あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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イブ・ダマの家に呼ばれて....

以前、ブログに書いた....
独立戦争を戦った女戦士のイブ・ダマさんより 
「オダランがあるので家に来ませんか」
とのお招きの電話があった。
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で、家に向かったが、
彼女の家のあるJl.Kenyeriは、一方通行の道路。
加えて、イブ・ダマさんちは、所謂カヤ(裕福)で...オダランも派手。
ポリスが道路に出て交通整理をするほどの混雑。
車を家から離れた路上に止めて、徒歩で家に向かう。

家に入ると、
お祈りは既に終わったようで、参列者はくつろぎ中。
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バリのお祝いごとは、
参列者に食事を提供する習わしになっている。
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ご近所の人も列を作る。
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私とカミさんとエヴィ(通訳)は、家の中でお食事を頂いた。
右は、イブ・ダマさんの長女のアシさん。
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by yosaku60 | 2016-01-31 09:45 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

満月を手にとる。

稲田さんご夫婦を案内した、その夜....、
明日は、オーストラリアにお帰りになるご夫妻、
お忙しく、夕食をご一緒できない。
で、我々夫婦だけで、ロングドライブの余韻を楽しむことに。
んで、行ったのが、Duyun Beach の居酒屋。

そこでも、うれしいことが.....
若い女の人から、 「バ、ヨシイ」 と挨拶される。

なんで、オレを知ってるの?
「だって、同じバンジャールでしょう」

なんだ、そうか....ご近所さんだったのか。
たとえ、そうであっても、バリ人から声をかけられるのは嬉しいものだ。
声をかけてくれた、リカ・アスタリーちゃんが、この娘さん。
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そして、カミさんとオレ。
背景に満月が写っている。
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そうなんです、この日は満月だったんです。
2016年1月24日の満月の佳き日....忘れられない日になりそう。
記念に居酒屋のスタッフが、こんな写真を撮ってくれた。
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by yosaku60 | 2016-01-30 11:02 | バリ島=その日のできごと | Comments(4)

稲田さんご夫婦を案内して(その5)

稲田さんをご案内した最後は、ムディタの取材報告。
ムディタとは、バンリの王様の次男....
アナック・アグン・グデ・アノム・ムディタのこと。

バンリ軍を率いて、ングラライの独立闘争に加わった勇士です。
このブログで、ムディタのことをとりあげ、
詳細は調べて書く、と締めくくった時.....
稲田さんから、「次の記事、楽しみにしている」とのコメントを頂いた。
コメントを頂いたご本人が、今ここにおられる。
で、現地報告って訳です(笑)。

さて、
ということで、
まずは、ムディタの慰霊碑のある寺に行った。
寺は、プンリプランの街並みを海側に降りた処にある。
そのプンリプラン(写真)....
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昔は、誰も行かない「昔をとどめたバリの村」であった。
が、数年前から、大型バスで観光客が押し寄せる処になった。
プンリプランの街並みを降り、ムディタの慰霊碑をお詣りした。

手前が、ムディタの慰霊碑、その後ろに18人の慰霊碑がある。
  (註)プンリプランの地で戦死したのは、ムディタだけ、
     18人は、バンリ出身の独立戦争戦死者ということで、
     同じ寺に慰霊碑がある。
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そのムディタ.....1924年生まれである。
王様の子らしく、しっかり教育を受けている。
小学校はクルンクンのオランダ学校に学び、
中学は、ジャワに渡り、スラバヤで2年、マランで1年学んでいる。
その後、幹部候補生を育てる学校を卒業後オランダ軍に入隊した。
が、オランダが日本に敗れた後は、日本の青年団に加入し、
後には、PETA(郷土防衛義勇軍)に入隊し、日本軍の軍事訓練を受けている。
戦さのプロ、と言っていいだろう。
そんなムディタだが、
ングラライが戦死した11月20日(1946年)を自分の戦死日に選び、
1年後の1947年11月20日に、プンリプランの地でオランダ兵に撃たれ戦死した。
戦死すると宣告した日に、本当に戦死するなんて....
何か神がかっています。

んで、ムディタが、神がかっていたこと、
その辺の話を聞きたくて、ムディタの実家(バンリの王家)に行ってみた。

d0083068_17595872.jpgムディタが戦死した時に、
3歳であった、息子さん(写真)
名は、アナック・アグン・アノム・スワルジャナン、
現在、72歳、まだご存命だ。
稲田さんとご一緒にスワルジャナンさんにお会いし、
その辺のことをお聞きした。

スワルジャナンさんが、次のように語ってくれた。

1、ムディタは、白い腹巻(神の帯)をしていた。
2、その腹巻をしているかぎり、不死身である。
3、ムディタは、ングラライと同じく11月20日に、
  戦死することを決め、腹巻を外した。
4、腹巻は、兄(違う土地で戦っていた)に、
  送るよう部下に命じた。
5、腹巻を外したムディタは、
  11月20日に撃たれて、戦死した。
6、ムディタの兄は、
  そのムディタの腹巻をして戦後も生き残った。

そして、その腹巻だが、
兄が持ち帰り、現在、スワルジャナンさんの蔵にあるとのこと。

それを聞いたオレ、
ええ、本当ですか、見たい! と言うと、
スワルジャナンさんが、厳しい顔で...

