あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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仲間たち

バリでの暮らし10年目に入っている。
いろいろな仲間ができた。
写真の彼女たちとも、ふるーい、仲間だ。
左から2番目の太めの子、名前はコマン。
家に遊びに来たときは、まだ小学生だったのに、
こんなにおっぱいおおきくなっちゃて.....
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後ろを振り返るようになってしまっては、人間失格です。
.....反省!

by yosaku60 | 2017-05-30 09:38 | バリ島=人生のかかわり方 | Comments(0)

ングラライを忖度(そんたく)する

バリ島の英雄、ングラライ....

5万ルピア紙幣の顔ですが、嘆かわしいかな、それすら知らない....
インドネシア人、時にはバリ人、時にはバリ在住の日本人、がいる。

バリ島の独立の歴史は、ングラライだけではない。
が、調べてゆくと、どうしてもングラライにぶつかる。

独立戦争の歴史は約5年。
そのうち、ングラライが歴史に出てくるのは1年だけ。
ってことは、5分の1、なのに、何故に、ングラライなのか。
何故に、パ・ジョコをもっと語らないのか。

その理由を一言でいうと....
ングラライのいた一年間だけ、バリの一般島民が一緒に戦ったからだ。
その闘争の結果であるが、はっきり言って、オランダが勝利した。
さらに、はっきり言おう。
オランダを勝利させたのも、バリ島民だ。
バリ人にとっては、歴史の恥部である(と、私は思うのだが)。
でも、生きてゆくためにしようがなかった部分がある。
ングラライもそれを認めながら、苦しく戦った。

さて、ングラライがマルガラナで玉砕した後、
闘争は、日本軍がいた時と同じように、地下に潜る。
実際には、地下でなくて、山に登って籠るのだが(笑)。
地下に潜ると、一般島民は参加できにくくなる。
で、一般島民は騒がなくなって....
歴史として、語らなくなって...

というのが、
ングラライだけが語り残され、
残りが歴史から消えた真相である。

さて、
ングラライだが、私は、長年、ングラライを忖度してきた。
その上で、ングラライの主たる闘争歴史.....の
そのスタート....(1945年12月13日)と、
その終わり.......(1946年11月20日)に、
日本人が大いに関わっていたことが解ってきた。

これは、どんな本にも書いていない。
私がングラライの心を忖度して解ってきたことだ。

バリ人は、こんなことを思っても記述に残さない。
かといって、日本人の誰も、ここまで興味を持たない。
ングラライの日本人に対する心の忖度をする者がいない。

日本人に対する、ングラライ司令を一言で忖度すると、
スタートは「憎しみ」。 
終わりは「感謝」だった。

そういう話、書き残したいが、私には文才がない。
一度、挑戦して、よーく解っている。

お酒飲むときの「私の得意なお話し」にしておこう(笑)。
一緒に飲む機会があったら、ングラライを質問してね。
待ってます~

by yosaku60 | 2017-05-28 08:24 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

コミンちゃんの話

最近、はやりの言葉......「忖度(そんたく)」

互いに忖度し合うのが、日本人の美徳と思っていたけど、
それがいけないことになりつつある。

さて、
コミンちゃんを一言でいうと、
「オレって人間を忖度してくれる若い女性」である。

この場合のオレ.....
時には、バリの歴史を調べたがるオタク爺、
時には、単なるスケベ爺、
時には、無茶うるさい鼾(いびき)爺、
時には、何度も屁をする臭い爺、
だったりする。
いずれにしても「爺」である。

そんな爺を忖度してくれるのだから、コミンちゃんは太っ腹だ。

まだ、ほめることがある。

時々、コミン夫婦に電話する。
「今から、メシ食べに行くから.......」
朝から電話しておくと、昼にはバリの家庭料理を食べれる。
バリ人には珍しく薄味で、美味しい上に、レパートリーが多い。

まだまだ、ほめることがある。

コミンちゃんは、自宅ではすっぴんだ。
が、我が家にマッサージに呼ぶと、お化粧をしてくる。
普段なれなれしくても仕事は仕事として甘えることはしない。
プロフェッショナルに徹する。
人間なかなか、こんな風に徹しきれない。

