あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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アンボン島(歴史その2;オランダに反乱したことも....)

図中の赤い破線の中が「南マルク」と呼ばれる処、
その中心都市がアンボン......
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1950年4月....
このエリアが、インドネシアから独立しようと、
南マルク共和国樹立を宣言したのです。
半年ほどで鎮圧されたのですが、かなり大きな反政府運動でした。

何故に独立しようとしたのか。
前に書いた通り、独立戦争中のアンボンは、オランダ側でした。
オランダ人として、インドネシア軍と戦ったのです。
「黒いオランダ人」と呼ばれたそうです。
が、インドネシアの独立がなった後....
そりゃ、いたたまれないですよね。
で、独立しようとしたんです。
この反政府運動に敗れたアンボン人...
オランダに亡命した者も多くいたのです。
未だにオランダに南マルク共和国の亡命政府がある...
なんて噂されるほどです。

でも、アンボン人....
オランダにも少々反感を持っている風があるんですよ。
「オランダに味方すれば、いずれ独立国にしてあげる」
とアンボンの人達に約束していたのです。
その約束を守ってくれないので、そりゃー怒りますよね。

1970年代、オランダでテロが起こりました。
「あんたら、約束を守らなかったじゃないか」との意味のテロです。
1975年12月のアムステルダムのインドネシア領事館占拠事件も、
1977年5月のオランダ北部での列車乗っ取り事件もその流れでした。
そういう訳で、アンボンは争いの絶えない土地なのです。

でも....
話が長くなりました。
ここからが、今日の本番です。

アンボン...
今はおとなしいのです。
インドネシアの中の一地方として安住しています。
その意志の表れが、次の二つのモニュメントです。

昔、昔、この地は、
オランダに反抗した歴史があるんだ!
を誇示するモニュメントです。
このオランダへの反乱、1817年でした。
東インド会社が潰れオランダが国として進出してきてすぐです。
なんとなく、反乱を起こした理由が呑み込めますよね。

この二つのモニュメント....
インドネシアならどこにでも「独立のモニュメント」があります。
そうしたモニュメントがない代わりに、こんなのを建てた...

んだろうと、思うんです。
何故、そんな風に思うんかって?

建立の年をみれば、想像できます。
市を見下ろす丘にある記念塔は、1977年の建立です。
市内にある記念塔は、2008年の建立です。
南マルク共和国樹立宣言から相当の年月が経っております。
インドネシアに服従を決めた後の建立です。

さて、前置きが長くなりました。
二つのモニュメント。
まずは、市内の中心の公園にあるモニュメントです。
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土台には、こんな絵が刻まれていました。
1817年の時、右手に蛮刀、左手に鉾を持って、
オランダのベンテン(要塞)を攻め入った様です。
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さて、もう一つのモニュメントです。
アンボン港を見下ろす丘の上にあります。
この人物は、アンボン人なら誰もが知っています。
マルサ・クリスティという名の女性指導者です。
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他の島から来て、アンボン居住のオランダを攻めたのだそうです。
攻めた日も、1918年1月2日と明確です。
何故に、他の島(Nusa Laut)から攻めて来たのか、と聞いてみました。
「その頃、アンボンには余り人が住んでいなかった」
との返答が返ってきました。
貿易の拠点になって、100年以上過ぎている。
そんなことはなかろうに...
と思いますが、まあ、いいでしょう。

さて、今日のまとめ。

アンボンにある、二つのモニュメントの意義.....

    自分たちもかっては、オランダと戦ったのだ!
    オランダ一辺倒では、ないんだよ!
    南マルク共和国樹立の反政府運動はもう忘れましょう!
    今、我々は、まぎれもなくインドネシアの一員です!

と、私は、見て来ました。
by yosaku60 | 2016-04-30 09:39 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(魚市場)

ちょっと早起きして、早朝の魚市場に行ってみた。
海が近く、港も近く、魚の種類が豊富だ。
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お客が多く....
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活気がある。
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森崎さんの見立てでは、バリ島より価格が高いという。
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美味しいと自慢する....なんの切り身だろうか? 
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by yosaku60 | 2016-04-29 12:16 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(マッサージ)

オレはどこに行ってもマッサージに行く。
テクニックと料金の比較が面白いからだ。
が、身体全体のマッサージは、苦手、いつも足のみだ。
足をもまれると、その晩は良く眠れる。

