あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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バリ島の地形(その7;ングラライ軍ー5)


①の付近であったングラライのゲリラ戦、
次は、ボンの戦い。
d0083068_10180064.jpg
パ・ジョコが離隊した、ボン村でも戦いがあった。
ランプ村のオランダ軍硝戒所襲撃が失敗した。
それは襲撃が失敗しただけでは終わらなかった。
ングラライ軍がランプ村周辺にいることがばれたのである。

オランダ軍が集中的にパトロールしてきた。
そのパトロール隊を襲おうとして逆撃ちに会った。
それが「ボンの戦い」だ。

一九四六年六月十三日であった。
陽が沈みかけた夕刻であった。
ングラライ隊は、ボン村にいた。

その村の近くを七人の敵のパトロール隊がやってきた。
味方軍は、それを事前に知り待ち伏せをしていた。

味方は小高い丘の上にいた。
断然に有利な位置取りであった。

パトロール隊が眼下に来たので襲った。
が、するりと抜け出て逃げられた。
で、逆に襲われてしまった。
マデ・スレムが正面から弾を受けた。
くるりと反転すると、今度は背後から撃たれた。
体の中が全部見えるほどの穴が開いた。
ダムダム弾を使った模様だ。
彼は、即死した。

(写真は、ボンにある戦闘モニュメント)
マデ・スレムが戦死した事が書かれている。
d0083068_07572851.jpg
グスティ・ナティも負傷した。
胸に被弾し、弾は肺を貫通していた。
一人が戦死し、一人が負傷した。
敵を撃つことすらできなかった。
完敗だった。

by yosaku60 | 2017-06-30 07:48 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その6;ングラライ軍ー4)

①の地点で、
ングラライは、3度の戦いをしている。
1、ランプーの戦い
2、ボンの戦い
3、パンゲジャランの戦い
である。

ランプーの戦い、と、ボンの戦いは、「往路」である。
パングジャランの戦いは、「復路」である。

この「往路」と「復路」の戦いを比較してみると、
ングラライのゲリラ戦の全体像がよく見える。

やって見る。
まずは「ランプーの戦い」である。

ランプーの戦い

ランプ村には、オランダ軍の硝戒所があった。
ジクグ隊とグルブ隊が、そこを襲うことになった。
二隊合わせて二個小隊(八十名)ほどの軍勢であった。

ジクグ中尉もグルブ中尉も日本の義勇軍育ちであった。
訓練を十分に積んでいる。
立派に隊列を組み、出発して行った。

で、翌日早朝に隊は帰ってきた。
ジクグ中尉が腿に被弾し、二人の行方不明者があった。
襲うどころか襲われたのである。

敵は、とんでもないところに待ち伏せしていた。
その場所は、味方でなければわからない場所だった。
ということは、味方軍にスパイがいるということだ。

ングラライ軍が戦うと、味方してくれた村は、
あとで必ずオランダ軍により村が燃やされる。

村が燃やされるたびに、スパイが増える。
これには、ングラライも悩んだ。

同じく、パ・ジョコも悩んだ。
当時の二人の関係は微妙であった。

ングラライ隊にあって、パ・ジョコは参謀であった。
が、参謀以上の地位にあった。

パ・ジョコは一九二三年五月生まれで、当時は二三歳。
ングラライは、一九一七年一月生まれで、当時は二九歳。
年齢は、パ・ジョコの方が六歳若い。
が、パ・ジョコには、長い闘争歴があった。
日本軍がインドネシアに来た直後から闘争を始めている。
その時、パ・ジョコは、まだ十八歳だった。

二十歳でバリ島全てを統括する青年隊のトップになっていた。
今も、パ・ジョコをトップと崇めるバリ人青年が多くいた。
闘争に軍隊が必要と、ングラライを選んだのもパ・ジョコだった。

ングラライは「戦い」についてはウィスヌ少佐に相談した。
が、「独立闘争の仕方全般」についてはパ・ジョコに相談した。

二人は、そんな関係だった。
ベンケルアニャールの司令部を解いた時もそうだった。

ングラライの長征希望をパ・ジョコも賛成して決められた。
今回も二人は、話し合った。

ングラライの言い分は一貫していた。
あくまでも戦う。
戦って勝たなければ独立ができない。
が、今のままでは、勝てない。
ジャワ島からの援軍と武器の補給が必要だ。
そのために、東に向かって長征を続ける。
敵の目を東に向けて、西のジャワ軍上陸を助ける。