「蔵にあります」
「が、見てはいけません」
「実の息子の私でも、30歳の頃に見てから、40年見ておりません」

というのです。
さすが、バリ...
言うこと、語られること、いろいろと神がかっている。

まあ、そんな会話があったのですが、
スワルジャナンさんの家で、もうひとつ驚いたことがあります。

次の写真、これは、王宮の敷地内ですが、
左が先祖の全てを祀るお寺、右がムディタだけの慰霊塔。
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そのムディタの慰霊塔に書かれた次の日付...
上が、20 Nov.1947、ムディタの戦死した年月日です。
下が、17 8 45、1945年8月15日、スカルノが独立宣言をした日です。
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独立記念日を大書しているムディタの慰霊塔....
ムディタは、「インドネシアは絶対に独立できる」
と予言をして戦死しました。
慰霊塔を建てるに際し、そのムディタの心を受け止めたのでしょう。
戦死日と独立記念日を合わせ書かれた、ムディタ慰霊塔...
今、私は、その意味が解るようになりました。
by yosaku60 | 2016-01-29 18:04 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その4)

次に稲田さんをご案内したのが、キンタマニー。
バトゥル湖をお見せたくて、ご案内したのではない。
バリ島を説明する意味で、キンタマニーは格好の場所だからだ。

失礼だが、女性は、目前の景色のみを観て感動する。
が、男なら島全体を感ぜられる造形の方に感動する。

即ち、こんな鳥瞰図に....
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バトル湖は、陥没湖...
陥没以前、外輪山に沿って山があったとすれば、3800mの山。
が、神の山、アグン山(3028m)を超えた山があった....
と語れず、アグン山級の山があったとだけ、記録されている、とか。
アバン山は、外輪山の一部ではなく、別の火山である、とか。
稲田さんに知ったかぶりをさせていただいた。

ついでに、読者のみなさんに伝えておきたい。
小さいバリ島であるが、地形から来る違いがある。

右端は....
アグン山を境にして、その東側は、乾燥地帯である。
中央は....
雨が多いが、それが故に山の近くは、深い渓谷だらけである。
ただ、南に下ると海岸付近の狭い範囲に田園が拡がる。
左端は....
山と海が近く、平坦な道路が少ない、山岳地帯である。 
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今回のロングドライブは、中央部....
ムグイの滝の深い渓谷、ワジャが戦死した深い渓谷....
を稲田さんに感じ取って頂けたと思う。

さて、こんなことを話しながら過ごした、
外輪山の一角にあるレストランでの、私たち(写真)だが、
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料金を払う段になって、スタッフから声をかけられた。

「バパ、日本に帰っていたの」、「長い間、来なかったね」
ええ、オレを覚えているの?
「サヌールに住んでいるのでしょう」、「覚えてるよ」

過去に何度か来たことがあるレストランだが、
前回は、1.5~2年前、随分前だ。
なのに、覚えていてくれるとは、すごーい。
鼻の下がだらーとなって、撮ったのが、この写真。
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今度来る時、写真持ってくるね....
と言っておいたけど、守れそうもない約束だ。
by yosaku60 | 2016-01-28 10:23 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(2)

稲田さんご夫婦を案内して(その3)

ワジャのお墓の所在を教えてくれた、ルジャさん。
ルジャさんちは、semanik 村の 大農家(畑)です。
栽培するのは、全て、オーガニック野菜です。

稲田さんに、そういう自然をお見せしたく、
ルジャさんちを訪ねました。

そんな我々をルジャさんは、快く受け止めて、
畑を案内してくれました。

そのうちのひとつ、アスパラ畑です。
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アスパラが何処にあるかわかりません。
雑草の間に、ちょこっと点在しているのです。
ポキンと折って、その場で食べました。
生で食べたのですが、甘いこと甘いこと、びっくりです。