アンボンでは、ホテルから歩いていける処にマッサージ店があった。
この彼女は、スラウエシ島、マカッサル出身。
夫の故郷がアンボンとのこと。

テクニック.....巧い!
一時間800円は、ちょっと高いが、腕がいいので許せる。
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あまりにも良かったので、2日目も同じ店に行った。
昨日の彼女がいなく、この娘さん(アンボン生まれのアンボン人)に...
昨日よりは落ちるが、まあまあってとこか。
マッサージは、年配者が巧いってのは、どこも同じかも。
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by yosaku60 | 2016-04-29 11:58 | マルク諸島 | Comments(0)

朝食用のハマグリ拾いを手伝う

朝は、ラクダ公園にはまっている。
ワルンのコーヒーが美味しいし、その後の散歩が楽しい。
今朝は、ラクダ飼育員のハマグリ拾いを手伝った。
彼らは、これを朝食のおかずにする。
マングローブの砂は固い。
ハマグリは、砂を5cm以上掘らないといない。
彼は手を使うが、オレは足でまさぐった。
5分で20個ほど...オレの足が彼の手に勝った。
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スタッフの詰所の裏は、トイレではなかった。
着替え室であった(やっぱり)。
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藁ぶき屋根の垂れ下がりは、鎌で切る。
よく研がないと切れない。
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切りだしたら、早い。
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by yosaku60 | 2016-04-29 11:38 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

アンボン島(歴史その1;貿易拠点)

アンボンが歴史に登場するのは、16世紀に入ってからだ。
ざーと歴史を走ってみると.....

最初はポルトガル。

次のように、大航海時代のヨーロッパ勢力の一番手として、
香料貿易の利益とキリスト教布教めざしてやってきたのが、ポルトガル。
1513年;ポルトガル人が初めてアンボン島に上陸する。
1521年;ポルトガルがアンボン島に香料工場を建設する。
1546年;フランシスコ・ザビエルがアンボン島に来て布教する。

ついでオランダ、つづいてイギリス、そして両者の争いに。

1610年、アンボン島がオランダ東インド会社の本拠地となる。
1615年、イギリスがアンボン島のカンベロに居住地を建設する。
1623年、オランダがカンベロ居住地を襲う。
       イギリス商館員を拷問の末に全員殺害。(アンボイナ事件)
1663年、オランダが丁子(香料)の生産拠点をアンボン島などに移す。
       モルッカ諸島の政治経済の中心がアンボン島に移る
1796年、ライニア提督の下、イギリスはアンボン島を手中に収める。
1802年、アミアン和約でアンボン島がオランダに戻される。
1810年、再びイギリスが奪還する。
1814年、再度オランダに戻される。
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ここに挙げた年表の中で、間違ってはならないのは、
1610年のオランダ進出についての解釈だ。

この時点のオランダ進出は、オランダの国ではない。
進出してきたのは、オランダにある東インド会社という「株式会社」です。
株主は、オランダの一般市民です。
1615年のイギリス進出も同じです。
イギリスではなく、イギリスにある「東インド会社」です。
これら二つの東インド会社は、名前は同じですが、全く別のものです。
二つとも最初は領土支配の意志も能力もなかったのです。
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インドネシアがオランダの植民地になって350年....
と一口に言われますが、
オランダと言う国家が、進出して来た訳ではなく個人の会社なのだ。
さらに、その頃は、インドネシアという国もありませんでした。

ちょっと、脱線しますが、
歴史をいい加減に語る時は、いいですが、
正確に語ろうとするときは、こういう細かなことは大事なことです。

大東亜戦争での日本について「インドネシア侵略」などといいますが、
当時は、インドネシアという国はありませんでした。
人が住んでいたので、ちょっと語弊がありそうなので、言い直すとして、
例え、あったとしても、日本はインドネシアを攻めたのではないのです。

それを植民地化している、オランダを攻めたのです。
日本の兵隊は、オランダ兵と戦ったのです。
戦かった土地もインドネシアではありません、オランダです。
何故なら、オランダの植民地だったからです。
誰が考えても、当たり前のことです。

当時のアジアでの独立国は、日本とタイだけでした。
アメリカがフイリッピンを
イギリスがインド、パキスタン、ビルマ、マレーシアを
フランスがベトナム、ラオス、カンボジアを
オランダがインドネシアを
植民地にして、わがまま限りにしていたのです。
中国にしたって、イギリス、日本、ロシアが食い荒らし、
さらに国内の争いもあって、国家としての呈をなしていなかったのです。