これに対して、パ・ジョコの意見は違った。
目的はインドネシア独立である。
親蘭派が増えれば増えるほど独立が遠のく。
戦えば戦うほど、親蘭派が増える。
戦わずして、島民の意識を変える方法を考えるべきだ。
長征して戦い続けるのは反対だ。

バリ島の中央部に司令部を構えて籠城する。
幸いに、この地の地形は複雑だ。
籠城するに最適だ。

それに、ブレレン県とバンリ県とバドゥン県の県境にある。
三つの県から注目を集める司令部ができる。
二人は、長時間話し合った。

お互いの考えがお互いに理解できた。
独立を望む闘争心は同じであった。

二人は、結論を出した。
お互いは助け合いながら独自の道を進む。

パ・ジョコは拠点をバドゥンに置き、バリ島の若者をまとめる。
パ・ジョコは、ボン村に入ったところで、ングラライ軍を離れた。
そこは、パ・ジョコの拠点であるバドゥン県だからであった。

(写真は、ランプー村にある戦闘記念モニュメント)
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by yosaku60 | 2017-06-29 13:34 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その5;ングラライ軍ー3)

複雑なバリ島の地形....

車で走ると「バリ島っていいな~」と思える処がいっぱいあります。
ざーと、思いつくところをひろって見て、
何が良かったか、書いてみたいと思います。

まあ、次の9か所ですが、
まだ、調査中ですので、全部ではありません。
道路は、いい加減です(念のため)。

d0083068_10180064.jpg
まずは、①です。
私が大好きな場所です。
村でいえば、ランプー村近辺です。
ここに行くと、なぜか幸せを感じます。
この場所は、1、戦略的な位置 2、風光明媚
の二つの特徴があります。

で、今日は、この場所の戦略的な位置、の意義。

ここは、3県~4県の県境です。
バドゥン県に近く、
バンリ県に近く、
ブレレン県に近く、
それに、タバナン県もそれほど遠くないのです。

独立戦争の時のバリ兵は、県ごとに「隊」を作っていました。
4県の兵が集合しやすいのが、この場所なのです。

ングラライのあとのバリ島の指導者は、パジョコという人物です。
ングラライとパジョコは、ある時期一緒に戦略を練っていました。
で、この場所に来た時でした。

ングラライは、東に向けて行軍を主張。
パジョコは、この場所の戦略的意義を考え、ここで司令部を置き、
ここから、バリ中に指示を出すことを主張。

するのです。
結局は、ングラライの主張したとおり、ここから東に移動します。
で、パジョコは、この地点でングラライと別れるのです。

この場所は、そんな歴史的拠点なんです。
それが、私が時々行ってみたくなる理由の一つです。

by yosaku60 | 2017-06-28 10:35 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その4;ングラライ軍ー2)

バリ島の複雑な地形とングラライのゲリラ隊の関係....
密林に入ったり、渓谷に入ると飛行機からは狙われない。
平地に出たり峰を歩いたりすると、飛行機から撃たれる。

当時、飛行機はスラウェシ島のマカッサルから飛んできていた。
近いといっても2時間以上かかったから、常時狙われたのではない。
空から発見されやすい場所に出た時に襲われた。

さて、ングラライ軍は、半年間の間に6回、
飛行機から襲われた。
d0083068_13371501.jpg
①は、ジェンブラナである。
これはングラライ軍の本隊ではない、ジェンブラナ支隊が
襲われたものである。
唯一、渓谷の中にいるのに襲われた。
ただ、陸上からアンボン軍のあぶり出しがあった。
渓谷の上の峰からアンボン兵が撃つ、出てきたところを
飛行機から機銃掃射するという戦法で、相当の犠牲者が出た。

②は、タバナンのムンドックマランである。
起伏の緩やかな丘が多い地である。
飛行機からは丸見えだ。
迫りくる飛行機に高木米治が機関銃を撃ち、命中させる。
ただ、ふらふらしながらも、落ちなかった。
次の飛行機には、松井久年が12.7ミリ重機を命中させる。
この飛行機は至近に墜落した。
ここでのバリ軍の戦死者はゼロだった。

③の地は渓谷から峰に出た処を狙われた。
場所は、ブラタン湖の東のラワック村、
ングラライ軍は、東の渓谷に逃げて、戦死者ゼロ。
ただ、峰を歩くことの危険さを知る。
照明弾も撃ってきた。

