならない。
その呼び戻す儀式が、ムルワシーなのである。
日本語の「バリ島研究書」には、葬儀のことを詳しく書いてある。
が、このムルワシーのことは、書かれていない。

本に書かれていないだけではない。
バリ人もムルワシーのことを語れない人が多くいる。
じゃ、なんで今、ムルワシーかというと、
今現在、ムルワシーの真っ最中だからだ。
二日前になる。
サヌールのマタハリツルビットビーチに5千人の人が集まった。
死者を「あの世」から「この世」に呼び戻すためだ。
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この儀式には、エヴィの一家も参加した。
そのエヴィから、「これぞバリ!」と思える話を聞いた。

エヴィの祖父は15年前に死んで「あの世」に送った。
できるだけ早く、「あの世」から「この世」に呼び戻してあげたい。
ムルワシーの儀式を行うのだ。
が、ひとり残された祖母が「待った」をかけた。
自分が死んでからにして欲しいと「待った」をかけたのだ。
「あの世」から「この世」への帰還は、夫と一緒にしたいと望んだのだ。
その祖母が昨年亡くなった。
で、今回のムルワシーで二人を呼び戻すことになった。
その呼び戻す「祈り」には、やはり「バリアン」を使う。
(バリアン....まあ、祈祷師とか霊媒者かな)
そのバリアン、エヴィの家の祖父や祖母の事情を知らない。
......が、
祈り始めると、祖父になりかわって、

「お前たち、オレを長く待たせすぎだ」
「どうなってるのだ」
「お金は十分に残してきただろうが」
「全部使ってしまったのか」

と、怒り出したそうな。
女性のバリアンだったが、祖父そっくりの声だったそうな。

こんな話。
日本人には信じがたいだろうが、
バリに住み、こういう話をいっぱい聞くにつれ、
今の私は、それもありなむ、と普通に聞けるようになっている。
バリ島は神の島なのだ。

まあ、こんな話は横に置いといて、
ムルワシーは、そう簡単ではない、という話を書く。

ムルワシーで「あの世」から死者を迎えるが、
マタハリツルビットで行う儀式は、死者が「あの世」にいることの....
所謂「確認」であって、確認が終わると、もういちど「あの世」に戻るのだ。
で、あの世に戻った死者は、閻魔様に申請する。
「この世」から迎えに来たので、帰ってもいいですか、と申請するのだ。
申請が認められると、「この世」へのパスポートが交付される。
パスポートを受け取った死者は、「この世」の「際」に現れる。
「際」というのは、パダンバイの手前の Goa Lawah だそうな。
遺族は、その Goa Lawah に迎えに行くことになるが、
単に迎えに行くのではなく、探さなければならないそうな。
具体的には、「山」に迎えに行くか「海」に迎えに行くか、
どちらになるかを Goa Lawah に行って確かめるそうな。
場合によっては、確かめれないこともあるそうな。
ということは、閻魔様からパスポートが出なかったということだ。
ということは、地獄に落ちたことになるそうな。
なんだか、理屈が通っている。
これでもか、これもか、という感じ.....
さすが、神の島、バリ島だ。

ムルワシーの時の女性は、こんな鉢巻きをする。
左がエヴィ。
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# by yosaku60 | 2017-08-07 09:29 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

今日は盛大な凧揚げ大会があります。

今日は、日曜日、
ムルタサリのワルンで朝食を摂ろうと行ってみると、
ワルンの前の広場に大きな旗がいっぱい.....
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こんな大きな旗がなびくほどの風が吹いています。
この時期に多い、凧揚げ大会です。
ワルンの親父に聞いてみる、
凧揚げ大会だね、いくつの凧があがるの?
「1200だよ」
120じゃないよね?
「いんや、1200だ」
「登録しているだけで1200だから、もっと揚がるよ」
なんの大会?
「バリ中から集まってくるよ」
なるほど.....

準備会場を廻ってみた。
会場は、ここ....
日本のODAで作った人工浜である。
広い....
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凧を準備しているグループを廻ってみた。
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若者ばかりだ。
声をかけても、こちらを見ない。
熱中している。
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これは少し小さい凧だ。
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こんなのも揚がるらしい。
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これは少し大きい。
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そろいのTシャツを着て....
バリ人は「一体感を楽しむ」のが好きだ。
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子供までが、そろいのTシャツを着る。
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会場の入り口には、こんなのが、
良く見ると、コワイ顔をしている。
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画面中央少し左に座る人...
ここにも、コワイのがいた。
んが、よく見るとカミさんだ。
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ごめん、まちがって。
最近は遠くが見えなくなった。
見えないから、雰囲気だけで感じ取っちゃって...

