あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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自然野菜を使ったバリの家庭料理

男の一人住まいは、野菜の摂取が不足する。
と、コミンちゃんに話したら、バリの野菜料理を作ってあげる....
てんで、日曜日を利用して夫婦で我が家に来てくれた。
写真は、コミンの夫のコマン。
オレが大好きなバリ人(男)のひとりである。
とにかく真面目である。
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コミンちゃん。
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持ってきてくれた野菜は、ほとんどが天然にあるのを摘んできたもの。
買って来たものは、ほんの少しと言う。
名前を上げてみる。
ケロール、
ダウンサラム、
スリー、
クレンタン、
チャベロンボック、
チャべラウト、
テロン、
ルナック、
クミリー、
クニット、
ジャヘ、
クンチュール、
バワンプティ、
バワンメラ、
ランクワス、
クラパ、
実に16種類あった。
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専用のフライパンも持ってきてくれた。
フライパンの中にあるのは、トラシーと呼ばれる調味料。
エビを潰して作る調味料との事。
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バリ料理に欠かせないすり鉢(チェベック)も持参してくれた。
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コミンちゃんは、料理が上手い。
両親が畑に出ていないので、小学生の時から料理を作ってきたという。
年季が入っている。
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鍋の中は、日本で有名になっている「ケロール」。
粉末は臭いがするが、鍋にして食べるとどれだけでも食べれる。
でも薬効が多く、食べすぎるのも良くないらしい。
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食後のアイスクリームも買ってきてくれていた。
カミさんのいないオレを二人して慰めてくれる。
ありがたい。
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by yosaku60 | 2016-05-29 21:40 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

ブログ、しばらくおやすみします。

d0083068_720425.jpg本日をもって、アンボン島の報告を終わります。

400年前の傭兵.....
島攻略時、アンボン兵殺害、捕虜....
日本軍統治.....
捕虜の死......
軍事裁判.....

と、日本とアンボンとの関係は、
非友好的なことの連続だったように思います。
そういう中、戦後、水産業を中心に、
日本の企業兵士が汚名を挽回してくれました。
その企業兵士のひとりが森崎さんでした。
そうした森崎さんの過去の活躍ぶりをうかがえた、
アンボン島、4泊5日の旅.....
旅の日数以上に、私にとって心に残る旅になりました。

さて、

今日をもって、ブログしばらくお休みします。
前回のお休み時、私の健康を心配下さる方がおられました。
ご迷惑をおかけしました。

身体の方は、大丈夫です。
しばらく他に専念したいことがあってのお休みです。
ご都合主義をお許しください。
              
             与作こと吉井洋司
by yosaku60 | 2016-05-08 08:53 | バリ島=その日のできごと | Comments(5)

アンボン島(日本軍その2;駐屯)

日本の統治時代のアンボン島は、次のとおりであった。

海軍; アンボン港を第4南遺艦隊の根拠地とし、
     対岸のラハ飛行場に航空部隊を置く。
     (第4南遺艦隊)
     1943年(昭和18年)11月30日、
     オーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備え、
      第二南遣艦隊を二分割し、
     東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊。
     スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。

陸軍; 北東のリアン飛行場を第7飛行師団が使用する。
     リアンの南のワイ地区に第13野戦気象隊の本部を置く。

民政部;1943年2月まで、海軍民政部(後にバリ島に移転)を置く。

(日本軍防御の跡を見る)

アンボン島の南西の半島先端は、全体として要塞になっていた。
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図示のA点(写真ではタンディさんの足元)に大砲があったとのこと。
砲台のコンクリート魂の厚さを測ると、1m以上あった。
バンダ海制海のための海岸砲であったろうと思われる。
空からの攻撃に備え、大砲全体を包む構造物もあったであろう。
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半島先端に近づく道路の脇にトーチカ(図示のB点)があった。
陸路より要塞に侵入する者への防御であろう。
今は、子供の遊び場になっていた。
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このトーチカの南は、崖になっていた。
その崖が海に接する海岸線に、いくつものトーチカがあるという。
崖が切り立っており、見に行くことができなかった。
南の海上より要塞に侵入する者への防御であろう。