まだまだまだ、ほめることがある。

バリに住むと....
バリ人には当たり前にできて日本人にはできないことがある。
そんな時、コミンちゃんに頼むと二つ返事で引き受けてくれる。
それも明るく、そして足が軽く、そして約束を忘れない。

まだまだまだまだ、ほめることがある。

「時間を守る」ことである。
それも「5分間精神」を兼ねながら守る。
自分は待つが、他人を待たさない。
こんなバリ人は珍しい。


さて、そんなコミンちゃん登場だ!
箸を使って私たちに溶け込もうと忖度するコミンちゃん。

d0083068_09384058.jpg
カミさんに、バリ料理を教えてくれる。
若いのに、料理を作るのがうまい。
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さて、昨晩来たから、
今度は、火曜日だね、コミンちゃん。
待ってるよ~

by yosaku60 | 2017-05-27 09:41 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

プトリちゃんの話

ビーチで朝食を摂る処が4か所あると書いた。
夫婦間で、その4か所を次のように呼んでいる。

1、ムルタサリのいつもの店
2、カデの店
3、おばあちゃんの店
4、プトリの店

で、4番目の「プトリの店」のプトリである。
生まれた時から、知っている。
こんな可愛い女の子だ。
d0083068_09065724.jpg
「プトリ!、アンタちょっと可愛いからって...」
「将来、男を泣かす女になるなよ」

私が、いつもプトリに言うセリフだ。
と、プトリは、真面目にうなずく。

そんなプトリちゃん、
母親がいない。 で、おばあちゃん娘(こ)だ。
母親は、私も逢ったことがない。
プトリを産んで、すぐに出て行ったきり帰って来ない。
聞くと、クタあたりに居るらしい。

その母親のお母さん、すなわち、おばあちゃんに聞いてみた。
あんたの子供のことだけど、プトリのお母さん....プトリに会いに来ないの?
「来ないね~」
いいの?
「しようがない」
「プトリが成人になったら会いに来るでしょう」
と、言って笑う。

このプトリ。
あと2ヶ月で幼稚園に行く。
私立の金額の高いところに行かせたいそうな。
「だけど、高いのよね~」
いくらぐらい?
「一年で、1.8ジュタ」(毎月約1300円)
「小学校も同じ私立だけど、3ジュタ」(毎月約2100円)
そりゃ、大変だね~
「毎日の送り迎えも大変」
そんなの簡単じゃん。
バリの男は、4人まで妻を持てるじゃん。
女性も、二人ぐらい亭主を持っても、ティダアパアパじゃん。
その2番目の亭主に送り迎えしてもらえば簡単じゃん。
アンタは、口紅さえ塗れば、まだまだ魅力があるじゃん。
「ハハハ」

今朝のワルンでの、つまらない会話でした。
さて、今日も明るく生きて行こう!
ゴール、間近だから.....(んん?)

by yosaku60 | 2017-05-26 09:08 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

ちょっとびっくり、散水車

バリ島の散水車はすごい!
その証拠の、写真を見ていただけますか。
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あれ、左手で散水!ハンドルは?
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ずーと、片手運転です。
右目で水を見て、左目で前方確認してるのかな?
人件費削減で、いいことですよね。
でも、これ日本だったら、どこかの誰かから苦情がでるでしょうね。
でもね、ここは、ティダアパ(気にしない)のバリ島....
こんなの、いんですよ!

などと思いながら、ずーと彼の仕事ぶりを追っている、オレ...
って、馬鹿だね~
馬鹿ついでに、片手運転を戒める規則があるかどうか、
調べてみたけど、ありません。
次の規定だけです。

(安全運転の義務)第70条 
車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を
確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、
他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。

まあね、そうなんでしょうね....

by yosaku60 | 2017-05-24 06:32 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(1)

私の朝食(ナシジンゴ)

私の朝食は、いつもビーチで摂る。
行きつけの店が4ヶ所あって、それらを順に廻る。
食べるのがナシジンゴ。
(ナシジンゴ...「労働者のメシ」って意味だそうな)
紙に包んだものより、バナナの葉に包んだものの方が美味しい。
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一個5千ルピア(45円)
ご飯、焼きそば、テンペ、鶏肉...などがチャンプルされている。