# by yosaku60 | 2017-08-06 10:47 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

本物だろうか?この写真....

Face Bookに バリ島の歴史....
ってことで、マルガラナの戦いの跡の写真が載っていた。
d0083068_13225996.jpg
バリ島の独立戦争を調べている、私にとっては、衝撃の写真だ。
だが、よく見ると、なんだかしっくりしない。
もしかしたら、映画あたりで撮られたシーンではなかろうか。
と思ってきたのだ。

マルガラナの戦闘で語り継がれていることを抜粋してみる。

①、戦闘は、1946年11月20日の朝から夕方まで続けられた。
②、死体の収容は、バリ側もオランダ側も翌日行われた。
③、ングラライ軍の戦死者は96名であった。
④、戦死理由の多くは、飛行機による機銃掃射であった。
④、オランダ側の戦死者は、おおよそ300名であった。
⑤、ングラライ軍の96名の内、56名は、殆ど急ごしらえの民兵であった。
  その56名は、全員がマルガから7キロ以内の近隣の民である。
  (3キロ以内と絞っても41名いる)
  すなわち、兵士の多くが「近所の若者」だったのだ。
⑥、ングラライ軍の残りの兵の死体の多くは、検死のため他の場所に移動された。
⑦、その場所は、12キロ先のムグイの「日本人集結所」であった。

こういう状況の中で撮られたのが、この写真だとすると.....
次のような疑問があるのだ。

①、竹槍を持つのは、わざとらしい。
②、戦って死んでいるのに死体がきれいすぎる。
③、埋葬光景が史実と一致しない(例えば、場所、それに雰囲気)

いずれにしても、戦死者(その骨)は、その後、タバナン英雄墓地に移されている。
タバナン英雄墓地にいる埋葬者で、マルガラナで戦って戦死したバリ兵を数えてみた。
と、全部で(日本人を含まない)62体あった。
タバナン出身の民兵がほとんど入っていることになる。
(ングラライやウィスヌやスギアニャールは、タバナン英雄墓地には入っていない)

タバナン出身の民兵....
写真は、まさにそんな感じであるが、
戦死した次の日のこと、
近所なのだから、家族が受け取りに来るのではなかろうか。
写真には、そういう雰囲気が感ぜられない。

私にとっては、貴重な写真だが....
この写真、ほんものかどうか、疑わしく思っている。

# by yosaku60 | 2017-08-05 13:39 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

少しづつ減りつつある空(カラ)の窓口

10年前、サヌールに住んだころ、
買い物と言えば、バイパス沿いの「マクロ」を利用していた。
その「マクロ」が、「ロッテマート」と名を変えて、
営業を再開したのは、確か5年ほどまえ。
以来、だんだんと利用者が減り、今や店内は閑散としている。

客が減った理由はいくつかあるが、
中でもっとも敬遠されるのは、レジを待つ時間の長さである。
10か所以上のレジがあるのに、3~4か所しか使われていない。
要するに使われない空(カラ)のレジが増えたのだ。


空(カラ)のレジが増えると、
使われている少ないレジにお客が並ぶ。
レジに時間がかかる。
それを嫌って客が減る。
人が来ないのでレジを更に減らす。

てなことで、今や店内はいつも閑散としている。
誰が見ても営業が成り立ってないように見える。



客を待たせる.....
過去、インドネシア人は「待たせること」に平気であった。
それが、今やだんだんと待たせなくなってきている。

で、その話に関連して....

写真は、銀行の窓口。
以前は、窓口が三つあれば、ひとつしか開かず、二つが空(カラ)だった。
が、今は、ふたつ開き、空(カラ)の窓口は、ひとつだけになった。
お客へのサービスに向けて進歩途上にある。
d0083068_10461700.jpg
写真は電話会社の窓口。
以前は、空(カラ)の窓口が多かったが、
先日訪れた処、空(カラ)の窓口は、ひとつだけだった。
ここも、お客へのサービスに向けて進歩途上にある。
d0083068_10483083.jpg
インドネシアは、いい方向に変わりつつある。
その流れに逆らった「ロッテマート」は、残念ながら消えて当然だ。