日本もいろいろ批判されますが、
何故に、こうした土地を植民地にした当事者である、
イギリス、フランス、オランダ、アメリカが批判されないのでしょう。
日本は、欧米のわがままに堪えかねて、それに抗しようと、
欧米の真似(帝国主義)をしました。
真似をした国を悪く言うなら、
真似される土台を作った国も責められなくてはなりません。
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今時、世界に蔓延る各種の紛争や宗教戦争に似たテロ戦闘。
これらの要因を辿ってみると全てが欧米の植民地政策にぶち当たります。
そこから生まれた貧困や妬みが要因になっています。
なぜに歴史的な負の要因として、これが取りあげられないのだろうか。
私はそれが府に落ちないのです。

持論が飛び出ました。

気を取り直して、話を戻し...(笑)
オランダが国として、インドネシアを植民地にした時期です。

私は、18世紀末と考えています。
オランダの東インド会社がつぶれた頃です。

オランダの東インド会社は、最初は領土支配の意志がありませんでした。
しかし、権益を拡大したいがために、だんだんとその欲が出てきたのです。
それには、莫大な費用がかかります。
18世紀後半には、イギリスに産業革命が起こりました。
なのに以前、オランダは重商主義に傾いたままでした。
ビジネス的に、勝負になりません。
オランダの東インド会社が潰れたのです。
その結果、
その領土、財産、負債がオランダ政府に移ったのです。
18世紀がまさに終わろうとしている時です。
私は、この時点をもって、
オランダ国としてインドネシアの植民地化がなった。
と考えています。

さて、冒頭の年号のアンボンの歴史の説明に戻ります。
1623年のアンボイナ事件です。
フランスの東インド会社がイギリスの東インド会社を襲った事件です。
この時イギリスも襲われることを予測していました。
で、傭兵を雇っていました。
この傭兵....日本人です。
9名の日本人が傭兵としてイギリス商館に雇われていたのです。
1623年といえば、山田長政がシャム王として活躍していた年です。

関ヶ原の戦いを経て職を失った武士で海外に出る者がいました。
1612年に発令された、鎖国令でこれら武士は日本に帰れなくなりました。
アジアには、そういう日本の武士が結構にいたはずです。

イギリスの商館もシャムあたりから、
そんな日本人を雇ったのではないでしょうか。
まあ、雇った経緯は解りませんが、9名の日本人がいたのです。
この9名の日本人傭兵は、オランダ側に斬首されています。
まあ、日本とアンボンの最初のおつきあい....
ということで書きましたが、余り良い話ではありませんでしたね。

今日は、久しぶりに口が滑る。

要するに、
歴史は今から遡るのではなく、その時点をピンポイントで見る必要がある。
ということで、口を滑らせております。

アンボンの歴史が始まったのを16世紀と書きました。
であれば、それを思う時、400年前の世界をみる必要があります。
それがその時の世界であり、現実だからです。

400年前の世界...

北アメリカは、まだ先住民の土地でした。
  (メイフラワー号アメリカ到着;1620年)
南アメリカはアスカ帝国やインカ帝国が滅び独立国家はありませんでした。
ヨーロッパにしたって、国や国王が覇権争いをして、ざわざわしていました。
一方、ユーラシアの南西は、
ヨーロッパ諸王国の規模をはるかに超えた帝国....
オスマン帝国、サファヴィー帝国、ムガル帝国がありました。

400年前は、こういう時代だったのです。
当時の世界人口を見ると、もっとはっきりします。
400年前の世界人口は、5億数千万人でした。
その中で、ムガル帝国の人口は、一億五千万人でした。
ムガル帝国と言えば、今のインド(北インド)付近でしょうか。
そういう処に、世界の5分の1の人口がいたことになります。
そして、その東の東南アジアには、2300万人しか住んでいませんでした。
今からは、想像しがたい人口分布です。
こういう世界情勢の中での、
アンボンの歴史であることを感じ取って欲しいのです。

随分と古い....とお思いでしょうが、
でも、江戸時代ですよ。
信長や秀吉がもう死んでいないのですよ!
そんなに古くもありませんよね。
さて、アンボンの歴史を続けます。