④は、タナアロン。
96名のオランダ兵が殺され、次の日、怒ったオランダが
飛行機で追っかけてくる。 背丈の低い木の茂みに服をかけて
そこに居るようにカモフラジュするングラライ軍。
その服めがけて、飛行機から機銃掃射....
その隙を狙って、ングラライ軍はアグン山を越える。

⑤は、バトゥル湖の北、ブランディンガン村。
オランダのスパイに通報され、突然空から襲われる。
逃げ遅れた一名が戦死。

⑥は、パキサンからギギット間、
クランディス渓谷から出てくるングラライ軍を待ち受ける
オランダの飛行機。
埃をたてないように行軍し、なんとか見つからずに歩きぬく。

⑦は、マルガラナ。
陸と空からの波状攻撃を受ける。
逃げ込む林や渓谷の方は、全てオランダ軍が待ち受けていて、
平地に閉じ込められて、外に逃げれない。
そこを飛行機から機銃掃射される。
96名のチュウワナラ隊(ングラライ軍の最後の軍の名)は、
全滅、その多くは飛行機からの掃射で戦死。

by yosaku60 | 2017-06-27 14:00 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その3;ングラライ軍ー1)

バリの地形...
なんぞと大きな題をつけたもんだから、
どこから書いていいか入る処がみつからず、
悩んでいる(笑)

で、最も書きたい処から入ることにする。

書きたいのはバリ島の複雑な地形だ。
隠れて襲撃したり襲われたら逃げたりする処がいっぱいある。
そんな地形なもんだから、ングラライはゲリラ戦を戦えた。

それを書きたい。

まず、ングラライのゲリラ戦を大雑把に捉えたい。
それには、ングラライの軍勢の推移を見ることだ。

全てが1946年の話....

1、4月、デンパサールのオランダ宿舎攻撃軍勢

  2000名
  これは、バドゥンとギャニアールだけ、
  ほとんどが「竹槍隊」
  堀内も日本軍では大尉(バリ軍では中佐)という偉い人
  だったのに、ピストルと竹槍だけで突進したのですよ。

2、5月、ムンドックマランでのングラライ軍の旗揚げ

  2000名
  バドゥンとギャニアールの1000名
  プラスその他の地方。

3、6月、「ムンドックマランの戦い」で
  司令部をベンケルアニャールに移転。

  1000名
  残り1000名は、各自の田舎に帰さす。

4、6月、バトゥカル山の山越え

  800名
  200名は、田舎に帰さす。

5、6月、ブレレン着

  1000名、
  軍勢が多いと、与える食料が大変!
  やっと800名に減らしたのに、シンガラジャ近辺から
  新しい兵が加わって、またまた1000名になる。
  (このときの日本兵の数;17名)

6、6月、キンタマニー高原を前にして、

  500名、
  場所は、マニクリユ村、ここで、軍のスリム化を図る。
  半数を田舎に返す。

7、6月、キンタマニー高原の麓にて、

  400名、
  場所は、ランディ村。
  日本兵8人で「日本兵特別遊撃隊」を作るなど
  軍勢を小分けして、400名まで減らす。

8、7月、「タナアロンの戦い」
 
  350名、

9、7月、アグンサン越え、

  330名、
  (日本兵二人行方不明に)

10、8月、ムンドック、プンゴレンガンでの解散、

  300名、

これが、ングラライ軍の大雑把な軍勢です。
これだけの人数がバリ島の複雑な地形を歩いたのです。

減らしても減らしても、参加してくる青年達がいて、
ングラライは困るのです。
武器を持っていない、竹槍だけの兵がいくら増えても
敵の機関銃には勝てません。
その竹槍兵に「食料」を支給するのが大変なのです。

大変といえば、

ングラライ軍の持っていた、一番破壊力のある武器...
それは、飛行機も落とせる、12.7ミリ重機でした。
それを使うのは、日本兵の松井久年でした。
この重機、300キログラムあるんですよ。
田んぼのぬかるみも、渓谷も、これを人間の手で運んだのです。
4人で運んだことを書いていますが、
重かったでしょうね。
でも、この重機のお蔭で、タナアロンでは大勝するのです。
味方軍死傷者ゼロ、オランダ軍死者96名....
96名は、殆ど松井の12.7ミリ重機の犠牲者でした。

その松井。
ムンドックプンゴレンガンの「隊の解散」では、
無情さを嘆いて泣くのです。
自殺を図ろうとするのですが、バリ人戦友に止められて
断念するのです。
で、その後、死に場所を求めて、
最後はマルガラナでングラライと共に玉砕するのです。

by yosaku60 | 2017-06-26 10:28 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

バリ島の地形(その2;次に解らない処)

おはようございます。

何故に「バリの地形」なんて書きだしたか、
ちょっと説明をば.....