次に、試食したのが、グアバ....
写真は、友人の家の軒先でグアバを洗ってくれるルジャさん。
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これは、ブラジル・マンゴ....
一個の実が、2キロあるそうです(試食叶わず=笑)。
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丁度この日は、ルジャさんの実家のオダランの日....
3日続く、お祝いごとの最初の日だったのです。
で、誘われるまま、ルジャさんの実家にお邪魔しました。
装飾された実家のサンガ(家寺)....
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料理を作る女衆....みんな親類という。
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明日焼く豚の毛をむしる男衆....
豚の毛は、焼きながらナイフでこさぐ。
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お別れ前に、ルジャさんの家に行き、
奥様(右から2番目)にも、ご挨拶......
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稲田さんにお見せしたかった、バリの田舎の、ありがまま光景....
お見せできたように思います。
by yosaku60 | 2016-01-27 09:30 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その2)

次に、ご案内したのが、ワジャのお墓。
稲田さんが行きたいと言ってくれた処(ロングドライブの目的)だ。

ワジャのお墓を説明するために、過去を振り返って書きたい。
少々長くなるが、お付き合い願いたい(ヨロシク=笑)。



ワジャとは....日本兵だが、名前がわかっていない。
大東亜戦争で日本が敗戦した後も日本に帰らず、
日本がインドネシアに約束した「独立」を実現させるため、
バリに残り、バリ人と共に、インドネシア独立戦争を戦った戦士だ。

ワジャと一緒に戦った、バリ人戦友が
ワジャについて、次の様に語っている。
以前ブログに掲載したものだが、再掲載する。


(デワ・プトゥの証言)

彼は、インドネシアの独立のために魂を捧げた日本人であった。
彼は、インドネシア独立のためには死んでもよい、
独立しなければ日本に帰らないと語っていた。
彼は他の日本人と同じく目が細く肌が白く身長は165cmであった。
彼は紳士的であり、バドゥンに沢山の友人がいた。

ニョマンブレレン(平良定三)によれば、
年齢は彼とほぼ同じであったという。

知っているものの証言によれば、彼はとても勇敢であった。
敵が逃げればそれをどこまでも追いかけた。
彼はいつも前へ前へと進むのでバリ人の誰もが彼についていけなかった。
バリ人は、バリ人の精神力はまだまだ弱い、
それに比べて日本人はとても勇敢であることを彼から学んだ。

彼にも欠点はあった。
策略することなく、無茶をしすぎることがあるのだ。
1946年6月13日のボンでの戦いの時であった。
彼は逃げる敵を追って行った。
その追い方が激しいのでバリ人の誰もがついていけなかった。
が、ただ、ひとりだけ彼についてくバリ人がいた。
そのバリ人はオランダのスパイであった。
ボンの村に近づいたとき、そのスパイは、
「腹が空いたでしょう」
「村に行って何か食料を探してくるのでここで待ってください」
と言って、村に入って行ったのだ。
オランダ軍に彼がひとりであることを通報に行ったのだった。

彼はその男がしばらくしても戻って来ないので、
さすがに騙されたことを気付いた。
彼は後退を始めた。
しかし、その時は、もうオランダ軍が彼を追い始めていた。
ある川のほとりでついに見つかり鉄砲で撃たれた。
数発が彼を直撃した。
撃たれた彼は、そのまま川に飛び込んだ。
Semanik の東の方を流れる川であった。
その川に消えた彼を見て、
オランダ軍は弾が当たり死んだものと思いその場を去った。

彼はすぐには死ななかった。
そこからだいぶ離れた川の中の大きな岩にたどり着いてそこで命が尽きた。
その大きな岩は赤い色をしており、
村の人からは精霊が宿っていると恐れられている岩であった。

村人は、精霊がワジャをここまで運んできたと噂した。
その噂を聞いてバリ軍はあとでその地を探した。
彼は大岩によりかかる格好で絶命していた。
バリ軍は、彼をその岩から運び出し、デサ・プラで埋葬した。

彼は日本人であった。
しかし、インドネシア独立のために生命を投げ出した。
こうした彼の行動を将来とも忘れてはならない。


......