# by yosaku60 | 2017-08-04 11:00 | バリ島=社会・生活 | Comments(1)

デㇰニックもとうとう結婚する。

バリ島に住み始めて2年目の時、積極的にバリ人の友人を作った。
私の現在のバリの友人は、ほとんどがその時以来の友人である。

その時、
大人との付き合いが多い中、数少ないが若い娘さんとも知り合いになった。
その一人が、デㇰニックである。
その時のデㇰニック(写真は当時のもの)は、21歳であった。
d0083068_10203603.jpg
その後、彼女にはいろいろあった。
親友のドデが結婚して、少々あせったのか、海外に出た。
体を壊しながら働き、頑張って、母親の家を建てた。
さらに頑張って、一家を支えた。
兄が結婚し、妹も結婚した。
それらを全て援助した。
援助しつくして残ったのが、デㇰニックだった。
そんな彼女に恋人ができた。
2つ年下であるが、なかなか真面目な男である。
いずれ結婚すると思っていたものの、なかなか前に進まない。
そして、デㇰニックは、29歳になった。

そんなデㇰニック、昨日、彼氏と一緒に我が家に来た。
「結婚式招待状」を持って....
d0083068_10295009.jpg
結婚式は、8月12日。
場所は、ブレレンの「Sambangan」
デㇰニックの田舎でもなく、彼氏の田舎でもない。
彼氏は長男だから、彼氏の田舎(Suwug)で結婚式をする。
が、Suwugは、水が乏しく、披露宴で多くの人を迎えるには無理があるそうな。
で、全然関係のない、Sambangan で披露宴をするそうな。
Sambangan は、静かないいところである。
「行ってあげたい」
「でも、一晩泊りでないと...」
「どうしようか」

仲の良い、夫婦になってね、デㇰニック!
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# by yosaku60 | 2017-08-03 10:40 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

今回も失敗した、もう見れないかも....

私は、知ったかぶりをしているが、本当のところは良く分からない。
って、何の話しかというと....
ラムダとバロンの戦いの話である。
私の知ったかぶりの源泉は、日本で読んだ「バリ島研究書」による。
今、その本は、手元にないが....

ついにバロンは、ラムダとの争いに勝ち、
天国へ行く(階段を登る).....

をジ・エンドに書かれていた(たぶん、そう書かれてあった)。
が、ラムダとバロン、表裏一体であって、ラムダが時々バロンに
化身するとかなんとか、訳の分からないことも書かれていた。
てな訳で、このラムダとバロンの関係は、実に混沌としているのだ。

で、昨晩は、
誰が階段を登るか(ラムダかバロンか)を是非に見たかった。
で、バンジャールの中に入って頑張ってみた。

女性10人ほどの踊りがあった。
この踊りの練習風景は見ている。
全員がバンジャールのご婦人である。
その踊り...
大人ばっかりで、他ではなかなか見れない迫力があった。
d0083068_09352243.jpg
ところが、驚いたことに、
d0083068_09445545.jpg
この踊りが終わって、楽屋裏に引っ込んだ彼女達から、
何やら悲鳴が聞こえてきた。
暫くするとと、手足をばたばた震わせ叫ぶご婦人を抱えて男どもが寺の中に走った。
ご婦人がトランスに入ったのである。
続いて、ご婦人が運ばれてきた。
泣き叫ばないが、手足を震わせている。

次に運ばれてきたご婦人は、手足が伸びきって失神している。
なんやかやと、5人ほどの、ご婦人が寺に運び込まれた。
過去に、女性もトランスに入ったのを見たことがあるが、
女性の集団トランスを見たのは、初めてである。
それだけ、みなが真剣に踊っているということであろう。
その真剣さに、ありがたくなる。

が、そんな時でも、
一部の男どもは、違う処に集まっている。
こんな「賭け事」をしている。
どうもルーレットと同じようなルールでお金を張っている。
見ていると、10万ルピア札(約千円)も張られている。
バリ人にとっては、高額な博打だ。
d0083068_09522995.jpg
さて、舞台の方だが、人が多くて、近くでは見れない。
バンジャールの集会場の中のスクリーンで観ることにした。
ラムダを囲んだ、悪魔の踊りがあった。
以前も一回だけ見たことがある。
照明を赤暗く落とした中で踊る....
言葉を変えれば、「妖精の踊り」だ。
実に、見ごたえがあった。
d0083068_09521031.jpg
んで、んで、
その後は、寸劇と漫才とかが続く。
バリ語が全く分からない私には、廻りが笑っても笑う意味が分からない。
で、一時頃、一旦、家に帰った。