驚いたのが、図示のC点....
洞窟が掘られ、その中に今も大砲があった。
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銃身の半分が切り取られていたが、その鉄の厚さを見て驚いた。
大砲って、こんなにも銃身が厚いのだ。
まさに鉄の塊りだ。
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さらに驚いたのが、銃身内に掘られた溝である。
弾丸に旋回運動を与え、弾道を安定させるための溝である。
深い溝でくっきりしている。
実物を見るのは、初めてだ。
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(連合軍捕虜の扱い)

日本軍のアンボン島攻略に於いて、捕虜となった連合軍の兵士は、
ラバウル、ミンダナオなどにも分かれて収容された。
アンボンには、532名のオーストラリア兵が収容された。
それから三年半の間、
捕虜たちは休む間もない労働、病気、飢餓に耐えしのび、
戦争終結後3年を経て、532名中、生き残ったのは、123名だった。
その死亡率の高さが故に、アンボンで軍事裁判が開かれた。
by yosaku60 | 2016-05-08 08:25 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(日本軍その1;アンボン攻略)

アンボン島は天然の良港があり飛行場もある。
日本軍としては、絶対に奪わなければならない島であった。
1942年1月24日、まずはアンボン島を空襲した。
第2航空戦隊の空母「蒼龍」と「飛龍」の艦載機である。
続いて、1942年1月31日、アンボン島を総攻撃した。
その時の戦力は、次のとおり、
攻撃側の日本軍6千人、守備側の連合軍3千人であった。

日本軍の戦力;
        (陸軍)
        第38師団歩兵第228連隊を基幹とする東方支隊
        支隊長:第38歩兵団長伊東武夫少将....兵力5,300名。
        この支隊には、同第228聯隊第3大隊第10中隊も含む。
        中隊長;若林東一中尉
       (海軍)
        呉第1特別陸戦隊(呉一特)...兵力750名。

連合軍の戦力;
        (オーストラリア軍)1200名
        (オランダ軍)400名
        (アンボン兵)1400名

攻撃開始から降伏までの戦闘;

1、1月31日未明、東方支隊は、アンボンの東側に、
  呉一特と第10中隊は、アンボンの北側に上陸した。
2、31日夕刻、東方支隊は、アンボン市内に突入した。
3、市内守備のオランダ軍、翌2月1日未明に投降する。
4、北側から上陸した呉一特と若林中隊は、ラハ飛行場へ向かった。
5、飛行場正面より攻撃するも連合軍の抵抗激しく簡単に攻めきれない。
6、若林中隊は、飛行場側面の山地を迂回して背後に出る作戦を取る。
7、2月3日未明、前後から挟み撃ちで総攻撃する。
8、2月3日、6時30分、飛行場守備隊、降伏する。
9、2月3日、アンボン市郊外で抵抗を続けていたオーストラり軍も降伏する。
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両軍の戦死者数;

(日本軍) 東方支隊=戦死55名、戦傷135名、
       呉一特 =戦死40名、重傷50名、
(連合軍)      =遺棄死体340、捕虜2,182名

評価;

日本軍の死者と負傷者合わせて280名に対し連合軍死者は340名。
攻撃側は守備側の2倍の兵力が必要である。
との格言通りに勝利を収めることができたが、
相当に激しい戦いであったことがうかがえる。
by yosaku60 | 2016-05-06 12:59 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(気に入った一枚の写真)

ここは、アンボン市内から遠く離れた田舎です。

オレを気にせず、鶏が堂々と道を歩き、
オレに気付いたお爺ちゃんがオレを見て、
遠くのお婆ちゃんもオレに気付いたようで、
その間の親子は、オレに気づかず動作を交えながら会話をし、
その前で、幼い子がオレをみつけてはしゃぎ、
遠くから中学生だろうか、二人が街並みに近づく。