19世紀までアンボン島は世界のクローブの生産の中心でした。
オランダはアンボンの独占権を確保するため、
クローブの木を育てることを禁止したからです。
他の島々はその規則に従っていました。

オランダ統治時代は、
アンボンはオランダ居住民の中心地で、
モルッカ諸島の軍司令部がヴィクトリア砦に置かれていました。
第2次世界大戦では、
アンボンの街にはオランダ軍の主要基地がありました。

そして、1945年、インドネシアが独立宣言。
このあと、数年、俗に言う、インドネシア独立戦争が始まるのですが、
アンボン人は、独立側でなく、独立阻止派になるのです。

要するに、アンボン人は、オランダ兵として、
インドネシア人と戦うのです。

となると、正式に独立したあと、アンボン人は恨まれますよね。
そう、それで、起きたのが、
1950年の、南モルッカ共和国の反乱.....
アンボンがインドネシアから独立しようとしたのです。
この反乱には、オランダからの援助もあったようです。
それに負けて、オランダに逃げたアンボン人、その数、約2万人、
が現在、オランダに暮らしています。

そんな歴史を持つ、アンボン。
まだまだあるんです.....アンボン動乱、
については、写真があるので、後日。

あああ、今日は良く口が滑った。
お見苦しきはお許しを。
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by yosaku60 | 2016-04-28 10:36 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(温泉)

アンボン島は、火山島(1225m)なので、温泉がある。
図中の A が温泉の場所。
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発見したのは、日本軍。
日本軍が島を去る時、管理を地元民に譲ったとのこと。
入浴料50円。
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温泉全景。
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写真の左下から源泉が出ている。
源泉は熱く、多分、6~70度ほど。
写真の右下には、川に繋がるパイプがある。
そのパイプを通し川から水を入れて温度調整している。
左の湯壺の温度、多分40度....十分に熱い。
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横方向から飛び出して来る「打たせ湯」に当たってびっくり! 熱いのだ。
こんな遠くから飛ぶ、打たせ湯が熱いなんて! 源泉が熱い証拠。
背中が真っ赤になった。
足元の川の水も少々温い...
上流のあちこちから熱いのが入って来ている.....からだそうな。
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インドネシアで、こんな温泉に入れるなんて、感激だ。
温泉、万歳、アンボン、万歳。
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by yosaku60 | 2016-04-27 07:57 | マルク諸島 | Comments(0)

アンボン島(書きだし.....)

アンボン島は、
淡路島よりちょっと大きく、佐渡島よりちょっと小さい。
バリ島のざーと5分の1ぐらいの小さな島だ。
が、島内を車で走ると実に大きく感ずる。
海岸線が長いからだ。
何故なら、二つの島がくっついてできた島だからだ。
で、海岸線は、ざーとバリ島の半分近くある。
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アンボンは、マルク諸島にある。
マルク諸島は、俗に香料諸島とも呼ばれた。
大航海時代...
ヨーロッパ人は香料を求め、マルク諸島の覇権を争った。
アンボンは、その争いの中心地であった。

てな、誰もが調べれば解る話を書くのが億劫になった。
最近のオレ、筆不精なのだ。
かといって、ざーと書いたが(笑)...
ちょっとだけでも書かないと、始まらないからしようがない。

余り知られていない話しだけ書きたい。
何故に、マルク諸島に香料が採れるのかという話だ。

バリ島やジャワ島の気候は、熱帯モンスーン気候である。
季節風により、雨季と乾季がある。
安定的な降雨パターン、豊富な陽光で稲作に適している。
が、マルク諸島には、雨季とか乾季がない。
熱帯雨林気候なのである。
一年を通じて雨が降り、稲作には適さない。
人間にとっては住みにくいが、こういう処に香料が育つ。

てなことを書いてみたが、やっぱり筆が進まない。
香料を干している写真を載せて、今日はこれで止める。
香料の名前を聞いたが、チョウジ だけを覚えている。
あとは忘れた、情けない。
明日また、挑戦!
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by yosaku60 | 2016-04-26 08:06 | マルク諸島 | Comments(0)