30分ほど家で休んだろうか、
もうそろそろかもと、また集会場の方に行った。
が、まだ漫才をしている。
で、また、家に戻って、音楽が変わるの待った。

と、2時ごろ、聞こえるガムランの演奏が変わった。
が、バリの盛装を解いていたオレ、もういちど着なおすのに、少々時間がかかった。
で、2時10分、会場に急いだ。
と、ビラの門を出ると、観客が帰って来るのが見えた。
向かえの家のお嬢さんも帰ってきたところであった。
顔見知りである。

終わったの....
「そう、終わった」
教えて!、階段を登ったのは、誰?何?
「スプルティ・マニス」
ええ? スプルティ・マニス だなんて、なんだ、それ!
スプルティ;....のような
マニス;甘い、甘美な
である、どう訳すのだろうか。

いずれにしても、今度も見れなかった。
2時ごろと解っていながら、詰めが甘かった。

さて、そんな口惜しさを抱えて、今朝の浜に出かけた。
いつものワルンには、いつもの男どもが集まっていた。
昨晩のことを聞いてみた。

昨晩は、バンジャールタマンで「神の奉納ごと」があった....
「知ってるよ」
階段を誰が登ったか、今回も見れなかった....
誰が登るのか....
「ラムダだ」
ええ、バロンの化身ではないのか。
「違うラムダだ」
日本の本では、バロンの化身になっている....
「違う、ラムダだ」
「ほら、こんなのだ」と、シャツをまくって見せてくれた。
d0083068_10142844.jpg
間違いない、ラムダだ。
じゃ、バロンはどうしてるの.....
「下で待ってる」...というが、意味が分からない。
ワルンに集まっていた別の男どものひとりが教えてくれた。
「登ったラムダは、上で剣で刺される」。
「そのあと、神になる」
それが、スプルティマニスなのか....
そう聞くと、ワルンに集まっていた男どもがみなで大笑いする。
で、「そうだ、そうだ、スプルティマニスだ」という。
その表現がぴったりで面白かったらしい。

ということで、想像してみると、
スプルティマニスは、「幸せいっぱい」ということのようだ。
当たり前だ。
奉納芸能は、ハッピーエンドで終わらなければならない。
人々を幸せに導いて終わるのだ。

次いで、
ワルンに集まった男どもが教えてくれた。
「Calonnarang に物語が書いてあるよ」
「読んでみたら」
ありがとう、勉強してみる....

家に帰って、お手伝いのカデに聞いてみた。
カデ、Calonnarang って、知っている?
「知っている、バリ人なら誰もが知っているわ」
どんなこと、書いてあるの....
「知らない」
どうして....

「読んだあと、」
「自分の廻りに悪魔が出てくるので怖いから読まない」

あああ、バリ島...面白い! 
やはり、神の島だ。

# by yosaku60 | 2017-08-02 10:27 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

我がバンジャールの神へのお祈り終わる(訂正)

お祈り(奉納)は、終わってなかった。
今晩が本番だそうな。

櫓は壊してなかった。
飾り付けをしていただけだった。
d0083068_17435098.jpg
この櫓(天国)に登るショーは、めったに見れない。
10年住んでいて、過去一度だけみたことがある。
それは、バンジャールのバロンを新調した時であった。
その時はテレビ放映もされた。
この「天国への道」....
過去に一度見た時よりも立派な造りである。
d0083068_17464921.jpg
前回は、なかなか登るには至らず、
午前2時になってしまった。
で、待ち切れずに寝てしまって見れなかった。
今晩は、何時ごろ登るのであろうか。
是非に見たい。
聞くと「今夕9時」という。
そういう筈はない(多分)。
バロンとラムダが戦ってみないと分からない。
そうした混沌さがバリの祈りの真骨頂....