人がいて、家があって、生活があって、色彩まである。
その中にオレが今まさに足を踏み入れようとしている。
アンボンで撮った写真の中で、もっとも気に入った一枚です。
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by yosaku60 | 2016-05-05 11:29 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(もうすぐ消える娼婦窟)

昔からブログを読んでる人は既に感じ取っていると思う。
オレは、人間が好きだ。
バカバカしくて、ありがたくて、切なくて、なんでもありだ。
他人も好きだが、自分も好きだ。
でも、時々、自分をダイッ嫌いになることがある。
で、自分をそして人間を知りたくて、
そうしたことを語る哲学の先生達に近づいたことがある。
誰もたいしたことがない。
哲学の先生達は苦労を知らない。
大学のぬるま湯にひたって人間なんぞ語れる訳がない。
理屈をこねるだけで、その中にホンモノは何もない。
苦労なんて、そう簡単にできるものではない。
自分の蒔いた種で苦労したのは、苦労なんて言えない。
自分のせいなのに他人のせいにしての苦労は、もっといけない。
どうにもならない家の事情、社会の事情でする苦労をいう。
そんな苦労をしている人は、そう沢山はいない。
が、少しはいる。
その典型が娼婦達である。
最近の日本のかるーく春を売るオンナは、娼婦ではない。
生活の苦しさから、止むをやまれずやっているのを娼婦という。
そういうホンモノの娼婦達は、
自分を知り、あきらめ、受入れ、瞬間を生きる。
その日その日を精一杯に生きているがゆえに得る哲学がある。
その生き抜く姿を、オレには、ありがたく思えるのだ。

さて、そうしたオレの哲学で....(笑)
オレは、世界中の娼婦を見て回った経験がある。
20代前半は、趣味でそうしたところを観て回った。
20代の真ん中になると、”いつか「世界の娼婦」の本でも書こう”
そういう欲がからんできて努めてそういうところに行くようにした。
まあ、きれいな言葉でいえば取材である。
その中のひとつ、
20代前半の頃のインド(カルカッタ)での経験を語りたい。
ある中程度の娼婦館を取材した。
娼婦を選び、いろいろに質問した。
名前は、齢は....
どこから来たの....
もう慣れた...
嫌な客ってどんなの...
与えられた時間の範囲内でいろいろ聞いた。
で、時間が来てお金を払って出ようとすると彼女が怒り出す。
「何もしないでお金をもらうのは、侮辱だ」というのだ。
その怒りを聞きつけ、ヤリテ婆が現れた。
何事があったのかと、他の女も怒りに加わった。
5人ほどのオンナに取り囲まれた。
みんなで「やってから金を払え」と怒りだす。
娼婦は娼婦のプライドがあるのだ。
あたりまえだ。
オレは、お金を押しつけ、その場から逃げた。
その後、オレの取材方法は変わった。
そうした館に入ると、まずは、ヤリテ婆に会う。
「見るだけ、話すだけ、OK?」と言いながら、お金を握らす。
大概がOKである。 そしてトラブルは起きない。
ということで、世界の隅々で、取材が続いたのだが、
ある理由で生活が貧窮したオレ、その取材を打ち切った。
それからン十年。
昔の経験や知識は、余りにも古くなった。
過去を発表したって、もう、世間受けしない。
ああ~
だんだんと言い訳がましくなっちゃうオレ。
へ理屈なんてどうでもいい、単刀直入に書こう。

森崎さん、アンボンに娼婦館ってあるの?....
「あるよ”赤い岩”ってのが」
赤い岩、んん、面白そうな名だね....
「アンボンは、丘の町でしょう」
「上の道路と下の道路の間が崖になってるんだ」
「その崖を切り開いて娼婦街があるんだ」
森崎さん、行ったことがあるの....
「10年アンボンにいたけど、そこには行ったことがない」
そうなんだ....危険なのかな....
といいながら、オレ、危険が危険だなんてちっとも思っていない。

