あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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ラクダの個体識別の方法

今日は日曜日。
ラクダ公園には、いろいろな人が訪れる。
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さて、今日はラクダの個体識別方法について...
よーく見ると、「つむじ」がそれぞれ違うようだ。
先ずは、猛々しい、雄の ジョー(joe)
つむじも勇ましい。
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やはり雄のアルバート(Alberth)
後部に黒い鬣がある....おしゃれだ。
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おばあちゃんのヘンドゥル(Hendelith)
立った髪がなく、全部寝てしまっている。
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雌のメルティ(melti)
可愛いちりちり髪である。
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子供(雌)のヘニー(henny)
髪が柔らかく、立っている。
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by yosaku60 | 2016-07-31 10:32 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

ングラライ軍、ブレレンに入る。

俗に「ングラライの長征」と言われるのは、
1946年5月~11月の、たった7ヵ月の話である...短い。
ムンドックマランに集合した兵は、2000余名。
タバナンからバトゥカル山を超えブレレンに入ったのは、約1000名。

写真の左の民家を見ていただきたい。
その民家の左は、崖になっており、谷底に通じている。
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1000名がその谷に入って行ったのである。
1946年5月、この谷に入ったのが、長征の始まりであった。
その場所に佇む立像.....
小銃を担ぎ、手には鍬を持っている。
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なんのための鍬なのだろうか。
1000名の道を作るため...
先頭集団は、滑り落ちる傾斜地を鍬で階段を作りながら...
降りたのではなかろうか。
by yosaku60 | 2016-07-30 08:32 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

プネベルの戦い

プネベル...
下図のほぼ中央にある集落。
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1946年4月、ムンドックマランの地で、
ングラライ率いるバリ島独立義勇軍(バリ軍)が旗揚げ式を行った。
バリ島のあちこちから馳せ参じ、2000余名の軍勢となった。
近辺の村々から軍に食料が提供された。
が、2000余名の毎日の食料は半端な量ではない。
駐屯するだけだと、食料提供を渋るようになった。
戦わない日が2~3日続くとご飯だけしか出てこなくなった。
戦かって戦果をあげて帰ると、肉や野菜が出た。
ングラライの目指したのは、ゲリラ戦である。
ゲリラ戦とは通常は隠れていて時々出て来て戦う戦法である。
が、独立軍は、積極的に外に出て戦いを仕掛けなければならなかった。
そうしなければ、食糧を供給して貰えないからだ。
かといって、潜伏地の近くで戦えば、本隊がダメージを受ける。
で、兵を分けて、遠くに出かけて戦わねばならなかった。
そうした事情で始まったのが「プネベルの戦い」であった。

戦いのあった小学校の前にあるモニュメント....
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プネベルは、ムンドックマランから直線距離で30キロある。
兵を率いたのは、独立軍NO.2のウイスヌ少佐であった。
プネベルの小学校にあるオランダ軍の前線哨所を襲う計画である。
襲撃の目的は、敵の武器を奪還することであった。

襲撃作戦は、
本隊は小学校の北側に配置する。
小隊は小学校の西側から攻撃し敵を混乱させ北側に追う。
北に逃げた敵は、待ち構えていた本隊に殲滅される。
というものであった。

進軍の途中でハプニングがあった。
I.ketut (日本人)のピストルが暴発したのだ。
わざとではない、事故であった。
既に小学校の近くに来ていた。
気付かれたかもしれない。
ウィスヌ少佐は、作戦を急がせた。

夜中の一時頃、部隊の配置を終えた。
見ると、硝所の前には、立番中の歩哨がいた。
西側からの攻撃隊は、闇の中、校舎ににじり寄った。
10mの至近距離に近づき、歩哨を撃った。
歩哨が倒れこんだ。
銃声を聞き、10数名の仲間が校舎から飛び出て来た。
それをめがけて、軽機、小銃を乱射した。
何人かが倒れたが、多くは校舎に逃げ込んだ。
その直後、校舎の敵は全員武器を携行し、飛び出て来た。
そして、東の方に逃げた。
北の方に、追いこむことができなかった。
武器を奪うこともできず、作戦は失敗した。
by yosaku60 | 2016-07-29 09:42 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