# by yosaku60 | 2017-08-01 17:50 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

我がバンジャールの神へのお祈り終わる

我がバンジャール(村落共同体)....
名前は「バンジャール・タマン」
他人に住所を聞かれたら、
「通り名」をいうよりも「バンジャール名」を言った方が通ずる。
そんな、我がバンジャールのメインビュー。
d0083068_10155649.jpg
バンジャール寺の角地....。
バリヒンドゥーでは、交差点(角)を大事にする。
d0083068_10182590.jpg
飾り付けられた、バンジャール寺。
d0083068_10195818.jpg
4日間、続いたバンジャールの神への奉納が終わった。
昨夜は、最後の夜で、こんなの(漫才)があった。
d0083068_10213714.jpg
で、明けて、今朝。
男ども総出で、お祀り櫓の解体をしている。
d0083068_10231322.jpg
で、お祷りごと、終わりかなと思ったら、
そうでもないらしい。
こんなのを造っている、男どもがいた。
d0083068_10242232.jpg
ここにも、何かを造っている。
d0083068_10245780.jpg
みんな大変だ!
と思ったら、思いっきり休んでいる男どももいる。
バリ人は、他人のことを気にしないのだ。
というより、他人のあげ足をとったりしない。
d0083068_10262139.jpg
外は男どもばっかり。
女どもは、どこかと探すと、集会場の中にいた。
d0083068_10273245.jpg
何をしているか分からないが、
女どもも忙しそうだ。
d0083068_10283163.jpg
神への祈りが始まって今日で5日目。
バンジャールの誰もがお金をもらえる仕事をしていない。
お金が出るばっかり.....

バリ人って「お祈りのために使うお金」が生活費の何パーセントを占めるのだろうか。
家に帰って、お手伝いさんに聞いてみた。
お手伝いさんのカデの夫の実家は、ヌサペニダ。
カデ曰く。
「ヌサペニダは、もう少し緩いので、30%」
「サヌールはまつりごとが多いので、40%ぐらいかも」
すごい!
バリ島は、やはり神の島だ!

# by yosaku60 | 2017-08-01 10:36 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

新しいワルンで同級生に出会った。

今朝は、所用があって、早く浜に出た。
いつものワルンは、まだ開いていない。
どこか開いているワルンがないかと探していると.....
d0083068_08371392.jpg
に出会った。
名前は、イダ・バグス・ルカ(Ruka IB)。
年齢、オレと同じ。
言ってみれば、同級生。
同級生と言うと、なんだか親近感が湧く。
それは、日本人でもバリ人でも同じである。

長い知り合いで、ムルタサリのあちこちで出会う。
出会うと、時々、オレにおごってくれる。
ワルンの支払いだから大した額ではないが、
バリ人には、いつもおごり役であるオレ....
バリ人におごられると、すごくうれしい(笑)。

さて、今朝のワルン、こういうところ....
左手前がオレのバイク。
d0083068_08431665.jpg
写真には、4軒のワルンが写っている。
店賃は、一軒、45000ルピア/月(一年で約5万円)
瓦屋根のしっかりした建物と場所柄.....から、まあ、相場かな~
が、ムルタサリの桟橋ができると、この辺は人が集まるようになる。
そうすれば、店賃もあがるのだろう。

# by yosaku60 | 2017-07-31 08:49 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

行ってみたけど...

ムルタサリの芸能大会に行ってみたけど....
漫才ばっかり、しかも、語られるのは「バリ語」。
エヴィが分からないのに、我々は、もっとチンプンカンプン。
d0083068_10561968.jpg
我々って?
カミさん、藤澤さんとエヴィとオレ...
d0083068_10573804.jpg
藤澤さん、「面白いですよ」なんて、前宣伝しすぎちゃって!
ごめんなさいネ~
# by yosaku60 | 2017-07-30 11:01 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

バリ島では流産が多いかも。

バリ島の女性は、流産(keguguran)が多いような気がする。
ここ5年ぐらいで、私の知り合いの女性3人が流産している。
知り合いの女性と言ったって、それほど多くない。
せいぜい30人ほどであろう。
その中で3人というのはちょっと多いのではなろうか。
その内のひとりは、流産癖があった...
次のひとりは、高齢出産(初産)だった....
もうひとりは、油断して動きすぎて(夫がそういう)....

てな具合だが、
3人とも、今は無事に次が生まれて、幸せにしている。
ハッピーエンドだから、こんな話、書けるのだ。

今朝がた、悲しい話を聞いた。
左から二人目のハナちゃんが流産した。
待望の赤ちゃんだったのに....
医師からは、「6ヶ月、動いてはだめ」と言われたらしいが、
もう働きに来ている。
d0083068_09410333.jpg
まだ、腹部が少々痛いらしい。
私は、よくわからない(当たり前だけど)
ただ、私が知る過去の3人は、みんな今は幸せに子供を抱いている。
ハナちゃんに、その話をして、励ましたけど....
男性であるオレの話なんて...
残念ながら説得力がなさすぎる。

# by yosaku60 | 2017-07-30 09:48 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)


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