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それに、肉の串刺しを45円分いただく。
店によって違うが、この店では4本買える。
カミさんと2本づついただく。
本物の炭火焼きである。
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焼きたてなので、ふーふーと美味しい。
串刺しは、魚肉と豚肉の二つある。
どちらも値段は同じ。
左の味付けは、「サンバル」という。
この店の串刺し用サンバルは、全て天然(自然)だ。
10種類の野菜の葉や実を砕いて作る。
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それに飲み物は、コーヒー。
カミさんは、ネスカフェ、私は現地コーヒーのブラック。
(時には、コーヒーお代わり)

これだけ頂いて、お二人分のお勘定トータル、
2万ルピア(170円)。
これは、コーヒーお代わりの価格込みの値段ですが、
お代わりしなくとも、2万ルピア払うんです。
で、「つりはいいよ」って、いいかっこするんです。

これが....
私のバリでの年金生活の実態....でないと生きてゆけません。

但し、今朝はちょっと贅沢しました。
串刺し4本追加、コーヒーを私だけがお代わり...
てんで、2万5千ルピア(210円)になってしまいました。
時々、こんな’贅沢をしなければ...でないと生きてゆけません。

by yosaku60 | 2017-05-22 10:25 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

朝のビーチ(写真の整理)

朝の散歩時、ちょっといい感じの光景に出会うと、
写真を撮ります。
でも、あとで見ると、大したことのない写真です。
その日の朝の気分で、感じ方が違うのでしょうね。
そんな、捨てるに捨てれない写真の整理です。

これ、みんな竹でできてる家....
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日曜日のムルタサリビーチ....
このバイクの数、見てください。
バリ人もビーチ遊びが好きです。
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ちょっと、いいでしょう。
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これも....
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上の写真の右の木です。
この一本で、随分と憩いの空間を作っています。
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お客様少ないですね。
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まだ、時間が早いからです。
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最後は、カミさん.....
前を走って(いや、歩いて)おります。
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by yosaku60 | 2017-05-20 07:51 | バリ島=その日のできごと | Comments(3)

スマラン事件(その12; 最終回)

病院からの迎えの自動車が待ち遠しく、
一分が一時間ほどの気がしました。

病院へ行けば、輸血も考えられるので,

「閣下、血液型は何ですか」
「血液型を聞いて何にする」
「俺は輸血の必要がない」

「それでは私が困る、軍医に聞かれても応えられない」
「A型だ、けれど輸血の必要は無いぞ、それよりか水を一杯くれ」

「水、水は差し上げることはできません」
「腹部重傷に水を飲んだら助かるものも助からぬことになります」
「こればかりは閣下の命令でも私は絶対にお上げすることはできません」
「そうか、皆に済まぬ、野市にも気の毒なことをした」

(野市さんは寺垣局長が銃で撃たれるのを防ぐため、
 身を挺して護り暴徒の竹槍に刺され戦死した)

閣下は自動車の中で多少苦痛を訴えておられたが、
その内に何も言われず、
握っていた手も大分冷たくなっていました。

もしかすると駄目かもしれぬと思ってきました。
「閣下、何か遺言がありませんか」
「何もない、みなに済まぬ」
「留守宅への遺言は」
「何もない」

思わず、私は大声で泣きました。
閣下の目にも涙が出ていました。
さぞかし残念なことでしょう。

「この仇は必ず討ちます」
「.......」
この時、閣下は私の手をしっかりと握られ、
二度シャックリをされ、
これが永遠のお別れでした。


これが「スマラン事件」だ。
が、これは全容ではない、一部だけだ。
監獄に入れらた日本人を救出する場面だけだ。

日本の憲兵隊は、
監禁されたオランダ人・混血人・
親オランダ系住民をも救出している。
そのために、インドネシアの青年たちと戦い続けた。

インドネシア側の犠牲者は、千名から二千名いた。
こんなにも犠牲者数が曖昧なのは、
それだけ混乱していたからだ。

日本軍とインドネシアの過激な青年との戦争は五日間続いた。
これら全てを通して「スマラン事件」と呼ばれている。
by yosaku60 | 2017-05-19 07:37 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その11; 我が民族は動物なり)