50年前、ニューヨークのブルックリンは危険でした。
行くなと言われていました。
だから、行ってみました。
なにも得るものがなかったけど。

50年前、ベトナム戦争中のサイゴンに行きました。
危険なので上陸禁止令が出ていました。
遠くで大砲の音が響く中、ベトナム人に変装して町に出ました。
少々危険な方が面白いのです。

アムステルダムの飾り窓の女。
40年前訪れた時は、通りを歩くのはオレひとりでした。
真っ暗な通り、飾り窓だけ紅色に輝いていました。
窓の中にいるのは、おばあちゃんばかりでした。
賊に襲われることを警戒しながら、次の飾り窓に行きました。
それほど、人が歩いていない通りにあったのです。
それが、それがですよ!
先日、インターネットで見てみたら、
今や飾り窓は、観光地になってるじゃありませんか。
やんや、やんや、観光客が押しかけ、それも若いネエチャンまで。
これじゃ、昔はこうだったって、語れません。
今の若者には、ウソに聞こえてしまいます。
あああ、せっかくいっぱい取材したのに、
札ビラと共に取材データも飛んで行っちゃった。

こんな話になると饒舌になるんだから、バカだね、オレ。
話しを戻します(笑)。

森崎さん、行ってみようか、赤い岩に....
おそるおそる聞いてみた。
「赤い岩、バトメラと言うんですよ」
「いいですよ、行きましょう」
「じつは、もう少ししたら、こんなのなくなるんです」
「インドネシアは、こういうところを根絶しにかかっているのです」
「アンボンの赤い岩も、そろそろなくなりますヨ」
「これが見納めになるでしょう」
と、心が広い森崎さん、
自分の趣味でもないのに、行ってくれることになりました。

てな訳で、そろそろ写真に行きましょう。
こんなところを経て侵入するのです。
なんと! 妖しげなんでしょう。
カスバの女で有名なアルジェリアのアルジェのカスバ...
も、迷路の坂道だが、これほどまでに妖しげではない。
今日のブログの題名を娼婦街と書かずに、
娼婦窟と書いたの解っていただけますよね。
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人に言えない事情があるのでしょう。
写真に写るのが嫌で顔を隠す娘さんがいました。
可哀想で取材ができません。
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でも、堂々とした娘さんもいました。
それに応える森崎さんも堂々としていました。
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この写真をブログに載せるにあたり、打診すると、
「いいですよ、載せても」って言う。
飾り気のない森崎さん...
ほんものの森崎さん....
あるがままの森崎さん....
なんとも、素晴らしい。
by yosaku60 | 2016-05-05 10:58 | マルク諸島 | Comments(3)

アンボン島(華僑のお寺もある)

キリスト教とイスラム教だけを書いて来たが、
丘の上、アンボン港を見下ろすところに華僑のお寺もあった。
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森崎さん.....
このお寺のご家族ともお付き合いがあったそうで、
お訪ねすると、
「おおおお、モ・リ・サ・キ
こぼれる笑みで、いかにも懐かしく迎えられる。
昔の森崎さんのご活躍ぶりが解る。
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by yosaku60 | 2016-05-04 19:51 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(歴史その5;港の変遷)

東北の大津波の際、
外海に大きな防波堤を造ることを唱えたコメンテーターがいた。
水深20m以上、しかも海底の底質が砂の場合の防波堤なんて造れない。
造れたとしても天文学的は費用がかかるってことぐらい知って欲しいものだ。

てな、愚痴はおいといて、
昔は、港に防波堤を造るという発想はなかった。
天然の良港を求めたのだ。
で、アンボン港....
昔は、アンボン島の北側にあった。
桟橋に立つと、こんなところである。
d0083068_11511327.jpg