自宅で日本食パーティーをする

二組の夫婦を呼んで我が家で日本食パーティーをした。
と言ってもカレーライスだが。
左から、エヴィ、 トニッ、 トニッの長男、 
コミン、 コミンの夫のコマン、トニッの夫のブ。
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上の写真、トニッの長男が母親の後ろに隠れて見えない。
紹介しとこう、こんな子(小学一年生)だ。
この子とオレは、少々縁がある。
というのは、彼の誕生日は4月2日....オレの誕生日の次の日だから....
彼の誕生日は、忘れることがない。
で、いつも気になり子供服を贈っていた。
ここ2~3年は、贈っていないけど...
1歳の時から始まり5年ほどは贈っていたと思う。
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若い夫婦のそれぞれの呼び方が面白い。
コミン、コマン夫婦は、昔は、コミン、コマンと呼び合っていた。
が、今は、お互いに 「ヤン」 と 呼び合う。
「SAYANG(サヤン);愛しい人」 のシンカットである。
トニッは、夫のことを 「ブ」 とだけ呼ぶ。
「ブッ」とは、おばさんのことであるが、小さなツが入らぬ「ブ」だそうな。
長い名前の最初の文字が ブ だからだそうな。
インドネシア語は、こんなところが細かい。
そして、彼らはそれをちゃんと聞き分けることができる。
トニッにしても、昔はオレは、トニーと呼んでいた。
「トニー谷」(と言っても今の若い人は知らないけど)のトニーである。
今は、俺も慣れて、ちゃんとトニッと呼べている。
トニッの名前も面白い。
本名は、Putu Alianik である。
putu の tu と Alianikの nik をくっつけて tunik にしている。
バリ人というか、インドネシア人は、みんなこんな呼び方をする。
短ければ、短いほど親しみを感ずるんだそうな。

昨日のことで、もうひとつ紹介したい。
次の写真の手前の丸いタッパに入っているものである。
コミンが持ってきてくれたものだが、オレはこれが大好きだ。
日本のゼンザイに味も食感も似ている。
黒いもち米を甘く炊いたものだ。
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コミンの持ってきてくれたものは、大変に美味しい。
聞くと、以前シンガラジャで、これを作って道路で売っていたとのこと。
プロである。
一杯30円だったが、一日に500円~1000円売上げて、
給料の少ない夫を援助していたとのこと。

冷蔵庫に置いていってくれたので、
今日の朝と昼は、これをあっためて食べることにする。
これが、その....オレの朝飯
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by yosaku60 | 2016-04-25 09:02 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

走行距離、一年一万キロ

インドネシアには、日本の車検制度のようなものはない。
が、走行距離一万キロごとにメーカーで検査してもらう人が多い(強制ではない)。
昨日、私の車も5万キロになったので、メーカーのダイハツで点検してもらった。
5年乗って5万キロだから、丁度、一年で一万キロってことだ。
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偶数距離(2万キロ、4万キロ)の点検の方が点検項目が多いらしい。
従って、料金も高くなる。
昨年の4月の4万キロ点検は23000円であった。
今年の5万キロ点検は、16000円(所要時間、4時間)であった。
何処をどう点検したか詳細は解らぬが、得をしたような感じだ。
にしても、日本では、一年間に2万キロ乗っていた。
それが、バリでは一年間に1万キロである。
環境が違うので、比較できるものではないが日本の半分である。
が、道の良くないバリの方が車を酷使している......と感じている。
by yosaku60 | 2016-04-24 07:13 | バリ島=社会・生活 | Comments(1)

仲間が帰って来た

プロボリンゴに帰ってしまったと思っていた仲間たち....
ラクダ公園に帰って来ていた。
聞けば、4泊5日の里帰り、だったそうな。
オレがアンボンに行って帰ってきた日程と同じだ。
なんだか....縁がありそうだ。
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今度は、こんなのを作り始めた。
スパの受付スタッフの仕事場だそうな。
お客がいないときは、マッサージ嬢もここで待機するのだろう。
後ろはトイレというが、なぜ先に穴を掘らないのか。
本当かどうか、今のところ聞き置くのみ。
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右がラクダ飼育員長....
彼は鞍なしの裸馬に乗って荒れ地を疾走できる。
真ん中がレストランスタッフ....
今日は、人数が少ない、昨晩はパーティーがあって忙しかったそうな。
写真に入ってないが、左には若い出稼ぎ作業員が二人....
そんなみんなに「ヨシイ、ダタン」と、朝の駄弁りに呼ばれて参加した。
冗談の言い合い....みんな明るい!
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by yosaku60 | 2016-04-23 09:54 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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