隊長は、生き残った負傷者の手当てを託して、
この惨劇をインドネシアの代表者に検証させるため、
城戸部隊に軟禁中のオンソネゴロ省知事、
スカルジョ・プルサ病院長の両名を現場に連行して
各監房内の惨状を目撃させた。

正面から入って右側、
三番目の監房内の壁に書かれた

「インドネシアの独立を祈る、万歳」

血書の前で、
青木がオンソネゴロにこの文意を
インドネシア語で伝えると、
彼は顔面蒼白になり

「バハギャ キク ビナタン(我が民族は動物なり)」

と繰り返した。

以上が救出隊の分隊長であった、
青木氏の手記である。


........


あとひとつ手記があるので、これも語り継ぎたい。
松音友治氏(中部陸輸局員)が語る,
寺垣俊雄司政長官のその後である。

(松音友治氏手記)

私は、閣下の安否を尋ね大声で
「寺垣閣下、寺垣閣下」と叫び続けた処、
折よく憲兵隊長が来られて

「閣下は重傷だ、すぐ行け、そこの布団の上に寝ておられる」

と言うので駆けつけますと、
何とお気の毒に全身血まみれて既に顔面の血色もない、

「閣下、松音です。傷は浅い。大丈夫です」

「ウン、有り難う。俺は腹を遣られているから多分駄目だ。」
「手足はもう痺れている。皆に申し訳ない。」
「自分としてはできるだけのことはしたつもりだが、今となっては何にもならない。」
「みなによろしく伝えてくれ。」
「それにしてもお前が助かったことはせめてもの幸せだ。」
「俺のいた室の壁に遺書を書いてあるから後で見てくれ」


ただ涙のみで物は言わず、
すぐに病院へと思いましたが、戦闘中で如何ともできず、
幸いオランダ人医者が来て、カンフル注射三本をうちました。

閣下の傷は下腹部、臍の下を自動小銃で貫通していました。
閣下が言っておられた遺書のことが気になり、
他の同僚に閣下をお願いし、室に参りますと、
その中で二十数名折り重なって憤死し、
その惨状はとても言葉や筆は表現できるものではありません。
by yosaku60 | 2017-05-18 08:04 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)

スマラン事件(その10; 壁に書かれた血書)

決死隊員は逃げて行く青年たちには目もくれず、
各監房内の日本人救出に全力をあげた。

丁度その時、血まみれになった日本人数名が
監房内から転がるようになって飛び出して来た。

この人達は我々の身体に抱きつくなり,
「ありがとうございました」
と泣きながら礼を言っていた。

この中のひとりは、
中部陸輸総局の寺垣司政長官であったが、
寺垣氏は我々に礼を言った後、
それ以上は口を利く気力もなく、
所内の庭に崩れる様に倒れてしまった。

中部陸輸総局で特殊任務に携わっていた青木分隊長は、
これが寺垣俊雄司政長官閣下であることが一目でわかった。

青木は長官に傍に駆け寄り、
「救護班がすぐに来ますから、どうぞ頑張ってください」
と大声で告げ、携帯していた三角巾で、
出血の激しい腹部の応急手当てをして差し上げると、

幽かな声で、
「青木さん、ありがとうございました。
他の人達のこともよろしくおねがいします」
のみ、言い終わったが、
顔面は既に死相になっていた。


監房内の死体を搬出していた青木は、
薄暗い監房内の血痕の飛び散っているようなものに気付いた。

側によってよく見ると、

「インドネシアの独立を祈る、万歳」

と書かれた血書である。

機銃で射殺された日本人犠牲者が死を直前にして、
流れでる自らの血を指に採り書いたものである。
文字の大きさは、一文字十センチぐらいで、
最後の「万歳」の文字はもう精根尽き果てたという感じであった。

青木はすぐに、この文字のことを報告した。

隊長はこの文字の前に立って、
しばし茫然としていたが、ただ一言、

「遅かった」

と、腹の底から絞りだすような小声を残して壁から離れた。
by yosaku60 | 2017-05-17 13:36 | インドネシア独立戦争 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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