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上の2枚の写真、さざ波がたっているのを解るだろうか。
さざなみだけではない、小さなウネリも入ってきている。
水域が広すぎるのだ。
オレが水先案内をしていた七尾湾と同じぐらいある。
広すぎると風が吹くと波が立つ。
小さい船は走れなくなる。
港内の静穏度が十分でないのだ。
d0083068_11514688.jpg

で、より静穏度の高い海域を求めて、
アンボン島の中央のアンボン湾に港が移った(下の写真)。
同時にアンボンの市内も南に移動した。
移動した年がいつだったか、調べたが解らない。
いずれにしても、日本軍が攻めて来た時の港は、すでに南だった。
d0083068_11575075.jpg

さざ波すらたっていない。
まさに天然の良港だ。
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この静穏な泊地を守るため、日本軍は大砲を備えた。
今回の旅で、その写真を撮って来た。
アンボン報告の最後は、この大砲の写真と決めている。
乞うご期待。
by yosaku60 | 2016-05-04 13:00 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(歴史その4;オランダの要塞)

港への海からの外敵の侵入を阻むためにB点に要塞があった。
d0083068_1005458.jpg

Benteng Amsterdam という。
d0083068_101213.jpg

benteng って、弁天 と関係があるのでは?
日本人なら誰でも思うでしょう。
調べてみました。
全く関係がないどころか、benteng=要塞 の根拠すら見つからない。
benteng って何語なんだろう。
要塞を英語では、fortress ポルトガル語では、foltareza という。

  関係ないけど...
  ブラジルに、foltareza= フォルタレッサという、大きな町がある。
  ドミニカ人の密航者に手錠をかけ、逃がしちゃいけないと、
  手錠の片方をオレの手にかけ、事件処理に町に上陸したオレ。
  帰り際に港警備のポリスに捕まり、留置所に入れられた。
  「善良な日本人船長を捕まえたお前はいずれポリスを首になる!」
  と、逆にポリスを脅かして鍵を開けさせ、檻を脱出した思い出の町である。
  何も怖くない血気盛んな船長時代であった。
  そうなんだ!あの町は「要塞」って意味だったんだ.....
  今日になって、初めて知った。

オランダ語では、要塞を Vesting と言うらしい。
何を調べても、言葉の関係が見つからない。

反対に、Benteng に似通ったインドネシア語を調べてみた。
Banteng というのがあって、雄牛の意味らしい。
関係がないだろう。

お手上げだ。
となると、Benteng も 要塞って訳して良いのだろうか。
それすら迷う。
ただ、アンボン島のは、Benteng Amsterdam であるが、
マカッサルに、Benteng Rotterdam があって、
ロッテルダム要塞と日本語訳されているようなので、それにならうことにする。

ということで、アムステルダム要塞....
建造は1637年である。
あのアンボイナ事件の14年後である。
建造の目的、なんとなく、理解できる。
要塞内の窓、日本のお城と同じように、外に狭く内に広く造られている。
d0083068_10183348.jpg

中庭の塀に刻まれた窓も同じような造りである。
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要塞の敷地からは、外海が一望できる。
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by yosaku60 | 2016-05-04 12:50 | マルク諸島 | Comments(2)

アンボン島(自然災害)

アンボン島は、厳しい。
宗教紛争という人為災害だけではない。
山が高く雨が多いので、鉄砲水という自然災害もある。
前述の鉄砲水で流された小学校....
以前は、この地にあったらしいが、今は影も形もない。
d0083068_15261572.jpg

新しくできた小川の水は澄んでいる。
洗濯している村人に、「川の水、飲めるか」 と聞いてみた。
私たちの下手はだめ、上手ならOKと言う....当たり前だ!
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by yosaku60 | 2016-05-03 16:27 | マルク諸島 | Comments(0)


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