ラクダ公園の流木

ラクダ公園に流れ着く流木は、誰も持っていかない。
で、少しづつ増える。
それらの流木を見ていると、何かに見えてくるからオモシロイ。

先ずは、豚;その1
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豚;その2
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豚;その3
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アザラシ
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サヨリ(魚)
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水木しげるの妖怪
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イソギンチャク
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神の手
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by yosaku60 | 2016-07-28 07:29 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

リンディキットの戦い(その6;モニュメントの見方)

リンデキットの現地に行ってモニュメントを見られる方のために....
モニュメントの見方について書いておきたい。

正面の兵士、これはジャワ海軍将校の服装である。
ワロカ海軍中尉ではなかろうか。
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竹槍を持っている。
バリ人、民兵であろう。
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女性の衛生兵。
ジャワ海軍隊の隊員であろう。
布に包まれたものを手に持っている。
応急医薬品であろうか。
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銘板は字が消えて読みにくい。
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が、写し取ると次の様に書かれている。
prasasti
peristiwa pertempuran 6 april 1946
pasukan alri dan pemuda contra serdadu Nica
korban-korban
1, letnan laut ; j,willem penembak bren
2, Mr.X ; pembantu penembak bren
3, letnan tri ; i dewa gede rai
4, kec,cab,dpri kriskende ; i gst agung putra (maruti)
5, angg laskar ; mukadis
6, angg staf ; brahma wisunu, i gede rai
7, angg laskar ; sulandara
direskan pada tanggal 17 agusutus 1995

要約すると....

1946年4月6日、海軍部隊とNICA(オランダ)の戦い
(犠牲者)
1、 J、willem 海軍中尉
2、Mr.X 
(註)この二人が本戦いの犠牲者であり、Mr.X は軽機射手の助手であろう。
以下、3~7の犠牲者は、本戦いの戦死者ではなく、独立戦争を通じて、
この村から出た戦死者である。
3、にDewa Gede Rai の名があるが、彼は村の青年隊の指揮官であった。
オランダは、彼を捕まえるためにリンディキットに入って来た。
が、オランダが来たときは、彼は既に他の村に逃れていた。

参考として、「puputan marigarana」小冊による、
リンディキットの戦いのインドネシア語記述を掲載する。

pertempuran di Ringdikit
pertempuran di desa ini terjadi pada tanggal 6 april 1946. desa ini letaknya bersebelahan dengan desa Bubunan termasuk wilayah buleleng barat. pertempuran ini dipimpin oleh Sakadan dan Bung Ali(Jepang yang terkenal ganas)dengan senapan mesinnya,yang saat itu terkenal dengan nama senapan keki. Dalam pertempuran tersebut pasukan pejuang dapat menggempur sedadu NICA yang sedang menuju pupuan dari seririt, yang mengakibatkan satu truk sedadu NICA dapat digulingkan dan dihancurkan, sedangkan di pihak pejuang seorang gugur, yakni williem seorang pemuda pejuang berasal dari menado ibu kota sulawesi utara.

(参考)

ワロカ海軍中尉は、海軍大尉と書かれている本もある。
ワロカ中尉は、この後、海上に戻ったが、
ジャワ海において、オランダのパトロール船に追跡され、逃げきったが、
再上陸できず、船上にて乗組員と共に餓死している。
死後、大尉となったのではなかろうか。

この戦いで、ブンアリの名は、勇士としてバリ中に知れ渡った。
6か月後、ワナサリで華々しく戦って戦死するが、
ブンアリの死体を祀るため、村々が争って奪いあった記録が残っている。
by yosaku60 | 2016-07-27 07:23 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