みなさん、知ってますか。
このたび(といっていつから知らないけど)、
バリ島が観光地として世界一になったのですよね。
なんで、バリ島が世界一だなんて....
それに観るべきポイントとして、スミニャック、クタ、ウブド
をあげています。
私にとっては、3ヶ所とも、行きたくないところです。
観光客の見る観点と、住んでみて感ずる観点とは、
違うということなのですけどね~

まあ、それはそうですが、
ちょっと反発したくなったのです。
バリ島は、もっと他の魅力がある処なんですよ!
ってことをしゃべりたくなったのです。

私の思う、バリ島の魅力は、
その複雑な地形、
どんな過酷な地形にも必ず人家がある光景、
そうした処に住む人々の暮らしと連携、
を見ることなんです。

で、その思いの源泉である「過酷な地形」
を書こうと、バリ島全体を俯瞰していると、
またまた、解らないことが出て.....
一昨日から悩んでいるのです(馬鹿ですね~)

悩んでいることってのは.....、
なんで、どうして、
バリ島は南に平野があるのだろう。
って疑問なんです。

スマトラ島を見てください。
平野は北に向けて広がっています。
ジャワ島もそうです。
でも、その隣のバリ島は平野が南にあります。
(ロンボク島もバリ島と同じですけど)

スマトラ島、ジャワ島、バリ島は、
同じ火山列島の中にあります。
なのに、何故バリ島だけが.....

勿論、
南にヌサペニダ島があること。
島としては小さいこと。
オーストラリア大陸との関係(海溝)。
海流の流れ。
島周辺の海の深さ。
列島全体が南にもうひとつある二重列島。
季節風と雨の量。
なんぞをあれこれ考えてみるけど、
原因らしきものが見つからないのです。

間違ってもいいんです。
たぶん、こうなんだろって、理屈がつけばいいんです。
その理屈が見つからないんです。

なぜ、バリ島は、
南に平野があるのでしょうね。ワカリマセン。

by yosaku60 | 2017-06-24 07:23 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

一族が集まってのお祈りです

今日は「新月」。
満月と新月には、どこかで大きなお祈りがある。
満月と新月って、2週間に一回来る。
バリ人はお祈りに忙しい。
まだある、例えば....
明日は、Tumpek Kandangと言って、牛や豚にお祈りする日。
全島一斉のお祈りだが、特に、シンガラジャでは大きいお祈りだ。

こと左様に、
バリ島では、いろんなお祈りがある。
んで、今朝のビーチで出会った大きなお祈りの報告、です。
ムルタサリビーチで、出会った、こんな人達です。
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ここにも....
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「どんな集まりですか」と聞くと、
「ひと家族です」と言う。
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「本当に」と聞くと、
「本当だ、昔は、ひとつの夫婦から始まった」という。
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にしても男がいないと探したら、ここにいた。
そう、これがバリの男どもだ.....
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海岸に並べられた、お祈りの装飾品の数々..
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ひと家族にしては、500名ほどがいる。
「一族だろうが」と聞くと、
「バリにはそういう言葉がない、ひと家族だ」と言い張る。
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ほんに、バリは、わからん。
言葉がもっと話せたら、もっとおもしろいだろうに....

by yosaku60 | 2017-06-23 09:50 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

バリ島の地形(その1;解らない処)

バリ島に住んで10年....
過去を振り返っていいほどになった。

面白かったことは.....
①バリ人を知ったこと。
②バリの地形に触れたこと。

である。
①は、過去形であるが、②は、過去もそうだが、
まだ、進行形でもある。

未だに、解らず、悩んでいることがある。
キンタマニーの外輪山とアバン山の間の深い窪みである。
どうして、こういう深い窪みができたのだろう。
まずは、全体を見ていただこう。
d0083068_10484117.jpg
これはウィキペディアから、とったものだが、どうも加工してある。
何故なら、アグン山もアバン山も山麓の傾斜が25度と解っているのに、
それよりも急傾斜になっている。
写真を横につぶして載せているようだ。
で、傾斜を25度に引き延ばして、アバン山付近を見てみると、
こんなのになる。
d0083068_10522902.jpg
これが、実際に近い山のはずだ。
外輪山とアバン山の切り込み、すごいでしょう。
普通なら、水(雨)の浸食と考えるのでしょうが、
両方に逃げ道のある川で、こんなに侵食されるでしょうか。