さて、
彼が死んだ場所は、Semanik の東を方を流れる川....と分かっている。
それも赤い色をした大きな岩の処.....と死んだ場所まで解っている。

であれば、その場所に行ってみたい...
と思ったのが、一昨年の7月だった。
サヌールから、2時間かけて、Semanikの村 に入って、
先ずは、村民に聞いてみようと、
聞き込みに入った最初の家が、ルジャさんの家.....
(右がルジャさん、 左がルジャさんのお父さん)
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と、偶然にも(ワジャが逢わせてくれたのかも....)
このお父さん、ワジャのことを知っていたのですヨ。
ボンの戦い当時は、5歳だったそうで、
お母さんから、「危ないから外に出ないで」と注意されたとのこと。
川底の大石の処で死んだことも村人の言い伝えで知っているとのこと。
そして、その場所に案内するという。

ルジャさんのお父さんに案内されたその場所....
写真がないので、その傾斜を描いたオレの絵で説明する。
これは、帰りの登りの絵で、恥ずかしながら、独りで上がれなかった。
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そんな急な川底がここ。
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そして、この大岩(今はコケが生えて色が変わった)で、
ワジャは、こういう風に座ったままで死んでた、
と言い伝えられると教えてくれた。
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さて、ワジャの死んだ場所を知った後、
お父さんは「ワジャのお墓があるよ」と、
びっくりするようなことを教えてくれたのです。

お墓は、プラガの町の学校の裏にありました。
右がワジャ、左が同じ時に戦死したバリ兵です。
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でも、藪の中で、お墓の頭が見えるだけ、
なんとかお墓の土地の整備ができないか....と、思ったオレ。
ルジャさんを通じ、プラガの町のバンジャールに折衝した。

で、お墓整備の認可が下りたのが、4か月後...
そして、町の管理の元、整備工事が始まったのが、11月30日。
次が整備中の写真、前に立つのは、プラガの町の責任者。
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んで、整備されたのが、この写真。
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長らくお付き合いいただき、ありがとう(笑)。
そんな経緯で、ワジャのお墓の現在があるのです。

そして、そして、
今回、それをお詣りりいただいたのが、稲田さん(写真)。
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稲田さんは、お線香も準備していました。
そして、ワジャがどのように戦って戦死したかを説明すると、
うっすらと涙ぐんでくれました。
日本人、ここにあり!!!
by yosaku60 | 2016-01-26 09:50 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんご夫婦を案内して(その1)

昨日の稲田さんご夫婦とのロングドライブ...、
朝の9時に出発して、夕方の7時にサヌールに戻った。
合計10時間、ご一緒したことになる。

嬉しいことがいっぱいあって、一気に書くのが勿体ない。
数回に分けて書くことにする。

まず、最初に行ったのが、ムグイの滝....
サヌールから一時間半の近場にある滝だ。

が、滝つぼは、当然に谷の底。
下りるのは良いが、帰りの登りが辛い。

滝を見ての帰り道の登り....
途中でフウフウ息継ぎをしているオレに、
「吉井さん、大丈夫ですか」と気を使ってくれる稲田さん.
に、「はーい」の返事も途切れてしまって、声が出ない始末。

に比べて、
空手で全豪で3位になった猛者の稲田さん、
にとっては、こんなのへいちゃらなのだろう。
息のひとつも切れていない。

お・う・ら・や・ま・し・い。

下は、
そんな、ムグイの滝の写真です。
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by yosaku60 | 2016-01-25 09:36 | バリ島=知人の訪バリ | Comments(0)

稲田さんちに招かれました。

最近知り合った稲田さん。
稲田さんは、メルボルン在住。
将来は、バリに住もうと、家を購入した。
そのバリの家に招かれ行って来た。

稲田さんの話を聞いていると、心が躍る。
オレの好きな動物の話がいっぱい出る。

稲田さんのメルボルンの家。
メルボルンの市街を見下ろす高台にあるらしい。
その所有する土地....
とてつもなく広い。

なにしろ、
敷地内に野生のカンガルーが出没するらしい。
それに、敷地内の草の管理が大変で....
草を食べさすために、馬を2頭飼っているとのこと。
が、馬2頭では、足りない...
ので、ヤギを何匹も放し飼いにしているとのこと。
が、ヤギは、どこでも自由に走り回る。
それじゃ困るってんで、
敷地内の草だけ食べるように....
ヤギを追いかける犬を 飼っているのだそうな。

面白い。
そして、羨ましい。

馬、ヤギ、犬、それにカンガルー(稲田さんは害獣という)
そんな、いっぱいの動物に囲まれた生活.....
オレにとっては、夢のまた夢、でも聞いてて楽しい。

稲田さんの奥様(写真)は、オーストラリア人。
で、話を聞いていると、
これまた少女時代は、1000頭もの牛と一緒に育ったらしい。
なんとも羨ましい。
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さて、稲田さんちに招かれての夕食....
作ったのは、みんな奥様.....のオーストラリア料理。
で、これ、なんだかわかりますか。
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ラム肉です。
「こんなのバリに売ってるのですか」と聞くと、
オーストラリア人の店があって、そこで購入したとのこと。
ラム肉は、オーブンで 5~6時間かけて、ゆっくり焼く...
のが、オーストラリア料理だそうな。
美味しい!
臭いがなく、柔らかくて、オレひとりでガツガツ平らげた。