シンコン料理

コミンの田舎に行った時、見慣れない木があった。
「あれ、何?」と聞くと.........「シンコン」と言う。
「小さいね」と言うと...........「植えて3か月だから」と言う。
「食べれるの」と聞くと.......「食べれるよ」と言いながら、
畑に降りて、引き抜いて見せてくれた。
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シンコンは、3か月もの、6か月もの、
一年もの、二年もの、それぞれ味が微妙に違うらしい。
引き抜いたものを持ってきて、我が家で料理してくれた。
皮はきれいに剥く必要があるそうな。
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煮詰める途中で黒砂糖を入れる、
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こんなのになる。
冷蔵庫に入れて、電子レンジでチンすれば、いつでも食べれる。
今のオレには、便利な食べ物だ。
皿の右の茶色のが、黒砂糖。
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by yosaku60 | 2016-07-25 10:05 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

リンディキットの戦い(その5;ブンアリの軽機が火を吹く)

ジャワの海軍部隊(ワロカ中尉)の中隊と
日本兵ブンアリ中尉の引率する村の青年隊は、ブブナン村で出会った。
ブブナン村は、彼らを歓迎し、全員に昼食を準備した。
その昼食をとっている時であった。
リンデキット村に向かわせていた連絡員が走りこんできて、

オランダの「赤い像部隊」の兵隊たちが、
トラック2台に分乗して、こちらに来る....という。

ワロカ中尉とブンアリ中尉は、即座に待ち伏せを決めた。
で、待ち伏せのための有利な場所に部隊を移動し始めたが、
その時、既にオランダ軍もバリ独立軍がいることを察知し、場所取りをしていた。
お互いが、先に戦いに有利な場所につこうと行動したのだ。

そうした行動をとっている海軍部隊にオランダ軍から発砲があった。
お互いに部隊を配置する前に戦闘が始まったのだ。

軽機関銃、小銃、手榴弾、擲弾筒の破裂音が鳴り響いた。
激しい攻防が続いたが、
オランダ軍の方がわずかに戦いに有利な地にあったため、
ジャワ海軍隊のウイリム中尉が敵の機関銃に狙い撃ちされ、
ウイリム中尉と軽機射手の助手の二人が殺されてしまった。

この危機を見た、ブンアリは、
ウイリム中尉の処に走り、彼の手から軽機関銃を取り、
単独で、射撃に有利な場所に走った。
全てが敏速であった。

高台に到達したブンアリは、
そこから軽機関銃の銃弾をオランダ軍に浴びせた。
射撃は正確に目標に撃ち込まれ、
オランダのトラックが横転し、谷底に落ちて行った。
トラックに乗っていたオランダ兵達は、谷底でピクリとも動かなくなった。
つづいて、ブンアリは、高台の上に仁王立ち、
右に左にと、軽機関銃を撃ちはなった。
オランダ軍は、総崩れになり、プンパタン村の方へ逃げた。
by yosaku60 | 2016-07-24 11:20 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

4日ぶりにラクダ公園に行く

ラクダ公園のラクダ小屋には、ラクダだけではなく、馬もいる。
2週間ほど前だろうか、その馬に胸を噛まれた。
ボーイと言う名の牡馬で気性が荒い。
幸いにTシャツの上から噛まれた。
で、歯型がついただけで血が流れなかった。

そのあと、毎日のように、ボーイを手なづけ、
ようやくオレが行くと、傍に寄って来るまでになっていた。
ところが、数日前、右手で鼻を撫でようと手を伸ばしたところ、
突然に首を伸ばしてきて、ガブリとやられた。
脇の下に近い柔らかい腕の下をである。
Tシャツの袖の外であり、肉をそのままえぐられた。
家に帰り、幹部をアルコール消毒したが....
数日経っても、患部が熱を持ったままで、一向に痛みが引かない。
しようがないので、昨日から化膿止めの薬を飲み始めた。
と、今朝は、腫れがあるものの幹部の熱が消えた。
よーし、リベンジだ、あのボーイ野郎!
てんで、今朝方、ボーイを打ちのめすためにラクダ公園に行った。
4日ぶりのラクダ公園である。
が、馬舎に着いてみると、ボーイがいない。
スタッフに聞くと、余りにも噛むので、スランガンの馬舎に戻したとのこと、
リベンジできなくて残念だが、一方でほっとしてもいる(笑)。