アバン山のできた経緯を描いてみたい。
これは、キンタマニー火山博物館に発表されているものなので、
まずは、間違いない。

d0083068_10593243.jpg
この古代のキンタマニー山(陥没前).....
博物館では、3000m と発表している。
が、山麓の傾斜角をそのまま伸ばしていくと、3800mになる。
アグン山よりも高い山の存在を書くと、
アグン山の神格度がうすれるので、
3000mと発表しているのだと思う。
まあ、こういうところはどうでも良い。
問題はアバン山だ。
左の傾斜は、25度。
なのに、何故右がドスンと落ちているのだ。

考えられるのは、左の外輪山付近のみの陥没だ。
というのは、バトゥル湖は左にあるからだ。
こんな風にだ。
d0083068_11232069.jpg
最初の写真に戻って見て欲しい。
キンタマニーの陥没内を見てみると、
右の方が二重になっている。
陥没は、何度かあったのではなかろうか。

こういう疑問を持つと、オレはすぐに現地に行って見たくなる。
が、ここは無理だ!
想像するだけだ。

by yosaku60 | 2017-06-22 11:08 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

記憶力の薄いラクダ

久しぶりにラクダに会いに行った。
近くに寄って顔を撫でようとするとイヤイヤをする。
どうも俺を忘れたらしい。
牛なら一年会わずとも覚えているのにラクダは頭が悪い。
ついでに、牛とラクダ、どちらが頭が良いか、調べてみた.....
が、どちらも順位に入るほどの脳を持っていない。
d0083068_10351763.jpg
ちなみにネット掲載の生物の知能順位とその理由。
25位から1位。

25位;イカ          記憶力2日間
24位;クモ          鏡を認識
23位;アリ          集団行動
22位;ヒヒ          ストレス発散能力
21位;アシカ         論理的思考
20位;オランウータン    抽象的空間理解
19位;ハト          地理的把握能力
18位;カラス         適応力
17位;ヒツジ         集団内個別識別能力
16位;アライグマ       問題解決能力
15位;ウマ          記憶力
14位;アカゲザル      94%人間
13位;ハヤブサ       空間識別能力
12位;ネズミ         学習能力
11位;フクロウ        記憶力プラス空間識別能力
10位;ネコ          優れた感覚器官
9位 ;リス          自立生存能力
8位 ;ゾウ          優れた社会感覚
7位 ;タコ          道具理解
6位 ;イヌ          好奇心
5位 ;クジラ         相互連携能力
4位 ;オウム         記憶力
3位 ;バンドウイルカ    コミュニケーション能力
2位 ;ブタ          感情表現理解
1位 ;チンパンジー     人間に近い

オレもヒマだね~

by yosaku60 | 2017-06-21 10:49 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

これが、バリ人の中流家庭かも

一人の男性を紹介します。
昔からの知り合いですが、口数の少ない男で、
何年も、ちょっとしか話したことがなかったのです。
とにかく、仕事に一生懸命で真面目な男性です。
が、最近、話すようになると、びっくり....
彼は、日本語を話せるのです。
能ある鷹は爪を隠す....ではなく
能あるバリ人は日本語を隠す....です。
つたない日本語で話しかけてくるバリ人が多い中で、特筆ものです。
尊敬するバリ人のひとりです。
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彼と話していて、思うんです。
バリ人の生計(あくまでも金銭的、幸福度は別)を見てみると、
苦しい;60% まあまあ;30% 余裕;10% と思うのです。
まあまあ、ってのを「中流」とすると、彼は中流だと思うんです。
言い換えれば、バリでは、どこにでもある話(程度)なのです。

そんな「中流程度」を覗いてみると、
1、年齢;64歳
2、職業;昔、木造船の船大工、今、マネージメント。
3、家族;
  1番目の奥さま;55歳.....アートショップ経営
          にお子様3人(全員既婚)
  2番目の奥さま;49歳.....ワルン経営
          にお子様2人(全員既婚)
4、マネージメントの実態;
   二日づつ、奥さまのところを渡り歩く。

細かいことは書き切れません。
アートショップの経営、ワルンの経営の経費、収入なども知っています。
それで、「中流」だと判断したのです。

あ~、オレ、バリの「中流」になりたい!!
なんて、金輪際、思うわけがありません。
んん?
by yosaku60 | 2017-06-20 10:05 | バリ島=人物往来 | Comments(5)


常時ほろ酔い候
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