で、テーブルに出された、奥様の手料理の数々...
ジャガイモ、カボチャは、みんな、オーブンでゆっくり焼く。
言ってみれば、燻製...手がこんでいる。
それに、奥に写っているのは、トルコ料理のサラダ...
タブリという名のサラダだそうな。
これも、ガツガツ戴いた。
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でも、オレが最もガツガツ戴いたのは、ビールだったかも知れない。
トイレに行った時、鏡に映った自分の顔を見てびっくり...
真っ赤、なのだ。
顔が赤くなるのは、楽しく飲んでる証拠....
ご馳走様でした、稲田さん、そして奥様。
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さて、そんな稲田さんと今日はロングドライブに出かけます。
それも、「日本兵の墓を見たい」との稲田さんのリクエスト、
を受けてのドライブ.....
うれしいね~、たっぷり知ったかぶりをしようっと!
by yosaku60 | 2016-01-24 09:27 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

Kubu の耐乏生活(学校に行けない子供たち)

kubuには、貧しくて学校に行けない子供たちが沢山いる。
もっとも貧しい村では、就学率が20%にしかならないという。
そんな学校に行けない子のひとり...名前はクトゥ(写真)。
今回は、お米とお菓子と服を持ってクトゥを訪ねた。
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クトゥの生活している土地がここ。
手前が畑、左が東屋、中央が牛小屋、奥が家。
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手前の畑は、トウモロコシ畑。
が、見た通り、雨が降らず大きくならない。
「根が死んでしまって育たない」のだそうな。
クトゥはおばさん(左)と一緒に、ここに住んでいる。
学校に行ってないので、インドネシア語が話せない。
オレとの会話もなりたたない。
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クトゥの家.....竹でできている。
d0083068_851882.jpg

竹製のベッド....ここで、おばさんと二人で寝ている。
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ベッドの反対が台所....
鍋には、雑草のようなものが入っていた。
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そして、東屋....
見てくれ、傾いている。
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その東屋で腰かけるクトゥ....
クトゥ!危ない....いつ倒れるか、気にかかってならない。
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が、そう言う言葉も通じない....もどかしい。
出逢った頃のクトゥ....
オレが近寄ると怖がって逃げた。
最近は、傍に寄っても逃げなくなった。
が、オレの前で笑顔をみせることはない。
外の世界と遮断した生活をしているようで悲しい。

心が通うことが難しいクトゥ...
が、今回は、別れる時に手を振ると小さく手を振り返してくれた。
初めてだ。
心が通い始めたのかもしれない、と勝手に思っている。
by yosaku60 | 2016-01-23 08:22 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

Kubu の耐乏生活(尊厳さを教えられます)

Kubuに行ったら、もうひとつ訪れる処がある。
我々夫婦が「kubuのおばあちゃん」と呼ぶ処だ。

おばあちゃんには、息子がいたが、先立たれた。
息子のお嫁さんは出て行ってしまって戻らない。
で、長らく独り住まいだ。

年齢は、おおよそ80歳だろうが、よく解らない。
多分、本人も知らないだろう。

おばあちゃんは、目が良く見えない。
以前は、少し見えていたが、今はほとんど見えない。
おばあちゃんは、歯がないので、硬いものが食べれない。

おばあちゃんの処に行く時、いつも思うことがある。
「生きててくれよ!」ということだ。
見るたびに、少しづつ身体が弱っていくからだ。

今回も生きててくれた!!

おばあちゃんは、いつも上半身裸だから、写真を載せれない。
遠い写真だけ....
座っているのが、おばあちゃんだ。
左の小屋は、雨水を貯めるタンク。
d0083068_1204949.jpg

そのタンクの中の水がこれ。
藻が生えて青いが、十分な水がある。
d0083068_1263747.jpg

雨が降らないと言っても、やはり雨季.....
たっぷりと降った日があったのだろう。

乾季になると、タンクは空っぽになる。
で、水を差し出すと、口からこぼしながら一気に飲む。

そんな、おばあちゃんから、教えられることがある。
人間の尊厳さ、生き抜くことの尊厳さ、である。

バリ語のしかも方言しか話さないおばあちゃん。
オレとは、全く話が通じない。
どうせ通じないので、日本語で話しかけている。

と、毎回1~2回だが、笑ってくれることがある。
笑ってくれるとほっとする。
その笑い顔を見ると、また来たくなる。

次に来るときまで元気でいてな....おばあちゃん!
by yosaku60 | 2016-01-22 12:00 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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