さて、そんな今朝のラクダ公園....
こんな女性がいた。
結婚写真を撮るためと思われたが、ダンナさんがいない。
「お相手の夫はどこ?」と聞くと、「私だけ」という。
近くに身内らしい人がいたので、更に訊ねると、
17歳の誕生記念の写真だとのこと...
ご本人は、まだ高校生....
今日の写真を撮るため、親子でスラバヤから来たとのこと...
昨晩サヌールについて、明日の朝、スラバヤに戻るとのこと...
誕生記念の写真を撮るためだけの旅行....なんともリッチな!
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沖の海から、小さいボートに乗り変えて、
30人ほどの中国人がラクダ公園に上陸してきた。
若者ばかりである。
それに女性が多い.....なんともリッチな!
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by yosaku60 | 2016-07-24 11:17 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

リンディキットの戦い(その4;ブンアリと呼ばれる日本兵)

ブブナン村でジャワ海軍部隊と合流したのが、ブンアリ中尉率いるバリ隊であった。
と書いて来た。
このブンアリであるが、未だ調査中である。
で、現時点で私が知ることを以下に駆け足で述べる。
....であるらしい....であるそうな、と語尾に加えて読んでほしい。

ブンアリは、日本陸軍の軍曹であった。
インドネシア軍に加わった時点で2階級特進し中尉になった。
日本名は、梶原である。
終戦時は、フローレンス島に居た。
彼は、戦争を始めた日本を憎んでいた。
そんな日本に帰りたくなかった。
そんな時、上官の林田鉄也大尉が、希望者を募った。
日本に帰らず、インドネシア独立戦争に加担する希望者だった。
彼は、渡りに船と参加した。
同じ希望を抱く者が47名集まっていた。
ジャワのスカルノに「我らはインドネシア軍に参加する」との使者を送った。
が、その使者は、帰って来なかった。
しびれを切らした林田大尉は、直接に独立戦争に参加すべく行動した。
日本海軍の船を奪い、武器を積み、フローレンスを出港した。
ジャワ島のプロボリンゴに至り、上陸しようとしたが敵に阻まれた。
対岸のマドラ島に上陸しようとしたが、ここでも敵に阻まれた。
船を東に戻し、バリ島沖に来た。
バリ島に上陸すべきか、独立戦争参加をあきらめフローレンスに帰るか、
の二つを選ぶ話し合いをしたところ半々に分かれた。
半数が、そのまま船に乗り、フローレンスに戻った。
半数は、バリ島の北岸に大量の武器を携行し、上陸した。
が、林田大尉は、長期間戦うには、武器が足りないと思った。
その武器をシンガラジャの日本軍から奪おうと策略した。
その策略のため、部隊を三つに分けた。
ひとつは、現在保有する武器を隠し保管するための小隊(3名)であった。
梶原軍曹がその3名の小隊長であった。
ひとつは、瀬古口少尉が率いる、本隊を迎える準備をする先発小隊(3名)であった。
残りは、林田大尉自らが、率いる本隊(約16名)であった。
本隊は、数丁の小銃だけの軽装でシンガラジャに向かった。
シンガラジャ駐屯の日本軍に不審者として、わざと捕まるためだ。
捕まったあと、隙を見て、武器を奪い、脱走する計画だ。
この話は、そのとおりになったが、話が長いので、ここではやめる。
さて、武器の保管を任せられた梶原だが、
もともと、本隊と合流する気はなかった。
この武器を使って、単独(3人だが)で、
インドネシア独立戦争に参加すべく行動した。
偶然にサクダンという名の青年と知り合った。
「独立」の闘志に燃えている青年であった。
サクダンの村に行き、村の若者に軍事訓練した。
訓練は、1946年1月初旬から3月下旬まで続けられた。
3か月の訓練で、しっかりと戦える民兵に育っていた。

....

ということで、
その民兵を連れ、ブブナン村に来て、ジャワ海軍部隊と合流したのだ。
ジャワ海軍部隊の上陸を知り、早々とブブナンに来たということは、
ブンアリが訓練した村人の村は、シンガラジャ西部の山の村と思われる。
が、今のところ、そこがどこだか、わからない。
by yosaku60 | 2016-07-23 08:54 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

リンディキットの戦い(その3;ジャワ海軍がバリ島に来た経緯)

インドネシア独立戦争が始まった、当初、
インドネシア独立軍の海軍の指導部は、ジャワ島東部のマランにあった。
当時のマランの海軍指導部の使命は、
ジャワ島以外のカリマンタン島、セレベス島、小スンダ諸島、
などに早々に応戦体制を敷くことであった。
で、次の三つの部隊編成を行った。

1、カリマンタン派遣部隊;第4艦隊(ジアカリア大佐)
2、セレベス島派遣部隊;第6艦隊(アリス大佐)
3、小スンダ諸島派遣部隊;第5艦隊(ムナジ大佐)

で、小スンダ諸島派遣部隊....

小スンダ諸島といっても、メインは「バリ島」である。
1946年1月、小スンダ諸島派遣部隊の中の一部隊として、
マルカディ大尉を指揮官とする部隊「M部隊」が編成された。

    この部隊には、三つのセクションがあり、
    各々に45人の兵員が配置された。
    そのセクションのひとつが攻撃隊であり、
    隊員は、自発的に参加したマランの学生であった。

バニュアンギに居たングラライが接触したのが、このM部隊であった。
M部隊長のマルカディとングラライは、次のような密約を交わした。

1、ワロカ中尉の指揮する海軍部隊をバリの北海岸に上陸させる。
  上陸場所は、Celukan Bawang 辺りとする。
  これは、敵の目を北に向かせるための囮で、第一波部隊と称す。
2、次の上陸部隊は、マラカディ大尉の指揮する攻撃部隊とする。
  この部隊を第二波部隊と称す。
  上陸場所は、Candikusuma 付近とする。
3、最後の上陸部隊は、1946年6月29日を予定する。
  小スンダ合同活動司令部の本隊であり、第三波部隊と称す。

さて、ここまではよい...
「ここまではよい」というのは、
ここまでの記述は、まあ、確かだろう....ってこと。

実は、70年前を語る戦時記事には、あいまいなものが多い。
一冊の本を読んだだけでは、真実がわからない。
何冊も読んで、つじつまの合うものを見つける作業が必要だ。
といっても、参考本が極端に少なく、いい加減に書き飛ばしている例も多い。
そうした中で、ここまでは、まあ、信用できる....ってこと。

今、私は、ジャワ海軍がバリ北部に上陸したこと、
その日付とその場所を語ろうとしている。

それが...
次の二つの説があって、どちらが正しいか、よくわからない。
上陸地点に行けば、何か記述が残っているかも知れない。
が、それを確認できない今は、二つの説を併記することにしたい。

(Ⅰ説)

1946年3月3日、ワロカ海軍部隊一ヶ中隊が、
囮部隊としてバリ島北海岸のCelukan Bawang に上陸した。
そこでオランダ軍と戦い、敵兵8名を殺した。
その後、ジャワに戻り本隊に合流し、
ジャワ島西海岸から上陸しようとしたが、
敵側の警戒が厳しく、上陸できるスキがなかった。
で、バリ島北部に至り、
4月6日、Yeh Biu の地点からの上陸を敢行した。

(Ⅱ説)

4月6日、囮部隊として、バリ島北海岸のYeh Biu に上陸を敢行した。
(即ち、3月3日のCelukan Bawang 上陸は、なかったという説)

私は、どちらかというと(Ⅱ説)を指示している。
(Ⅰ説は、Ⅱ説と混同し、2度書きしている)

でも、まあ、ということで....
4月6日、Yeh Biu の地に、ジャワの海軍部隊一ヶ中隊が上陸した。
(いずれにしても、これは、正しい)

んで、部隊は、
住民より借り入れた40台のドカル(馬車)に乗り、
15キロ東のスリリットに向かった。
が、スリリットには、戦う相手のオランダ兵がいなかった。
シンガラジャに帰ってしまっていたのだ。

で、中隊は、そこから一キロ南のブブナン村に移った。
そのブブナン村で、元日本兵のブンアリ(梶原)中尉ら、
彼が指導し引率してきたバリ人民兵達と出逢った.....のである。
by yosaku60 | 2016-07-22 10:53 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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